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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
愛しいあなたへ恋文を
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手紙

 ラシッドの話に混乱する気持ちを抱えながら、手紙を二通書いた。

 一通はジルムートへ。

 ラシッドから出征の話を聞いた事を書いて、出征する日が決まったら、館の使用人経由で教えて欲しいとだけ書き、自分の髪の毛を編んで腕輪にしたものを同封する。前世風に言うなら、ミサンガだ。

 本当はこんな物を作る気は無かったのだが、出征するならこの方がいいかと作ってみた。

 一歩間違えば重過ぎて受け取れない品だが、ジルムートにとっては十分に許容範囲だろうから、良しとした。

 もう一通はルミカへ。

 アネイラがポートに居るが、会いに来てはいけないと言う事をまず書く。髪の毛を切られた事実を書き、落ち着くまで時間がかかると説明した。

 それから、ジルムートの言っていた事……死地から無事に生還したと言う事についても書いた。

 生きているから色々考えるのであって、死んで居たらそうは思えなかった。その経験は出征の際に、皆の役に立つ筈だから、経験者として胸を張っている様にと偉そうに書いてみた。……戦いの事なんて全く知らないのだが、このくらいはいいだろう。

 おかしい。何故私が館を出て行くのに、見送る事になっているのか。出征なんて言われても不安と恐怖だけで、何が起こるのか想像も付かない。

 ただジルムートは逃げない。……行かないでと泣いても行く。それだけは分かる。

 館で顔を合わせていれば不安が高まって、我慢できずに泣いたかも知れない。そんな事をしなくて済むだけ良いのだと思う事にした。

 ジルムートへの手紙の方が短くなってしまったのは、言いたい事を書きだしたらキリが無いからだ。

 アネイラの状態によっては長期戦だ。出征前に館に戻るのは不可能になるだろう。そう覚悟してアネイラの為に整えた館に行く。使用人は、女性の使用人がなかなか見つからなかったので手配しなかった。……男主人の居ない館に、男性使用人が居るのは危険だ。だから、御用聞きとしてジルムートの館の使用人に買い物だけは頼む事にして、後は私がやる事にしたのだ。

 私とアネイラは、困ったときに助け合って成長してきた。使用人なんて居なくても暮らせる。

 アネイラのお母さんは、学校の先生をしていた。城下町ではなく、離れた場所にある学校で、季節ごとにしか帰って来られなかった。そのお母さんの仕送りを、雑貨屋をしているお父さんが使い込んでしまう。可愛い女の子なのに、ツンツンした物言いと暴力が身に付いたのは、お父さんから仕送りを奪い取る事の繰り返しから生まれた。

 私の母も城の侍女で、不規則な予定をこなしていたから、いつ戻って来て出かけるのか、全く分からなかった。父も研究職で、城によく泊まり込んでいて家に帰って来ても寝ている事が多かった。

 おばあ様は、料理の味付けを全くしない人で、河原での洗濯もしない人だった。

「私にはできないわ」

 と、ニコニコして言われる有様。

 家に居る人は貴族のマナーには詳しいけれど、生活力皆無だったのだ。だから、貴族のマナーはあっさり身に付いたけれど、家事は自力で覚えなくてはならなかった。

 二人で一緒に家事を覚えた。それくらい一緒に居た。

 ラシッドが不作続きである事を教えてくれなければ、呑気に待っていただけだろう。

 暮らしが農作物の出来によって左右される。それが農業国であるパルネアだ。豊作だと笑顔でおすそ分けをくれる人達が、不作になると作り笑いで挨拶だけして去っていく。

 誰も彼もが、天気の話を真剣にしていた。話題が無いからするのではなく、皆最新の情報を共有したくて話す。何年も不作となれば……国が壊れていくのは当然だ。

 そんな事を考えている内に、玄関の方から音がした。

 開けて外を覗くと、馬車が館の前に停まっていた。御者は、見覚えのある騎士だった。

「リド様!」

 リド・ハイデル。パルネア騎士団の騎士だ。年齢は私とアネイラと同じ。元貴族であると言う出身も同じで、三人でよく話をした。……アネイラ目当てだったのは、見え見えだった。見事、玉砕していた。

