ジルムートはどこまでも弟を庇う
お茶会のあった日から二日後。
日勤のみで、久々に早く帰ってきたジルムートは、ルミカに冷たくしないでやってくれと言う。
結局、弟が大事なのだと思うと腹が立った。当然ジルムートに対しても態度が悪くなる。
寝室でベッドの上に正座してツンとそっぽを向いていると、ベッドで胡坐をかいているジルムートが困った様に言った。
「十分反省しているし、酷く傷ついているのだ。……追い詰めないでやってくれ」
「アネイラを追い詰めたのに?」
「ルミカには必ず責任を取らせる」
「責任なんて言葉、出さないで!」
私はジルムートを睨む。ジルムートも、むっとして言う。
「だったら、どうすればいいのだ」
言葉に詰まる。
「アネイラ・リルハイムの身に危険が及ばない様に手は打っている。今回の別れ話の責任は全てルミカにある。本人も認めている。責任を取ってルミカが婚約者として名乗りを上げる以外、方法が無い」
言っている事は正しい。でも大事な事が足りない。
「ルミカは……アネイラの事をどう思っているの?」
「今は心理状態が良くない。だから色々と考える余裕が無いのだ」
アネイラより大事な物があって、軽く見られていると言う事だ。物凄く不愉快だ。
「とにかく、ルミカの気持ちが自らの幸福を求める方向に向いていない。すぐにどうこう出来る問題ではないのだ」
「例のパルネア人傭兵のせいなの?」
「そうだ」
「何があったの?」
ジルムートは言い辛そうに告げる。
「俺もルミカから詳しく聞くのを躊躇っている。これ以上傷つけたくないのだ」
知っているみたいだが、本人に詳しく聞けないし、周囲に言いたくないらしい。
兄弟を凄く信頼していて、ジルムートは何をやっても許してしまう。きっと最後まで擁護するだろう。クザートの時もそうだった。今回も。本当に嫉妬するくらいの兄弟仲だ。
「ルミカにとって、お前は義理の姉だ。あまり冷たくしないでやってくれ」
「性格の悪い甘ったれの義弟なんていらない」
私がむっとして言うと、ジルムートは苦笑した。
「お前はルミカの顔に惑わされない。恋愛感情を抜きに接してくれるから、ルミカの気持ちが楽になるのだ」
「好きな女の子と一緒に居るよりも?」
ジルムートをじっと見ると、困った様に言われた。
「色恋で救われる事もあるだろうが、今のルミカには重荷なのだ」
不服だが、言わんとする事は分かる。
「私はルミカに何も求めないから、気楽なのね」
「……そうなのだが、勘違いするな。ああ見えて、ローズの事は俺達と変わらないくらい信頼している。懐いているのだ。だからローズに冷たくされるのは、ルミカのダメージになる。少し相手をしてやるだけでいいのだ」
ちょっと意地悪な気分だったので、言ってみた。
「じゃあ耳かきを頼まれたら、してもいいの?」
「それはダメだ」
ジルムートは即答してから続けた。
「他愛ない話をするだけでいいから、相手をしてやってくれ。一人で考え込んでいては参ってしまう」
「ジルもクザートも居るのに?」
「俺達は兄だ。ルミカはいつも自分を俺達よりも下に置いている。心配ではあるが、俺や兄上が構い過ぎると言うのは、ルミカの矜持を傷つける」
大人になってまで、兄二人に心配され続けるなんて、男性なら確かに嫌だろう。
「だから私なの?」
ジルムートが頷く。
「都合の良い事を言っているのは分かっている。でもルミカをこのまま責めても、状況が悪くなるだけだ」
「そんなに思い詰めている風には見えなかったけど」
「いや、かなり酷い。俺はあんなルミカを見た事が無い。本当に立ち直れるのかも、分からない」
そこまで言うのであれば、そうなのだろう。
私はこちらの言い分を説明する事にした。
「アネイラは、分かっていたと思う。ルミカが自分を見ていない事」
ジルムートは私をじっと見た。
「さっきジルが言ったでしょ?色恋が負担になる事があるって。アネイラもそれを分かっていたから、ルミカの負担にならない方法で別れたんだと思う」
「凄く……出来た女なのだな」
「当たり前でしょ?どんな女だと思っていたのよ」
気まずそうにジルムートは白状した。
「……その、ルミカが耳かきで出血したと聞いた時から、がさつな猛獣女を想像していた」
「普段、大雑把なのは認めるけど……侍女の仕事は凄く丁寧なのよ。ポートが侍女を二人付けても良いと言ってくれていたら、今頃ポートに居た筈だった」
