譲れない思考の果てに
アルガネウト……ポートの港町の一つ。造船所のある港で、かつてルイネスが船大工をしていた町。
ロヴィスの傭兵……ロヴィスでは、契約をした傭兵が国境警備を担当している。戦果に応じて報酬が支払われる為、傭兵同士で戦果の競争が発生する。
俺は、毎日ローズとアネイラの住んでいる館に通う様になった。
館に使用人の居ない女の二人暮らしである事も、俺が出向くきっかけになった。ローズはポート暮らしが長いのに、色々と分かっていない。当然、不用心だと叱った。物盗りは、こういう家を狙うのだ。
館の護衛は、ポーリアの治安部隊から人員を回す事になった。序列一席の権限で、本当は抜刀許可証持ちを護衛にしたかったが、王族や国を守る為に持っているものなので、やり過ぎだとクザートに止められる事になった。
すると、コピートがその館にファナを一緒に住まわせてくれないかと頼んで来た。母親が館に頻繁に来て、妊婦であるファナをいびるらしい。……そういう事はポートで珍しくない。俺達が絡む頃には、惨い事件に発展している事が多い。コピートの館がそんな事になっては困る。
とにかく騎士の護衛している家に押しかける様な真似はしないから、そうして欲しいと言われた。
「俺を置いて行くのでしょう?このくらいの望みは叶えてください」
恨みがましく言われる。
「ローズに聞いてみなければ分からないが……留守を預かってもらうのだから、お前の事は頼りにしているのだぞ?」
残れるなら俺が残りたい。顔に出ていたのか、ため息をついてコピートは言った。
「分かりました。お任せください」
「頼む」
ファナはすぐ移り住む事になった。
アネイラに関しては日々ぼうっとしていて、ファナにも、毎日通う俺についても、無関心である事が分かった。ローズに言われるまま、無気力に過ごしている様だ。
そんな報告を、手紙でもらう。
ローズは日々起こった事を書いて来るだけだ。俺はそれに不満がある。俺が欲しいのは、ローズの気持ちの書かれた手紙だ。こんな報告書の様な手紙ではない。
しかし、そんな事を考えてばかりも居られない。王二人が議員達と協議して、策を決めたからだ。
騎士団にも、その内容が明かされる事になった。俺達がグルニアに仕掛ける為の導火線に火が付く。それを聞くのは、俺とクザートの二名だ。クザートも緊張しているのが分かる。
クルルス様、シュルツ殿下、そして議員であるランバートとマルク。更にポーリアにあるパルネア大使館のレイノル・ディング大使、そしてグルニア人である、エゴール・ベルマンが同席していた。
エゴールは姿勢良く座り、目を閉じている。
エゴール達も中層に部屋を移している。ようやく、グルニアの現状について話をし始めた所だ。
軍部に協力する為に連れていかれた皇太子と弟王子が、どのような実験に協力したのかは分からないが、衰弱して動けなくなっていた事を語り、次に狙われるミラを、皇太子から逃がす様に頼まれた経緯を語った。
「皇帝はどうしたのだ?」
「……多分同じだ。お会いしないまま国を出た。とにかくミラ様をグルニアから連れ出さねばならなかった」
「皇族は己の力を過信していた。そこを傭兵共に付け込まれる事になった。……皇太子であるユーリ殿下は、ミラ様だけでも救おうとなさったのだ」
「衰弱と言うのは……元に戻らないのか?」
「魔法燃料が大気に満ちていた頃は、魔法の使い過ぎによる疲労は、数時間で回復したと伝えられている。しかし、現状では倒れる程の魔法の使用は死を意味する」
エゴール達は、暗い表情になった。……生きていないと言う事なのだろう。つまり、ミラしか皇位を継ぐ者が居ないのだ。
「ミラ皇女は、何故その事を知らないのだ」
エゴールは、口を閉ざした。
それから後を聞けないまま、今に至っている。
クルルス様がここにエゴールを呼んだと言う事は、どの様な事情があろうとも、要求を呑ませるつもりなのだろう。
面子が集まった所で、シュルツ殿下と並んで座っているクルルス様が口を開いた。
「今日集まってもらったのは他でもない。グルニアの皇女であるミラ姫に対する、ポートとパルネアの対応を説明する為だ」
エゴールが目を開く。
「ミラ姫はポート城の上層に無断で立ち入り、従僕を殺害して侍女を誘拐した。その事は既にポート国民の知る所となっており、ポートに居続けるのは非常に危険だ」
クルルス様は言葉を切って、エゴールを見た。
「こちらに居るのは、パルネアの皇太子であるシュルツ殿だ。……この度、王に即位する事となった。それに伴い、ミラ姫を妃として迎える」
