服従する天使
プリシラ・ナブル……上層の侍女。ポーリア最大の宝石商の娘。子供の頃から遊んでいる陶器の着せ替え人形の様に白い肌の女性に強い憧れがあり、セレニーに好みの服を着せたいと言う理由から侍女になった。侍女を辞める気が無い為、縁談は全て断っている。
「ヴィヴィアンの魔法についてなのですが、ロヴィスで傭兵をしていた頃から使っていた様です」
「ロヴィスで魔法を?」
クルルス様が驚いて聞くと、レイノス大使は頷いた。
「ロヴィスでの魔法使用は犯罪になります。しかしそれは表向きの話で、魔法の素養のある傭兵が、グルニアから移住してきた魔法使いを探し、魔法を習う事は結構あった様です」
「では、ロヴィスには魔法使いが居ると言う事なのか?」
「そうです。ただし連続で使えば疲弊して動けなくなる為、そう何度も使えるものでは無い様です。しかも、ノリスやイグヴァンの兵士は、魔法対策をしているので、あまり役に立っていなかった様です」
「魔法対策とは何だ」
クルルス様の言葉に、大使は答えた。
「ニルガナイトです。小袋に入れて身に付けていると、魔法が吸われて消えるそうです」
……それだけなのか?
俺とクザートも、顔を見合わせてからレイノス大使の方を見た。
「魔法燃料と違い、実際の魔法を吸収するとなるとニルガナイトは量が必要だそうです。その為、一度吸収するだけで小袋に入れたニルガナイトは全て黒くなり、効力を失うそうです」
今回は一撃で済まないかも知れない。しかし、何も無いよりはいい。
俺は素直に言った。
「助かります。ご協力に感謝します」
こうして全ての話が済んだ後、クルルス様に呼ばれ、俺とクザートは、ランバートと共に残された。
「ミラに今回の決定を告げるから、共に来て見届けてくれ。……これで、ルミカの気持ちが少しでも晴れるといいのだが」
クルルス様と並んで立っているシュルツ殿下がそう言うので、俺は慌てて言った。
「ルミカは、独断専行をした報いを受けているだけです。自分で立ち直るしかありません」
「そうは言うが、私がルミカの力を借りた結果だ。他国の騎士に背負わせた事を申し訳なく思っている」
俺はシュルツ殿下の言葉に否を唱える。
「俺達は傭兵では無く騎士です。異能は確かに目立つかと思いますが、それが強さに直結している訳ではありません」
「どういう事だ?」
「本当の強みは、複数人数による戦闘にあります」
シュルツ殿下は意味を図りかねているので、更に言う。
「俺達は鎧を纏う習慣がありません。海洋での戦闘を想定している事もありますが、他の騎士と共に戦う事で死角を無くし、個人の技能を何倍にも跳ね上げる為、動きを妨げる鎧を必要としません」
ポート騎士の集団戦闘用の銛の型は、他の型を別の者が行った場合に噛み合う様な動きになっている。
ハリードが地下で教えているのは、この基本の型なのだ。これを出来る様にならなくては、他の者と共に戦う際に味方が危険なのだ。
誰かが動き出し、それに合わせて別の型で動く。密集していても味方の動きを妨げずに動ける事が、ポート騎士の特徴だ。
しかも上手く立ち回る事で、攻撃を途切れさせずに相手を追い詰める事が出来る。
次に得意である体術に関しては、相手の武器を避けて懐に飛び込む必要がある。飛び込む為には、別の騎士による援護で隙を作らねばならない。
「銛と体術の技術は、海賊や密輸団相手の集団戦闘から編み出されました。ルミカの技量があっても、個人技である剣術を極めた傭兵相手となれば不利になります。それを失念して戦ったルミカの落ち度です。お気になさらないで下さい」
俺の言葉に、シュルツ殿下は驚いた様子で言った。
「ポートの騎士は強いだけあって、身内にも厳しいのだな。……そこまで言うなら、私は気にしない事にする」
「感謝します」
殿下、違いますよ。俺は身内に甘いとローズに叱られている身です。
移動を始めたクルルス様やシュルツ殿下に続いて歩きながら、密かにそんな事を思う。ルミカにとって、気遣われる事が一番辛い。……だからアネイラと別れたのだ。甘える事も出来ず、守ると言う矜持も失ったルミカは、逃げたのだ。
そんな事を考えている内に、ミラの部屋の前に来た。代表してクルルス様がノックして声をかける。
「クルルスだ。入ってもいいか?」
「どうぞ」
ルミカの声がする。
扉をクザートが開けて、中に俺達は順番に入った。
ミラはセレニー様と変らない仕立てのドレス姿でソファーに座っていた。髪も結い、化粧もしている。
