182 ランシード卿
フィオーナが眠りについた。
ずいぶんと深い眠りのようだ。
まったく、暴走しすぎだっつの。
遊び疲れて体力切れって、子どもじゃないんだから。
俺は繋いだ手を解き、静かに部屋を後にする。
リビングからはみんなの話し声が聞こえていたが、俺が姿を表すとその声はピタリと止んだ。
「えっ、なに? なんでいきなり静かになってんの?」
いつもなら、俺がいようといまいと構わずに姦しくおしゃべりをしている彼女たち。
今日は一体どうしたんだろうか?
俺に言えない話でもしてたんだろうか?
「なんで急に静かになったの? 俺に聞かせられない話? ジャマだったら、自分の部屋に戻っているけど?」
「そっ、そんなことないわよ。静かになったのは…………そう、たまたまよ。アルが来たタイミングで丁度会話が途切れたところだったのよ。ねえ、みんな?」
「そうです」
「そうですぅ」
「そうですニャ」
「…………」
そうか、たまたまか。
変に気にしすぎたな。
ルーミィが無言と視線でなにかを訴えてきているような気もするが、スマン、それだけで理解できるほどの察知力は俺にはない。
未熟な主人で申し訳ない。
「そうか、俺の気のせいか」
「ええ、そうよ」
「そうです」
「そうですぅ」
「そうですニャ」
「…………」
俺は自分の席に腰を下ろす。
「なあ、みんな、フィオーナの件どう思う? アイツここに居座る気満々だぞ。みんなが嫌なら追い出すから、率直な意見を聞かせてくれ。別に、王女だからって遠慮することないから」
俺の提言に皆が顔を見合わせる。
代表して発言したのはやはりニーシャだった。
「アルの大切な知人なんでしょ。今もみんなと話し合ったのだけど、アルが望むならいくらでも居てもらって結構よ」
「そうですね」
「ですぅ」
「ニャ」
「…………」
どうやら、みんなフィオーナのことを好意的に受け入れてくれたようだ。
「そうか。ありがとう。そう言ってもらえると助かるよ」
こうして、フィオーナの滞在が決定されたのだった。
朝食が終わり、一段落したところでニーシャが伝えてきた。
「じゃあ、私は商業ギルドへ行ってくるわね」
「ああ、任せたよ」
「行きましょ、ルーミィ」
「はい、おねえちゃん」
ニーシャが商業ギルドへ向かうのは、売り子を雇うためだ。
開店当初から、その混雑ぶりを見て、とても俺たち6人じゃあ回しきれないと判断した。
実際、2週間たった今、みんなかなり疲労しているみたいだし、それにどうせなら3人娘は生産活動に専念させたい。
才能がある人間に売り子をやらせておくのは、もったいなさ過ぎるのだ。
そこで、ニーシャは早々と商業ギルドを通じて売り子の募集をかけたのだが、この反響も物凄いものだった。
あっという間に何百通もの応募が殺到したのだ。
それだけ俺たちの商会の評判が広まっているのだろう。
開店前から千人以上の行列が出来る店だ。
街の噂にならないわけがない。
多数の応募の中から、書類選考で三十人ほどに絞りこみ、今日、面接を行うのだ。
そのために、ニーシャはルーミィを連れて出かけて行った。
「私たちも仕事に取りかかるわ」
「頑張るニャ」
「中級回復ポーションは不足しがちだから、今日のうちにストック増やしておいてくれよ」
「はい、分かってます」
「分かってるニャ」
ミリアとカーサは階下へ下りて行った。
「ビスケも同じものばかり作らせて申し訳ないが、もう少し頑張ってくれ。落ち着いたら、自分の好きなものを作らせてやれるから、それまで我慢してくれな」
「いえいえ、今の仕事で十分に満足してますですぅ。神像をいっぱい作れるだけでビスケは幸せですぅ」
「そうか、頑張ってくれよ」
「はいですぅ」
ビスケも1階に下りて行った。
