120 シドーさんと
個室を後にした俺は、係りの人に連れられて厨房へ向かった。
「あっ、アルさん」
作業をしながらも、俺に気づいたシドーさんが手を振ってくる。満面の笑顔を浮かべて。
「申し訳ないですけど、後10分ほどお待ちいただけますか。そうすれば一段落しますので」
「ええ、ここで待たせてもらいますね」
「はい、お願いします」
それを見届けて、係りの人は去って行った。
シドーさんは真剣な表情で魚を捌いている。
ウヌゥーギだ。
彼女の背丈ほどもありそうな、巨大なウヌゥーギが彼女の前に横たわっている。
今日のメインの下ごしらえをしているのだろう。
ウヌゥーギは骨が多く、捌くのが難しい魚だ。
それをシドーさんは流れるような包丁捌きで下ろしていく。
俺は彼女ほど上手には捌けない。
見事な彼女の包丁捌きに見とれているうちに、彼女はひと仕事終えてしまった。
後は焼かれるばかりのウヌゥーギ。
10人前はあるだろうか。
彼女は10分と言ったが、体感時間ではあっという間だった。
流麗な彼女の腕前を見ていた俺にとっては一瞬にすぎなかった。もっと見ていたいくらいだった。
師匠の下を後にしてからは、中々他人が料理する姿を見る機会がなくなったが、やはり、いいものだ。
「お待たせしてしまって、すみません。早速冷蔵室へ向かいましょう」
手を水で洗い、前掛けで拭いた彼女がそう告げる。
「ええ、そうしましょう」
シドーさんと並んで歩く、冷蔵室はすぐそこだ。
「それにしても、見事なお手前でした」
「いや、恥ずかしいです」
「すばらしい包丁捌きですね。俺ももっと精進しないと」
「アルさんに褒められて、嬉しいです」
僅かに頬を朱に染める。
「さあ、着きましたね」
「ええ」
いつものように、ファング・ウルフとシルバー・ウルフの肉塊を【虚空庫】から取り出し、所定の場所に置いていく。
3回目ともなれば慣れたものだ。
「はい、確かに。支払いはあちらで」
「ええ」
また、二人並んで移動する。
向かうは食堂の裏手、普通客が足を踏み入れないエリアだ。
その一室の金庫から白金貨を一枚取り出し、シドーさんは俺に手渡す。
「はい、いつも通り100万ゴルです」
「確かに、受け取りました」
いつもならこれでお終いなのだが…………。
「あのっ――」
「あのっ――」
カブった。
「シドーさんからっ――」
「アルさんからっ――」
またもや、カブった。
気恥ずかしくなり、二人で顔を赤らめて笑い合う。
「じゃあ、俺から言いますね」
シドーさんが折れる気配がなかったので、俺から話し出す。
「この後、少しお話できませんか?」
「へっ!?」
シドーさんが驚いた顔をしている。
「どうしたんですか?」
「いえ、私のお願いと一緒だったので」
「あら、奇遇ですね」
「ええ、そうですね」
とシドーさんが笑う。
俺もつられて笑う。
「でしたら、裏庭でお話しましょうか。ちょうど木々が花づいて見頃なんですよ」
「それは嬉しいですね。是非、そうしましょう」
笑顔のシドーさんの後を付き従い裏庭に出る。
確かに、立派な木々が花を咲かせている。
「綺麗ですね。さすがシドーさんがオススメするだけはありますね」
「他に案内する場所がないだけとも言いますがね」
おどけたように言う。
意外とお茶目な人なのかも知れない。
裏庭には、一脚のベンチが置かれていた。
そこに二人並んで座る。
シドーさんは思っていたより距離を縮めて座ってきた。
わざわざ向こうから誘おうとしていたくらいだし、好感度は低くないはずだ。いったい、どれくらいの好感度なんだろう?
