特使 シュルツ・パルネア
昨晩の事でローズに怒られながら、出仕の準備をしていると、フィル・ウッドが館に来た。
「シュルツ殿下が、ポート城に到着なさいました。ローズ様と共に出仕頂きたいとの旨をお伝えする様に、クザート様から承って来ました」
「シュルツ殿下はもう来たのか。早いな」
先ぶれが来たのは昨日だ。
「馬を替えながら進んで、急がれたみたいです」
「殿下は馬車だと聞いたが」
「途中まで馬車だったそうですが、馬で護衛と共に進まれて来たみたいです」
そんなに急ぐ必要があったのか。
「分かった。ローズと共に出仕する」
フィルが出て行った後、ローズに出仕の話をするとローズも驚いていた。
「今日は侍女としてではなく、俺の妻として出仕しろ。お仕着せは着なくていい」
「王族の前でそんな失礼な事は……」
「失礼ではない。お前は休む必要がある。お仕着せを着ていては、すぐに働けると勘違いされてしまう。まだ復帰してはいけない」
「はい」
俺が居れば眠れるが、俺が居ない日には夜中に目を覚ます。黙っているから知らないと思っているのだろうが……こっちは使用人経由で把握している。そんな状態のローズを働かせる気はない。
ローズは着る物に困っていたが、新しく作ったと言う淡い黄色のワンピースを着て出て来た。襟や袖にレースがあしらわれているだけのすっきりした服だ。
俺と出かける時に着ようと思って新調したらしい。……良く似合っている。
「今度休みが取れたら、それを着て一緒に出掛けよう」
ローズは笑って頷いた。
出仕すると城門の前で、フィルが待ち構えていた。俺とローズは上層にあるクルルス様の執務室まで、一気に行く事になった。
何の話も聞いていないのに、いきなりの事で俺もローズも不安になった訳だが、それだけあちらも急ぎと言う事なのだろう。
執務室には、クルルス様とシュルツ殿下、護衛にクザートが居た。端にはディアが控えている。
俺もローズも、クザートとディアの存在にほっとしつつ、礼をする。
「序列一席のジルムート・バウティです。只今、出仕致しました。お召しと言う事で、妻であるローズを連れて参りました」
ローズも一礼する。
「ローズ、どうだ調子は?」
クルルス様の言葉に、ローズは応じる。
「はい。お陰様で養生させて頂いて、気持ちもだいぶ落ち着きました」
「そうか。元気そうな姿が見られて何よりだ。今日はいきなり呼び出して悪かったな」
そう言ってから、クルルス様は応接のソファーに俺とローズに座る様に促す。
クルルス様がシュルツ殿下の隣に座り、対面に座れと言う事でそれに応じる。
クルルス様の背後にクザートが立ち、ローズの背後にディアが立った。ディアが立っているのに自分が座っているのが居心地悪いのだろう。ローズは微妙な顔をしていた。
「今回、ここに居るシュルツの来訪は、二日後と言う事になっている。だから、城の者でシュルツがここに居る事を知っている者は殆ど居ない。口外しない様に」
俺達が頷くと、シュルツ殿下が口を開いた。
「今回、大変な時期だと言うのに、非礼な訪問を快く迎えてもらえて感謝している」
シュルツ殿下は、ローズの方を見た。
「ローズ、セレニーが健やかにポートで過ごせているのは、君のお陰だと思っている。本当にありがとう」
「勿体ないお言葉です。素晴らしい王妃になられたのは、ご自身の努力の賜物です。心より嬉しく思っております」
ローズがそう応じると、シュルツ殿下は背後のディアを見た。
「ディアにも感謝している。カルロスの事でセレニーはとても助かっている様子だから」
「とんでもございません。私の様な侍女の言葉にも真摯に耳を傾けて下さいます。セレニー様にお仕えする事は誇りでございます」
にっこりとディアは笑った。
型どおりの世辞のやり取りに聞こえないのは、本気で二人共そう思っているからだろう。
すると、俺の方にシュルツ殿下が思いがけず鋭い視線を向けて来た。
「しかしパルネア城の薔薇を、何故かポート騎士団のバウティ家に軒並み手折られた事に関しては、腹に据えかねる部分もある」
