王妃と皇女と服従の魔法
俺とクザートは護衛として立っている。
これ程息の詰まりそうな護衛を、かつて一緒にやった事があっただろうかと思いながら目の前の人達を見る。
兄と妹は対面に座り、お茶を飲みながらも緊張感を漂わせている。シュルツ殿下とセレニー様だ。
クルルス様は議会があるので、今は居ない。
セレニー様は、ミラとシュルツ殿下の結婚に断固反対している。何とかしたいとクルルス様は、ローズの出仕を求めて来たが、俺はそれに反対した。
ローズは、今髪の毛を切って間もない。あの髪形で城へ出仕するのは目立つ。セレニー様もどうしたのか聞くだろう。そうなれば、アネイラの事も伝わるだろうから、状況は悪化するとしか思えない。
俺から話を聞くのが筋なのだが、クザートに頼んだ。
ローズが、出征の中身を俺の口から聞けば泣くに決まっている。俺はそれを避けたのだ。
「いいじゃないか、受け止めてやれよ。それだけお前の事が好きなんだから」
針千本の約束をクザートは知らないから、そんな事が言えるのだ。
実際に飲むとは思っていない。……あれだけ側に居ると豪語しておいて、相反する事をする自分が嫌なのだ。
死ぬ気は無い。問題は、どんなに急いで終わらせても、出征期間が半年以上かかってしまうと言う事だ。……長引く可能性の方が高い。
しかもグルニアの軍部の実験を止めても、俺はシュルツ殿下が代わりになる人物を送ってくれるまで、グルニアの仮統治をしなくてはならない立場にある。
つまり出征期間が終わっても、グルニアに残らなくてはならない。そうなると、一年以上ポートに戻れない。この事をローズに言えなくて、俺は今苦しんでいる。
そんな俺の思考を、セレニー様が断ち切った。
「お兄様、何故ミラ姫と結婚するのですか?結婚はお好きな方として、姫は監視下に置いておけばいいのです」
「それでは、皇帝の血筋が途絶えてしまう。パルネアもポートも簒奪者になってしまうよ」
「でしたら適当な結婚相手を、選べばいいのです」
「私だね。他には居ない」
セレニー様は、一瞬言葉を失ってから続ける。
「どうしてですか?お兄様が、そこまでする理由をお聞かせ下さい」
ローズの言う通りだ。……セレニー様は隠している事を知りたいのだ。
「報いだ。セレニーが政略結婚に絶望しているのを知っていながら、私はクルルスなら大丈夫だと思って嫁がせた」
「お兄様の見立て通りです。私はこれで良かったのだと、今は納得しています」
「セレニーは優しいね。私は妹を犠牲にして、王位が自分に回って来るのを拒んでいたのだよ」
「王政廃止は長年のパルネアの政策です」
「そうではないのだ。政策と言うより自分の為だった」
「不作ですか?」
シュルツ殿下は頷いた。
「万一に備えて外貨や金を備蓄すると言う事を、私達はして来ていない。ポートしか商売相手が居なかったから、全て頼っていたのだよ。外貨を自ら獲得できない。私はそれを危ういと感じながらも……目を背けた」
ジュマ山脈でグルニアと隔てられ、岩礁だらけの浅い海に囲まれたパルネアは、他国とポート抜きで取引が出来ないのだ。
「グルニアに対抗して戦争をした時から、二国が助け合うと言う暗黙の了解があった。だから、王族が政略結婚で行き来していた。……勢いのあるポートにお前を嫁がせるのは万一の備えだったのだ。私が王位を捨てても、国を立ち行かせる為のね」
セレニー様は、驚いた様にシュルツ殿下を見ている。
「パルネアと言う国を独り立ちさせる目処が立たねば、国民が惑う。パルネアは、ポートに頼ってばかりだ。……都合良すぎると思わないか?」
シュルツ殿下は続ける。
「不作から学ぶ事は沢山あった。私はやるべき事を行う。しかし、私だけでは今のパルネアの常識は変えられないだろう。……託せる子を残さねばならない。カルロスの様な子をね」
「だから、何故あのグルニアの姫なのですか?私は嫌です」
「他に選択肢が無いのだよ。早急にパルネアを救うにはそれしか無い」
シュルツ殿下は、ミラを妃と言う地位に置く事しか考えていない。だから、強引に魔法で服従させるのに迷いが無かったのだ。
「そうはおっしゃいますが、ジュマ山脈があってグルニアとは隔てられています。魔法も移動手段も無いのに、どうやって統治するのですか?」
「パルネアに港を作る」
シュルツ殿下は続けた。
「学者達の調べでは、岩礁の岩は脆いから、取り除ければ、船の行き来は可能になるそうだ。外国の大型船が停泊するのは無理でも、グルニアと行き来するだけの港なら造れる。ポート経由で移動するよりも、遥かに短い期間で移動が可能になるだろう」
海の技術はポートにある。港はすぐに出来る筈だ。
「セレニーのお陰だよ。ポートの女神と言われているお前の母国だと思うから、ポートの人々は助けてくれるのだ。本当に感謝してもしきれない」
セレニー様は少し目を潤ませてから、首を横に振った。
「お兄様の真摯な姿勢を、皆が評価しているだけです。……私は、苦しい立場のお兄様を困らせただけ。何もしていません」
「だったら、頼みたい事がある」
「何でしょう?」
「ミラ姫を教育して欲しいのだ」
俺とクザートは、ぎょっとして視線を交わした。あれを……セレニー様がどうにかすると言うのか?