「王族の侍女なら、そんな猛獣は居ないか」
「そうよ。ジルは見た事ないから分からないだろうけど、物凄く可愛いんだよ。ルミカの隣に並んでも、浮かないくらい」
「そんなに美形なのか?」
私は素直に頷く。
「ディア様と違って可愛い系だけどね。目がくりっとしていて、庇護欲をそそる見た目なの。少し癖のある亜麻色の髪の毛でね、それがまた似合うの。思わず撫でたくなる感じ?でも無許可で触れたら、拳骨で殴られるし、噛みつかれる。酷いと頭突きかな。顎とか腹とかに」
「猛獣ではないか……」
「見たら、そんな考えも吹っ飛ぶくらいの可憐な美女だよ」
何年会っていなかったっけ?そんな事を思いながら続けた。
「でもそんな見た目だから、ルミカと別れたら妬む者にあざ笑われて、不埒者に狙われるのは本人も分かっていたと思う。それでも、ルミカを手放したって事は……分かる?」
ジルムートは厳しい顔をした。
「先を考えなかったと言う事か」
私は頷く。
「ルミカはアネイラの心を殺してしまったの。それなのに分かっていなかった。だから怒ったのよ」
黙っているジルムートに言った。
「責任を取って婚約者にするなんて、死んだ心を切り裂く様な事を言わないで。ルミカに優しくするなんて、無理よ」
私の言葉にジルムートは項垂れた。
「ルミカにはルミカの事情があるのは分かっているけど、その頼みは聞けない」
ジルムートは弟が心配。そして私はアネイラが大事。どっちも譲れないのだから仕方ない。
「アネイラとルミカは、復縁なんてしない方がいいと思うの。……二人共深く傷ついているのに、お互いを支えにしてそれを癒せる関係ではないわ」
「では、どうすればいいのだ?」
「分からない……。でもルミカと関わらせたくないって私は思ってる」
「傷つけたからか」
「うん。ルミカがもっと包容力のある優しい男性だったなら、一時の情緒不安定で関係修復の希望も持てたけれど……そうじゃないし」
「手厳しいな」
「忘れているからも知れないけれど、私にいきなり暴言を吐いた人だよ?」
ポートに来た年、初めて城の外へ出る事になった日、歩いている私を引きとめ、一方的に色々言ったのがルミカだった。
あの日はジルムートとデートと言われた時点で、かなり不機嫌だった。セレニー様に笑って手を振られ、腹を立てつつ速足で歩いていた。
前から黒い制服の人が来るから、視線が合わない様に頭を下げながら歩いていたら声をかけられた。
『ローズ・メイヤーさん?』
穏やかな声で呼ばれてみると、凄く綺麗な騎士がこちらを見て笑っていた。
『御用でしょうか?』
見覚えの無い美男に声をかけられ、ちょっと警戒しつつ応じると、笑顔のままルミカは言った。
『外出、どうしてできるのか知っている?』
『陛下の許可を得ています』
私はこの当時、セレニー様について来た侍女は、結婚しない限り城から出てはいけないと言う決め事がされていた事を知らなった。だから不躾なルミカの質問に対して、お前には関係ない。一番偉い人の許可が取れているのだから、と暗に言ったのだ。
するとルミカの顔から笑顔が消えて、忌々し気な顔になった。
『今回は特例だ。二度目はない。お前如きの為に、騎士団の序列一席がどれほど苦労したと思っているのだ。お前は、一生城から出られないと言う決まりでここに来た侍女だ。黙って王妃に仕えて居ろ』
私はあまりの事に言い返す事も出来ず、歩き去るのを見ていた。その後、ジルムートと出かけた訳だが、酷い事になったのだ。
あれからルミカの笑顔が嘘かどうか分かるのに、そう時間はかからなかった。
「そう言えば、そうだったな」
気まずい空気を打ち消す様に、ジルムートは言った。
「でも分かって欲しい。ルミカは騎士だ」
ジルムートは続ける。
「俺達は民や王を危険から遠ざける為に存在している。それが仕事だ。騎士となる事が、生まれつき決まっている事に不服はある。しかし、積み重ねた騎士としての生き方が存在意義となり、意思と矜持を支えている面もある。ルミカは今、それを見失っている」
グルニアで何が起こったか知らないが、自信もプライドも無いらしい。
「ルミカは弱くないのだ。一人だった事が一番の原因だ。グルニアで傭兵に敗れたと思い込んでいる。あちらは二人がかりだったそうだ。しかも、いきなり魔法使いの魔法を食らったらしい」