俺はシュルツ殿下を見た。
「幸福になるに相応しい侍女に与える称号だと言うのに、何故か不幸になっている。由々しき事態だよ」
俺はちゃんと結婚した!大事にしている。
そう思ってクザートの方を見たら、視線を思い切り逸らされた。シュルツ殿下の視線に晒されているのが俺だけなのが納得いかない。
「ローズ、君を呼んだのもディアを同席させているのも、アネイラの事が理由だ」
ローズが不安そうな顔になった。
「実はアネイラを連れて来ている」
シュルツ殿下は、驚くローズとディアの為に、少し言葉を区切ってから続けた。
「アネイラがルミカとの関係を白紙に戻した事が知れ渡れば、必ず事件が起こると皆危惧していた。それで特使としてこちらに向かう際に、侍女としてアネイラを指名した。酷な選択だったが、そうせねばならなかった。アネイラの為にも城の平穏の為にもね。……セレニーの侍女としてポートに留まれるようにクルルスに頼むつもりだった」
アネイラ・リルハイムに何かあれば、城で起こった醜聞になる。それが分かっていて放置する事は出来なかったと言う事だ。……つまりルミカと別れた事で、パルネアからも厄介払いされた事になる。
ルミカの行いの非道さが、じわじわと染みて来る。
シュルツ殿下は、その後言い辛そうに言った。
「それでだね。危惧していた事件が……移動中に起こってしまった」
ローズの顔が青ざめる。
「髪を切られた」
短いがその言葉で、背後のディアが息を呑んだのが分かった。
女と言うのは、パルネアでもポートでも髪の毛を長く伸ばしている事が普通だ。少なくとも、俺の周囲には髪の短い女など居ない。
「短い場所があって、それに合わせて整えねばならなかった。引き返すよりもポートに急ぐ方が早かった。だから急いでこちらに相談に来たのだよ」
すると、ローズが聞いた。
「どのくらいの長さなのですか?」
「肩に付かない程の短さになってしまった」
暫く考えてから、ローズは言った。
「似合っていますよね?」
きょとんとして、全員がローズを見た。
「前々から思っていたのです。アネイラは、短い方が可愛いって」
そう言ってからローズは聞いた。
「怪我はしていないのですよね?」
「ああ」
呆気に取られているシュルツ殿下の言葉に、ローズは言った。
「だったら私も切ります。一緒にセレニー様にお仕えできるなら、短い髪形はパルネアで流行っていると思われるでしょう。案外、女性の髪の毛が短いと言うのも、良いものですよ」
「な……」
何を言っているのだ!
と、言いかけて言葉を止める。ローズは酷く真剣だった。
「人の心の醜さを忘れるには、信頼できる者の存在が必要です。アネイラには支えが必要です。立ち直るまでその役目を私に下さい。お願いします」
シュルツ殿下は、呆気に取られてローズを見ていたが、やがて笑った。
「とんでもない解決法だが気に入った。クルルスが良いと言ってくれればそうしたいが……クルルス、良いだろうか」
クルルス様は片眉を上げてにっと笑った。
「当たり前だ。セレニーは髪の長さなど気にしない。気心の知れた侍女が増えるだけで喜ぶだろう」
「それで、この事はセレニーに怒られるから、暫く内緒にしておきたい。いいかな?」
シュルツ殿下が苦笑して言うと、クルルス様は頷いて言った。
「犯人はどうした?」
「犯人は護衛の一部を割いてパルネアに送り返している。メイドだよ」
「動機は分かっているのか?」
「ルミカに懸想していたそうだ。ポートに到着するまでに、アネイラがルミカに会えない様にしようと思い詰めた末にやってしまったそうだ」
クルルス様は、不快そうに言った。
「そんな事をしても、願いは叶うまいに。ポートなら即、抜刀許可証の出番だな」
クルルス様が首を手刀で切る真似をすると、シュルツ殿下は苦笑した。
「こちらでしっかりと償いはさせる。ローズの考えた作戦を上手く行かせる為にも、公にはしないつもりだ。他言無用で頼むよ」
ローズが頷くのを見ながら、俺は全く違う事を考えていた。
俺は、ローズが髪の毛を切る事に同意していない!
