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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
愛しいあなたへ恋文を
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屈辱と恐怖

「ルミカ!」

「兄上!」

 久々に見る弟は、以前よりも精悍になっていた。肩に手を置いて、真新しい騎士服の弟を眺める。

「長旅で大変だっただろうが、手伝ってくれ」

 俺の切実な願いだ。

 ラシッドは悪童の様になっている。空腹と寝不足のせいだ。

 ナジームは花瓶に話しかけながら仕事をしているから、上層の騎士や侍女達も気味悪そうに見ている。

 クザートは、椅子に座って事務仕事をしながら寝ているせいで、体中が痛いと言っている。ベッドで寝ていない日が多い。

 コピートは……妙にそわそわしている。仕事に集中していない。ファナとの話し合いがあったので夫婦の危機は去ったらしいが、その割には様子がおかしい。

 ハリードに関しては、地下での訓練を屋外にしたいと言う話をして、移行した後も訓練をして欲しいと要請中だ。

 物凄く動揺して、時間が欲しいと言っていた。……まだ先の話だから、いくらでも悩むといい。グルニア人の警備も最近してくれるようになった。それだけでも十分だと思っている。

「報告書の話をしたいが、その前にグルニア人共を何とかしたい。そうでないと序列上位の騎士を集める事が出来ないのだ」

「何をするのですか?」

 ニルガナイトの効果と常飲させたいと言う話をしたら、ルミカは納得して頷いた。

「魔法を使えなくする方法が見つかったのは良い事です。きちんと服用の記録を取りましょう。今後の為になるかと思います」

「そうだな。……それでお前には、グルニア人共に揺さぶりをかけて欲しいのだ。特に皇女。かなり精神的に参っているのだが、捨て鉢になっていてこちらの話を聞かない。このままでは、体が衰弱しきった所で、護衛達と引きはがす以外手が無い。万一死なれたら、護衛達から情報が引き出せなくなる」

「ミラ皇女を何とかすればいいのですね。……俺の顔を、グルニア人の女がどう思うかが分からないですが、やります」

「済まないな。帰国早々こんな酷い仕事をさせて」

「俺の容姿の活用方法です。使えるのだから使ってください」

 ルミカと幾つか要点を確認してから、グルニア人達の入れられた牢に向かう。

「ハリード、帰っていいぞ」

 ハリードは兜頭のまま、ルミカを見て硬直した。ハリードにとっては、いきなり天敵が現れた様なものだ。外交官として赴任する前、ルミカはハリードに城の中層の仕事をさせようと、追いかけ回した事があるのだ。

