ラシッド・グリニスの懺悔
城に行った翌日、朝からラシッドに髪の毛を切ってもらう事になった。あんなに嫌がっていたのに、ジルムートがそう決めて寄越して来た。どうして切るのかについては、私に聞けと言われたそうだ。しかもジルムートが付いて来ると思っていたのに、来たのはリンザだった。
当然、髪を切る理由を聞かれた訳だが、パルネアで流行っているらしいので、気分転換に切りたいと言った。嫌な事を忘れるのに丁度いいと言ったら、それ以上追及されなかった。
「本当に切ってしまうのですか?」
リンザが心配そうに言うので、迷わず頷く。
「大丈夫です。ラシッド様が手を滑らせなければ」
「心配するのは、そっちですか?」
ラシッドが苦笑する。
「今日は鋏を持って来ているので、安心して下さい。細かい部分はリンザに任せます」
二人がかりで切ってくれるらしい。
「悪いのですが、よろしくお願いします」
ボブカットにした。アネイラがどんな風になっているのか分からないが、そう決めた。
絵を見て、ラシッドは少し躊躇った様子を見せたが、すぐにシャクシャクと言う音と共に、髪の毛が床に落ちた。
大した時間もかからずに鋏はリンザに渡され、細かい調整も終わった。
「あら、素敵ですね」
リンザが思わず言う。
「これで髪のお手入れが楽になります。すっきりしました。ありがとうございます」
リンザが髪の毛を片付けようとしているので、それを慌てて止める。
「後でやるのでいいですよ」
「遠慮しないで下さい。すぐですから」
「だったら、少し待って下さい」
落ちた髪の毛を束で拾う。二人共不思議そうに見ているので、言う事にした。
「実は、パルネアから来た友人の館に当分住み込む予定になっています」
「「別居ですか」」
二人同時に言うので、苦笑して頷く。
「友人はポートに不慣れで、どうしても世話をする者が必要なのです。この館を留守にするので、ジルムートに私の代わりと言っては何ですが、これを持っていてもらおうかと」
「よく隊長が許可を出しましたね」
ラシッドが言って、リンザも頷く。
「あなた達も家が別々ではありませんか」
そう言うと、二人して言葉を失う。
「どうかしたのですか?」
気まずそうに、リンザが俯いて言った。
「今は、一緒に住んでいます……」
リンザは耳まで真っ赤になって、慌てて髪の毛を片づけている。ラシッドの方を向くと、肩をすくめて短く言った。
「そう言う事です」
暫く茫然として二人を見る。
ラシッドは、リンザを口説き落とすのに成功したと言う事らしい。いや、多分ラシッドの方が陥落したのだ。リンザのご飯に。そう言えば、朝早いのに一緒に来た。それに険悪な雰囲気ではなかった。私が出仕をしなくなってから、何かあったのだろう。
「二人で決めたなら、いいと思いますよ」
リンザがあまりにも挙動不審なので、それ以上は何も言わない事にした。
二人共出仕前と言う事もあって、慌ただしく出て行った。ふと見ると、ドレッサーに紙が置かれていた。
『話があるので、夜お伺いします』
印字の様な綺麗な文字。ラシッドだ。出仕の後でまた来ると言う事だろう。だとしたら、アネイラの館の手入れを大急ぎでしなくてはならない。
短くなった髪の毛を見て驚く使用人達に手短に事情を説明し、使われていない館の掃除に向かう事にした。馬車で送り迎えはしてもらえるので、人には見られないと思うが、万一を考えて、つばの大きな帽子を被る。
そして昼間はアネイラの住む館の掃除をした。ジョゼが手伝ってくれたお陰で何とか様になった。
夕飯前に帰り、ご飯を食べ終わった頃にラシッドが館に来た。
「お疲れ様です。何か食べますか?」
「あれば頂戴します」
ラシッドは、遠慮なくご飯を平らげた。何も残らなかった。想像以上の食べっぷりだ。
談話室でお茶を淹れて差し出すと、ラシッドは一口飲んで言った。
「ローズ様、実はお願いがあります」
ラシッドは躊躇い、もう一度お茶を飲んでから言った。
「あの約束を無かった事にして下さい」
ラシッドと約束した事など、一つしかない。リンザと結婚し続けるなら、人を殺してはいけないと言うものだ。
「何故ですか?」
「落ち着いて聞いてください。……ポート騎士団は、近い内にグルニアに出征する事になりました」
出征とは何だったか、意味を思い出せなくて焦る。
「パルネアは、天候不順の影響で何年も農作物に被害が出続け、想像以上に疲弊しています。一刻も早く解決しなくてはならなくて、俺達の出番になりました」
