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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
愛しいあなたへ恋文を
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議長ランバート・ザイル

ミロ工房……下着屋工房。高級女性下着を専門に扱っている。ノックスとは縁戚関係にあり、上得意客の場合、採寸を共有し、服とセットで下着を作る。ちなみに工房の職人は全員男性なので、採寸も男性になる。裸ではなく細長い包帯の様な布で体全体をまず女性(職人の妻や娘)が覆い隠し、その状態を採寸する。女性が職人になる文化が無い為である。

 ビルド・ノックスが上機嫌で私の恰好を見る。

 ノックスは服の仕立て屋で、ポーリアの流行を作っていると自負している。

 既に息子であるグラン・ノックスがノックスの店を継いでいて、引退したビルドは趣味の世界に入っている老人だ。

 パルネア人の服を作ってみたいと言う希望から、私の服を作ってくれている。ディア様とモイナの服も、ビルドが作っている。

 グランも異民族の服を作りたい様なのだが、ビルドには逆らえないらしく『奥様から一度でいいので、ご指名をお願いしたのですが』なんて言われた事がある。

 それで指名してみたのだが、結局来たのはビルドだった。……裏工作がバレたらしい。

 ちなみにミロの下着屋による採寸が頻繁にある事から、私の羞恥心は摩耗した。ディア様が今、ポートの現実に苦しんでいる最中だ。

「とてもお似合いです。奥様」

 ビルドは満面の笑みだ。

「落ち着かないのですが」

「ドレスと言うのはこういうものです。お分かりでしょう?」

「そうなのですが」

「着慣れていないのは分かります。でも似合わないとは思っていないでしょう?」

「まぁ……はい……」

 長年、セレニー様のドレス選びをしていた身だから、それなりのセンスはあると思っている。

 でも、着慣れない物はやっぱり落ち着かない。

 まず色が凄く自己主張している。鮮やかな赤なのだ。私は、こんな激しい色の服は着た事が無い。

 着る前は、ドレスの色に自分が負けると思っていたが、想像と違ってそうはならなかった。ビルドの感性には驚かされる。

 次に、首の当たりがスースーするのが落ち着かない。

 セレニー様には平気でこういうデザインを勧めているのに、自分になった途端物凄く無防備になった気がしてしまう。

 分かっているのだ。ネックレスをしてしまえば、全然首元が寂しく見えない事くらい。

 悔しいが、着慣れていないだけで文句を付ける所が無い。

「ランバート・ザイルは、パルネア産の布を降ろしている老舗の主ですので、ドレスは必ず見ますよ。ご自分とジルムート様の為だと思って我慢して下さい」

 慌てて言う。

「我慢だなんて……とても素敵です。短い時間で仕上げて頂いて、とても感謝しています」

「いいって事ですよ。じゃあ、靴と宝飾を選びますか」

「はい」

 私は今、城への出仕を休んでいる。

 もう半月程になるのだが、ずっと家にこもっている。

 嫌な事を考えない様に、館の掃除をしたり、料理をしたり、洗濯物の染みと戦ったりしている。ぼんやりしていると、嫌な事を考えると気付いたのだ。外に出るのは、やはり気が進まない。