しかしここで拒否すれば、ローズに絶対に嫌われる。クルルス様にも冷たい目で見られるだろう。
結局、俺はそれを言えないままになった。
アネイラ・リルハイムは、ポーリアにある小さな館の一つを手配される事になった。見た目の問題と精神的な問題がある為、城に入らない方がいいと言う話になったのだ。
ローズと一緒に居させたいが、うちにはまだルミカが居る。それでローズもディアも反対したのだ。
ルミカを移す事も提案したが、それではルミカが訪ねて来た場合に鉢合わせすると言う話になり、却下された。……この流れは良くないと思うが、俺はまた何も言えないままになった。
「元気になったら一緒に出仕します。それまでは、どうかセレニー様には内緒にしてくださいね。驚かせたいのです」
ローズは最後まで明るく軽く話を進めた。重い話の内容をできるだけ軽くしようと頑張っていた。
結局、ルミカからの申し入れとされた婚約の話も、無かった事にされた。
ポートでは、殆どの者が二人が恋仲だった事を知らない。だからあえて婚約をしない方が良いと言う話になったのだ。後でルミカに伝えなくてはならないが……それを思うと気が重い。
ローズは全て了承し、退席する事になった。
送ったらすぐに城に戻らねばならない。話す暇は今しかないので聞きたかった事を聞く事にした。幸い、今日は急いでいて馬車を出さなかったから、馬に相乗りしていて話がしやすい。
「髪の毛、切るのか?」
「うん。ショートカットとボブカット、どっちがいいかなぁ。前の世界では当たり前の女性の髪形だから心配しないで。きっと似合うと思う」
やけに前向きなのは、耳かき文明の知識のせいか!俺にはどんな髪形なのか分からない。
「自分で切るのか?」
「ううん。さすがに自分では切れないよ。絵を描いて、ラシッド様にお願いしようと思っているの」
いきなり出た名前に驚愕する。
「何故だ!」
「散髪が上手だから」
ルイネス様の髪を上手く切った事は聞いている。あいつは偽装術の達人なだけあって、手先が器用だ。
「ラシッドに触らせるな。俺がやる」
「でもジルって人の髪の毛、切った事あるの?」
「……ない」
「じゃあ、見張っていれば?きっとすぐ終わるよ」
嫌だ。ラシッドは大喜びで引き受けて、勿体付けて俺の目の前でローズの髪の毛を切るだろう。俺がイライラするのを喜んで見ながら。そして、事あるごとにその時の事を言うのだ。そんなの御免だ。
「とにかくラシッドはダメだ」
「ラシッド様ならお金を取らないし、秘密も守れるよ?」
「俺が嫌なのだ!」
「分かった。でも早くお願いね。アネイラがこっちに来ちゃう」
ローズがそう言うので、俺は焦る。
ポーリアの散髪屋を呼ぶ訳にはいかない。あっと言う間に噂が広まってしまう。しかも男しか居ない。誰か適任は居ないだろうか……。必死に考えている間にも、ローズが呟く。
「忙しくなるよ。館のお手入れをして、使用人の手配をして……明後日にはアネイラが来ちゃう!どうしよう。一緒にやればいいかな」
物凄く嬉しそうだ。……妬ける。
「まさか、そっちに移り住むつもりじゃなかろうな」
「え?そうするつもりだけど」
「ダメだ。約束したではないか。一緒に居ると」
ローズは半眼で俺を見た。
「すぐに会える場所だよ。大体、忙しくて館に帰って来ない人にそんな事を言われてもね」
俺は言葉に詰まる。
「帰った時に居て欲しいのだ」
俺達は結婚前から何年も同じ館で寝起きをしてきた。館でなければ城だった。他の見知らぬ場所で長期間、離れた事が無いのだ。
「大丈夫、出仕する様になったら館に戻るから。それまでだけ」
期間を区切ってくれた事に内心ほっとするが、それでも嫌なものは嫌だ。
ローズの優しい気持ちを理解している。理解しているが、俺は心が狭いのだ。
「たまに……そっちに迎えに行ったら、一緒に館に戻ってくれるか?」
「来ないで」
ぴしゃりと言われて、俺は目を見張る。
「アネイラは失恋したばかりなの。友達が旦那様のお迎えで帰って行く所を見せるなんて論外だから」
反論出来ない。俺はがっくりと肩を落とす。
「そもそも、ジルはルミカのお兄さんだよ?アネイラの前に姿を見せないで」
「そこまで言わなくてもいいではないか……」
ローズは低い声で言った。
「誰のせいで、アネイラがパルネアを追われて髪の毛まで切られたと思っているのよ。弟が大事なら、ジルがしっかり管理してよ。ルミカを近づけたら許さないからね」
ローズは物凄く怖い顔になっている。怒っていると言うよりも、呪いそうな顔をしている。
「わ、分かった」
そんな顔をしていても、ローズは可愛い。離れたくない。
「早く帰って来てくれ」
俺が腰を片腕で抱き寄せると、ローズは苦笑した。
「本当は私もジルと離れて暮らすのは不安。きっと会いたくなると思う。でもアネイラを見捨てられない。アネイラが立ち直れば、ルミカの為にもなる筈だから」
本当は納得していない。しかし、ローズの言い分に理がある以上、引き下がらねばならない。
ただローズが館に居ない事を惜しんだ。この後、もっと大変な事が起こるとは考えていなかった。




