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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
愛しいあなたへ恋文を
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誓いの砂浜

 せっかく出かけるのに、ランバートの為などに着飾っているのが気に食わなかった。俺と出かける時は、大して凝っていない普通の服を着ていたのだから、当然だ。

 何から何まで、今まで見た事が無い様なローズだった。確かにどこに行っても恥ずかしくない姿だったが……そこまでしなくてもいいと思ったのも事実だ。

 俺は激務で疲れている。ローズの為の時間は俺の為の時間でもある。ランバートに持っていかれたのだから、機嫌が悪くて当たり前だ。更に機嫌が悪くなった。

 途中でグルニア人や魔法の話ばかりする場所にローズが居て、平気な筈がない事に気付いた。

 それでも、ローズは帰りたいとは言わなかった。平気なふりをし続けた。

 ランバートもローズを先に馬車に乗せた後、気付いていたのか小声で俺に言った。

「事件から間もないのに、ローズ殿にあの様な話を聞かせて悪かった。配慮が足りなかったね。この埋め合わせは必ずしよう」

「何故……ローズを連れてくれば、俺と話が出来ると思ったのですか?」

「ファナがいつも言うのだよ。ローズ殿は素晴らしい侍女だと。セレニー様の全幅の信頼を得ているとね。我らの女神が信頼する女性なら、君との縁も繋いでくれそうだと思ったのだ。事実そうだった」

「ファナの体調不良というのは、どのようなものですか?俺の母親達なら経験者なので、助けになるかと思います」

「そうか。だが今は馬車で移動させる事が出来ない。つわりなのだが、かなり酷い。とは言え、君のお母さん達は大層な人気者だから、来てもらうのも難しそうだ」

 耳かきのサロンは、予約で一杯で母さん達は忙しい。サロンは既婚女性の社交場と化して来ている。

「コピートは気付かないのですか?」

「それだけ館に居ないと言う事だよ。君達の激務も心配になると言うものだ」

 さすがに俺も、それはまずいと思う。

 俺は馬車に乗ると、今日の話を考えていた。俺は政治の事はある程度知っているが、意見する気など無かったから、考えた事が無かった。騎士団の仕事で精一杯だというのに酷い話だと思う。

