80 ダンジョンから帰宅して
ニーシャに肩を貸しながら、家に辿り着いたのは午後6時10分。
今日はこの後、ファンドーラ武具店の鍛冶師リンドワースさんとお酒を飲む約束がある。
その待ち合わせ時刻が7時ちょうど。
ファンドーラ武具店はすぐご近所。歩いてすぐなので、まだ少しくつろぐ時間がある。
「ねえ、ニーシャ。待ち合わせまでどうする? お風呂入っておく? それとも、なにか軽くつまんでおく?」
ダンジョン脱出直前に【中回復】をかけておいたので、肉体的な疲労は取れたはずだ。
後は精神的な疲労と急激なレベルアップによる不調だろう。
「そうね、なにか食べたら動けなくなりそうだから、お風呂に入ってすっきりしてくるわ。アルはどうするの?」
「そうだね、俺も次に入りたいな」
「じゃあ、早めに終わらせるね」
「いってらっしゃい」
風呂へ向かうニーシャを見送ってから、俺は自室に向かい、鎧を脱ぎ、普段着の服に着替える。
そして、ベッドに腰を下ろし、今日一日を振り返る。
ニーシャは本当によくやってくれた。
正直、この2日間はニーシャにとってはとてもハードだっただろう。
それなのに、弱音も吐かず、最後まで付いて来てくれた。
そのせいもあって、当初の目的通り、ニーシャのレベリングは大成功だった。
それにしても、急激なレベルアップか。
俺も初めてレベルアップした時のことを思い出す――。
◇◆◇◆◇◆◇
あれは確か6歳になったばかりの頃だと思う。
カーチャンに連れられて、どっかのダンジョンに潜ったんだ。
道中の敵は全部カーチャンが瞬殺して、いくつか階層を降りていった。
そして、幾層目かの小部屋でカーチャンが「うん、コイツにしよう」と言い出した。
部屋には3体のモンスターがいた。
そのうちの2体をカーチャンが鎧袖一触で倒してしまう。
「アルくん。そいつ倒してごらん」
そう言って、カーチャンは観戦に回った。
モンスターはカーチャンには敵わないと察したのか、俺の方へ向かってくる。
「大丈夫だよ、アルくん。ただのオークだから、アルくんがいつも通りやれば、絶対に勝てるよ〜」
カーチャンは戦闘中とは思えない、気の抜けるような態度だった。
そりゃあ、ドラゴンですら倒してしまうカーチャンからしたらオークなんて敵とも認識しておらず、邪魔な障害物くらいの意識なんだろう。
けど、俺からしたら、初めてのモンスターとの戦闘だ。
正直、ビビっている。
「いつも通りやれば」か……。
たしかに、モンスターとの実戦は初めてだけど、3歳の頃から、カーチャンと実践形式の模擬戦は毎日行ってきた。
だから、ひと通り身体の動かし方や、剣の扱い方は知っている。
でも、こうやって、いざ命のやり取りをする段になると、緊張感で身体が硬直してしまう。
オークは俺の方へゆっくりと近づいて来る。
オークの体長は俺の倍くらいある。
怖気づいた俺だけど、なんとか勇気を振り絞って剣を構え、オークの攻撃に備えた。
オークが剣を振りかぶる。
振り下ろしが来ると予測した俺は、大きくバックステップで躱す。
なんで身体が動いたのか分からない。
だけど、無意識に身体が勝手に動き、オークの一撃を難なく回避していた。
オークの攻撃がゆっくりと見えた。
なんだ。全然遅いじゃないか。
毎日相手しているカーチャンの剣に比べたら、止まっているも同然。
こんな攻撃になんでビビる必要があるのか――。
そっからは身体が勝手に動いた。
いつもの修行で身体に染み付いた動きだ。
初撃を躱され、体勢を崩しているオーク。
その側面に回りこむ。
ガラ空きの胴体に横薙ぎの一閃。
――気がついた時にはすべてが終わっていた。
目の前には上半身と下半身。
真っ二つに切り裂かれたオークの死体が転がっていた。