上層から、侍女のプリシラが来て世話をしていると聞いた。センスが良いとローズが言っていたが、確かにその様だ。薄汚れた女だったのに、見違える様に姫として存在している。
ミラの対面のソファーにクルルス様がドカっと座り、その隣にシュルツ殿下が座る。ランバートはクルルス様の横に立ち、クザートと俺はソファーの背後に立つ。
部屋が狭いから、ソファーも小さいのだ。
「ミラ、調子はどうだ?」
ミラは警戒して口を開かない。
「一つ、聞いてもいいだろうか。……何故、従僕を刺したのだ」
ミラが、クルルス様を見据える。
「護衛達を振り切り、先行して魔法をかけた相手は従僕と侍女だ。何の武器も持たない相手を魔法で動けない様にしてまで刺したのは、何故だ」
ミラはポート城の上層に入った途端、エゴール達よりも先行して従僕を刺した。
黙って動いたのは分かる。護衛対象が護衛を振り切って先行したのだから、エゴールもガルゴも慌てた事だろう。
「私は守られているだけの姫では無い」
ミラは真っ直ぐにクルルス様を見て告げる。嘘の混じらない目。……己を偽る事も知らないのかも知れない。牢に居た頃から、何となく感じていた事だ。そんな必要のない暮らしをしていたのだろう。
「私にとって、エゴールもガルゴもレフも大切な部下だ。レフを取り戻す為に、私も出来る事をせねばならないと思った。それだけだ」
ミラの内部に殺人の罪悪感は無い。……俺だけでなく、ミラ以外の全員が目を見張る。
「武術の鍛錬は長く行っている。思い描いた通りの一撃だったから、苦しまなかった筈だ」
少し頬を紅潮させて言う姿に、俺は酷く打ちのめされた。
稚拙な思いつきの結果、殺人に巻き込まれた従僕と一部始終を見せられて苦しむローズの事を思うと怒りしか無い。
ミラは大きな勘違いをしている。ミラと皇族親衛隊の関係は、護衛対象と護衛だ。上司と部下ではない。そこが曖昧なのは、皇族親衛隊がミラを甘やかしている事と、ミラがあまり賢くない事の両方が由来している。
クルルス様が怒りを抑えた声で聞く。
「己の価値を証明する為に、人を殺すのか?」
「私は天使だ。人より価値が上なのは当然だ。同族に仲間としての誠意を証明するのに、人を使って何が悪い」
想像していなかった言い分に、思考がしばし停止した。エゴールですら、自分の抱えた矛盾に苦しんでいたと言うのに、全く迷いが無い。罪を咎める前に、ミラには人として共感する考え方が存在しないのだ。
怒りは一気に引いて行く。この矜持ばかり高い、自称天使をどうすればいいのか……。
事実を突きつけて叱責した所で、向き合わずに自害するくらいの事は簡単にやるだろう。それでは意味が無い。価値観をまず人間にせねばならない。その上で罪の重さを理解させ、償わせる。……出来る気がしない。シュルツ殿下は嫁にすると言ったが、本当にこんな女を伴侶にするのだろうか。
「ミラ姫。お初にお目にかかります。私はシュルツ・パルネアと申します」
「パルネア人か」
忌々しそうにミラはシュルツ殿下に向かって吐き捨てる。パルネアの苗字を冠するのは、王族だけなのだが、見た感じ全く理解していない。
「ミラ姫は、天使なのですか?」
「そうだ。この世界に神の御業たる魔法を持って君臨すべき存在だ」
真面目なやり取りだと言う現実を捨てたい。隣のクザートを見ると、軽く頭を振っていた。
「私の方が、あなたよりも魔法使いとして上だとしたら……どうされますか?」
「あり得ない」
即答したミラに向けて、シュルツ殿下は掌を差し出す。
「では、その身を持って証明して頂きましょうか」
途端、ミラの体が硬直した。金縛りの魔法だ。
シュルツ殿下は、懐から布を巻いた様な物を出した。布ではなく……羊皮紙だ。
「ルミカ、この契約書にはミラ姫の血が必要だ。どこでもいい。少しでいいから」
対面のミラの背後に控えていたルミカは、シュルツ殿下の言葉に応じてソファーの前に回って来ると、腰の短剣でミラの指を少し切り、羊皮紙にその血を落とした。
その途端、ミラの首に黒いツタの様な文様が現れ、首の左右から伸びてくる。喉で端と端が絡まった途端、羊皮紙が光の粒になって消えた。
それを見届けると、シュルツ殿下が金縛りを解いたらしく、ミラはソファーへと倒れ込んだ。
「それは服従の魔法。あなたは私の命令には逆らえない。あなたは私の僕になった」
ミラは信じられないと言う様に、首を押さえる。
「神罰が下るぞ!」
「神はとっくにグルニア人を見捨てているよ。私の先祖が、どうやって魔法燃料を大気から消したと思う?」
ミラは口ごもる。
「パルネア人は神に願ったのだよ。グルニア人の侵略から己を守る盾が欲しいと」