 私が駆け寄ると、リドは私を見て目を丸くした。

「久しぶりだな、ローズ。……殿下の話を聞いてそう来たか」

 髪の毛の事だ。ただ頷くと御者台を下りたリドは、私に小声で言った。

「実は……ポート城からここまで先導してくれた方が、まだそこにおられる。その……少しでいいので、顔を見せて差し上げるべきかと」

 固有名詞が無くても、誰が来ているのか分かってしまった。顔を出して少し先を見ると、馬から降りているジルムートを発見した。

 降りたジルムートは、私の顔を見た途端、凄い勢いで駆け寄って来た。多分、髪型のせいだ。……と思っている内に、いきなり抱き締められた。リドの唖然とした顔が見える。

 恥かしいので抵抗して暴れてみたものの、びくともしない。

「お前の事はリンザに頼んだのに、ラシッドが付いて行ったと後で聞いた。大丈夫だったか?何も無かったか?」

 なるほど……そうだったのか。あの嘘つきのやりそうな事だ。リンザと同居している事も、この様子なら言っていないだろう。

「ありません。とにかく離して下さい。ここは外です」

 低い声で言うと、ジルムートは慌てて離れた。そして、リドを見て決まり悪そうにしている。

「事情は分かりました。先導ご苦労様でした」

 私が憮然として言ってもジルムートは立ち去らず、そのまま立っている。

「俺も同席させてくれ。アネイラ殿に詫びさせてもらいたい」

「それは……」

 私の言葉を遮って、ジルムートは続けた。

「このまま帰る訳にはいかない」

 ジルムートは、最初からこうやって居座ると決めていたのだ。私が睨んでも平然としている。自分の意思を引っ込める気はないらしい。

「分かりました」

 私が散々説明したのに無駄だった。それに、どんな気持ちで館に手紙を置いて来たと……。小言はお腹に押し込めて、リドの方を向く。

「アネイラに会ってもいいですか?」

「あ……勿論だ」

 茫然と私達を見ていたリドは、はっとして馬車に声をかけた。

「アネイラ、着いたぞ。ローズが会いたがっている。降りて来られるか?」

「はい」

 懐かしい声がする。間違いない。アネイラだ。

 リドは、私の方を見て言った。

「アネイラの髪は、本当に短くなってしまったのだ。……見ても、驚かないでやってくれ」

 私よりも短いって……切った女は丸刈りにしてやるべきだと思った。

 馬車の扉が開いて、ショールをかぶった小柄な女が馬車からそっと降りて来た。私より頭一つ分小さな身長が酷く懐かしい。残念な事に、被ったショールが邪魔で顔が分からない。

「アネイラ」

 思わず声をかけるが、顔を上げない。

「早く、中に入れて」

 頭を気にしているのが分かったので、素直に応じる。

「分かった。ようこそポートへ。待ってたよ」

 そう言うと、初めてアネイラが顔を上げた。そして私を見て目を丸くする。

 兎やリスなど、小さな愛らしい動物を連想させる、クリクリとした丸い目。形の良い鼻と口。丸い輪郭は以前より痩せた。でも肌が白くて綺麗なのは相変わらずだ。……別れた頃と見た目があまり変わっていない。ちょっとは年を取れよ!とか内心思う。