エゴールが即答した。
「受け入れられない」
「立場が分かっていないな。エゴール・ベルマン。これは決定事項だ。そちらの是非を問うものではない」
クルルス様は、意地の悪い笑顔を浮かべて続けた。
「パルネア人は、天候不順の原因が何処にあるのか知っている。そもそも調査を主体に行ったのが、シュルツなのだからな」
エゴールがシュルツ殿下の方を見た。処罰するなら分かるが、何故娶るのか分からないのだ。俺も分からない。
「前もって言って置く。これは慈悲では無い」
シュルツ殿下はエゴールに向けて言った。
「グルニア人が、もう二度と我々の暮らしを脅かさぬ様に支配下に置く。それだけの事だ」
エゴールが憎々し気にシュルツ殿下を睨む。
「グルニア人は、侵略戦争の代償を忘れてしまったみたいだね」
ため息を吐いた後、シュルツ殿下が手を差し出す。その途端、エゴールの脇を何かが通り抜け、頬に血が滲む。エゴールは信じられないと言う顔でシュルツ殿下を見ている。
魔法だ。……遅れて認識が追い付く。
「ポートが大魔法を封印している様に、パルネアにも封印している魔法がある。高速魔法だ」
クザートと俺は、一瞬だけ視線を交わす。
名前の通り速い。呪文の詠唱など無かった。今の魔法をいきなり使われたら、俺達でも対応出来ないかも知れない。
「試しに禁書を紐解いて覚えてみたのだが、私にとっては護身用のまじないでしかなかった。暮らしていくには不要なものだ。上手く使える者が皇帝であるなら、私にもその権利がある」
シュルツ殿下は冷たい表情でエゴールを見た。
「先祖はグルニアに勝利したが支配しなかった。それが今の結果だとすれば、今度は支配せねばならない。だからミラ姫には私の元に嫁いでもらう」
エゴールは、その顔を見てはっとした様に呟く。
「ヴィヴィアン・ロレット……」
「誰かに似ていると言う話は聞き飽きたよ」
シュルツ殿下が言うと、クルルス様が続けた。
「その女はポート騎士団が処理する。……協力しないなら、ミラを生かす価値は無い」
「グルニア人を支配するなど、魔法無しの集団が聞いて呆れる」
「まだ分からないのか?魔法で腹は膨れない」
エゴールは苦悩の表情で告げる。
「魔法は我々グルニア人にもたらされた神からの祝福だ。捨てれば地獄に堕ちる」
クルルス様が立ち上がって怒鳴った。
「神からの祝福だと?グールを見ても、まだそう言うのか!」
エゴールは苦悩の表情で続ける。ただ話しているだけなのに、額に汗が浮かんでいる。
「パルネアとポートが、魔法燃料を大気から奪わねばこうはならなかった。我々は間違えていない」
自分達は神の使いであり、祝福された民である。……それがグルニアの選民思想の根源にあるとは聞いていたが、実際に目の当たりにすると、同じ言葉を話していながら全く言葉が通じない絶望感がある。
これほどの現実を突きつけても、エゴールは現実を受け入れない。受け入れれば、培った価値観を全て破壊される事になるからだ。
ミラに何も言えなかった理由にようやく気付いた。神の使いである自分達が、何故国を追われなくてはならないのか……その矛盾に突き当たる事を拒んだのだ。ミラを真実から遠ざける事で、皇族親衛隊である彼らも、自分達の心を守っていたのだ。
クルルス様は怒りに震えているが、シュルツ殿下が軽く腕に触れて制した。
「クルルス……腹立たしいのは分かるが、彼らの様な選民思想をしっかりと持ったグルニア人達は今頃、酷い目に遭っていると思うよ」
「何故、虐げられて選民思想を捨てた者達を敵に回し、このような石頭共を助けねばならないのだ!」
「それこそ神……いや悪魔の采配だろうね」
軍部には、貧民層が集まっているとエゴールは言っていた。
選民思想を持つ同族に苦しめられ、貧民層のグルニア人達は思想を否定し、傭兵を信用したのだ。
忌々しそうにクルルス様は言った。
「これはポートとパルネア、二国が協議した決定事項だ。覆る事は無い」
その後、エゴールはクザートに連れられて部屋へ戻る事になった。
中座したクザートが戻ってきて、話が再び進められる。
ランバートから今後の外交的な方針として、ポート騎士団が出征した理由の説明として、天候不順がグルニアにおける大々的な魔法実験の結果である事を公表すると説明された。
「パルネアの依頼によりポートが動いたと言う説明を続ける方針ですが、出征の成果が挙がってからでなくては、他国の理解を得られない状況です。ポート騎士団が出征から戻るまで、出征の事実も秘匿する方針となっています」
