111 弟子と師匠
自宅に帰ってきたら5時過ぎだった。
夕食は6時からなので、まだ時間がある。
ニーシャはまだ帰っていなかった。
ビスケが工房で頑張っているようなので、少しは師匠らしいことでもしようかと、彼女が作業している工房へ向かう。
彼女は工房で炉に向かい、こちらに背を向けて作業していた。
集中しているのか、俺の存在に気がついていないようだ。
なので、俺は邪魔にならないよう、後ろから静かにその姿を眺めていた。
「むぅー、またダメですぅ」
出来上がった作品に納得がいってないようなのか、膨れっ面でそれを見つめている。
「気を取り直して、もう1回やり直しですぅ」
出来上がったばかりの作品をまた炉にくべる。
後ろからだから見えないが、きっと真剣な表情をしているのだろう。
俺に教わった通り、【飛翔】、【空斬】、【空圧】の3つを駆使して、像の形を作ろうとしている。
大体の形を作るところまでは上手く行っている。
だが、問題はその先だ。細部を整えていくには【空斬】の高度な制御が必要なのだ。
ビスケにはまだ、それだけの技術と経験が足りていない。
焦る必要はないんだが……。
と思いながら見ていると、集中力が途切れたのか、【空斬】が暴走し、像を無残に傷つけた。
「ああっ、ダメですぅ」
落ち込んだ声が聞こえてくる。
肩もしょんぼりと沈んでいるし、精神的に参っているんだろう。
この精神状態で続けても良いことはないだろう。
俺は声をかけることにした。
「頑張ってるみたいだね」
「しっ、師匠〜〜」
「お疲れ様」
「いつから見ていたんですの?」
「『むぅー、またダメですぅ』からかな」
ビスケの口調を真似して言ってみる。
「私、そんなこと言わないですよぅ」
「ははっ、言ってたよ。それだけ集中してたんだろ」
「そうですかぁ……」
「2回前からだよ」
「うぅ。恥ずかしい姿を見せてしまいましたですぅ。穴があったら入りたいですぅ〜」
「なにも、恥ずかしいことはないさ。修行の9割は失敗することなんだから」
「そうなんですか? 前の職場だと、失敗するとすぐにゲンコツが飛んで来ましたよ」
「最悪な師匠だな」
「ええ、最悪でしたよ。辞めて正解でした」
――「修行の9割は失敗」とは俺の魔法の師匠ファデラー師の言葉だ。
俺はこれまで何人もの師匠に師事してきた。
その中で誰が一番身近だったかといえば、そのファデラー師だ。
彼女の教育法は弟子の悩みを自分の悩みとしてとらえるものだった。
俺がなにか上手くいかないことがあると、彼女は俺と同じ目線に立ってくれた。
「なにが上手くいかないのかな?」
「他にどんな方法があるのかな?」
「まだ、やり残したことはないかな?」
そうやって寄り添い、同じように考えてくれて、そして、問題が解決した時は我がことのように喜んでくれた。
「凄いじゃないか、アルベルト。これで次の問題に立ち向かえるじゃないか」
一番師匠らしい師匠だった。
彼女のおかげで俺は魔法を使いこなせるようになった。
ただ魔法を使うだけじゃなく、ちゃんと使いこなせるようになったのだ。
だから、ファデラー師には非常に感謝している。
そして、弟子を取った今、俺もファデラー師のごとく弟子に接したいと思う――。
「ほら、ポーション飲んで」
ビスケとの【共有虚空庫】から初級マナポーションを取り、彼女に手渡す。
ビスケはそれを受け取り、口につける。
「今日だけでもう12本飲んだのか」
【共有虚空庫】の残量を数えて、そう告げる。
「はいですの。やっぱり飲み過ぎちゃいましたか?」
ビスケは不安げな表情で俺を見上げる。
俺はその表情を見て、悲しくなると同時に、怒りが湧いてくる。
普段だったら、怒りの感情は押し殺すが、今回はそれをしない。
「ビスケ、俺は今怒っている。なんでか分かるか?」
「いえ…………」
ビスケが怯えて黙りこんでしまった。
「俺が怒ってるのはビスケに対してじゃない、ビスケのクソみたいな元師匠についてだ」
「えっ!?」
ビスケは驚いたように大きく目を見開く。
「失敗したら、大声で罵声を浴びせ、さらには手まであげる――最悪の師匠だ。俺はそのクソ野郎に対して激しく怒っている。ビスケが師匠の顔色をうかがい、失敗を恐れるようになったのはそのクソ野郎のせいだ」
「……………………」
「それと同時に、俺は悲しいんだ。ビスケが失敗に恐れ、本来楽しいはずのガラス作りを楽しめなくなっていることが。本当に悲しいんだ」
怒りと悲しみがないまぜになった感情が俺を支配し、思わず涙が溢れる。
「しっ、師匠…………」
「だらしないな、俺が泣いちゃって。情けない師匠ですまない」
「そっ、そんなことないですぅ。私のために泣いてくれるなんて師匠くらいですぅ。私、とっても嬉しいですぅ」
「ビスケ」
「師匠」
思わず二人揃って涙を流しながら、抱きしめあう。
感情の高まった俺たちはしばらく抱き合ったまま、涙を流す。
やがて、感情も静まっていき、羞恥心に捕らわれた俺たちはどちらともなく、身体を離す。
気恥ずかしい空気が流れる。
その隙間を埋めるかのように、俺は口を開いた。
「さっきマナポーションの本数について言ったろ」
「はっ、はい」
恥ずかしさに顔を真っ赤にしながらも、ビスケは真剣な目でこちらを見つめている。
「あれは飲み過ぎを非難したわけじゃないんだ」
「そうなんですか? じゃあ、一体……」
「褒めたんだよ。マナポーションの消費量は、それだけビスケが頑張った証なんだ」
「頑張った証……」
「そうだ。12本も飲んだってことは、今日一日頑張ったってことだろう? だから、褒めたんだ」
「そんなこと言われるだなんて、思ってもいませんでしたぁ」
またもや涙腺決壊させている。
「だから、これからも気にせずにガンガン飲んじゃってくれ、ただし、ポーション中毒にはならないように気をつけて」
「はいですぅ。これからもガンガン飲んでいっぱい作るですぅ」
ゴシゴシと涙を拭いながら、コクコクと頷いている。
俺の気持ちはちゃんと伝わっているようだ。
良かった。弟子を取ったはいいものの、師匠らしいことが出来るか不安だったけど、なんとかできたようだ。
これでいいんですよね、ファデラー師匠?
「それで【空斬】が上手く行ってないみたいだね」
「はい、そうですぅ」
情けなさそうな声だ。
「そんなに落ち込む必要ないんだよ。最初は誰でも上手くいかないものだ。それに失敗は悪いことじゃない。さっきも言ったけど、修行の9割は失敗だからね。失敗しなくなったら、もう皆伝だよ」
「確かに、そうですね」
「まずは失敗してるのが当たり前、っていう状況に慣れよう。そこから成功を積み上げていけばいいんだよ」
「はいですぅ」
「じゃあ、さっそく【空斬】のお手本を見せてあげたいところだけど――」
丁度いいタイミングで扉が開く。
「ただいま〜、お腹空いた〜、ごはんにしよ〜」
ニーシャの大声がこちらまで響いてくる。
「修行の続きは、ご飯が終わったらにしよう」
「はいですぅ」
涙の跡で赤く充血したビスケの目だったが、その瞳はキラリと輝いていた。