 それでイライラしていたが……ローズに当たる事では無かった。

 ローズは誰にでも頼りにされる。頼って良いと思わせる何かを持っている。

 誰かが困っているなら助けなくては。と言うそれだけの気持ちで、ローズは動いてしまう。

 ランバートが困っているのを理解したし、セレニー様の顔を潰さない為にも俺に付き合ったのだから、服も髪形も化粧も、きっちりしていたのは当然だった。

 無理をしていた。装いも態度も……全てに頑張っていたのに優しくしてやれなかった。

 ちょっと悲しそうな顔を見るまで、俺はそれに気づかなかった。

 気付いた瞬間、勢いで誘っていたが、暗くなる。行く場所がない。婦女子を酒場に連れて行くとか、絶対に無理だ。……ふとある場所が思い浮かぶ。ずっと忘れていた場所だ。

 ローズがどうしても着替えたいと言うので、俺も着替える事にした。他にアテも無い。喜ぶかどうかは分からないが、機嫌を直してもらわなくてはならない。

 エントランスに出て待っていると、いつもの淡い色の普段着に着替えたローズは髪の毛を結っていなかった。

「ずっと髪が引っ張られていたから、禿げそうなの」

 まだ不機嫌そうに言う。さっきよりも今の方が可愛いと思うが、その感想を言うと怒られそうなので黙っていた。

 使用人が馬車を片づけていたが、それを止めてローズを乗せた。暗いポーリアの町を移動する。

 ポーリアの港は、岸壁に囲まれているが、少し離れた場所に小さな砂浜がある。地元民だけが知っている場所で、夜に行く者は居ない。

 俺が来たのはだいぶ前だ。夜だった。ルミカが騎士になった年だから……本当にずっと前だ。

 暗くなってきたので、馬車を停めてランタンに火を入れる。

「どこに行くの?」

「行けば分かる。……疲れたか?」

「大丈夫」

 ローズの頬を軽く撫でて、再び馬車を動かす。

 暫くして、目的地に到着した。

 ランタンを腰の金具に付け、馬車からローズを抱き上げて下した。

 その後、横抱きにしたまま砂浜に入る。

「ジル……」

「足元が悪いから、運ぶ」

 サクサクと砂を踏む足音に、ローズの戸惑いの声が聞こえる。

「ここは?」

「ちょっと待て」

 やがて、青白い光でうっすらと辺りが明るくなる。俺はローズを立たせると、ランダンの明かりを消した。

「ジル、これは何?」

「ポート湾に沈んでいる何かに……反応しているのだ。俺が」

 明るくなるにつれて、俺自身が発光している事が分かってきて、ローズが目を丸くする。

「どうしてこうなるのかは知らない。でも、ここではこうなるのだ。ここはリヴァイアサンの騎士が叙勲したら必ず訪れる場所……誓いの砂浜だ」

 地元でも誓いの砂浜と呼ばれているが、本来の理由は殆どの者が知らない。普段は子供達が遊ぶ砂浜でしかないのだ。

「あそこだ」

 だいぶ先の海が、ぼんやりと明るくなっている。

 遠いので、ローズが背伸びをして見ている。

「あそこに……何かがあるのだ」

「誰も、知らないの?」

「知りたくても無理なのだ。……あそこは死者の海だ。俺達でも潜水出来ない深い海溝がある」

 ローズは、まじまじと俺を見ている。

「人が光っているのなんて、初めて見た」

「リヴァイアサンの騎士は叙勲をすると、見届け人と一緒に来て、リヴァイアサンの騎士である証明をする。しきたりだ」

「証明……ジルもしたの?」

 俺の過去を知っているから、心配そうだ。

「兄上と一緒にした。ルイネス様が、ここまでわざわざ来て下さった」

「そっか」

 嬉しくない思い出だから、それ以上は言わない事にした。

 ルイネス様に、本当に光ってやがる。とか言われて、腹を抱えて笑われたのだ。ルミカの時には、クルルス様の護衛として付いて来て、ほぼ同じ反応をされた。俺は仕えている王族の親子に、二度も発光している事で笑われた事になる。

 二人で黙って沖を見る。

「どうして、連れて来てくれたの?」

 暫くしてローズはぽつりと言った。

 ずっとその理由を考えていたが……何も思い浮かばなかったから正直に告げる。

「勢いで誘ってしまったが、夜に出掛けて安全な場所が他に無かった」

「え?それだけなの?」

 そう思うよな。

 しばしの沈黙の後、俺は上手く伝えられない言葉を連ねる。

「今日は色々と悪かったと思っている。だから、その……機嫌を直して欲しい」

 何日も口を利いてもらえなくなると思った瞬間、息苦しくなった。部屋に籠られたくなかったから連れ出したに過ぎない。逃げられない場所に連れて来て許すと言うまで帰らない。卑怯だとは思うが、俺はそれしか思いつかなかったのだ。

 ローズは困った様に俺を見ていたが、やがてため息を吐いた。

「光っている人を許さないとか言ったら、罰が当たりそう。拝んでもいい?」

「勘弁してくれ」

 本気でそう言うと、ローズは噴き出した。俺もつられて笑う。

 暫くして、ローズは言った。

「靴脱いでもいい?」

「ああ」

 ローズは靴を脱いで裸足になると両手に靴を持って砂を蹴った。

「この感じ。懐かしい」

 パルネアには砂浜など無い。ローズの感覚は前世のものだ。

「星の砂って知ってる?砂粒が星の形をしているの。それが詰まった小さな瓶をお土産で買った事があるんだ」

「砂粒が売れるのか?」

「瓶にね、幸せを運ぶ星の砂って書いてあったの。ポート人は夢が無いから、騙された馬鹿だと思っているでしょ?」

「そ、そんな事はない」

 思わず噛んだ俺の答えに少し笑って、ローズは沖を見た。

「旅行、楽しかったな。急に思い出しちゃった」

 俺はぎょっとしてローズの額に手を当てる。ローズは前世の記憶を取り戻す時に、一時的にだが高熱を出すのだ。

「大丈夫。思い出してはいたけど、考えない様にしていただけ」

 ほっとすると、ローズは言った。

「日本の両親と旅行に行った時の事……ずっと楽しかったと思えなかったの。でも今は普通に楽しかったと思える」

 ローズは俺の方を向いた。

「ジルがずっと一緒に居てくれたお陰で、嫌な気持ちは無くなっちゃったみたい」

「ローズ……」

「凄く光ってるね。神様みたい」

 ローズは両手の指を絡めて胸の辺りで組む。

「どうか、私を守ってください。ジルムート様」

 芝居がかった言い回しに、からかわれていると分かった。

「守る。だから拝まないでくれ」

 眉間に皺を寄せて言うと、ローズは噴き出した。

 暫くして、ローズは静かに言った。

「光っていなくても、ジルは私の前を照らしてくれる道標だよ。……無責任な事を言って、ごめんね」

 攫われた直後に交わした会話の事を思い出す。

 ローズは少し口を閉ざした後で言った。

「私、誰かの役に立たないといけないっていつも思っていたの」

 ローズは子供である無力を噛み締めたまま死んだ。前世の母親に楽をさせてやりたかったのに、その願いは叶わなかった。行き場の無い思いが、そのまま今に反映される事になったのだ。

