2 旅立ち
カーチャンに俺の思いを伝えたあの日。
あれから一週間がたった。
この期間、セレスさんから情報を仕入れたり、必要な荷物をまとめたり、旅立つための用意をしてきた。
とはいえ、荷物は時空魔法の【虚空庫】で仮空間に全部ぶち込んであるので、実際には身体ひとつ。身軽なものだ。
使用する際にちょっと魔力を消費するけど、簡単に荷物を出し入れできるから、【虚空庫】があると旅が非常に快適になる。
重量や嵩もあんまり気にしなくていいから、あんまり悩まずに必要そうなものを片っ端から放り込んでおいた。
そういうわけで、出発の準備自体はすぐに終わったのだが、カーチャンに引き止められたせいもあって、ズルズルと今日まできてしまった。俺自身、名残惜しかったのかもしれない。
ゆっくりとカーチャンと会話して、ちゃんと俺の思いも伝えたし、思い残すことなく旅立つことができる。
そう言えば、あの日には最後の一回とか言ったくせに、結局毎日カーチャンと稽古するハメになった。
この一週間、カーチャンとの修行はかつてないくらい過酷で熾烈だった。やっぱ、バケモンだ、あの人。
特に昨日は非道くて、何回も死んだ。比喩表現じゃなくて、本当に。
セレスさんのチカラがなかったら、今頃俺は存在していない。旅立つ前に、死後の世界に旅立っちゃうところだった。
つーか、神の奇跡をそんなにカンタンに使っていいんだろうか? いや、感謝してるけど。
あらためて再認識した――カーチャンはアタマおかしい。
こんな感じでひと波乱あったけど――。
「よーし、出発だっ!!!」
◇◆◇◆◇◆◇
俺が育った秘境から比較的近い、中央大陸北方にある大国のひとつであるカルーサ王国。
その王都エルディアまで数キロメートルの遥か上空に俺はいた。
俺としては、時空魔法の【転移】でさっさと旅立つつもりだった。
俺たちが住んでいたのは、人里離れた秘境中の秘境――人間どころか普通のモンスターすら存在しない――ご近所さんと言ったら幻獣くらいの場所だ。
別に秘境を冒険したくて旅だったわけじゃない。モノづくりをするために家を出るんだ。とっとと、それなりに栄えている場所に行くつもりだった……。
だけど、カーチャンがどうしても俺を送っていくと言って聞かなかった。
それはもう、盛大にダダをこねた。
今回ばかりは、たしなめるセレスさんの言葉も聞かなかった。
呆れはてたセレスさんまで「折れてあげて」とカーチャンの味方をする始末。
2対1じゃ、どうあがいても勝ち目はなかったから、渋々ながらも受け入れざるを得なかった。
もう子どもじゃあるまいし、カーチャンの見送りとかいらないよ……。
そういうわけで、お互いの妥協点を探った結果、王都エルディア近くまで送ってもらうことになった次第だ。
こうしてカーチャンの付き添いの下、人界まで降りてきたわけだが、その移動手段もまた、カーチャンらしい非常識なものだった……。
「もう、ここら辺でいいから、降ろしてよ」
「えー、まだアルくんと別れたくないよー。せっかくだから、王都まで送って行くよー」
「アホかっ!! こんなんが王都上空に現れたら、大騒ぎどころじゃすなまいだろっ!!!」
俺とカーチャンが乗っている「こんなん」は、カーチャンのペットであるエンシェント・ドラゴンだった。
この世界で、食物連鎖の頂点に君臨する龍種――その中でも最高位の存在であるエンシェント・ドラゴンを飼い慣らし、当たり前のように乗り回しているウチのカーチャン。
とてもプライドが高く、誰にも頭を下げない至高の存在であるはずのエンシェント・ドラゴンが、カーチャンに対しては生まれたての仔犬みたいに従順だ。普通に「お手」とか「おすわり」とかしてたし……。
カーチャンと長年暮らしてきた俺だから、その程度じゃ驚かない。
でも、一般人にそれが通じるわけがない。
ひと息のブレスで都市のひとつふたつ簡単に焼き払える天災レベルの脅威。
そんなのが王都上空にいきなり現れたら、どんな混乱が起きるか。
想像しただけでアタマが痛くなる……。
それなのに、当のカーチャンはそんなことちっとも気にしてないんだから……。
こんなカーチャンを反面教師として育ってきたおかげで、俺はちゃんとした常識を身につけることができた……はずだ、多分。
「あー、アルくんがお母さんのことアホって言ったー。ふりょーだ。ひこーだ。アルくんがぐれたー」
ほんと、頭痛い……。
「でもまあ、アルくんの言う通りかー。こんなに可愛いのにねー」
カーチャンが首筋を撫でつけると、エンシェント・ドラゴンは仔犬のように「きゅいっ」と可愛い声で返事した。
エンシェント・ドラゴンのプライドって一体……。
「まあ、しょうがないっかー。じゃあ、適当な場所見つけて着陸するねー。あっ、あの草原辺り、ちょうどいいかなー」
「アホっ!」
「また、アホって言ったー」
カーチャンがふくれっ面してるけど、知ったことか。
「エンシェント・ドラゴンが地上に降りたら大問題だぞ」
「そうなの?」
カーチャンはよく分からないって顔でキョトンとしてる。
さっきの話で分かってくれたのかと思っていたけど、やっぱり分かっていなかった……。
常識的に考えればすぐわかる話なんだけどな。
まあ、カーチャンに常識を期待するだけムダだ。
もし、コイツが着陸したら、ここら一帯のモンスターは一斉に逃げ出す。本能のままに、地の果てまで逃げていく。
そして、そのうちの一定割合は王都に駆け込むことになる。大惨事は間違いない。
実際、ここに来るまでも、ワイバーンとか視界に入った瞬間に全力でUターンしていった。ちなみに、上位種のドラゴンなんかは、そもそもエンシェント・ドラゴンの視界に入るような危険は侵さない。
エンシェント・ドラゴンっていうのは、それくらいの存在なのだ――本来は。カーチャンと一緒にいると愛玩動物みたいに思えてくるけど……。
「いいから、ここで降ろしてくれよ」
「えー」
渋々といった態度ではあったけど、カーチャンは俺の言い分を受け入れてくれた。
「ねえ、アルくん」
「なんだよ」
「たまに遊びに行ってもいい?」
「来んなよ、恥ずかしい」
気軽にオーケーしたら、毎日でも来かねないからな、カーチャンは。
それに、実際、どんな地の果てにいても、簡単に来るだけのチカラがあるから困る。つーか、実家が既に地の果てにあるしな。
「こまめに帰ってきてねー」
「……まあ、たまには顔出す」
魔法で【転移】できるから、その気になれば毎日でも帰ることはできる。
でも、そのつもりはなかった。
ひとり立ちするために、家を出たんだから。
とはいえ、あんまり長期間帰らないと、カーチャンから会いに来そうだ。いや、間違いなく来るな。絶対に。
それに比べたら、俺が帰省するほうがマシだ。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい、アルくん。身体には気をつけるのよー」
俺から切り出さないといつまでも離してくれなそうだったから、別れの言葉を告げた。
ゴネたりグズったりするかとも思ったが、意外にもカーチャンはすんなりと送り出してくれた。
いざという段になると後ろ髪を引かれる思いも若干あった。
けど、俺はそれを振り切るように風魔法の【飛翔】を自分にかけた。
そして、大空へ飛び出し、ゆっくりと降りていった――。




