56 パレトのダンジョン1
結局、昨日はリンドワースさんとの出会いがあったせいで思わぬ時間をとられ、予定の半分も回ることができなかった。
あれから俺たちが回ったのは他の武具店や冒険者向けの道具を扱う店などで、メインの予定だった遺物屋には行くことが出来なかった。
遺物屋は後日に時間を取ってじっくりと回ることにしたのだ。
予定は狂ってしまったけど、リンドワースさんとの出会いはとても有意義なものだったので、俺もニーシャも納得している。
セレス教会のアンナさんしかり、ナタリアさんたちの『紅の暁』しかり、リンドワースさんしかり、少しずつ人脈が広がっていくのが、新天地に居を構えたって感じで一歩ずつ前進していることを実感させてくれる。
この調子で開店まで頑張っていこう。
そして、今日はいよいよダンジョン探索だ。
ここパレトに到着してから、今日で5日目。
早いのか、遅いのか、ようやく俺たちはダンジョンに潜り始める。
探索の準備は昨晩のうちに済ませておいてある。
とはいえ、俺たちには【虚空庫】があるし、探索に必要そうな道具はすべて元々【虚空庫】に入っていたから、大した準備は必要なかった。
一番頭を悩ませたのが、ニーシャの装備についてだ。
今回の探索の目的のひとつがニーシャのレベリング。
時間の限られた俺たちは浅層でチマチマとやっている暇はない。
それなりに深い階層に潜り、大物狙いで行くつもりだ。
その際に問題となるのが、ニーシャの防御力だ。
ニーシャはただの商人。戦闘能力は皆無だ。
彼女は俺の大切なパートナー。万が一があってはならない。
万全の防御態勢を整えてから、ダンジョンに臨みたいところだ。
「ということで、ニーシャの装備なんだが……」
「なになに?」
「明日からのダンジョン探索で、ニーシャには俺が今着ているこの服を着てもらおうと思う」
「えー、でも……」
いくら防御力が欲しいからといって、細身のニーシャに重装鎧をつけさせるわけにはいかない。
いくら【軽量化】の魔法付与で軽くしたとしても、満足いくレベルで動くことはできないだろう。
そうなると軽量装備しかないわけで、俺の手持ちの中から一番良い装備を、となると俺が着ているこの『旅人の服(国宝級)』の一択になってしまう。
『旅人の服(国宝級)』は強力な魔法付与がなされており、並大抵の攻撃や魔法だったら無効化可能だ。
俺が渡した護身のアミュレットと合わせれば、万が一にも危険はないだろう。
俺の装備はどうとでもなるので、ニーシャに『旅人の服(国宝級)』を渡すのが最良の選択だろう。
そう考えたのだが…………ニーシャは渋っているようだ。
「なにか問題でも?」
「えー、だって、アルがずっと来ていた服でしょ……」
ああ、俺がずっと来ているから汚れなんかを気にしているのか。
「大丈夫。この服は魔法付与で汚れがほとんど付かないし、渡す前には一応【清潔】の魔法もかけて綺麗にしておくから、衛生面はなんの問題もないよ」
「でっ、でも……」
「まだなにか問題が?」
「もう、分かったわよ……アルの鈍感」
ニーシャは小声でなにか言っていたけど、納得してくれたようだ。
とまあ、昨晩こんなやり取りがあったわけだが、ニーシャの装備問題は無事に解決した。
ちなみに、ニーシャの攻撃手段に関しても、いい考えがあるので、こちらも問題なしだ。
そういうわけで、俺はドラゴンの革を用いた軽装鎧に身を包んでいる。
ニーシャに渡した『旅人の服(国宝級)』に比べると大分性能は劣るが、俺は自分に魔法障壁を貼れるし、大概の攻撃は回避できるから問題ない。
また、この鎧は黒く染め上げているので、一見したところではリザードマンの革と区別が付かない。
リザードマンの鎧なら、俺達のような若い冒険者が持っていても不思議ではない。
ムダな注目を集めないための地味な工夫だ。
早朝に家を出た俺とニーシャは大き目の袋を背負い、ダンジョンに向かう。
背負い袋は【虚空庫】のカモフラージュのためだ。
歩いてすぐ。会話をする暇もなくダンジョン入り口に到着する。
極めて便利な立地だ。
