セレニー・ポートの苦悩
モイナ・バウティ……クザートの娘。リヴァイアサンの騎士の家系には、何故か女児が殆ど生まれない。モイナは非常に珍しい女児。
ディア様がアネイラに会いに来た。……何故か一緒にクザートまで来た。
「久しぶり。ローズちゃん、その髪型も可愛いね」
来るなと言っているのに、今度は上のお兄さんまで来た。
「ジルが毎日あげてもらっているって聞いたから来たんだ」
ディア様が申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい。付いて来ちゃったの」
「犬みたいに言わないでくれよ」
クザートは苦笑する。
「アネイラに御用ですか?」
「いや、アネイラちゃんに用があるのは、ディア。俺は君に用がある」
クザートから私に用事って何だろう。
「俺はアネイラちゃんに会わない方がいいだろうから……ディアがアネイラちゃんと話をしている間に、君と話が出来ればと思って」
この辺りはジルムートより、神経が細やかに出来ている様だ。でも、嫌な予感しかしない。
「だったら、ディア様は二階へあがってもらってもいいですか?以前城で侍女をしていたファナも今ここに居るので、三人でお話していて下さい。本当は私もご一緒したいのですが……今回は諦めます」
「ごめんって、そんな顔しないでくれよ」
クザートがそう言うので、仕方なく矛先を収める事にした。
ディア様が二階に上がって行った後、少し騒がしいのを確認してから、クザートを応接室へと招き入れる。
お茶の準備をしている間にも、クザートは話を始めた。
「いきなり来たのには理由があるんだ」
「どうせ、ジルが言わない様な事ですよね」
お茶の葉っぱをポットに入れて、蒸らしながら言うと、渋い表情でクザートが言った。
「その通りだよ。でも、俺もジルと同じ気持ちだからね」
クザートも私に言うのは嫌だけれど、仕方なく来たと言う事らしい。
パタパタと階段を降りて来る誰かの足音を聞きながら、お茶をカップに入れて、無言でクザートに差し出す。多分、お茶の準備の為にお湯や茶器を台所に取りに来たのだ。
クザートも再び足音が遠のくまで沈黙していた。……人に聞かれたらダメな話なんだ。そう思うだけで、かなり聞く気が失せた。
気配が消えると、クザートは切り出した。
「実はシュルツ殿下が、パルネア国王になる事が決まった」
この状況で即位するのか。大変そうだ。
「それでね……」
クザートは言い澱んでから、とんでもない事を言い出した。
「即位と同時に、ミラ皇女を妃に迎える事になったんだ」
事件の事が頭の中で噴き出す様に蘇る。
冷静な気分では居られなくて、思わず聞き返す。
「どうしてですか?あのお姫様がどうしてパルネアの王妃になるのですか?」
「グルニアの王族が、もうミラ皇女しか居ないんだ。それでグルニアの支配権をグルニア人に渡さない為にそう決めたらしい」
理屈は分かるが、感情が追い付かない。
「シュルツ殿下は、今パルネアの為に私情を捨てて対処している。……見ていて、痛々しい程だ」
クザートが他国の皇太子にそこまで肩入れするのだから、余程の状態なのだろう。
「そうだとしても、アディルさんの命を奪った罪を償わずにパルネアの国母になると言うのは……パルネア人としても、ポート人の妻としても、納得がいきません」
刺された従僕は、アディルさんと言う。身内が居ないので、城に住んでいたそうだ。
奥向きに私がルイネス様の世話に行って、ラシッドを頼ってムスルを黙らせた事は、長年ムスルに抵抗できなかった従僕達の気持ちを救ったと、アディルさんの同僚だった従僕の方から手紙を貰った。
アディルさんは私の事を、『パルネア人のお嬢さん』と呼んでいたそうだ。孫でも出来た様に嬉しそうに話をしていたと言う。
私に手を貸さないで、見ていただけの自分を情けなく思っていたから、アディルさんは動いた。先の短い自分達に、救いと希望をくれたのだから、どうか前を向いて幸せに生きて欲しいと書かれていた。
その手紙を読んで凄く泣いた。干からびる程泣いた。だからもう落ち込まないが、ミラ皇女の行いを忘れるのは無理だ。