さて、みんなそれぞれ自分がやることに取りかかった。
その間に俺はやることがある。
フィオーナが途中まで乗ってきた馬車の探索だ。
お付きの人たちはいきなりフィオーナが飛び出して慌てていることだろう。
今も必死に馬車を走らせているに違いない。
彼らを安心させてあげないとな。
王家の馬車の一団というのは、特殊な構成員から成り立っている。
平民が使う乗合馬車や商隊の輸送馬車とは違い、馬に乗った強力な護衛騎士数人と守られる高貴な方々とお付きの人々。
だから、【魔力探知】で探すのが比較的容易だ。
それに、フィオーナのお付きの人の中には俺が知っている人もいる。
その人の魔力波動を感知できれば、フィオーナが乗っていた馬車は特定できる。
なので、【魔力探知】で探すのが一番手っ取り早いのだが、馬車が王都を発ったのは昨日の午前中。いくら途中から飛ばしたとしても、まだ半分も来ていないだろう。
さすがの俺の【魔力探知】もそこまでは探索範囲外だ。
なので、王都から3分の1の辺りに転移してから探すことにする。
俺とニーシャが王都からパレトに馬車で移動してきた際に、念の為に途中何箇所か転移ポイントに適した場所を記憶しておいた。
さっそく、それが役に立つ日が来たのだ。
「【転移】――」
転移した街道の上。
運良く近くには誰もいなかったので、驚かれたりすることもなかった。
「【魔力探知】――」
俺は街道沿いに【魔力探知】を発動する。
「お、あったあった」
ここから1キロほど離れたところに目当ての馬車を発見した。
俺の知っている人も乗り込んでいるし、間違いないだろう。
近くに転移して無駄に警戒されるのもなんなので、俺は走って馬車に向かった。
走ること1分。
馬車が見えてきた。
このスピードで近づくと警戒されるので、徐々にスピードを落としながら馬車に近づく。
「何者だ」
護衛の騎士の一人に誰何される。
「アルベルトと申します。フィオーナ殿下のことで話があると、ランシード卿にお伝え下さい」
騎士は少しいぶかしんだ様子だったが、ランシード卿に取り次いでくれた。
馬車の中から、ランシード卿が降りて来る。
ランシード卿はフィオーナの教育係で、いわゆる「じいや」に当たる人だ。
小さな頃からフィオーナを教育し、ついでに、一緒にいた俺も教育された。頭が上がらない人の一人だ。
「おお、アルベルト坊っちゃん。久しぶりですな」
「卿もお元気そうで」
「それで姫の話とは?」
「それは――」
俺はランシード卿に経緯を話した。
「いやはや、坊っちゃんには相変わらずご迷惑をおかけしっぱなしで申し訳ない。こちらもすぐに馬で追いかけさせたのですが、やはり殿下の足には追いつけなかったようですな」
「いえいえ。卿のご心労に比べれば、なんてことないですよ。それにフィオーナに振り回されるのは慣れてますから」
「ともかく、安心致した。わざわざ報告までしてもらい、感謝致す」
「ええ、ウチで預かってるのでご安心下さい」
姫の無事が明らかに成り、お付きの人たちの間に安堵が広がる。
特に護衛騎士の人たちは、姫の身になにかあったらタダじゃ済まないので、その安心ぶりはあからさまだった。
「それでどうしますか? なんだったら、俺の転移魔法で馬車ごと全員運んじゃいますけど?」
「坊っちゃんのお気遣いはありがたいのじゃが、伯爵には明日到着すると伝えてある。今日いきなり訪れては伯爵に迷惑がかかろう。我々は予定通り、馬車でパレトへ向かうことに致す。坊っちゃん、もう一日だけ姫のことを頼みましだぞ」
「ええ、暴走しないようにちゃんと見張っておきますよ」
「かたじけない」
「それじゃあ、俺は戻ります。道中お気をつけて」
「よろしく頼みますぞ」
俺は別れを告げて、【転移】で自宅へ戻った――。