魔法が悪しき物であると言う印象を付けるにしても、俺達の出征が侵略ではないと説明するにしても、実験そのものを止められなくては意味が無いのだ。
続けて、ポート議会のマルクが俺とクザートの方を見て言った。
「ポーリアから一度に船を出すと目立つので、できるだけ目立たない様に出航する方法について、何か提示はありますか?」
クザートが俺の方を見てから答える。
「現在騎士団では、大型の軍船を二隻所持している。一隻はアルガネウトの港にある新造船で、この一隻での出征を考えている。足の速い軍船でアルガネウトから出征すれば、他国に気付かれるまで、時間がかかると思われる」
大型軍船に関しては、出征を想定しているのではなく、王族が外交に行く際に必要だから所持している。丁度、老朽化した古い船を新しい船に交換するタイミングだったから二隻ある。アルガネウトの船は、最近完成したばかりだ。最新技術を使った船だから、グルニアまでの航海時間も短縮できるだろう。
クザートの言葉にマルクが不安そうな顔をした。クザートが俺の方を見たので、俺の方から説明する事にした。
「我々はグルニアの帝都にある王宮を占拠し、魔法実験の停止を目的としている。目立ってしまうと、帝都に向かう途中で戦闘になる恐れがある。犠牲者を出さない為にも、出来るだけ早く帝都に辿り着く必要がある。その為、必要最低限の人数で編成する方針でまとまりつつある。……魔法に対する対策の方が問題だ。対策無く出征する事は出来ない」
出征しても無駄死にする様な事だけは避けたいのだ。
「それについては心当たりがあります」
レイノス大使が、俺達の方を見て言った。
「本当ですか?」
「はい。……その前にお話ししておきたい事があります」
大使はそう言うと、話し始めた。
「十三年程前に、ゲオルグ・ランドンが大使館を頼って来た事があります」
レイノス大使は、十年前までロヴィスに駐在していたそうだ。だから、その時対応したのが大使だったのだ。
「ロヴィスは、隣国であるノリスやイグヴァンなどの襲撃に対して、傭兵を雇っています。その中にあって、無敗と言われた傭兵こそゲオルグです」
無敗。ルミカが恐ろしく強いと言っていたが、本当の様だ。
「ゲオルグは、ロヴィスで信用の高い傭兵だったのですが、ゲオルグの名声を妬んだ者達が結託した為、排除される事になりました。ゲオルグの傭兵団と同じ地域に配属される事を他の傭兵達が拒んだので、ロヴィスとしては、ゲオルグを雇い続ける事が出来なくなったのです」
大使の話では、ゲオルグの率いていた傭兵団は解散に追い込まれ、ゲオルグは困窮した末に大使館を訪れたらしい。
「パルネア大使館としては、助ける前に聞かねばならない事がありました。ゲオルグ・ランドンの父親、ヒース・ランドンは、パルネア第一王女であるジュリア様を誘拐した男です。ジュリア様の行方を聞かねばなりませんでした」
大使は、暗い表情で言った。
「ですが、ゲオルグは何も知らなかった様です。驚いた顔をして心当たりは無いと言ったきり黙り、大使館を去りました。……当時の私は、国王陛下に朗報をもたらしたくて、ジュリア様の事ばかり考えていました。今も後悔しています」
「何を言ったのだ?」
クルルス様の言葉に、レイノス大使は苦しそうに応じた。
「王女様の行方を知っているなら、恩赦が出るから安心しろと。……ヒースは罪人でしたが、息子のゲオルグに罪はありません。それなのに罪人の様に扱いました。追跡調査で分かったのですが、ゲオルグはヴィヴィアンと既に婚姻関係にありました。誰にも隠していませんでしたから、調べればすぐに分かる事でした」
隠していない。大使館を訪れた。と言う事は、ゲオルグは父親の罪もヴィヴィアンの素性を知らず、最後の手段として、同胞に助けを求めた事になる。一方、レイノス大使は王女誘拐の事について知っていて強請りに来たのだと考え、話を切り出した。
大きな齟齬があったのだ。
「子供の頃に人買いに攫われ、生きていく為に相当苦労をしていた様です。ゲオルグは、ずっとヴィヴィアンと行動を共にしていました。……大使館を訪れた時期に、二人の間に生まれた子供が亡くなっている事も分かりました。まずは助けるべきでした」
シュルツ殿下が言った。
「今の行いを肯定する理由にはならないよ。虐げられたから恨みを無差別にまき散らすなど、あってはならない。……報告を続けてくれるか?」
レイノス大使は落ち込んでいたが、シュルツ殿下の言葉に後押しされる様に続きを話した。