「ローズちゃんにこんな話をしたのは、同じ立場の方が全く同じ意見で怒っているからなんだ」
同じ立場の方。……パルネア人で、ポート人の妻。そんな人は一人しか居ない。セレニー様だ。
「当たり前かと思います。セレニー様の親戚に名を連ねるなど、許せません」
クザートは困った様に頭をかいてから言った。
「ミラ皇女は……その、頭がおかしい」
「狂っている様には見えませんでしたが」
「うん。俺としては、狂っている方が良かったと思うくらい……頭がおかしい」
そして、自分を天使だと本気で思い込んでいると言う話をされて、私の方が担がれている気分になった。じとっと見据えると、クザートは必死に言った。
「本当だよ!わざわざ出向いて来て、そんな嘘を言う必要が無いだろうに」
「それもそうですね」
「とにかく、グルニアの選民思想と言うのは、聞いている以上におかしいんだよ」
天使は人間よりも立場が上だから、人殺しは罪にならないらしい。思わず顔をしかめてしまう。クザートも嫌そうな顔をしていたが、すぐにお茶を飲んで誤魔化した。
「セレニー様が納得されていないなんて、議会に伝わるのは良くないんだ。そうなれば、王命として指示を出しているクルルス様が苦境に立つ」
「最初からセレニー様にも相談すれば良かったのです」
「セレニー様に荒事の相談は出来ないよ。必ず話し合いで解決されようとするだろう?」
平和主義者であるセレニー様がグルニアの武力による制圧と支配など、望む訳がない。
「とにかく、今回は嫌でもセレニー様に堪えてもらわなくてはならない。もう決定は覆らないから」
「王命を王妃も支持していると、嘘でも言わなくてはならないと言う事ですか?」
「そうなんだ。……議会はランバート殿が何とか抑え込んでいるけれど、不満が大きい。セレニー様が納得していないとなると、それに乗じて不満が一気に爆発する恐れがある」
お茶のカップを眺めて考える。
セレニー様は聡明だ。そんな事が分からない程愚かではない。既に王命として動き出している事に文句を付けても、クルルス様が困るのは分かっているだろう。
「セレニー様は、王族の王妃と言うだけでなく内政や外交にも長けた政治家です。何か思う所があって怒りを表に出しておられるのだと思います」
クザートは、はっとしてから渋い顔をした。
「……セレニー様に隠している事があるのではありませんか?多分、それをお知りになりたいのだと思います」
クザートは暫く黙ってから言った。
「話して良いかどうか、ローズちゃんが判断してくれないか?」
私に、隠している事情を聞けと言う事らしい。……そんなに深刻な何かがあるの?
「これは同じパルネア人である君に、ジルも聞かせたくなくて伏せていた事だ」
クザートは、覚悟を測る様に私を見ている。
「聞きます。……クルルス様ですね?お困りなのは」
「そうなんだ。ジルが話すのは嫌だと珍しく抵抗してね。……俺が来た」
クザートはそう前置きして話を始めた。そして、グルニアの軍部を動かしているのが、パルネア人傭兵のゲオルグで、共犯者は、彼の妻であり、行方不明である第一王女の可能性の高い、ヴィヴィアンであると語った。……失われた第一王女は、異国で傭兵になり、討たれるべき悪の首謀者に成り果てていたのだ。
「ポート騎士団は、王妃に似た人を討てるのですか?」
クザートは、迷いなく言う。
「王命だからね。似ていても別人なら関係ないよ」
騎士らしい答えだ。この人達にとっては、納得するとかしないとか、それ以前の問題なのだろう。
クザートは続けて言った。
「ゲオルグ達の動機もあらかた把握しているが、伏せる事になっている」
クザートは浮かない顔をした。
「これも酷い話なんだ」
パルネアの大使が、過去にロヴィスでゲオルグを冷遇した事が、今回の事件に繋がっている可能性が高いと言う話を聞く事になった。事情を聞くにつれ、ゲオルグの悪意がパルネアに向いていると言うルミカの言葉が、すとんと胸にはまった気がした。
ヴィヴィアンもゲオルグも、とにかくパルネアを苦しめたかっただけなのだ。今行っている魔法の実験と言うのも、グルニア人に有益な何かを生み出す気がしない。……だとしたら、グルニア人は巻き込まれただけなのでは?
