143 穴ぐら亭と竜の泪
アンナさんは言っていた通り、神像の代金を支払ってくれた。
代金を受け取った俺たちは、教会を後にした。
「やりましたよ、私。ねえ、師匠ぅ?」
「ああ、やったな」
隣を歩きながら、ビスケはガッツポーズを決めている。
「それより、ほら」
俺は代金の入った小袋をビスケに押し付ける。
「へっ?」
「どうした、キョトンとした顔して。今回の報酬だ。受け取っておけ」
「えー、いいんですか?」
「ああ」
「前にいた工房だと、弟子が作ったものの売上の8割は親方が取ってましたよ」
「ひどい工房だな」
いや、それが世間一般の相場なのかもしれん。
だが、ウチはそんな阿漕なことはしないつもりだ。
「もちろん、今後は売上の全額を渡すということはしないけど、今回はビスケの初収入だ。全額受け取っておけ」
「本当にいいんですね?」
「ああ、その金で美味いものでも食ってくれ」
「師匠のご飯より美味しいご飯なんてそうそうないですよぉ」
「それもそうだな」
王都に行けば、ジェボンさんの店なりあるが、ここパレトだと、宮廷料理長ランガース師仕込みの俺の料理より美味しい店はまだ発見できていない。
ビスケもすっかり俺の料理の虜になっているし、ビスケの言うとおりだろう。
「だったら、竜の泪でも買うか?」
「ああ、それはいいアイディアですね。でも、足りますか?」
「確認してみなよ」
「はいですぅ」
前回、俺が納めたときは、【女神セレスの加護(中)】がついた神像が2体で1千万ゴルだった。
今回のビスケが奉納したのは【女神セレスの加護(小)】付きの神像1体だ。
俺のより劣るとは言え、竜の泪ひと樽くらいは買える金額だろう。
ビスケが小袋を逆さまにし、中身を取り出す。
「ひえええ」
「どうした」
「白金貨がっ!!」
「ああ」
「それも、2枚もっ!!!!」
どうやら、教会がつけた値は200万ゴルだったようだ。
「良かったな」
「良かったなって、師匠、やけに冷静ですね。前の職場だったら、20年分の年収ですよ」
「まあ、ニーシャと出会ってから、高額な取引には慣れたからな。俺が教会に神像を納めた時は2体で1千万ゴルだったしな」
「1千万ゴル…………」
「ビスケもそのうち慣れてくるから平気だよ。ウチの商会にいれば白金貨での取引なんて日常的だし」
「そうなんですかぁ……慣れる気がしません」
「大丈夫大丈夫」
まあ、俺の場合は、子どもの頃から白金貨に馴染みがあったってのはあるが、ビスケもそのうち慣れるだろう。
人間、大抵のことは慣れるもんだ。
「じゃあ、『穴ぐら亭』に寄って帰るか」
「はいっ!」
これから向かう『穴ぐら亭』はファンドーラ武具店の鍛冶師であり、鍛冶の姉弟子でもあるリンドワースさんに教えてもらった酒場だ。
飲兵衛のドワーフたち御用達の店で、酒の品揃えはパレト随一。
パレトで唯一、竜の泪を飲める店でもある。
普通だったら、希少な竜の泪を卸してはくれないのだが、そこはリンドワースさんの知人というコネで特別に卸してもらえるのだ。
俺たちがリンドワースさんと『穴ぐら亭』を訪れたとき、リンドワースさんが竜の泪を店中の客に大盤振る舞いしたこともあって、俺とニーシャは店主に気に入られたのだ。普人種のガキである俺が竜の泪を平然と飲んでいたのも好印象だったみたいだ。
そんなわけで、特別に竜の泪を卸してもらえるのだ。俺もこの前10樽ほどお世話になった。
しばらく歩いて『穴ぐら亭』にたどり着いた。
普通の酒場は夜からが本番だが、『穴ぐら亭』は24時間常に本番だ。どの時間帯も酔っ払いで溢れている。
「昼間からスゴいですねぇ」
「ああ、ここはいつもこうらしいよ」
「へえ。ドワーフばっかですぅ」
酔客をかき分け、店の奥へ向かう。
途中、声をかけられた。
「よう、アル兄」
「アル兄も一杯やりに来たのかい?」
「アル兄、可愛い子連れてるじゃないっすか」
ファンドーラ武具店の鍛冶職人のドワーフたちだ。
みんな歳は俺より上なのだが、俺がリンドワースさんの弟弟子であるので、リンドワースさんの弟子である彼らは、俺のことを「アル兄」と慕ってくれるのだ。
「いや、今日は酒を買いに来ただけだ」
「ああ、そうなんすか。また、今度一緒に飲みましょうや」
「ああ、そうだな。そうそう、こいつは俺の弟子、っつても鍛冶じゃなくてガラス工芸だけど、ビスケっていうんだ。コイツもかなりイケるから、今度一緒にどうだ?」
「良いっすねえ。なあ?」
「ああ」
「べっぴんさんは大歓迎だ」
「だってよ?」
ビスケに振ってみる。
「師匠の弟子のビスケですぅ。よろしくお願いしますぅ」
若干、緊張しているビスケに、
「おお、照れてる姿も可愛いなあ」
「だな、めんこいなあ」
どうやら、ビスケはドワーフたちに気に入られたようだ。
「じゃあ、今日は失礼するぞ」
「おう、またな、アル兄」
「ビスケちゃん、またね〜」
「今度一緒に飲もうね〜」
放っておくと飲みの輪に加えられてしまいそうなので、さっさと別れと切り出す。
厨房を覗きこみ、俺は中の人物に大声で呼びかけた。
「よう、大将」
「おう、今日はどうした、アル坊」
厨房の中からずんぐりむっくりのドワーフの典型といったオヤジが出てきた。
顔は赤く、このオヤジも酔っ払いであることが分かる。
酔っ払ってはいるが、これでもこの店の店主だ。
常連客の間でも、このオヤジが酔っ払っていないところを見た者はいない、と言われるほどで、年中酔っ払っているらしい。
「竜の泪をひと樽分けて欲しくてな」
「なんだ、この前のもう飲み尽くしたのか」
オヤジが驚き気味の表情を向けてくる。
「いや、さすがにまだ残ってるさ。今日は、この子のお祝いにな」
「ほう、このお嬢ちゃんがか?」
「俺の弟子のビスケっていうんだけど、この前竜の泪を飲ませたらハマっちゃってな」
「へえ、嬢ちゃんもイケる口かい」
「はいですぅ。もう他のお酒は飲めないですぅ」
「はははっ、分かってるじゃねえか。可愛い顔してるのによう」
どうやら、ビスケはこのオヤジにも気に入られたようだ。
ドワーフに好かれるタイプなんだろうか?
「というわけで、ひと樽頼むわ」
「ああ、待ってな。すぐ取ってくる」
そう言い残すと、オヤジは貯蔵庫へ向かって行った。
「ドワーフにモテモテだな」
「みんな、からかってるだけですよぉ」
「ははっ、確かにな」
そんな話をしていると、
「ほいっ、お待たせ」
オヤジが樽をかついで戻ってきた。
俺たちは支払いを済ませ、別れを告げる。
「じゃあ、今度は飲みに寄らせてもらうな」
「おう、また来いよ」