「何だよ?俺が帰って来て文句あるのか?」

 ルミカが横柄に言うと、ハリードは震え上がって走って行った。

「あははは!」

 笑い出すルミカを窘める。

「お前なぁ……」

「オズマの息子なんて、何処かで滅びればいいのです」

 ミハイルと言う弟もいるのだが……今は言わない方が良さそうだ。

 グルニア人達は、俺達のやり取りにも殆ど反応しない。

 特に女であるミラは、風呂も入れず水浴びのみで、与えられた普段着の着方も分からなかった。それで、ディアに頼んで必要な時だけ世話をしてもらっている。

 ディアは侍女として礼儀正しく接しているが、ミラに対して気安さは一切ない。ディアなりに怒っているのだと俺でも分かる。

 そんな状態なので、最近は座ろうともしない。横になったままだ。

 俺達は視線を交わした。……この気位の高い、強情な皇女をどうにかしなくてはならない。

「ミラ皇女、あなたを中層の部屋へ移したい。だから、専用の護衛を付けようと思う」

「断る」

 ミラはこちらを見ようともしない。

「護衛に付けるのは、俺の弟のルミカだ。ルミカ・バウティと言う。序列三席の騎士になる」

 ミラは寝たまま、胡乱な目をこちらに向けた。

「ルミカと申します。姫様」

 ルミカは丁寧に挨拶をして、笑顔を作った。ローズ曰くの嘘臭い笑顔だ。

 その途端、ミラはむくりと起き上がってルミカを見た。

 ……国籍を問わず、少年時代から美少年として女が勝手に釣れた顔。グルニア人の皇女もあっさりと釣れた。

 ミラは、ルミカに見惚れた後、ぼそぼそと言った。

「この者達も、牢から出して欲しい。そうでなければ、応じられない」

 それにルミカが相変わらずの笑顔で応じた。

「ええ、勿論です」

「本当か?」

「はい。ただ……中層に移るには、魔法を阻害する薬を飲んでいただかなくてはなりません」

「毒を盛るつもりか」

「いいえ、ロヴィス伝来の魔法封じの薬です」

 俺がポケットからニルガナイトの粉末を包んだ薬包を数個、ルミカに渡して牢の鍵を開けた。

 ルミカは薬包をもって、牢の中へと入っていく。

 エゴール達が立ち上がったが、ミラがそれを片手で制した。

「怪しい物ではありません。ただ魔法の力を吸う薬だそうです。これを飲んでいただかないと、牢からお出しする事が出来ないのです」

 ルミカはそう言って、エゴール達にも薬包を渡した。

 エゴールが渋い顔になり、ガルゴとレフと言う若い男達も、嫌そうに薬包を見つめている。

「ニルガナイトか……」

 エゴールが呟く。どうやら知っていたらしい。

 ミラも嫌そうに薬包をつまんでいる。

「知っている。ロヴィスで飲んだ。凄く苦い粉だ」

 苦いのか……。味は知らなかった。

 ルミカはミラの前で膝をつくと、上目遣いでミラを見つめた。

「お願いです。それを飲んで、俺と一緒に中層へ移っていただけませんか?俺と一緒に過ごしましょう」

「過ごすとは?」

「お茶をしたり、お喋りするのです。もし姫様が信用できるとなれば、こちらの護衛達にも自由に会えるようになりますし、庭園で散歩も出来る様になるかと思います」

 ルミカの本性を知っているだけに、非常にむず痒い気分だ。

「上層にある空中庭園はとても美しいのです。年中花が咲いていますし、この庭園にしか居ない鳥も見られますよ。桃色の小さな鳥で、花の蜜が好物なのです」

「そんな鳥が本当に居るのか?」

「はい。花の蜜を好む鳥は他にも居るそうですが、桃色をしているのはポート城の空中庭園の鳥だけなのです」

 想像しているのか、少しぼんやりしているミラに、ルミカは続けた。

「このままでは、お体に障ります。若い女性がいつまでもこんな場所に居てはいけません」

 ねだる様にルミカは言った。

「どうか俺と一緒に来てください。ね?」

 エゴールは、俺を睨みつけている。……この様な手は卑怯だと言いたいのだろう。他の二人の護衛も。しかし、誰も口を挟まなかった。ルミカが言うまでもなく、護衛達もミラにきちんとした部屋に移って欲しかったのだ。

 ミラはルミカのおねだりに、耳まで真っ赤になって頷いた。

 部屋は既に準備されている。ミラは不味そうにニルガナイトを飲んだ後、ルミカに付き添われて中層へと移動した。

 ミラが居なくなり、男達の視線は一斉に俺の方を向いた。

「あの男は、本当に貴殿の弟なのか?」

 エゴールが開口一番そう聞いて来る。似ていないからだろう。

「本当だ。あれでも歴としたリヴァイアサンの騎士だ。隙を突いて皇女を取り戻そうなどと思わない事だ。協力する限りミラ皇女の命は保証しよう。ニルガナイトの服用効果が確認できれば、中層に部屋を用意するし、皇女との面会も可能だ」

 ルミカと全く同じ条件を提示すると、エゴールはため息を吐いた。

「応じる以外の道を断たれた。俺達には選択肢が無い」

「分かったなら、ニルガナイトを飲んでもらおうか」

 俺の言葉に、三人は嫌そうにしながら従った。相当苦いらしい。

「今から牢の前の見張りは解除するが……異変があればミラの命に関わると思え」

「卑怯者め」 

 レフが低い声で言う。この男はラシッドにもかなり噛みついていたと聞いている。まだ二十歳前後だろうか。若造だ。

「やめろ、レフ」

 ガルゴが止めている。俺があばらを砕いた男だ。エゴールの様な中年ではない。若いがレフよりは年上だ。

「お前達は国際犯罪者で、あの皇女は殺人犯だ。グルニア帝国からの使者と言う体裁を整えて城の中層に迎えてやるのに、卑怯者なのか?」

 レフは押し黙る。……グルニア人と言うのは、自分達が一番偉いと思っているから質が悪い。

 こうして、グルニア人の見張り問題に決着が着いて、ようやく訪れた一時の平和に俺はほっと息を吐く。俺も昨日出仕してから館に帰っていない。早く帰りたいが、仕事を片付けている内に夜になった。