私がパルネアを出たのは七年前になる。当時も確か不作だった。その頃からずっと不作が続いていると言うのだ。……私は不作である事すら知らなかった。アネイラも両親も、手紙にそんな事は書いていなかった。心配させまいと、私も手紙には心配をかけそうな事は書かなかったのだが……あちらもそれは同じだったらしい。
「勝手に約束を破りたくないので、直接お願いに来ました」
出征……つまり戦争だ。人を殺すなと言っていたら殺されてしまう。でもすぐに返事が出来ない。
ラシッドも分かっているのか、黙って待っている。
「……あなたの抜刀許可証は、国に認められているものです。私との約束など、口約束です。気にしないで下さい」
クラクラする額を指で押さえなら答えると、ラシッドは言った。
「そうはいかないのです。俺には、あなたとの約束を破りたくない理由があります」
「理由……ですか?」
ラシッドは静かに切り出した。
「ローズ様は知らないでしょうが、俺はずっとあなたを眺めていました。あなたがこの国に来た頃から、ずっと」
眺める。見ていたと言う事だ。
「セレニー様の護衛をして帰国してから、ジルムート様の様子がおかしい。ルミカ様も変わってしまった。……何故そんな事になっているのか、俺には全く理解できませんでした。だから、原因のあなたを眺めていたのです」
「冗談でも、怖い事を言わないでください。一体何年前の事だと……」
ラシッドの表情を見て、冗談ではないのだと分かり言葉が続かなくなった。
「まだ、分かりませんか?あなたが何故バウティ家に義妹として入らねばならなかったのか。ジルムート様とクザート様が、あなたの命を狙う者として誰を一番警戒していたのか」
私がバウティ家に義妹として入ったのは、狙われて危ないからだとは聞かされていた。しかし、特定の誰かだと言われた事は無かった。もしラシッドが私を殺そうと考えていたのだとしたら……他の騎士には任せられず、クザートとジルムートの内、どちらかが必ず一緒だった事に意味が出てくる。
「嘘……」
思わず声が出る。
「本気で殺そうなんて考えていたのは、最初の一年くらいですかね」
ラシッドは、視線を窓の方に向ける。
「眺める内にその意味が変わっていました。いつの間にか、あなたの存在は俺の中で大きくなっていました。あなたは俺の事など知りもしないのに。……ずっとジルムート様とも結婚しないままなのだろうと勝手に思い込んでいたから、いきなり結婚された時には、気持ちの整理が付きませんでした」
ラシッドの横顔が、全く知らない人の様に見えた。
「リンザと婚約する事で話をしたでしょ?あなたが情に厚い人だと分かって、好きになった事は間違いではなかったのだと嬉しくなると同時に、辛くなりました。……俺の手は永遠に届かない。だったらもう遠くから眺めるのではなく、できるだけあなたの側に居たいと思いました。だからあの約束は俺にとって何よりも大事でした」
窓の方を見て、ラシッドと目が合った。……窓に映る私を見て話をしていたのだ。
思わず窓から視線を外すと、少し沈んだ声がした。
「化け物に好かれて喜ぶ人など居ないでしょう?だから、俺は自分を人の数に入れた事がありませんでした。でもあなたに対しては、そう出来ませんでした」
寂しい考え方だ。どんな顔をして言っているのか……。それを確認する事は出来なかった。
でも人の感情を理解できるのに、語るだけだったラシッドの事がようやく理解できた気がした。……自分には感情なんて無い様な顔をして、とんでもない嘘つきだ。
「危険な目に遭わせてしまった事を、心底悔やみました。今も悔いています。約束を破ってでもグルニア人は殺しておくべきでした」
「もしかして一人取り逃がしたのは、私とした約束が原因だったのですか?」
思わずラシッドを見るが、ラシッドは相変わらず窓に映る私を見ていた。
「あくまで俺の技量の問題です。無意識に急所を狙う癖がついているから、あえて外すと言う事がとっさに出来なかっただけです。足止めに失敗して逃げられました。……序列五席がそれでは示しが付きません。だから報告できませんでした。後は……ご存知の通りです」
感情がグチャグチャで、どうしたらいいのか分からない。
「あなたは悪くない。そんな顔をしても、俺には慰める権利がありません」
