41 実家
「行きたいところ? どこかしら?」
「ああ、一度実家に帰ろうと思って」
「あら、もうホームシック? まだ一ヶ月もたってないわよ?」
からかうようにニーシャが言う。
「そうじゃなくてな。俺は平気なんだけど、カーチャンがな…………」
身内の恥を晒すようで少し気恥ずかしい。
「アルのお母さん? 元勇者のリリア・クラウス?」
「ああ。カーチャンは子離れできてなくてな。そろそろ顔を見せておかないとあっちから俺に会いに来る」
だてに十数年カーチャンの息子をやっていない。
カーチャンの考えはお見通しだ。
今頃、俺に会いたいと駄々をこねてセレスさんを困らせているだろう。
セレスさんが宥めてくれているおかげで、なんとか収まっているだろうけど、それももって後数日。
我慢の限界を迎えたカーチャンは俺の元へ飛んでくるだろう。
俺の居場所を感知する魔道具持ってるからね。
もちろん、俺も魔道具や魔法でカーチャンの追跡から隠蔽する手段があることはあるのだが、そんなことをしたら何倍も厄介な事態になることは、カーチャンの性格からして火を見るよりも明らか。
おとなしく受け入れるより他ない。
ただ、こっちにカーチャンがやってきたら、色々と偉い人が出てきたりと、大事になるに決まっている。
それくらいだったら、諦めてこっちから顔を出す方がよっぽどマシだ。
そういうわけで、出立早々ではあるけど、きちんとした拠点も確保できたことだし、一度ここら辺で帰宅しておこうと考えたわけだ。
「そっ、そうなの……凄いお母さんね」
「歴代勇者たちも変わり者が多かったらしいけど、カーチャンはダントツらしいからな」
「…………」
「以前修行があまりにもツラすぎて、何度か家出したことがあったけど、そんときもすぐに飛んできて連れ帰らされたしな……」
当時を思い出し、泣きたくなる俺。
ニーシャが若干引き気味の表情でこちらを見つめる。
「だから、カーチャンがやってくる前に一度実家に帰ろうかと思って」
「そう」
「ニーシャはどうする?」
「えっ? 私?」
「せっかくだし、ニーシャのことを大事なパートナーだって紹介しておきたいんだ」
「大事なパートナー…………」
「もちろん、ニーシャが嫌だって言うなら、無理にとは言わないけどね」
「いっ、行くわ。もちろん、行くわよ」
食い気味にニーシャが返答してきた。
心なしか目がキラキラと輝いている。
「おっ、おう」
「だって、伝説の勇者リリア・クラウスに会えるんでしょ。こんな貴重な経験逃すわけにはいかないわよ」
「もしかして、ニーシャはカーチャンのファンだった?」
普段の振る舞いはアレだけど、それでもカーチャンは世界を救った元勇者だ。
カーチャンのファンは世界中にいっぱいいるし、中には熱狂的なファンもいるそうだ。
ニーシャもその一人なのだろうか?
「もちろん、尊敬はしているわ。でも、ファンだとかそういうわけではないわ。ただ、商人にとって貴重なのは体験よ。それも他人がしたことがないような貴重な体験は、商人をやって行く上で必ず大きな財産になるわ。だから、このチャンスを逃すわけにはいかないのよ」
なるほど。
すべては商人として成功するため。
俺が職人バカなのと同じように、ニーシャも商人バカなんだな。
彼女のそういう一途なところは本当に尊敬できる。
俺の実家に行きたがった理由も納得できた。
「まあ、ちょっと変わってる人だけど、驚かないでね」
「大丈夫よ」
…………本当に大丈夫なんだろうか。少し不安だ。
「じゃあ、ニーシャの準備が済んだら二人で行こうか」
「明日でいいわ」
「明日!?」
「ええ、私の準備なんか後回しでいいわ。それよりも早く伝説の勇者に会ってみたいもの」
「そっ、そうか」
「じゃあ、明日の朝に出発しよう」
「ええ、そうしましょ」
そういうわけで、俺とニーシャは翌日、俺の実家へ向かうことになった。
◇◆◇◆◇◆◇
俺の実家は遠い。
人里離れた魔境にぽつんと建っている。
遠いだけでなく、強大な魔獣が生息する地帯を抜けていかなけれれば辿りつけない。
なんでそんなところにあるのかというと、勇者を引退したカーチャンが俗世に煩わされずに落ち着いて子育てに専念したいと選んだ場所だからだ。
そんな場所だから、普通の方法だったら辿り着くのは困難だ。
エンシェント・ドラゴンで飛ばしても半日以上かかる。
だけど、俺には何の問題もない。
【転移】の魔法があるからだ。
一度訪れたことのある場所や具体的にイメージできる場所であれば、この【転移】の魔法でどれだけ距離が離れていても一瞬で(多少のタイムラグはあるが)辿り着くことができる。
「じゃあ、行こうか」
俺はニーシャに手を伸ばす。
俺の手をニーシャが軽く握る。
身体の一部が接触していれば、【転移】は複数人でも使用できる。
おかげで、カーチャンには便利な足代わりによく使われたものだ。
「うん」
「ニーシャは【転移】は初めてだよね」
「ええ、そうね」
「慣れないと少し目眩とかあるかもしれないから、気をつけてね。なんだったら、目をつぶっててもいいから」
「うん、そうするわね」
繋いだ手からニーシャの不安が伝わってくる。
ニーシャはぎゅっと目を閉じる。
不安なまま待たせておくのも可哀想だ。
さっさと行こう。
「じゃあ、行くよ」
「うん」
「【転移】――」
◇◆◇◆◇◆◇
俺が【転移】を唱えると一瞬後、視界が切り替わり、そこは住み慣れた俺の実家の前の広場だった。
「もう目を開けても大丈夫だよ」
「うん」
ニーシャが恐る恐るといった様子で目を開く。
「目眩とか大丈夫?」
「うん、少しクラっときたけど、今はもう平気よ」
「そう。良かったよ」
「ほんとに来ちゃったのね」
ニーシャが当たりを見回して呟く。
「ああ、ここが俺が生まれ育った実家だよ。周りにはなにもないけどね」
「すごい…………」
人里離れた山の中にぽつんと建つ、豪邸とも呼べるほどの立派な一軒家。
そのミスマッチにニーシャは驚いているようだ。
「ともあれ、ようこそ、俺の実家へ」
「招待してくれてありがと。えへへへ」
俺とニーシャがそんなやり取りをしていると――。
「アルくんだ〜」
俺の気配を察したカーチャンが家を飛び出して駆け寄ってくる。
そのままの勢いで俺に飛びつく。
両の手で全身をもみくちゃに弄られ、身体を押し付けられる。
毎度のことなので慣れてはいるが、今回は久々だからなのか、いつもより手の動きが激しい気がする。
「ただいま、カーチャン」
「へへへ、アルくんの匂いだ〜」
弄りが一段落したのか、今度は俺の首筋に鼻を近づけ、クンカクンカと俺の匂いを嗅ぐのに夢中なカーチャン。
しばらくはカーチャンのやりたいようにさせていたけど、終わる気配が一向にない。
隣のニーシャも引き始めている。
「なあ、カーチャン、積もる話もあるし、一旦離れてよ」
「えー、やだー」
子どもか……。
だからといって、力づくじゃ勝てないし、そんなことしたらカーチャンが不機嫌になって、より事態が悪化するのは目に見えている。
隣にニーシャっていう客がいるのに、恥ずかしいところを見せないで欲しい。
俺が困り果てていると、家のドアが開き、救いの女神がやってきた。
「おかえりなさい、アルベルト」