「十分に役に立っている。だから、必要としている者の事も考えてくれ」

「うん」

 ローズは少し笑う。

「ジルって寂しがり屋だよね」

「そうか?」

「お母さん達もクザートもルミカも、ずっと一緒に居たものね」

 ちょっと恥ずかしくなって話の矛先を変えた。

「ローズはどうだったのだ?」

「一人っ子だけど、一人は無かったかな。お祖母様はいつも家に居たしアネイラと一緒だったから」

「その……アネイラ・リルハイムとは何故そんなに仲がいいのだ?」

「境遇が似ていたの。元貴族で借金持ちな上に、家にいる大人が家事のできない人だって所が。だから、二人で一緒に覚えたの。掃除も洗濯も料理も」

「そうだったのか」

「私は前世で母親と機械がやってくれた記憶があったから、凄く辛かったのよ。よく夜に泣いた」

 ローズは苦笑する。

「氷みたいな冷たい川の水で洗濯をして手が痺れても、洗濯物はすぐに増えるし、暑くなると家の中は蒸し風呂みたいになって、水も野菜も肉もあっと言う間に腐ってしまう。そのままにしておいても状況が酷くなるだけだった。誰かに何とかして欲しかったけれど、その誰かが居ないの。それを受け入れられなくて、何年も自分を嘆いて泣いた。アネイラが一緒でなければ、今も泣いていたかも知れない」

 とても便利だったと言う前世の記憶が無ければ、そこまで辛く無かっただろうに……。そんな風に見えないが、ローズはローズなりに、前世持ちと言う異能に苦しめられていたのだ。

「お祖母様は優しい人だったけれど、家事をする事を無意識に拒んでいる感じだった。貴族のお嬢様育ちで、古い考え方の人だったから。アネイラの家もお父さんは道楽商売以外は何もやらなかった。私達がやらなくてはならなかったの」

 ローズは遠くを見て言った。

「街の人達が優しくしてくれたんだ。一人だったらなかなか聞けない事も、二人だったら聞けた。パルネアの城下町の人達は優しい人ばかりだったの。だから親の仕事が忙しくても、寂しいと思った事が無かった」

「……帰りたいのか?」

 帰りたいと言うなら、叶えてやれる。ランバートはローズに借りがある。きっと議会で文句は出ないだろう。

「帰らないよ。セレニー様が帰れないのに私だけなんて。それにジルが寂しいでしょ?」

 一緒に行くに決まっているだろう!……とは言わなかった。俺は今忙しい。長旅は無理だ。

「お前の願いは無いのか?耳かきの事以外で」

 ローズは耳かきへのこだわりが強すぎて、俺が関与できないレベルになっている。他の事なら、何とかできるかも知れない。

 ローズは少しだけ黙った後、恥ずかしそうに言った。

「もう、叶ってる」

 ローズは真っ赤になって黙った後、小さな声で言った。

「本当は……素敵な男の人と恋をしたかったの」

 一瞬息が止まって、思考も止まった。

 ローズは俺の様子に気付かないまま、視線を下に向けて続ける。

「遊びの恋やお試しの恋愛なんて、不器用な私には無理だった。本気になって別れてしまうのはもっと嫌だった。アネイラには臆病者って笑われたけれど、その通りだから言い返せなかった。だから諦めていたの。その願いをジルが叶えてくれた」

 波の音しかしない。俺もローズも沈黙する。

 やがてローズが視線を上げて俺を見た。不安そうに揺れる目を見て、思わず手を握った。

「まだ満足するな。もっと一緒に居たい。ローズもそう思え」

 ローズは驚いてから、少し笑った。

「命令なの?それはちょっと嫌かも」

 そう言って小指を出した。

「小指出して。日本の方法で約束しよう。誰も知らない秘密の約束」

 俺は、素直にローズを見習って小指を出した。

 ローズは小指に小指を絡めると、不思議な呪文を呟いた。

「指きり、嘘吐いたら針千本飲ます。指きった!」

 ぱっと、絡んだ指が離れて行く。

「怖い呪文だな」

「こっちの言葉だと上手く曲に合わないから仕方ないの。もっと楽しい感じなのよ。……これで一緒に居ようって約束を破った方は、針を千本飲むの。どう?」

「いいだろう。そんな事にはならない」

「どうかな?」

「勝手に疑っていろ」

 俺達は手を繋いで砂浜を少し歩き、星空を眺めてから館に帰った。

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