89 シャープネス・オイル2
「実はこんなものを入手しまして――」
俺は【虚空庫】から取り出したシャープネス・オイルをリンドワースさんに手渡す。
「こっ、これは!? もしかして、シャープネス・オイルか?」
「ご存知でしたか?」
リンドワースさんが大声を上げる。
その声につられ、「なんだなんだ」と周囲の職人たちが騒ぎ出す。
「シャープネス・オイルだってよ」
「本当かよ?」
「シャープネス・オイルってあの伝説の?」
「本当に存在したのかよ!」
「しかし、あの小僧何者だ?」
「3日ほど前にも、店でリンドワース師と話していたぞ」
「リンドワース師が工房に人を入れるなんて初めてだしな」
「ほんとうに、何者なんだ?」
周囲がざわつく。
しかし、リンドワースさんは気に留めた様子もなく、手に持ったオイルに見入っている。
始めは小さかった喧騒もやがて工房内に伝播する。
離れた所にいた職人まで「なんだなんだ」とやってくる始末。
騒がしい周囲に、リンドワースさんはさすがに耐えかねたのか「うるせーぞ、黙れ」と一喝。
それで静かにはなったのだが、興味の視線はなくならず、じっとこっちに注目している。
これはこれで気になって、やりづらい。
リンドワースさんはまったく気にしていないようだが……。
ともあれ、リンドワースさんはシャープネス・オイルを知っていたようだ。
鍛冶聖と呼ばれるエノラ師の弟子で、一流鍛冶師であるリンドワースさん。彼女なら、知っていてもおかしくはない。
「鑑定はしたのか?」
「ええ、うちのニーシャが遺物鑑定を出来るようになりましたので」
「そうか、彼女もまた凄いな」
「ええ、だから折り紙つきですよ」
「シャープネス・オイルは今までに一度だけ師匠のところで見たことがある」
「それで良く覚えてましたね」
「ああ、師匠が説明してくれてな。いずれ出会うこともあるだろうと3種のオイルについて説明してくれたんだ。まさかこうやって実物を目にする日が来るとはな」
「3種のオイルですか?」
似たようなオイルがあるのか。
すごく気になるな。
「ああ、鋭さを増すシャープネス・オイル。破壊力を増すデストロイ・オイル。そして、強度を増すハーデニング・オイルの3種類だ」
「へー、他にもあるんですね。勉強になりました」
デストロイ・オイルは棍棒やハンマーなどの打撃武器を強化し、ハーデニング・オイルは盾や鎧といった防具強化用だろう。
いずれもお目にかかって見たいものだ。
ダンジョンに潜っていたら、そのうち発見できるだろうか?
「それにしても、良く手に入れたな」
「ええ、偶然手に入りましてね」
「それで、なんで私のところへ? 自慢しに来たのか? それとも、使い方を聞きに来たのか?」
疑い深い表情でリンドワースさんはこちらの意図を探ってくる。
「いいえ、まさか。そんなくだらない理由じゃありませんよ。せっかくの一品なので、リンドワースさんに一本お売りしようと思って来たんです」
「おおお」と周囲がざわつく。
誰かが「マジか?」と呟く。
俺の言葉に目を見開き、しばし硬直するリンドワースさん。
やがて、口を開き――。
「いいのか? アルも鍛冶をするなら、取っておきたいんじゃないのか?」
遠慮がちにそう言うリンドワースさんだけど、欲しくてたまらないという思いが全身から伝わってきて、本音を全然隠しきれていない。
周囲からも「こんな師匠は初めて見た」とこぼれてくる。
「大丈夫です。複数本入手しましたので。それに今後も入手の目処は立ってますから」
「複数本。…………ダンジョンか」
俺が提示した情報から、見事にダンジョンで入手したことを推測してくる。さすがだ。
「ええ。ですから遠慮無く。また必要になったら声をかけてください」
「どこまで潜ったんだ?」
「それは秘密ということで。でも、あまり深くない階層でも取れましたよ」
「ふむ」とそう頷いたきり、リンドワースさんは黙りこんでしまった。
周囲の会話が漏れ聞こえてくる。
「ダンジョンで手に入るのか」
「俺も潜ろうかな」
「お前が潜ったって、ゴブリンに追い回されて泣いて帰ってくるのが関の山だ」
「はははっ、違いねえ」
「じゃあ、お前が潜って取って来いよ」
「やだよ、死にたくねえよ」
「でも、あんな小僧が入手できるくらいだぞ。きっと浅い階層で取れるんじゃないか?」
「たしかにそれらしいことを言ってたな」
「じゃあ、お前が行って来い」
「やだよ、戦いたくないから鍛冶師になったんだよ、俺は」
「俺も俺も」
「そうだよなあ」
俺がリンドワースさんのところに売りに来たのは、ちゃんとした理由がある。
もちろん、シャープネス・オイルは俺にとっても貴重なものなのだが、その真価はリンドワースさんによってこそ発揮される。
シャープネス・オイルの際立った特徴は「卑金属・魔金属問わずに使用可能」ということだ。
そもそも、武器に使用される金属は銅、青銅、鉄などの卑金属とミスリル、オリハルコン、アダマンタイト、ヒヒイロカネなどの魔金属に分けられる。
その中で魔法付与が可能なのは魔金属のみだ。
俺が今朝ナイフに【切味上昇】を付与したが、それが可能なのは素材がミスリルだったからだ。
卑金属である鋼鉄製の武器には、魔法付与は不可能。
その常識をひっくり返すのが、このシャープネス・オイル。
これさえあれば、卑金属にも【切味上昇】を付与することが出来るのだ。
脱初心者向けに卑金属製の武器を作るリンドワースさんにとっては、俺以上の価値を持つものだろう。
「わかった。それで値段はいくらなのだ?」
「5千万ゴルです」
「そうか、おーい誰か、店長を呼んできてくれ。ついでに5千万ゴルでシャープネス・オイルを買い取ると伝えてくれよ」
リンドワースさんが呼びかける。
工房内のみんなは俺たち二人を取り囲むようにしていた。
その中の一人の少女が「分かりました」と飛び出して行った。
ドワーフが多い鍛冶職人の中で、一人だけ普人種だった少女だ。
俺とニーシャの中間くらいの年齢の少女だった。
一番新入りで下っ端なのかもしれない。
「5千万ゴルだってよ」
「でも、店長を呼びに行ったってことは、師匠は買う気なんだろうな」
「俺の腕だったら、何千本も打たなきゃ元取れないぞ」
「さすがは師匠だな」
「でも、店長がオーケー出すかだよな」
「ムダな出費には厳しいもんな、店長」
周囲が勝手なことを行っている中、一人の髭もじゃドワーフが前に出てきて、口を開いた。
「なあ、師匠。本当にコイツのこと信用していいのか? シャープネス・オイルだって言ってるけど、偽物じゃないのか?」