「ポートの女神にしか頼めない事だ」
「お兄様、その呼び方は止めてください」
天使の教育を、女神にさせる。……シュルツ殿下は冗談の様に言っているが、目が本気だ。
「教育と言っても、何をすればいいのでしょう」
「とにかく、王族の考え方を指南して欲しいのだ」
人間の考え方を指南して欲しい。……俺の中ではそう変換された。
「ミラ姫にはグルニア人特有の選民思想がある。変えるのは難しいが、変えるきっかけだけでいいから、与えて欲しいのだ」
「そんなに話の分からない人なのですか?」
シュルツ殿下は、ため息を吐いた。
「会えば分かるよ……」
翌日、セレニー様の護衛として俺はミラの所へ付いて行く事になった。……心配性の国王陛下が、王妃に万一があってはならないからと、俺を護衛に指名したのだ。
すでに出征の準備は物資の割り出しや人員の整備に入っている。俺は確認するだけで、ナジームが中心になり、ルミカ、ラシッドと一緒に準備をしている。城の取り仕切りの騎士に関しては、クザートがコピートと共に調整している。ハリードも城に残る事になった。
俺はグルニアや魔法関連の事を調べて回っている。この後もその事で出向かねばならない。
中層のミラの部屋の前で扉を叩いて中に入ると、ミラが一人でソファーに座っていた。
装いは相変わらず美しい。首に、ドレスと同色の布を巻いている。女のアクセサリーとして見た事はあるが、俺には首輪にしか見えない。あの下に何が隠されているのか知っているからだろう。
服従の魔法。
パルネアの禁書には、魔法燃料が少なくても発動する強力な魔法が集められていて、この魔法もその一つだそうだ。服従させられた者は、まず自害が出来ない。拒食や不眠など、肉体を衰弱させる行為すらできなくなる。
更に服従者は主の一族全員に服従を強いられる。血筋に対して服従するからだ。契約した主が亡くなっても、その親族が居る限り、契約から解放されない仕組みだ。これが本当なら、ミラはセレニー様の命令にも従う事になる。
ミラは入って来た俺達を、頑なに見ない。シュルツ殿下だとでも思っているのだろう。
セレニー様は契約魔法について知らされていない。怪訝そうに小声で問う。
「ローズの前で人を殺めたのはあの女性ですか?」
「はい」
セレニー様は、ミラをじっと見た。
「あなたが言うなら、そうなのでしょうね」
セレニー様はため息と共に言うと、ミラの対面に座った。
ミラが立ち上がらないから、身分上、セレニー様が立ったまま自己紹介する訳にはいかない。それで座ったのだ。
「始めまして。いきなり部屋を訪れてしまったのだけれど、よろしかったかしら?」
ミラはちらりと視線をセレニー様に向けて、ぎょっとした。……何か言ったが、それは音にならなかった。ヴィヴィアン。……俺には唇の動きがそう読み取れた。
セレニー様が首を傾げているので、俺は慌てて言った。
「セレニー様、自己紹介を……」
「そうね。誰か分からないのでは驚くのも当然だわ。私はポート国王妃、セレニー・ポートです。シュルツ・パルネアの妹でもあります」
ミラはセレニー様を睨みつけた。
「……は、……の妹なのか!」
まただ。また声が出ない。原因は一つしか考えられない。セレニー様も異常な様子に気付き、ミラを見据えて言う。
「ジルムート、ミラ姫のチョーカーを取りなさい」
首輪の事だ。直に触るのはどうかと思い、少し躊躇っている内にミラが自分でむしり取ってしまった。
「……の兄がやった事だ!見ろ!」
首に絡む黒いツタの輪。よく見ると、小さくうねりながら動いている。隠したのはこのせいだ。
「お兄様。……何て事を」
セレニー様はそれが何なのか理解しているらしく、震える声で言った。パルネアでは、かなり悪名高い魔法として認識されていると聞いた。
「ミラ姫、その魔法は自分で解けます。強い魔法使いは影響を受けないと聞いています」
ミラはそれを聞いて、悔しそうに唇を噛む。俺達の異能と同じで、魔法使いにも強い弱いがある。ミラは、例えニルガナイトの服用を止めても、この魔法を打ち破る事が出来ないのだ。