「今日は話す時間が取れて嬉しいです」
「ええ、俺もです」
「前回は取引してすぐにお別れでしたからね」
「今日はお時間大丈夫なんですか?」
「この後に一件控えてますが、その前に連れの3人だけの時間を取ろうと思いまして」
知り合ったばかりの新入り2人とニーシャ、女の子同士の方が話しやすいこともあるだろう。
そう思って、彼女たちだけにしたのだが、大丈夫だろうか。
まあ、ニーシャはコミュニケーション能力高いし、二人も人見知りするタイプじゃなさそうだったから、きっと大丈夫だろう。
「そうだったんですか、なら良かったです」
「シドーさんこそ、大丈夫だったんですか?」
「ええ、アルさんが来る日は大丈夫なように時間調整して時間を空けておきましたから」
「そうですか、なら、安心です。わざわざ俺のために時間を取ってくれて、ありがとうございます」
「いえいえ」
顔を赤くするシドーさん。
「ところで、ご一緒の3人とはどういう関係なんですか? みんな美人さんですけど」
「同僚です。ただの仕事仲間ですよ。そのうちの2人は今日からうちの商会に所属することになったんですよ。だから、親睦を深める意味で、今日はこちらに寄らせてもらったんですよ」
「そうだったんですか」
シドーさんはあからさまに安心した表情をみせる。
「美人なのは、たまたまですよ。別に顔で選んだわけじゃあありません。彼女たちには才能がある。だから、採用したんですよ」
顔で採用したなんて、それは彼女たちへの侮辱だ。
うちの商会に必要な能力を持っていた、だからこそ、彼女たちを採用したんだ。
「それに、美人だって言うなら、シドーさんだってそうじゃないですか」
「へっ!?!?」
「素敵ですよ、その編み込み。前回の時よりも手が込んでますよね。凛々しいシドーさんにとっても似合ってますよ」
裏庭に来てコック帽を外したシドーさん。
その頭部は丁寧に編み込まれていた。
「そっ、そうですか…………ありがとうございます」
シドーさんは俯いてしまう。
「アルさんの方がカッコいい…………」
小さく呟くシドーさん。
その声は小さすぎて聞き取れなかった。
そして、彼女は思いっきり顔をあげ、口を開く。
「あのっ」
「はい、なんでしょう」
「今日ご一緒の女性たちは仕事の同僚とおっしゃいましたよね。本当にそれだけなんですか?」
「と言いますと?」
「彼女とか、じゃないんですか?」
「いや、違いますよ。大事な仕事のパートナーではありますが、本当にそれだけです」
「別に彼女がいたりとかは?」
「いや、それもいないです」
「そうですか、良かったです」
ホッとした様子の彼女。
「なにがですか?」
「だったら、私がデートに誘ったのも問題なかったんですね」
「デート?」
「ほら、前回約束したじゃないですか。開店して落ち着いたら、私が王都を案内すると」
「ああ、そうでしたね。実は結構楽しみにしてるんですよ」
「ホントですか?」
「ええ、シドーさんみたいな綺麗な女性に案内して頂けるなんて光栄です」
「私も楽しみですよ。二人っきりのデート」
デートか…………。
俺としては、「知人に王都を案内してもらう」くらいの軽い気持ちだったけど、客観的に見たら、親しい男女が観光地をともに歩く。うん、デートだ。
女性とのデート。
カーチャンには、「デートで女性を楽しませられなきゃ男性失格」と、教えられた。
デート未経験の俺に上手くできるだろうか?
「なんか、デートって意識すると緊張しちゃいますね」
「そうなんですか?」
「ええ、女性とのデートなんて初めてなもので。ちゃんとシドーさんを満足させられるか、不安です」
「大丈夫ですよ。私は、アルさんと二人っきりでいるだけで楽しいですから」
「そう思っていただけると、気が楽です」
「難しいこと考えずに、二人で思いっきり楽しみましょう」
「ええ、そうですね」
二人見つめ合い、微笑む。
シドーさんといると心が癒やされるな。
そんな感じのいい雰囲気だったところに、ニーシャから【通話】が。
『そろそろ時間よ』
「あっ、すみません、シドーさん。次の予定があるので」
「あっ、はいっ、こちらこそ、長々とお付き合いいただいて、ありがとうございました」
「いえいえ、俺も楽しかったですよ」
二人して、ニーシャたちの待つ個室へ戻るのだった――。