思い返せば、ラシッドがルミカの様に親し気に触れて来ようとした事など一度も無い。今も、窓に映った私に向かって話している。私を遠くに置かなければならない程の強い気持ちがあるのだ。
ジルムート以外の男性からのそんな激しい感情は怖い。……ラシッドはそれを理解しているから、視線を外しているのだ。
「リンザは最初から、俺のローズ様への気持ちを分かっていました。いきなり言い当てられましたよ。わざわざ罪人の娘を嫁にもらうのはそのせいだと。俺も誤魔化さなかったので、嫌われて当たり前だったのです」
他の女を好いている男と結婚するなど、最悪だ。
「リンザはそんな事、一言も……」
「言っていたら、今頃リンザは生きていません」
リンザが想像以上に過酷な結婚生活をしていた事を思い知る。
「あなたが俺に見向きもしない事も分かっていたのでしょう。リンザは俺に腹を立てながらも、同情して飯を食わせ、家族の輪に入れてくれました。それに俺は救われました。あなたの事は好きだけれど、必要なのはリンザです。だから、今日……ここに来ました」
ラシッドはけじめをつける為に来たのだ。私に過去や誘拐事件の背景を洗いざらい吐き出す事で懺悔とし、リンザと生きていく為に。
だとしたら、私はラシッドの懺悔を受け入れ、許さなくてはならない。しっかりと言葉にしてラシッドを振らなくてはならないのだ。
ラシッドは静かに私の言葉を待っている。……私は震えそうになる声で言った。
「私は、ジルムートを愛しています。どうかリンザを大事にして下さい。あなた達の幸福を願っています」
私の言葉に満足した様に一瞬目を閉じると、ラシッドはようやく目の前の私を見た。
「そういう訳で、俺は生きて戻りたいのです。約束は無かった事にしてもらえますよね?」
少し考える。いいですよ。なんて言うのもどうかと思ったのだ。
「生きて戻って来たら、約束破りを許してあげます。戻って来なければ一生許しません」
ラシッドは一瞬ぽかんとしてから、困った様に笑った。
「ローズ様、俺に優しくしてはいけません。俺がその気になったら困るでしょう?」
こっちを見て言うのでドキっとした。さっきは、窓の方を向いていてくれて本当に良かった。
「リンザが必要だと言ったばかりではありませんか」
いつもみたいに話そうとしたが、喉がカラカラだ。お茶を一気に飲む。男性の前ではしたないのは分かっているが、こればかりは許して欲しい。
そんな私を見ながら、ラシッドは笑う。
「リンザの家には、父親の女が大勢居たせいでしょうね。リンザは男と女の関係を憎悪しています。だから、弟妹を大事にしてくれさえすれば、俺の気持ちはいらないと言いました」
「リンザがそんな事を……知りませんでした」
「そうは言っても寂しいのでしょう。リンザは弟妹が居なくなった後も、作った飯を食ってくれる相手が欲しいと言うので、俺はそれになるつもりです」
酷い親の元で弟妹を養う事を生きる糧にしていたリンザを、ラシッドが見つけた。そう思ったら、凄く嬉しくなった。これはどちらにとっても救いだ。そう信じたい。
「とにかく……俺に対して甘い顔はしない事です」
「ラシッド様に、そんな顔はしません」
「今、嬉しそうでしたよ。俺がどれだけあなたを眺めていたと思うのですか。隠しても分かるし、あなた、俺に隠しませんよね?眺めているだけで、話せなかった期間が長かっただけに、そういうのは結構くるものがあるのですよ。……女には分からないと思いますがね」
変態!ストーカー!
「出て行って下さい!」
思わず怒鳴ったら、ラシッドは嬉しそうに笑った。
「その調子でお願いしますよ。大人しいローズ様はつまらない。早く元気になって出仕して来て下さい。では、失礼します」
そう言って歩き始めたラシッドは立ち止まる。扉の前でちらりと振り返り言った。
「出征の話は本当です。ジルムート様は、俺が必ず連れて戻ってきます。だから心配しないでください」
「あなたよりジルの方が強いのだから、心配なんてしていません」
「嘘ばっかり。でも、強がっている方があなたらしい」
ラシッドはそんな事を言って去って行った。
ジルムートはラシッドの気持ちに気付いていない。知っていたら、ラシッドに私の髪の毛を切らすなど、絶対にしない。……そう言えば、あんなに嫌がっていたのに何故?
とにかく変態ストーカーの事はできうる限り、考えない事にした。私には、アネイラを迎えると言う一大イベントが待っている。当分、窓は見ない事にした。
 




