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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
愛しいあなたへ恋文を
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アネイラの変化

 アネイラは、もっとずるい大人になっていれば良かったのに。

 塞ぎ込んで、部屋でぼうっと過ごしているのを見ていると、そう思う。

 アネイラは、それなりに男性と付き合ったりしていた。ただ、先に進まなかった。お父さんの雑貨屋の事を知ると別れる事になったのだ。

 アネイラのお父さんは、貴族社会の感覚が抜けないまま大人になった人で、商売なんて言いながら、自分の収集癖を満たす為に雑貨屋をやっている様な状態だった。そんな親のいる侍女と結婚すれば、親が生きている限り借金を背負う事になる。だからアネイラが婚約を持ち出すと別れ話になった。

 婚約するまで手を出さない相手ばかりを選んでいたのは、アネイラの男性選びが確かだったと言うべきだろう。ただそう言う男性は、アネイラの背景が見えてくると恋が冷めるらしい。

 そういう事を繰り返していると、自分から結婚の事を切り出せなくなる。アネイラがルミカに結婚を言い出せなかった理由の一つだ。

 ルミカは付き合っている間も、アネイラの家族に口出ししなかったと聞いている。

 ……ただ、アネイラのお父さんが突然店を売り、地方に居るお母さんと同居する事になったと聞いた時には、ルミカが何かやったのだろうと思った。本当の所は分からない。

 今アネイラは、無残に打ちのめされている。私を見て安心してくれているが……それだけに取り繕わなくなった。

 何も望まない。

 生きる事すら拒む様な姿を見ると、ルミカと付き合っている期間が、アネイラにとって人生最大の幸福だったのだと思い知る。二度とそんな幸福は得られないと思っているから、この先に絶望しているのだ。

 そんな所にファナが同居する事になった。

 断ればコピートもファナも困る事は目に見えていた。だから、アネイラにも確認して同居を決めた。……どうでも良さそうに返事をされただけだったが。

 ファナは、私を神様だとか勘違いしている節がある。絶対に違う。

 ファナには詳しい事情を教えていないが、私の切った髪の毛とアネイラの状態を見て何かを感じたのだろう。私が館の事で右往左往している間に、私の事を色々と話して聞かせた様だ。ファナ視点だから、かなり持ち上げられていたと思う。

「怒ればいいのに」

 アネイラの所に行くと、突然そう言われた。

「何で?」

「城で誘拐されて、休職中だって聞いたんだけど」

「ああ、うん」

 ……忘れていた。

「たかが失恋程度で、甘ったれるなって言えばいいじゃない!」

「たかがなんて、思ってない」

 そう返すと、アネイラは目に涙を溜めて怒り出した。

「あんたは昔から、大事な時には間違えない!だから上手く行くのよ」

 完全な八つ当たりだ。

「そんな訳ないじゃない。こっちに来てからも間違えてばかりだよ。パルネアに居るアネイラに会いたくて泣いた事もある。誘拐された時は皆に心配させたし迷惑もかけたよ。凄く怖かったけど……ジルの部下が助けてくれた」

 何故、あそこでラシッドだったのか。誘拐の恐怖は薄れているが、思い出すと違う意味で大きなダメージになる。暗い表情になってしまったのだろう。アネイラは怒り状態から、不安そうな顔になった。言い過ぎたと思っているのだ。

 私の誘拐について細かく語ると心配させてしまうので、とりあえずファナの境遇について話す事にした。預かるとは言ったが、詳しく聞きたがらないので話していなかったのだ。

 元は城の侍女で、騎士に暴行されかけている所を助けた事、その時に助けに入った騎士と結婚したが、義母に酷い仕打ちを受け、ここに逃げてきている事、今妊娠中である事。

「何で旦那になった騎士は守らないの?」

「守るってどうやって?」

「それは……そのお義母さんを、どっか遠くにやるとか」

「息子に言われて言う事を聞く人なら、ここまでになっていないよ」

 マルネーナさんは、人宛の手紙を勝手に見るし、往来でわめく。誰も関わりたくないから、仕えてくれる人が居ないのだ。何処に住んでいても、誰も世話をしないと言う事になればマルネーナさんが騒ぎ出す。それはモルグ家の醜聞になる。だからコピートは我慢して目の届く範囲で、面倒を見ているのだ。

 ファナの話だと、マルネーナさんの館の使用人はかなり辞めていて、新たに雇うのが大変な状態なのだとか。そんな母親が居ると知っていれば、ファナの嫁ぎ先としてモルグ家は断固反対していただろう。