時間帯のせいか、ダンジョンに向かう人影はまばら。
それでもゼロではない。
俺たちは列に並び、順番を待つ。
「ダンジョンなんて久しぶりだから、ちょっと緊張してきちゃった」
「大丈夫だよ。モンスターは俺が全部無力化するから」
「うん。頼りにしているよ」
「ニーシャはトドメだけ刺せばいいから。動かない的に当てるだけだ。なにも難しいことはないよ」
「そうね。ありがと。ちょっと気持ちが楽になったわ」
そんな他愛もない会話をしていると、後ろに並んでいた冒険者の男が俺たちに話しかけてきた。
「おっ、ずいぶんと若いペアだな」
巨漢の男で肩に戦斧をかけている。
髭もじゃで熊みたいな男だ。
男のしゃべり方に嫌味な感じはない。
単純に気になったことがそのまま口から出たという印象だ。
俺たちが黙り込んでいると、男はさらに続ける。
「それに見ない顔だな。新人か?」
悪意もないようだし、無視することもなかろう。
「ああ、つい先日この街に来たばかりだ。今日からダンジョン探索に励むつもりだ」
「ダンジョンは危険だぞ。無理するなよ」
熊男は親切にアドバイスを送ってきた。
「ああ。ここのダンジョンは初めてだけど、小さい頃からレベリングしてるから平気だよ」
「なんだよ。オボッチャマかよ。まあ、気いつけな」
俺のことを貴族か豪商のボンボンとでも勘違いしたのか、熊男は興味を失ったようで、会話はそこでお終いになった。
そこで、ちょうど俺たちの番が回ってきた。
入り口には二人の衛兵が立って監視している。
犯罪者がダンジョンに逃げ込んだりするのを防ぐためだ。
「冒険者カードをそこに当てて」
衛兵がぶっきらぼうに言い放つ。
夜勤明けだからだろうか、あまり機嫌が良くなさそうだ。
ダンジョン入り口脇の壁には金属のプレートが埋め込まれていた。
魔法回路が刻まれているプレートだ。
大きさは冒険者カードとちょうど同じサイズ。
俺がプレートにカードをかざすと、カードが青い光を発する。
「入ってよしっ」
このプレートには犯罪者を識別する機能がある。
犯罪者であれば赤く、そうでなければ青く発行するのだ。
それ以外にも、冒険者カードに入場の情報が登録されるのだ。
これによって、ダンジョン内で倒したモンスターや入手したアイテムは自動的にカードに記録されることになる。
冒険者のランクはこの記録を元に決定されるのだ。
プレートも冒険者カードも遺物なので、その仕組みは分かっていないが、そういう便利な機能なのである。
俺に続いて、ニーシャもカードをプレートに当てる。
当然、光った色は青だ。
「入ってよしっ」
同じ言葉を繰り返す衛兵。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
入り口に向かった俺とニーシャ。
ニーシャが入口横の石碑に目を留める。
「これは?」
「ダンジョン踏破者の記録だよ」
どこのダンジョンでも入り口にある石碑だ。
腰ほどの高さがある石碑。
そこには歴代のダンジョン踏破者――このダンジョンの最奥までクリアした人々の名前が刻まれている。
ここに刻まれているのは十組ほどのパーティー。
一番古いものは何百年も前のもので、字が薄れかかっている。
そして、一番新しい物は二十年前。そこに刻まれている名前のひとつが俺の目に止まった。
『リリア・クラウス』
カーチャンだ。
カーチャンたちのパーティーだ。
「あれ、アルのお母さんだよね?」
「ああ」
「ほへえ」
ニーシャも気づいたようで、感心している。
セレスさんの話で、カーチャンたちがこのダンジョンに来たことは知っていたけど、まさか、クリアまでしてるとは……。
ダンジョン踏破というのは、一般的に言って偉業だ。
実際、こうやって石碑に名が残るくらいの。
それなのに、自分がクリアしたダンジョンのことすら覚えていないとか…………カーチャンらしいな。
「まあ、俺たちの目的はダンジョン踏破じゃあない。俺たちは俺たちの目的を果たそう」
「ええ、そうね」
俺とニーシャはダンジョンに足を踏み入れた――。