シュルツ殿下は、三千年前の事を語る。
「願いは叶えられ、パルネアとグルニアの間にはジュマ山脈が出現し、魔法燃料は燃やし尽くされ、魔法は使えない様になった」
俺達は絶句して互いを見る。クルルス様以外、平然としている者はいなかった。これは王に伝わる口伝だ。聞いていいのかどうか戸惑うが、シュルツ殿下は続ける。
「グルニアは陸路でのパルネアへの侵入を阻まれ、パルネアから食料を搾取できなくなった。それが神の答えだ」
ミラは凍り付いた様にシュルツ殿下を見ている。顔色が真っ白だ。
「グルニアは、既に神罰の中にある。改心せねば先は無い」
「そんな……嘘だ!信じない!……ルミカ、嘘だと言ってくれ」
ルミカは返事をしない。黙ってミラを見下ろしている。
ミラはルミカの目に侮蔑の色を感じ取ったのか、俺達の方を見る。
「嫌だ。そんな目で見るな!」
悲鳴の様な声と共に、クルルス様が立ち上がる。
「ルミカ、もうお前は護衛をしなくていい。一緒に来い」
クルルス様がそう言うので、ルミカも俺達と一緒に部屋を出た。
扉を閉める前にちらりと見ると、ミラが呆然と座り込んでいるのが見えた。鍵をかけ、外に中層の騎士が立つだけで、部屋には誰も居ない。大丈夫だとシュルツ殿下も言うので、その通りにした。
クルルス様は、俺達を全員執務室へと連れて行く。
俺達は無言のままだ。間近で見る魔法にも衝撃を受けたが、さっき語られた三千年前の話の衝撃が大きかったのだ。
クルルス様はソファーに座って大きく息を吐く。シュルツ殿下は、明らかに顔色が悪く、ソファーに座った途端、倒れ込んだ。上層まで移動する間、我慢していたらしい。
「シュルツ、大丈夫か?」
「魔法なんて使うものではないな。……眩暈がする、気持ち悪い」
「この有様だ。魔法を連続で使うのは難しい。後でグルニア人共に確認しておけ。出征の魔法対策になるだろう」
クルルス様の言葉に頷く。それが確かになれば戦闘が楽になる。
ルミカがシュルツ殿下の介抱をしている間に、ミラに使われた服従の魔法についてクルルス様から聞く事になった。
服従の魔法は、パルネア人を農奴として働かせる為に作られたもので、パルネア人全員がかけられていた。グルニア人を上回る魔法使いであった始祖のパルネア王がそれを打ち破り、他の者達も解放した為、今のパルネアがある。あの羊皮紙は、二百年程前に当時のパルネア王が趣味で再現したもので、見せるだけでも脅しになると思って持ってきた品だったのだとか。……実際に使う気は無かったらしい。
「それで、さっきシュルツの言っていた三千年前の話だが、半分は本当で半分はハッタリだ」
はったり?
「神になど願っていない。パルネアの王とポートの王は二人で魔法を使って、地形を大きく変化させた。ポート湾の海溝の形は、ジュマ山脈と同じ形をしている。……海の底から大地を切り取って、パルネアとグルニアの国境に置いたのだ。それだけの大魔法だから、魔法燃料は大気中から殆ど失われる事になった」
「では、リヴァイアサンは何なのですか?」
「分からない。切り取った海の底に何かが居るのは確かだ。魔法で地形を変化させた当時、ポート湾全体が光っていたと言う。それで調べに行った者達が、全員異能者になって帰って来た。……それがリヴァイアサンの騎士の始祖だ」
だから、最初はリヴァイアサンの騎士などと大層な名前で区別されていなかったのだとか。どうやら血筋で異能者が産まれると分かってから、数代後の国王がリヴァイアサンと言う海獣の伝承をでっち上げ、世襲制の騎士と定めたそうだ。
聞かない方が良かった。……クザートもルミカも、同じ様に情けない顔をしている。
「ランバート、お前の知りたい事は全て教えた。……議会は、これでもリヴァイアサンの騎士を国に縛り続けるのか?」
ランバートはため息を吐いてから言った。
「成り立ちからして不幸なのは分かりました。しかし特別な力があるのに、特別扱いをしないのは難しい事です。出征が成功すれば、それを指示した王もやり遂げた騎士も絶大な支持を得ます。誰も手放したいとは思いません。王政廃止も騎士の世襲制廃止も、一旦遠退くと思って下さい。それが現実です」
「そうなるのか」
クルルス様が肩を落とすと、ランバートは言った。
「それも一時の事です。廃止を目指すなら、協力は惜しみません」
「俺は諦めない」
クルルス様は俺達の方を見た。
「必ず生きて戻ってこい。俺が騎士の世襲制を廃止しても、その騎士が居ないのでは意味が無くなる」
「はい」
クルルス様なりの激励に応えつつ、俺達は出征に向けての準備へと頭を切り替えた。




