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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
耳かきしたら、騎士に懐かれました
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ジルムート、ローズを泣かせる

 腹が減った……。そして羨ましい。羨まし過ぎて、一周回って冷静になった。

 職人達が、列を成してローズの耳かきを堪能しているのを二時間程、眺めていた気がする。

 耳ほぐしはしなかった。ローズは、耳かきの使い方を教える為に耳かきを使ったのだから、当然と言えば当然だ。

 カルクは耳の聞こえが良くなったと絶賛し、仕事中だった職人達を連れて来た。俺が注文したおかしな道具の使い方が、皆知りたかったらしい。

 ローズは、大きな耳垢を取るのが快感の様で、夢中になって職人達の耳をほじりまくっていた。

 そう言えば、耳かきをしている最中のローズを見たのはこれが初めてかも知れない。

 凄く楽しそうだ。職人達も耳垢が取れて凄く喜んでいる。気持ちいいし、聞こえが良くなる。どっちも楽しいから、空気が和む。

 最後には、昼の支度をしていた女達の耳かきもした。夫が、見知らぬ女の膝枕で横になっているのを不審に思ったからだ。

 結果、女達も喜んだ。耳かきが欲しいと、夫に強請る女が続出した。

「やり過ぎると、耳が痛くなるので、たまに優しくやるのが、大事ですよ」

 ローズは、満足そうにそんな注意をしていた。

 結局、職人の工房で一緒に食事を貰う事になって、ローズが他の人達と普通に話しているのを初めて見る事になった。

「パルネアでは、私の幼馴染が耳をほじられてうっとりするのは、変態だって言ったんですよ。それで、耳かきの事は黙っていたんです」

「耳がすっきりするんだから、別に悪い事じゃねぇよ」

「そうよ。私は好きよ」

「私も!コツを教えて」

「無理に取ろうとしない事です。奥は痛いので、手前から力を入れないでそっとやります。耳の壁に沿わせるように。取れないのは、無理に取らない方がいいです。痛いですから」