「私はそんな家だと知らなくて、ファナが嫁ぐときに良かったと思っていたの。夫のコピート様はジルの部下だし、良い人だから幸せになれるって考えたから」

「それは、ローズの責任じゃないよ」

「うん。でもね、頼ってくれた人の為にならなかったと思うと後悔するよ。結構酷い事してるんだ。私」

 ディア様を呼んでしまったが、大失敗をした。リンザもそうだった。目の前の状況だけで判断して、いつも失敗ばかりしている。目を向ければ、何処かに隠れて一生引きこもりたくなる様な失敗ばかり。周囲がそんな私を許してくれているから、何とかなっているだけだ。

「正しい事を選べた事の方が……少ないかも知れない」

 私は、アネイラの手を握って言う。

「アネイラ、今は辛くても何とかなるよ」

「あんたと一緒にしないで!困ったときに旦那様に支えられてるローズとは違うのよ!そういう所を間違わないから、ずるいのよ。恋愛なんて興味ないって顔してたのに、さっさと結婚するし」

 ボロボロと泣きながら、アネイラは言った。

「ルミカ……好きだったのに……ダメだった」

 子供みたいに顔を歪ませて泣くアネイラの姿に、胸が締め付けられる。

「アネイラが良い女になる為に必要な経験だったんだよ」

「そんなの、いらない~。ルミカの、お嫁さんに、なりたかっただけ。何で、私じゃ、ダメなの~」

 泣きながら、アネイラは肩を震わせて傷ついた本音を絞り出す。痛めつけられてボロボロな気持ちは、別れに納得していなかった。

「そうだよね。……本当にそう思う」

 近くにあった綿の手ぬぐいを渡すと、顔を埋めて嗚咽している。……恋愛経験の乏しい私では、上手く慰められない。アネイラの頭を撫でながら、方向転換を模索する。

 アネイラの感情が収まるまで待って、私は言った。

「セレニー様が待ってる」

 アネイラが、涙でぐしょぐしょの顔を上げた。

「アネイラが出仕するって事になれば、喜ばれるよ。間違いない」

「本当に?」

「うん。ディア様も居る。アネイラの事はとても心配していたけど、人手が足りなくてこちらに来られないみたい」

「ディア様、私の事忘れていないの?」

「そんな水臭い事を言ってると、ディア様に叱られるからね」

 城の上層で、私の抜けた穴は大きかったのだ。ルイネス様の看病に、カルロス様のお世話もある。だから、パルネア式の侍女教育を受けているアネイラが加われば、侍女の負担も大きく減る。

「でも、ルミカがお城に居るんだよね?私、どんな顔をすればいいの?」

 一瞬、言葉に詰まる。

「上層には勤務していないから、セレニー様の所には来ないと思う」

 視線が泳いだのを、アネイラは見逃さなかった。

「会うかも知れないって事?困るよ!」

 言い辛いが、言わねばならない。意を決して私は告げた。

「アネイラ、そんな事は暫く考えなくていいよ。……ルミカは出征するの」

「しゅっせい?」

 聞き慣れない言葉に、アネイラはきょとんとしている。

「パルネアの不作の原因がグルニアにあるんだって。それを何とかする為に、ポート騎士団はグルニアに行く事になったの。序列三席って、騎士団で三番目に強いって意味だから、ルミカはお城に残らない」

 残る訳が無い。ルミカはパルネア人傭兵と再戦して、自分を取り戻す意思を固めている筈だから。

「戦争になるの?」

「ルミカは強いから大丈夫。ジルもクザートも一緒だし。他の騎士も居るもの」

 呆然とした後、アネイラは慌てて言った。

「でも戦争となれば、誰も死なないなんて事、無いよね?どうしよう……ねえ、ローズはどう思うの?」

 それを言われると答えに困る。私もそれを考えたくないから、ここに居る所もある。ジルムートの顔を見ると、喉まで出かかっている気持ちを抑えなくてはならない。

「信じてあげないといけないの」

 私は言葉を一旦切って続ける。

「戦争の事なんて何も分からないけれど、ジルは絶対に逃げない。ルミカもね。それだけは分かる。だから必ず帰って来るって信じるの」

「おかしいよ。心配に決まってるじゃない」

「うん。でもね、ポートの騎士は覚悟して受け入れている人達なの」

 アネイラは、目を見張る。

「ルミカは、凄く厳しい環境で子供時代を過ごしていてね、それは全て騎士としてポート国王に仕える為だったの」

「お兄さん達を目標にしていたからじゃないの?」

 リヴァイアサンの騎士の事を、ルミカは何一つアネイラに話していない。言えなかったのだろう。

「それもあるけれど、バウティ家は代々騎士の家系で、死ぬまで騎士として仕える事が決まっている家なの」

「聞いてない。何でそんな事になっているの?」

「私からは詳しく話せない。ただバウティ家だけじゃなくて、そう言う家が幾つかあって代々騎士になっているの。そう言う家の人達は、騎士としての考え方が育ちで身についているから、命がけの任務でも嫌とは言わないの」