それもすぐに消えてなくなってしまう。
そこに落ちているのはオークの魔石とオークの肉塊。
それを見て、ようやく俺の初戦闘が勝利に終わったことを実感した。
「アルくん、すごいじゃない〜。よくやったわね〜、いいこいいこ」
カーチャンが俺を抱きしめ、髪の毛をワシャワシャとまさぐってくる。
当時はまだ返り血を避けることなんて意識していなかったので、俺は全身オークの血まみれだった。
だけど、カーチャンはそんなことなんか、これっぽっちも気にしていなかった。
俺はカーチャンに褒められ、嬉しかった。
戦闘行為自体は好きになれそうもないけど、こうやってカーチャンに褒められるのは好きだ。
カーチャンに抱擁された俺に、突如異変が襲う。
「ねえ、ママ。なんかからだがヘンだよ」
「ああ、それはレベルアップよ」
「レベルアップ?」
「アルくんの身体がもっと強くなるのよ」
「ふーん」
俺はカーチャンに抱かれたまま、人生初のレベルアップを遂げたのだ。
それもレベル1からレベル6まで一気に。
普通だったら数カ月かけて成長するのを、たった一回の戦闘で成し遂げてしまったのだ。
ちなみに、後から知ったのだが、俺が倒したのはオークじゃなくて、オーク・ファイターというオークの上位種だった。
カーチャンに雑魚モンスターを区別しろっていうのが無理な話かもしれない。
きっとカーチャンにはジェネラル・オークとオークの区別も付かないんだろう。
パレトのダンジョンに潜った時も、きっと10階層で「なんでオークがボスやってるの?」とか、素でパーティーメンバーに尋ねたことだろう。
そして、そのすぐ後に「まいっか。倒せば一緒だしね」とのたまい、実際に瞬殺したんだろう。
その光景が目に浮かぶな――。
◇◆◇◆◇◆◇
そんなことを回想していたら、自分自身もレベルアップしたことを思い出した。
最後にレベルアップしたのいつだろうか……。
ここ2年くらいは鑑定していないから、今自分のレベルやステータスがどうなってるのか、俺は知らない。
正直、鑑定するのが怖くて、わざと避けていたんだ。
勇者を継ぐことを望まれた俺のステータスが、勇者に適していない結果で、周りから失望されるのが怖かったんだ。
特に誰よりも俺が勇者になることを望んでいたカーチャンに失望されたくなかったんだ。
でも、俺はカーチャンのことを理解していなかったんだ。
カーチャンは俺を勇者にしたがっていたが、それはカーチャンなりの愛情だったんだ。
カーチャンは「俺が勇者になること」が俺の幸せだと思っていたんだ。
だから、俺が生産職に就きたいと言ったら、それを認めて送り出してくれたんだ。
勇者になることを断念した今では、もうレベルやステータスを知ることに抵抗はない。
あえて必要ないと思って鑑定していなかったけど、一度鑑定してみてもいいかもな。
レベルや戦闘スキルにはそれほど興味ないけど、生産系のスキルがどうなっているのか非常に気になる。
でも、ひとつ困ったことがある。
ステータス鑑定はギルドでやってもらうのが通常だ。格安で鑑定してもらえるので、
しかし、ギルドで鑑定してもらうと、俺がリリア・クラウスの一人息子であるアルベルト・クラウスだとバレてしまうことだ。
市井の鑑定士に鑑定してもらう方法があるけど、それもどこから情報がバレてしまうか不安が残る。
そうだっ!
ニーシャが習得しているかもしれない。
あれだけレベルアップしたんだ。
その可能性は高いぞ。
あ〜、そうなるとニーシャの成長具合いがすぐに知りたくなる。
ニーシャの【鑑定眼】はどれだけ成長したのか……。
そんなことを考えていると、
「お風呂上がったよ〜」
と階下からニーシャの声が聞こえてきた。