 本当に耳かきが好きなのだと思う。

「これ、商売になる」

 カルクが言った。

「うちの工房で作って、使い方を教えて売るんだよ」

 工房の親方さんは頷いた。

「それはいい考えだ。でもローズさんに許可を取らないと……」

「是非やってください!」

 ローズはパンを握りしめて言った。

「私は、この気持ち良さを大勢に伝えて欲しいのです。それで皆さんが喜んでくれるなら、私は何もいりません」

 え?と言う顔を、全員した。

 当たり前だ。ローズは発案者だ。工房から、一定の金額を取っていいのだ。その権利がある。しかしそれをいらないと言ったのだ。

 ポート人の考え方では無い。

 金がいらないとか、ポート人からすると、後が怖いと言う考えになる。商人も職人も、ただ程怖いモノは無いと知っている。

 俺は慌てて言った。

「今まで売った商品と違うから、相場が分からないと言う事だ。売ってみて、売れた時の値段で、俺が相談に乗る。それでどうだろう」

 親方は、喜色満面になった。

「分かりました。バウティ家のご用達であるとなれば、広まってからもうちの品には高い価値が付きます。良い商売の風に乗れそうです」

 ローズは何か言いたそうにしていたが、賢明にも黙っていてくれた。

 職人達のもてなしが終わり、工房を出たのは午後も中程になってからだった。

 ローズは終始笑顔で、凄く楽しそうにしていた。……城の状態が、普通じゃない事を改めて認識する。

「耳かきの良さが伝わって良かったです」

「そうか」

 こんなに生き生きしたローズは、見た事が無い。

 にこやかにしていれば、可愛い女なのだな。

 ……一瞬、自分の考えた事を否定する。

 違う。この女は耳かきの効能を熟知していて、俺を耳かきが無いと生きて行けない体にした、恐ろしい女だ。

 さっきの職人達にやっているのを見て分かった。職人達は、ローズの持つ本当の神業を知らない。

 耳垢を取るのは、入り口だけだった。本当は奥のこびり付いた耳垢も、耳かき一本で、ローズは器用に取る事が出来るのだ。

 ゴゾっと音がして奥から耳垢が無くなる、あのゾクゾクした感覚を、皆味わっていなかった。

 そして、耳ほぐし。誰にもやっていなかった。……まあ人数が人数だったし、やらなくて正解だっただろう。

 とにかく、俺には最初からフルコースで神業が発揮されたのが良く分かった。

「どうして奥の耳垢まで取ってやらなかったんだ」

「私には取れても、初心者には無理だからです。難易度が高過ぎます」

「俺は?」

 俺も初心者なのに、何であそこまでしたんだ?お陰でローズの次に、耳かきの事を考えている人間になってしまった。

 ローズの顔が、いつもの無表情に戻った。

「腰が抜けて逃げられませんでした。だから、ああするしかありませんでした」

 墓穴を掘ってしまった。そうだ。やはり俺が悪かったのだ。

「済まない」

 謝ると、ローズの顔が柔らかい表情になった。

「もういいです。赦します」

「ローズ……」

「今日、職人さん達に会わせて下さってありがとうございました。お陰で、色々と憂いが晴れました。だからあの日の事はもういいです」

「しかし弁償が終わっていない」

「私が耳かきを沢山持っているのは、ご存知ですよね?」

 初めて見た時、厨房のテーブルに並べる程持っていた。

「当分は困りません。それにこれから工房で色々と作って頂いて広がっていくなら、もう特殊な道具じゃありません。だから弁償しなくていいです」

「そうは言うが……」

「工房からお金を取るんですよね?だったらそれを頂くので、弁償の必要はありません」

 ローズの言う事は正しい。何の矛盾も無い。だから受け入れるべきなのに、頭の何処かが頑なに否定している。

 関係性が変化すれば、耳かきを頼める立場になれると思っていた。金を払っても良いとまで思っていたのだ。

 しかしローズが欲しいのは、金じゃない。

 今ローズの赦しを受け入れたら、明らかな距離が生まれる。

 ローズは城の中だけでなく、外で俺がどういう存在なのか知ってしまった。奇妙な出会い方で生れた関係を清算し、俺との間に壁を築こうとしている。……そんな予感がしたのだ。

 俺がどれだけ強いと言われていても、心の壁は壊せない。

「俺は、自分の耳かきに満足できない」

 ローズは興味無さそうな顔をして視線を逸らした。

 こんな恥ずかしい事を告白しているのに、何だその態度は。

「身勝手だと分かっているが……ローズの耳かきが無いと、とても困る」

 多分、俺は人生で最大級の恥を白昼堂々晒している。

 それなのにローズは冷たい。

「そんな事はありません。ジルムート様の耳は、取る耳垢も無い程に綺麗でした。お上手です」

 夕方へと変っていく日差しの下で、職人工房の集まる一角は閑散としている。

 通る者は誰も居ない。

 俺は我慢できなくて、ローズの手首を掴む。

「こっちを見ろ」

 手を引き抜こうとするのを必死で止める。

「ジルムート様、困ります」

「顔を上げろ」

 あの日以来かも知れない。ローズに命令口調で話をしたのは。

 顔を上げたローズを見て驚いた。

 泣きそうな顔をしていたからだ。

「もう、放って置いて下さい」

「ローズ?」

「私の役目は終わりました。もうお城から出たいなんて言いません」

 みるみる涙が零れ落ちていく。

「私の生きた証はちゃんと残せました。大人しくしているので、放って置いて下さい」

「何でそんな事を言うんだ」

 顔を隠そうとするので、反対側の手首も捕まえると、ボロボロと涙を流しながらローズは怒ったまま言った。

「外は楽しいです。今日も本当に楽しかった。でも、だからこそもう出たくないんです」

「済まない。意味が分からない。気晴らしにはならなかったのか?」

 ローズは、泣きながら怒鳴った。

「気晴らしは、簡単に城から出られる人のする事です!」

「また来れば良い」

「私はセレニー様の侍女です。一生、お城で暮らすんです。私の外出の申請は、大変なんですよね?次は無いです。もう行きたいなんて言いません」

 頭にカッと血が昇った。次が無いなんて、俺は言っていない。そもそも、申請が大変だった事なんて一言も話していない。

「誰だ?そんな事を言ったのは」

「知りません。見た事も無い騎士様でした。髪の毛が薄い茶色で、とても綺麗なお顔をされていました」

 ……ルミカだ。

「他に何か言われたのか?」

 ローズの涙が、どんどん地面に落ちていく。

 涙が止められない。問い質して何があったか知らなくては。

「気にしないでください。分かっています。外国から来て、お城の中に住むって事はこういう事だって」

「また俺が外に出してやる」

「結構です!ジルムート様と居ると惨めになります。今も凄く嫌!国を出る時も、我慢して泣かなかったのに、何で……こんな」

 そこからは言葉にならず、ローズのしゃくりあげる声だけが響き、涙が落ちていく。

 泣かせてしまった……。

 こんな事は生れて初めてで、どうしたらいいのか分からない。

 泣き止ませたいのに何をすればいいのかも、何を言えばいいのかも全く分からない。

 思わず問い詰めてしまったが、子供みたいに泣くとは思ってもみなかったのだ。

 何となく、抱きしめて頭を撫でてやりたい気分になったが、それは思い留まった。……そんな事をしたら、一生許してくれないだろう。

 暫くして、工房の窓や入り口から、思い切り覗かれていた事に気付き、俺は泣きじゃくっているローズの手を引いて、人目に付かない道を通って馬車まで連れて行く事にした。荷台でもグズグズになっている。

 城に着いても泣いていては困るので、暫く待つ事にした。

 馬車にもたれかかって、ローズの泣き声を聞きながら考える。

 女が泣いていても、あまり動じた事が無い。女と言うのは泣くものだと思っていたから。

 しかし今回は違う。かなり動揺した。

 泣かせたかった訳じゃない。喜んで欲しかったのだ。

 ローズはセレニー様と居ると笑うのに、俺と居ると笑わない。物をやっても喜ばない。

 神業の耳かきをしてもらうのだから、その分は何かを返したかったのだ。

 けれど結局は、泣かせて更に嫌われた。

 何で、ローズ相手だと上手く行かないのだろう。……俺は大きく息を吐いた。

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