 ルミカのそんな面を知らなかったのだろう。アネイラは呆然としている。外交官としてパルネアに赴任していたのだから、騎士としての立場も力も分かっていないのだ。

「命令に逆らうなんて考えもしない。やり遂げて当たり前だと思っているのよ」

「ローズはそれでいいの?」

「嫌だよ。行かないで欲しい。でもそれを言ったら一番辛いジルが余計に辛くなるから、言えない。何でも話し合える相手では居たいけれど、だからこそ言ってはいけない事もあるの」

 アネイラは考え込んで、それきり黙ってしまった。

 それからアネイラは部屋から出てきて、館の仕事を少しづつやる様になった。しかもファナにポートの事を色々と聞き始めた。

 ファナは私の友人だと言うだけで、すっかり懐いてしまった。とにかくアネイラの可愛い姿が気に入ったらしい。赤ちゃんの服を縫いながら、アネイラの部屋の小物を縫ったりしている。ファナの趣味は裁縫なのだ。

「コピートから男の子が生まれると聞いています。だから可愛いお洋服が作れなくて不満だったのです」

 鬱憤が溜まっていたのだろう。あらゆる物に縫いつけられたフリルの量が尋常ではない。……ベッドカバーも、小物入れも、サイドテーブルのテーブルクロスも。アネイラの部屋は、小さな女の子の部屋の様になった。それでもアネイラは貢がれる物を黙って受け取り、部屋に置いた。ファナは凄く喜んで、笑顔でつわりをやり過ごせる程になった。

 そしてファナと打ち解けた頃から、アネイラはコピートとジルムートが来るのをこっそりと覗き見る様になった。

 友達の前で色々やるのは恥ずかしい。玄関でチューとか絶対にしない様にと手紙に書いた。その時だけ、珍しく返事が来た。開くと短く単語が書かれていた。

『不可』

 私は毎日頭を悩ませながら手紙を書いている。ジルから初めて返事が来たから期待したのに、中身がこれだなんて。

 で、かなりむくれていた訳だが、翌日偶然ファナがコピートと熱烈にやっているのを見てしまったので、ジルムートにだけ止めろと言えないと思い知る事になった。

 前世ともパルネアとも常識が違う。ポートでは愛情表現として、キスは非常に人気が高いらしい。言葉で好きと言うよりも、ずっと気持ちが伝わると考えられていて、相手が好きなら拒むとかあってはならないそうだ。……ファナの現場を目撃したので思わず聞いてしまったのだが、特に恥ずかしがる様子も無く、嬉しそうに教えてくれた。

「夫と良い家庭を築くには、キスの回数と時間は多い方が良いって言われています」

 一緒に聞いていたアネイラが耳まで赤くなって俯いている。私も心理的には似たようなものだが、最年長であり、既婚歴が長いと言う立場なので、何とか虚勢で誤魔化した。

 ここにきた最初の日のキスが長かったのには、ジルムートなりの意味があったのだ。

 むくれ続けていたら、大変な目に遭っていたかも知れない。それこそブチ切れたジルムートにこの館から連れ去られて、戻って来られないくらいになっていた可能性もある。

 そうなる前に気付けたのだから、とにかく謝罪する事にした。

 愛情表現を拒む手紙を書いた事が不愉快だったらしく、機嫌が悪くなっているジルムートに対峙するのは緊張した。

「ごめんね」

「何をだ」

「その……知らなかったの」

「だから、何をだ」

 完全に怒っている。分かっているのに言わせる気だ。

 嫌な汗をかきながら口をパクパクさせていると、唐突に背後から声がした。

「あがってもらえばいいじゃない」

 私もジルムートも唖然とする。振り向くとアネイラが腰に手を当てて立っていた。

「え?でも」

「ローズを借りている身だもの。これくらいはしないと私、仲の良い夫婦を引き裂いた酷い女になるじゃない。だから……ごゆっくり!」

 真っ赤になってそう言うと、アネイラは二階へと駆け上がって行った。

「アネイラ……」

 追いかけようとして、ガシっと肩を掴まれた。

「館の主の許可が下りた。あがらせてもらっていいか?」

 一応聞いてきているが、否定を受け付けないのは一目瞭然だった。それで応接室へ入れた訳だが……そこからの展開は思い出さない事にしている。ジルムートは上機嫌になった。

 それから長時間ではないが、ジルムートは毎日当たり前の様にあがっていく様になった。

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