63 パレトのダンジョン8
慣れないダンジョン探索で疲弊したのか、ニーシャはかっ込むような速さで食べ終えてしまった。
急いだせいか、ほっぺたにごはん粒がついている。
お腹が空いていたのは分かるけど、がっつき過ぎるから、そうなるんだよ。しょうがない奴だ。
「ごはん粒が付いてるぞ』
「えっ? どこ?」
俺は指を伸ばし、ほっぺに付いているごはん粒を取ってやる。
ごはん粒がついた指をニーシャの口元に持っていく。
「ほら、ニーシャ、あ〜ん」
「えっ!?」
驚いたのか、ニーシャが一瞬固まる。
でも、少ししてから、ニーシャは俺が言った通りに口を開いた。
ニーシャがパクリとごはん粒を食べる。
その際、ニーシャの濡れた唇が俺の指にわずかに触れた。
その心地よい感触に、なぜか俺はドキドキした。
「…………ありがと」
小声でニーシャがお礼を言う。
うつむいた顔が真っ赤になっている。恥ずかしいのだろうか?
――とここで、俺は自分の失態に気がついた。
実家にいた頃は、俺がごはん粒をつけていると、カーチャンが「あ〜ん」してくるのが常だった。
その習慣のせいで、つい同じことをやってしまったけど、これだと俺がニーシャを子ども扱いしてるようなものだ。
ニーシャが赤くなっているのは、子ども扱いされて恥ずかしいのか、怒っているのか。
いずれにしろ、俺がマズいことをしたのは間違いない。
「ニーシャ、ごめん。子ども扱いして悪かった。もう二度とやらないから許してくれ」
「……………………」
俺は素直に頭を下げて謝罪する。
ニーシャは黙りこんだまま。
どんな表情をしているのだろうか?
頭を下げた俺には分からない。
気まずい沈黙が流れる中、ようやくニーシャが口を開いた。
「……………………べつに、怒ってなんかいないわよ。ちょっと気恥ずかしかっただけよ。アルも気にしないで」
「本当か? 許してくれるのか?」
ニーシャはグラスに注がれたレモン水を一気に飲み干し、大きく息を吐く。
「どうしようかな〜。あっ、そうだ」
良いことを思いついたような笑みを浮かべ、ニーシャが俺のオヌグルに手を伸ばしてきた。
ニーシャはオヌグルからひと粒を取って、俺の頬にぺたりとくっつける。
「あの、一体?」
ニーシャの魂胆が分からず戸惑う俺の頬から、ニーシャはごはん粒を取り、俺の口元へ運ぶ。
「ほら、アル、あ〜ん」
口先に突きつけられた人差し指と先端に付いたごはん粒。
俺に残された選択肢は「あ〜ん」するしかないだろう。
仕方がない。俺は大きく口を開けた。
ニーシャの白く細い指が口内に入ってくる。
そして、舌の上にごはん粒が押し付けられた。
舌にニーシャの指が触れる。
暖かかった。
指が口の中から引き出される。
ごはん粒を咀嚼する。
自分でも分かるほどに赤面していた。
「ねっ? 恥ずかしいでしょ」
「うっ、うん。恥ずかしい」
恥ずかしかった。
確かに、恥ずかしかった。
だけど、それは子ども扱いされたからじゃない。
なにか別の種類の恥ずかしさだ。
なんで恥ずかしいのか、俺には理解できなかった。
初めて経験する種類の恥ずかしさだった。
「だったら、もう二度としない?」
「……………………えーと」
ごはん粒をあ〜んする行為。
恥ずかしいのは間違いない。
だけど、不快かと問われれば、そうでもない。
「私は恥ずかしかったけど、嫌な気持ちじゃなかったわ。アルが望むのなら、今後も続けましょうよ」
「うん、分かった。お願いします」
なぜか、俺もそれを望んでいた。
カーチャンに褒められたときと同じだ。
恥ずかしいんだけど、なぜか嬉しい。
だから、俺はニーシャの提案を受け入れた。
「私からもお願いね。よろしくね」
「うん。よろしく」
お互い見つめ合う。
二人とも照れながらも、相手から目が離せなかった。
「こほん。なんか変な空気になっちゃったわね。食後のお茶にしましょ」
「ああ、そうだな」
俺は残っていたオヌグルを口の中に放り込み、トヌ汁で流し込む。
そうしながら、【虚空庫】からティーセットを取り出す。
今は鎮静作用のあるハーブティーが良いだろう。
お互い恥ずかしさで、身体が火照っている。
この火照りを沈めないとな。
俺はティーポットに二人分の茶葉を入れ、お湯を注ぐ――。
――ハーブティーの鎮静効果のせいか、俺もニーシャも落ち着きを取り戻した。
「そうそう。さっきの話の続きだけど」
「なんだったっけ。さっきの騒動のせいで忘れちゃったわ」
「この部屋では、入り口横のプレートに冒険者カードをタッチさせない限り、扉は開かないって話」
「ああ、そうだったわね。思い出したわ」
コクコクとニーシャが頷く。
「この擬似セーフティー・エリアには2つメリットがあるんだ」
「ひとつはさっきアルが言ってたように、外からモンスターが入ってこなくて安全ってことでしょ」
「ああ、そうだ」
「それ以外にもメリットがあるのよね」
「ああ」
「う〜ん、なにかしら」
「分かっちゃえば、なんてことない答えなんだけどね」
「う〜ん、やっぱり分からないわ」
ニーシャはしばらく考え込む。
俺はハーブティーを飲みながら、その姿を眺める。
顎に手を当てて、うつむき気味で考え込むニーシャ。
短く切り揃えられた金髪に真剣な表情。
その姿から目を離せないでいた。
俺のカーチャンは美女、美少女が好きだ。病的なほどに好きなんだ。
好きすぎて、ウチの実家を尋ねてくるほどの知人といえば、ほとんどが美女、美少女だ。もちろん、俺の鍛冶の師匠のエノラ師も。
カーチャンやセレスさんを始め、幼少の頃から、そういう美しい女性、綺麗な女性、カワイイ女性を見慣れてきたので、美しい女性には免疫がある俺だ。
だけど、今、俺はニーシャの姿に魅入っていた。
確かにニーシャは美人な方だ。
しかし、セレスさんや聖女様などの絶世の美女というほどではない。
しかし、考え込むニーシャの姿に、なぜか目を奪われてしまう。
綺麗な人を美しいと思う感情とは別の、なにか分からないけど心を揺さぶられる思いだった。
考え込むニーシャを見るのは、別に今日が初めてではない。
だけど、今日はなぜか、ニーシャの姿に惹きつけられる――。