ルミカは私にそんな事を人に知られたいとは思っていない。恥じているのだから当然だ。それを承知で、今ジルムートが打ち明けたのは、私がルミカを完全に拒絶しているからだ。
ジルムートの弟好きもたいがいだと思うが、ルミカの気持ちも分からなくはないと思った。思わされてしまった。……魔法を受けて恐怖したのは、私にも分かる感覚だからだ。
「魔法は凄く怖かった」
「それだけでもいい。理解して接してやってくれないか?ルミカは、ただ負けたのではない。圧倒的に不利な状況で、死闘を潜り抜けて生還した。それを理解させたいが分かろうとしない。だから……」
私は半眼でジルムートを見た。
「魔法の被害者同士、話ができればルミカが気楽になるって、最初から言えばいいのに」
「いや……ここまで拒絶されるとは思っていなかったのだ。アネイラ・リルハイムの状況について、情報があまりに少なかったから、そこまでの事だと言う認識も薄かった。それについては俺が悪かった」
「ルミカが外交官として長く赴任していたのに、パルネアの事を知らなさ過ぎると思っていたのだけれど……知ろうとしなければ、分からないよね。ジルが分からないのは当然だよ」
私もほぼ同じだけポートに居るのに、マルネーナさんの行動原理が分からなかった。拷問人形の騎士が貴族扱いである事すら分かっていなかった。単に怖くて強い騎士として恐れられているとしか思っていなかったのだ。知ろうと思えば知る機会はいくらでもあったのに、知ろうとしなかった。
「ルミカには、乗り越えて欲しいと思っている」
乗り越えなければ立ち直れない。アネイラは婚約者になった所で、どうなるか全く分からないと言う事だ。
グルニアに行かなければ、こんな事になっていなかっただろうに。……ポートの騎士は、世界屈指の強さだ。ポートに居る限り最強とまで言われている。その騎士団で三番目の序列を持っているルミカが断れば、グルニアよりポートが下だと認める頃になる。
そもそもジュマ山脈を越えるだけでも無茶なのだ。あそこでは木も伸びていくと地面に向かって曲がる。パルネアからも湾曲した木が並んでいるのは見えていた。
入ったら体が重くなって動けなくなる。助けられる者が居ないから、絶対に入ってはいけないと教えられた場所だった。
そんな場所を抜けて……たった一人でグルニアまで行くなんて。大変だったのだろう。でもアネイラの事を思うと優しくしたいとは思えない。……凄く苦しい選択だ。すぐに結論なんて出せない。
考えに沈んでいると、ジルムートが言った。
「話は変わるのだが……ローズ、城に出仕できるか?」
「どうしたの?」
「一日だけ、城に出仕して欲しいのだ。近日中に」
ジルムートは続けた。
「特使として、もうすぐシュルツ殿下がポートに到着する。先ぶれが来て、お前の無事を確認したいと言う殿下直々の要請があった」
シュルツ様が?
「妹の輿入れに付き添ったパルネア人が危機に晒されたのに、無関心と言う訳にはいくまい。しかし、真っ先に申し入れられるとは思っていなかった」
「……どうしたんだろう」
大事な話の後と言うなら分かるけれど、私は侍女だ。到着早々無事を確認するのは、ちょっと過剰待遇な気がする。
「俺から、どうとでも理由は告げられるから無理はしなくていい。どうする?」
少し考えて、私は言った。
「行く。……きっと理由があると思うから」
ジルムートは気遣う様に私の頭を撫でる。
「俺は酷い要求ばかりしているな。ルミカに優しくしろとか、城に出仕しろとか。苦労をかけて済まない」
ジルムートに責任は無い。そういう兄弟が居て、そういう仕事をしているのだから仕方ないのだ。
ここはいつも通りに話を終わる事にした。
「許してあげる。だから耳かきして」
すると途端に、ジルムートは残念そうな顔になった。
「……寝てしまうのか?」
耳かきをすると寝てしまうから、ジルムートは不満らしい。
呆れて言った。
「あなたの騎士としての矜持は何処に行ったのかしら」
「お前に対してそんな物、いらん。あると何もできない」
ジルムートはそう言うと、私の腕を引っ張って抱き寄せた。
「耳かきは?」
「する。後で」
嘘だった。騙された。信じていたのに。
怒ったのは朝になってからだった。