「何が正しいのか、分からなくなりそうです」
「俺もだよ。ただ、騎士はそういう事に慣れているんだ。考えるのは王に任せて駒になれる。……だから君の侍女としての感覚で、王妃であるセレニー様がどこまで耐えられるか教えて欲しいんだ」
私とセレニー様は、同じ時間ポートで暮らしている。ずっと側に居た。だから問われている。必死に考えた。幾つもの事を考えてみたが、結局結論は同じだった。
「あくまで私の考えです」
「構わない」
「ヴィヴィアンと言う女性の事は全て伏せるべきです。生涯、セレニー様は知るべきではありません」
「理由は?」
「セレニー様は王女です。国の政治に携わる事を一切期待されていませんでした」
シュルツ様は男性なので皇太子としてだけでなく、もし第一王女が戻って来て王位継承権を譲っても、政治の補佐として必要とされていた。しかし二番目の王女であるセレニー様は嫁ぐ事だけを求められ、パルネアの城に居場所が無かったのだ。
「だから、政略結婚と言う政治の駒としてパルネアから出されてしまいました。国の役に立つからと、いくら両親や兄に訴えても聞いてもらえませんでした」
クザートが悲しい顔になった。
「ヴィヴィアンと言う女性も、国に不要だから切り捨てると知れば……セレニー様は深く傷つく事になります」
同じ国の王女に産まれ、同じ国の為に犠牲になる。そんな立場の姉を助けたいと思うに違いない。
しかし、ヴィヴィアンは居なかった事にされる。パルネアの為に、命だけでなく存在そのものを無かった事にされる。もう決まっているのだ。セレニー様の言い分は通らず、傷つくだけになる。
説明すると、クザートは納得して頷いた。
「そうか。……確かにそうかも知れないな。分かった。クルルス様にそうお伝えするよ。ローズちゃんも、早く城に復帰してセレニー様を助けて欲しい。シュルツ殿下とクルルス様の願いだ」
「はい」
クザートは暫く黙ってから言った。
「後、話が変わるんだけど……ルミカの事だ」
やはり、その話は避けられないのか。
「ローズちゃんが手紙をくれて、少し元気になった。ルミカを見捨てないでくれて、ありがとう」
私は首を横に振る。
「ジルの言い分を代筆したに過ぎません。私の本音を書いていたら、余計に落ち込ませていたと思います」
「それでもいいんだ。怒っていても気遣ってくれる。俺達はそれに救われているんだ」
侍女と言うのは、そういう風に出来ているのだ。騎士が王命に文句を言わないのと同じ理屈だ。
「それで……出征前に一度、アネイラちゃんに会わせてやってもらえないだろうか。本人の希望だ」
「本人に聞かないと分かりません」
アネイラがそれをどう思うか。こうやって館にジルムートやクザートが入って来ても神経質になっていないが、ルミカ本人となると分からない。大泣きした日以来、アネイラはルミカの事を言わない。私も聞いていない。だから踏ん切りを付けたのか、諦めないつもりなのか全く分からないのだ。
「その事で手紙を預かって来ているんだ。渡してもらってもいいだろうか?」
一瞬ためらう。物としてわざわざ残る物を渡すと言う事は……ルミカはまだアネイラの事を好きなのかも知れない。私は、その行為自体に警戒心を抱いてしまう。
躊躇う私を見て、クザートは困った様に言った。
「ルミカが会ってどうしたいのか、俺にも分からないんだ。中身は知らない」
受け取るしかないのだと諦めて、結局受け取った。
「返事をジルが来た時にでも渡してもらえるか?」
今朝も来た。出仕前に来て応接室でお茶を飲んで行った。
「構いませんが、何時になるか分かりませんよ?」
「早い方がいい。出征の日が決まったから」
一瞬、ぽかんとしてしまった。
ジルムートは一番の責任者なのに、いつも違う人からこの話を聞いている気がする。言いたくない気持ちも分かるが……何なのだろう。この釈然としない感じは。
「どうしたの?」
「実は、出征の事はラシッド様から聞いていて、出征の日については今クザートから聞いています。……ジルが全く出征の話をしないので、何でだろうと思っていまして」
「言いたくないからに決まっているじゃないか。ローズちゃんに泣かれると思っているんだ。ローズちゃんからも聞かないのは、そのせいだろう?」
図星過ぎて気まずい。それで、矛先を変える。
「ディア様に、クザートもそうやって隠しているのですか?」
「いや。俺達は離れていた時間が長いし子供も居るからね。誤魔化しはなし。出征の事は分かる限り、ちゃんと話しているよ。泣かれてもね」
「私達はそうは行きません。お二人は大人ですね」
「別に余裕がある訳じゃないよ。ただ、ディアを置き去りにした身としては二度とそういう事をしたくないだけだ。俺だって行きたくない。だから、出征前に籍を入れてもらった」
一瞬遅れて来る衝撃。
「え……」
まじまじとクザートを見ると、少し顔が赤い。でも嬉しそうだ。
「帰って来たら、ディアとモイナと一緒に暮らせる。そう思えば、やる気が出るだろ?それで必死に頼んだんだよ。ようやく承諾してくれた」
「良かったです」
「まだだよ。無事に帰って来るまでは、同居しないし、結婚した事も周囲に言わないってディアが言うから。……とにかくルミカの手紙、よろしくね」
こうして、クザートはディア様と帰って行った。私の手には、困った手紙だけが残された。