セレニー様はそれを見てから言った。
「私が解いて差し上げてもいいです」
「馬鹿な!……如きに出来るものか!」
どうやら『お前』と言う言葉は、声にならないらしい。他にも粗野で失礼な言葉は軒並み音にならない様だ。騒ぎ出したミラの言葉が頻繁に聞こえなくなっている。それよりも、セレニー様がシュルツ殿下のかけた魔法を解除すると言う事の方が気になる。
「出来る筈です。魔法使いは男性よりも女性の方がその血を強く受け継ぐとされていますから」
ミラはぴたりと黙り込んだ。知っている。と、その顔に書いてある。
「グルニアの皇帝は代々女性だと学びました。あなたも皇太子なのでしょう?」
ミラの顔が赤くなり、目にみるみる涙が浮かぶ。屈辱からだ。
「違う」
ミラの兄が皇太子だと聞いている。何故そうなのか、答えは簡単に分かった。……ミラは、魔法使いとして弱いのだ。
兄と弟が魔法の実験に駆り出されたと言うのに、ミラだけが逃げ延びている事、王族でありながら武術を身に着けている事、エゴール達を同志と考え、人を殺して見せている事。……全てがそこに起因しているのだとすれば、今までのミラの行動に納得が行く。稚拙で同情の余地がないのは同じだが。
セレニー様はミラについて詳しい話を聞いていないが、無力に苦しんでいる事は分かっているのだろう。ローズの前で人を殺した酷い女だと言う考えは、引っ込める事にしたらしい。
「あなたが私の話を素直に聞いて下さるなら、私が解いて差し上げます。私が解けなくてもお兄様にお願いして、あなたを魔法から解放する様に約束を取り付けましょう」
ミラは、涙のままに言う。
「こんな魔法をかけられては、エゴールにもガルゴにもレフにも会えない!早く取って」
悲鳴の様な訴えは、まるで子供だ。誰か分からないであろうセレニー様に、護衛の名前です。と小さく耳打ちすると、セレニー様は頷く。
「それは出来ません。あなたはポートで人を殺めた罰を受けていません。それは罰です」
「私は天使だ!人を殺しても罰せられない」
酷い理屈に、セレニー様は平然と答えた。
「では私も天使ですね。パルネアの王侯貴族は、グルニア人とパルネア人の混血です。私にもグルニア人の血が流れています」
ミラが音にならない暴言を吐いた後、セレニー様は言った。
「服従の魔法で、若いパルネア人の女性がグルニア人に何を強いられたのか。分からない程、子供ではないでしょう?」
ミラの顔から血の気が引いて行く。グルニア人は純血を重んじると聞いている。パルネア人の血の混じった者達は、血族として受け入れられなかったのだ。そんな彼らをパルネア人は、同胞として迎え入れた。
「パルネアの始祖王であるシアン・パルネアが希代の大魔法使いと言われたのは、グルニア人の強い魔法使いの血を幾つも継いでいたからだと言われています」
ミラに説明する為、セレニー様はパルネアの始祖王シアンの話を語った。
シアンは、魔法の力が強いだけでなく多くのグルニア人の血を引いていた為、服従の魔法の効果が殆ど無かった。大勢の仲間達を解放し、同じく虐げられていたポート人と共にグルニアに立ち向かい、パルネア王国を建国した。グルニア人は己の作った魔法で暴虐の限りを尽くし、その報いを受けたのだ。
ミラはセレニー様の淡々と語る事実を受け入れる事が出来ず、何かを叫んだ後、突っ伏して泣き始めた。……暴言なのだろう。音にならなかった。
セレニー様はそれを困った様に見た後、俺の方を向いた。
「明日から、夜はここで食事をします。ジルムート、念の為に護衛の手配をお願いします。配膳の侍女は上層から連れて行きます。……詳しい話は私からしますが、クルルス様へあなたからも口添えをお願いします」
昼間は議会や会議がある。セレニー様はクルルス様やカルロス様とゆっくり出来る筈の時間を、ミラに充てるつもりなのだ。……パルネア人は、こうと言い出したら聞かない。クルルス様が難色を示しても、実行するから協力しろと言われているのだ。
「分かりました」
俺はそう答えるしかなかった。




