147 バッカス像
ビスケが炉に火を入れ、炉に向き合う。
ビスケが炉の調子を整えている間に、俺は【虚空庫】から取り出した材料を大鍋で混ぜ合わせる。
さすがにこのサイズだと、大鍋3つほどの材料が必要となる。
「師匠、お願いします」
炉の用意が調ったようだ。
俺は材料を炉に流し入れる。
ビスケがそれを懸命にかき混ぜる。
材料が大量なので、ビスケは重そうに両手を動かす。
顔には玉のような汗が浮かんでいる。
俺とバッカス様は並び、後ろからその姿を眺め入っていた。
バッカス様は抱えた酒樽に直接口をつけて、竜の泪を流し込みながらだ。
「おお、ええ火やな」
燃え盛る炎を眺め、バッカス様はご満悦だ。
炉の中の火をちょうどよく保っておくことはなによりも大切だ。
バッカス様はそれを褒めたのだろうけど、集中しているビスケには届かないようだ。
ビスケは真剣な表情で混ぜ続ける。
材料はだんだんと熱せられ、赤熱していく。
とろりと高い粘性を持ったガラス塊がどんどんと大きくなっていく。
すべての材料が溶け、混ざり、ひとつの大きなガラス塊となったその時、出し抜けにバッカス様が口を開いた。
「ちょっと、嬢ちゃん、そこどいてみい」
「えっ、あっ、はい」
集中していたビスケが、バッカス様の気軽な声で素に戻った。
バッカス様はビスケに変わって炉の前に立つ。
そして、抱えている酒樽を口に合わせて、大きく傾けた。
口いっぱいに含まれた竜の泪。
バッカス様はそれを思いっきり炉の炎に噴きかけた。
「これでちぃっとは気合い入ったろ」
炎は激しく爆ぜ上がり、ガラス塊を包み込む。
「うわあ……」
「ああ」
特別変わったことをしたわけではない。
ただ燃えたぎる炎に酒を噴きかけただけだ。
だが、燃え上がった炎はまるで舞いをまうかのごとく揺らめき、見る者を魅了する。
炉の中の炎は生きているようにガラス塊にまとわりつく。
まるで優しく愛撫するかのように。
「うわあ、すごい加工しやすいですぅ」
【空圧】でガラス塊を加工するビスケが感嘆の声を上げる。
これだけのサイズだから、今のビスケだったら、炉の中で概形を整えるだけでも、一苦労なはずだ。
しかし、今回は苦労する様子もなく、形を整えていく。
バッカス様のサポートのおかげであろう。
すごい効果だ。
「とりあえず、形になりましたぁ」
ビスケが【飛翔】で炉からガラス塊を取り出す。
すでに8割型は形になっている。
今までのビスケだったら、考えられないことだ。
さて、ここからが時間との勝負だ。
ガラスは冷めると固くなり、加工しづらい。
温かいうちにどれだけ素早く加工できるの勝負だ。
「【空斬】――」
「【空斬】――」
ビスケが2種類の魔法を駆使して、像を作り上げていく。
「うわ、加工しやすいです。思ったとおりの形になってくれます」
「そりゃあ、ワイが手を貸したからな。ちゃんと立派な像に仕上げてくれや」
抱えた樽を呷りながら、バッカス様は楽しそうに眺めている。
その後もビスケは像の形を整えていく。
俺が知っている倍以上のスピードだ。
この調子なら、大丈夫だろう。
「――出来ましたぁ」
ビスケが喜びの声を上げた。
全身汗まみれだ。
額の汗を拭う姿から、ひと仕事やり終えた感が伝わってくる。
出来上がったのは実物大のバッカス様の像だった。
あぐらをかいて座り込み、片手には酒樽を抱え、もう片方の手に持ったグラスを呷っている。
「ほう。期待していた以上に立派な像やな。ワイの凛々しさがよう現れとるで。嬢ちゃん、ありがとな」
バッカス様はニコニコ顔だ。
どうやら、お気に召していただいたようだ。
「ありがとうございますぅ。バッカス様の手助けがあったからですぅ」
「いいや、ワイは大したことしとらんで。嬢ちゃんの腕前や。自信持ってエエで」
ポンポンと像を叩きながら、バッカス様が告げる。
「そんじゃ、ささっと加護をつけちゃるわ」
言うなり、バッカス様の手が光り、その光が像全体を包み込む。
あっという間に、その光は消えた。
「終わったで。これでセレスちんの像と同じくらいの加護が付いたで」
表のセレスさんの像には『セレスの加護(強)』が付与されている。
ということは、このバッカス様の像にも『バッカスの加護(強)』が付与されているということか。
俺がそんなことを考えていると、バッカス様は軽々と像を持ち上げ、玄関に向かう。
ドアを開け、手頃な場所に像を下ろす。
「ここら辺でエエかな」
2体並ぶ大きな神像。
インパクトは十分だろう。
これなら、客寄せの効果も倍増だ。
また、他の神様を呼び寄せることになるかもしれんが……。
「大切にしたってな」
「ええ、それはもちろん」
「はいっ、大切にしますぅ」
バッカス様は納得したようで、部屋の中へと戻っていくので、俺とビスケもその後に従った。
バッカス様はそのまま、工房に向かい、3基並んだ炉の前で立ち止まる。
「これはワイからのお礼や」
バッカス様が手を前に伸ばす。
途端、3基の炉が光りだす。
そして、すぐに光は収まった。
「祝福しといたで。これでエエもん作れるようになるやろ」
どうやら、バッカス様の能力の一部を炉に付与してくださったようだ。ありがたいことだ。
「それと、嬢ちゃん、こっちおいでや」
「はっ、はい」
「跪いて、目を閉じて祈っててや」
「はい」
「すぐ終わるけん」
跪いたビスケの頭に、バッカス様が手を添える。
またもや、手の先が光る。
その光がビスケを包み込む。
「もうエエで」
光が治まると、バッカス様がそう告げた。
「これで嬢ちゃんはワイの信徒や。ワイの像いっぱい作ったってや」
「はっ、はい」
ビスケは目は潤ませ、バッカス様を見上げている。
その姿は敬虔な信者そのものだった。
「エエもん作ってもらったし、エエ酒も馳走になった。今日はエエ日だったで」
上機嫌のバッカス様は酒樽を呷る。
そこにあるのは酒と火を愛する神様そのものの姿だった。
「ほんじゃ、また、機会があったら会おうな」
軽く手を振ると、そのまま去って行った。
いきなりやって来たバッカス様は、いきなり去って行った。
竜の泪は樽ごと持っていかれてしまったが、その程度は安いものだ。
俺たちはそれ以上のものを頂いたのだから。