 クザートが館から戻って来たので、一緒に中層のルミカの所へ行く事にした。

 扉をノックすると、ルミカが顔を出した。

「寝てるから大丈夫」

 そう言って、ルミカはするりと部屋から出て扉を静かに閉める。

 少し離れた場所で、兄弟三人で再会を喜んだ。前回ルミカがポートに来た時以来だから、二年近く前になる。

「クザート兄上、お久しぶりです」

「ルミカ、相変わらず老けないな。お前何歳になるんだっけ?」

「今年の秋で三十一になります」

「うわ。詐欺だな」

 そうして少し兄弟でどうでもいい話をした後、ルミカは俺達が来た目的を悟って話し始めた。

「皇女に関しては心配しなくていいですよ。俺は他の仕事を手伝えなくなりますが」

「構わないが……目的は果たした。あまり深入りするな」

 思い込みの激しい女は、男への当てつけで簡単に命を落とす。ミラはそう言うタイプだ。煽り過ぎて叩き落せば、粉々に砕け散る。その破片はルミカを傷つける。

「そうは行きませんよ。俺はあの皇女の矜持を壊すつもりです」

 ルミカは怒りの表情を浮かべた。

「あの女、ローズの目の前で人を刺したのでしょう?昨日は普通にしていましたが、ジョゼ達に聞いたら、ローズは夜眠れなくて起きている時も多いと聞きました」

 ジョゼと言うのは、うちの古くからの使用人だ。俺達が子供の頃から居る。

「聞いたのか」

「俺は兄上の膝で眠っていたローズを見ています。寝たら朝まで起きないと兄上は言っていたではありませんか。そんな女が眠れなくなるなんて……」

 ルミカは、心底悔しそうに言った。

「俺もそれは思うよ」

 クザートも同意する。

「でも、やり過ぎてジルに負担をかける様な真似はするなよ。ローズちゃんへの負担にもなる」

 ミラの事で騒動が起これば、俺は対処する為に館に帰れなくなる。

 クザートは、それでルミカに釘を刺してくれたのだ。

「しかし、俺はローズを泣かせてしまいました。だから……」

「「泣かせた?」」

 俺とクザートの言葉に、ルミカは渋い表情でアネイラ・リルハイムと別れた事と、それによってローズを泣かせた経緯を白状した。俺が眉間に皺を寄せて睨むと、クザートが仲裁に入った。

「ルミカ、ローズちゃんの敵討ちよりも、やるべき事があると思う。アネイラちゃんを放って置いていいのか?」

「それは……」

 ルミカは気まずそうに言葉を濁した。別れを告げた女に謝罪とか復縁を乞うとか、恐ろしい程のプレッシャーだろう。逃げ出したい気持ちも分かるが、ローズの言い分通りであれば、アネイラ・リルハイムの身に何が起こるか分からない。早急な対処が必要だ。

「伝書鳩を使え。シュルツ殿下宛にアネイラ・リルハイムの保護をお願いしろ。お前の婚約者になるからと」

「それが……シュルツ殿下はパルネアに居ません」

「どういう事だ?」

 ルミカは言い辛そうに切り出した。

「今、グルニアでパルネア人の傭兵団が大きな支配力を持っている状況なのはご存知ですよね?」

「ああ、報告書は読んだ」

「パルネア人の傭兵団で、実質指揮を執っているのはゲオルグ・ランドンと言う四十絡みの男です。とてつもなく強いのですが、この男は団長ではありません。ヴィヴィアン・ロレットと言う女傭兵が団長です」

「女が傭兵団の団長なのか?」

「はい。ゲオルグ程ではありませんが、腕は立ちます。女だからと甘く見る事はできません。魔法の使い手ですので」

 女傭兵で魔法使い……。

「そのヴィヴィアンなのですが……セレニー様によく似ていました」

「は?」

 クザートが間抜けな声を出した。

「金髪に緑の瞳の色までそっくり同じで、パルネアの王族そのものでした。俺はヴィヴィアンの魔法を食らい、ギリギリだったゲオルグとの戦いで深手を負いました。それで、ジュマ族に運ばれてパルネアに逃げ帰る事になりました」

 シュルツ殿下もセレニー様も見知っているルミカが言うのだから、ヴィヴィアンの事は本当なのだろう。俺にも心当たりがある。セレニー様が以前話していた、第一王女の話だ。

 しかしルミカが負傷した話の方が今は気になる。弟の様子は明らかにおかしい。

「何度も何度も、夢に見るのです。あの時の事を……」

 ルミカの小さな呟きに、俺達は状況を悟った。

 ルミカは、パルネア人傭兵に騎士としての矜持を折られ、恐怖を植え付けられてしまったのだ。

 女と別れて来た理由が見えた。傷が癒えても、屈辱と恐怖が心に根を張っているのだ。それに苦しみもがいて、周囲の事が見えなくなっていたのだ。それは今も続いている。

「ルミカ……」

「今回の件で、シュルツ殿下が特使としてこちらに向かわれています。だから、シュルツ殿下にお願いするのは不可能です」

「分かった。……お前からパルネアの国王陛下に直訴するよりも、クルルス様に頼んでもらう方が早いだろう。話は俺から通す」

「迷惑ばかりかけて……俺は……」

 悔しそうに、ルミカはきつく目を閉じて俯いた。クザートが乱暴にその頭を撫でた。

「よく無事に戻って来た。おかえり」

 クザートがそう言うと、床に水滴が落ちた。

 ローズの気持ちは分かる。しかし俺は異国で一人傷ついた弟の心が、ただ痛ましかった。

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