「あんた……馬鹿でしょ」

 アネイラは、私を見てそう言った。私が髪の毛を切った理由まで一目で分かったのだ。

 変わっていない。アネイラはアネイラのままだ。そう思える一言に安心し、とりあえず暴言について追及しない事にする。

「入って」

 アネイラの手を掴み、引いて中に入るとリドとジルムートが後から続いて入って来る。

 一階の応接室に、お茶を用意している間、異様な空気になっていた。

 リドは隣に座ったアネイラと、正面に座っているジルムートを気にしているし、アネイラは室内でもショールを被ったまま、じっとしている。

 お茶の支度が出来たので配膳して、仕方なくジルムートの隣に座る。……ここに居ない筈の人が居るせいで、パルネア人の緊張が解れない。

 私が座ったのを見て、リドが私に向かって口を開いた。

「殿下から話は聞いていると思うが、アネイラはこの状態だ。申し訳ないが頼んで良いか?」

「勿論です」

「犯人に関しては、アネイラがやり返したから……もう十分だと思う」

 やり返したのか。今頃、あちらはやった事を心底後悔しているだろう。

「アネイラ、ショール取って」

 返事がない。どう見てもジルムートを警戒している。

 セレニー様のお迎えに来ていた人だから、一応見ている筈なのだが……私もあまり覚えていないから、アネイラの認識もその程度なのかも知れない。

 反応が無いので、言う事にした。

「この人は、ジルムート・バウティ」

 アネイラがピクっと反応して、私の方を見た。

「そう。私の夫で、ルミカのお兄さん」

 アネイラは、ちらりとジルムートの顔を見て、もう一度私を見てから言った。

「全然似てない」

「うん」

「ローズ、ルミカと二歳違いだって言っていたよね?どう見ても、おじさんだよ」

 ジルムートの体が一瞬強張った。……人の心をえぐる物言い。相変わらずだ。

「あんたやルミカの方がおかしいの」

 私がむっとして言い返すと、アネイラは黙る。

「ジルは身内だから、ルミカのやった事を謝りたいんだって」

「謝ってもらう様な事、無い……です」

 これは多分、ジルムートに向けて言ったのだろう。ジルムートも分かったのか、言葉を返す。

「いや、こちらが正式に謝罪すべき事だ」

 ジルムートが言うと、アネイラは少し黙ってからショールを取って顔を上げた。

 ジルムートがぽかんとしている。

 髪の毛が短いからじゃない。顔が可愛いからだ。十代の後半から体の線だけ女らしくなって、顔つきは愛らしい小動物のまま成長している。

 残念な事に、人には可愛いものを大事に愛でる感覚だけでなく、滅茶苦茶にしてやりたいと言う感覚も存在する。アネイラの容姿は、負の感情を持つ人達を刺激する事が多い。可愛いが故に……不幸なのだ。

「似合うじゃない。それ頂戴」

 ショールを、もう一度被れない様に渡してもらう事にした。

「私の顔を見て馬鹿って言ったのは、誰だったかしら」

 声を低めて言えば、渋々ショールを差し出す。

 そこでジルムートに声をかける。

「改めて、彼女が親友のアネイラ・リルハイムです」

 ジルムートは、私の方を見てからもう一度アネイラを見て、顔を引き締めると言った。

「お初にお目にかかる。ジルムートと申す。……今回は弟がした事で、アネイラ殿には大変な心労と迷惑をかけてしまった。バウティ家の家長として、あなたに正式に謝罪させてもらいたい」

「謝って頂く必要はありません」

 アネイラは言った。

「私とルミカ様はお互いに納得して関係を解消しました。ですので、お気になさる必要はありません」

 アネイラは、きっぱりとジルムートからの謝罪を拒否した。

「いや、こちらの落ち度ははっきりしている」

「でしたら落ち度のある様な男に、愛想を尽かしたとお考え下さい」

 ジルムートが絶句する。

「私には一片の未練もございません。ですので、お気になさらないで下さい」

 ジルムートをちらりと見れば、物凄く困っているのが分かる。

 言葉だけ聞いていれば、厳しい拒絶だが……血の気の引いた小動物女が、小刻みに震えているのは誰の目にも明らかだ。物凄く無理をしている。このままでは状況に耐えられずに気絶しそうだ。

 ショールで隠されては、アネイラの本質がジルムートに伝わらない。だから預かった。これだけ見せれば分かった筈だ。

「ジル、お仕事ですよね?戻った方がいいですよ」

「しかし……」

 私が立ち上がると、ジルムートは戸惑いながら立ち上がる。

「見送って来ます。リド様、少し席を外しますね」

「ああ」

 私はジルムートの腕を引いて応接室を出ると、玄関先で言った。

「来ないでって言ったでしょ!アネイラを殺す気なの?」

「あの女を……何故、ルミカが置いて来られたのか全く理解できない。どう考えても一人で生きて行けそうに無いではないか」

 ジルムートがここまで言う程に、アネイラは庇護欲を掻き立てる姿をしている。

「その通り。可愛いでしょ?ルミカと同じで、望んでいないのに人の目を引くの。ルミカと決定的に違うのは、あっさりと傷つけられてしまう事よ。……今回、犯人が男だったらどうなっていたと思う?」

 ジルムートは眉間に皺を寄せた。

「髪だけで済んで、私は良かったと思っているの。人目に晒されずに休養しなくてはならないから、ここに来てはダメ」

 ジルムートは物凄く不服そうな顔をしてから、いきなりキスしに来た。焦るが、当然ながらびくともしない。やたら長いし……腰抜けそう。

 そう思っていたらようやく離れた。よろめきつつも、ちょっと距離を取る。こんな時に……冗談じゃない。

「俺は来るからな」

 ジルムートは、私を見据えて言った。

「反論は受け付けない。俺は夫だ。妻に会いに来て何が悪い」

 私のアネイラ優先理論を破壊する為に、ジルムートは夫の権利を主張する。

「謝罪はついでだ。お前にそれを言いたくて来た」

 そこまで言うなら……もう私には止められない。ダメだと言っても来るだろう。

「館に手紙を置いて来たの。暫く会えないかと思って」

 出征について口にしたくないのでそう言うと、ジルムートは裾をめくって手首を出した。……もう付けてるし!私が出た直後に着替えに戻って来て、入れ違いになったのだそうだ。

「手紙をもっと書け。……また取りに来る。いいな?」

 ジルムートはそれだけ言うと、玄関から出て言った。

 私の髪の毛で作ったミサンガを当たり前みたいに付けて、手紙まで書けって。どれだけ私の事が好きなのよ。だったら、

「何処にも行かないでよ……」

 私の言えなかった本音は、誰にも届かないまま空気に消えて行った。

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