 何も考えずに歩いている所をいきなり攫われると言う経験は、想像以上に心を蝕んでいる。

 それで、一緒に出掛ける為にジルムートが休みを取ったのだが、予定していた場所に出掛けられなくなってしまった。

 議会の議長であるランバート・ザイルが、私達を夫婦で食事に招待したいと言って来たのだ。……ジルムートの休みに合わせて。

 私の抜けた穴を埋める為に、リンザの妹であるウィニアを侍女にする際、ランバートにウィニアを養女にしてもらったと言う借りがある。

 礼もまだ言っていない。この申し出を断る事は出来ないと判断した。

 議会の総意を左右する様な実力者だ。断れば、騎士団もセレニー様も印象が悪くなるのは目に見えている。

 正式な食事会である為、普段着と言う訳にはいかなくなった。ジルムートは何処でも騎士団の制服で行けるのだが、お仕着せにはそこまでの万能性は無い。

 それでドレスを急遽作らなくてはいけなくなり、今に至っている。

 今の肩書は、ジルムートの妻と言う事になる。ポート騎士団序列一席婦人。そんな肩書使った事が無いから、すっかり忘れていた。

 マナーに関しては問題ないだろうが、政治家が相手だと思うと、居心地が悪い。

 騎士達の様に率直に話をしないし、研究者のアリ先生の様に好奇心と理論で話す人とも違う種類の人種だ。

 私は侍女だからそう言う人達を眺めていた事は何度もある。しかし実際に対話をする機会は無かった。……侍女は彼らにとって部屋の備品と変らないからだ。

 備品で良かったのに、たった一回の食事の為にこんな服まで作って話をするとか、何の冗談かと思う。

 今はグルニア人の事があるから、議会と騎士団が喧嘩をしていられる状況では無い。筋を通して音便に館に帰って来るまでが、使命と言える。

『いきなりのご招待をお許しください。奥様も交え、親交を深める為にも、食卓を囲んで頂く機会を儲けたいと考えています。我が家にお越し頂けるのを楽しみにしております』

 一対一で話すのは怖い。だから私も連れて必ず来い。大事な話がある。

 私にはそう読めた。

「何でローズが行かねばならないのだ。俺が行けば十分だろうに。飯など食わなくても用件を言えばいいのだ」

 腰を据えて話したい事があるのだろう。

「ジル、クルルス様とセレニー様の為だから」

「俺がどれだけ周囲に仕事を負担させて、今回の休みを取っていると思っているのだ」

 申し訳なくなって思わず謝る。

「ごめんなさい」

「ローズは悪くない」

「でも、こんな忙しい時にお休みなんて、グルニア人の見張りはリヴァイアサンの騎士が交代でやっているのに……ジルが一日抜けるのは負担が大きいと思う」

「だからその休みをローズの為に使うなら、俺も皆も納得できるのだ。休みのど真ん中の時間に呼び出して、拘束するつもりのランバートが許せないのだ」

「ランバート様と話をする機会すら持たなかったからツケが回って来たんだよ。同じ国で同じ主に仕えているのに、ロクに話をしてこなかったのでしょ?」

「政治に騎士団は介入しないからな」

「それでも情報を共有して一緒にやらなきゃならない事が今はあるの。……我慢して」

「ローズは嫌ではないのか?」

「嫌よ。でも、私が逃げてポートに何か起こってしまったら、それこそ困るから」

 私の言葉を考慮して、ジルムートは渋々出席の返事を出した。

 そこからドレスを用意する事になった。宝飾も小物も買ったりしたので、結構かかった。

 自分を飾り立てるとなると、やる気が急激に無くなるのだが、ジルムートが侮られない程度に派手にしなくてはならない。一回の食事で人に会う為に、散財してしまった。

 ビルドが帰り、一通り着ている物を片づける前に、鏡の前に立ってみる。

「こういうの、着る機会なんて一生無いと思っていたのに……」

 呟きつつ、ドレッサーのピンと髪飾りを漁る。

 髪形も考えなくてはならない。もういい年だから、それなりに落ち着いた髪形にしなくてはならない。結婚した頃は『若奥様』と言われていたのに、今は皆『奥様』という。

 いつまでも若くないのだと、最近思う。

 ランバートって、どんな人なんだろう。

 顔は知っている。政治家にしては若い人だった。確か四十代だと聞いている。パルネアの綿花や絹糸を買い付け、布にして世界中に売っている人で物凄いお金持ち。

 それくらいしか知らない。

 そんな事を考えながら、髪形を色々と変えて、しっくりくる形にまとめる。

 こんなものかなぁ。

 セレニー様なら妥協しないのだが。……そう言えば、服装を見る人って、そういう隙も見るんだっけ……。気合を入れた髪型に結いなおして検討する事にした。

 その日からは髪の毛も普段より梳く回数を増やして香油を塗る。風呂上りにはべたつかない程度に肌にも薄く香油を塗り込みながらマッサージ。美容の技術は持っているのだ。自分の為に使わなかっただけで。

 日頃の労働のせいもあって手に関しては間に合わなかったので、レースの手袋をする事にした。服とほぼ同色に染められた手袋は大変難しい品だったのだが、ギリギリで間に合わせてくれた。ビルドにもグランにも、迷惑をかけてしまった。

 当日、着替えて出て来た私を見た際のジルムートの反応が半端なかった。

 服を仕立てる事は言ったけれど、一回も見せていなかったのだ。

「何だ、それは!」

 ……思っていた反応と違う。ちょっとがっかりしながら言った。

「お金持ちの人と食事をするのに必要な服」

「ランバートの為にそんな派手な服を作ったのか」

「……私の趣味じゃないよ。ビルドさんにお任せしたらこうなっただけ。似合わない?」

 ジルムートが口ごもる。似合っているに決まっている。ビルドが作った服で私が認めたのだから。

「似合っているなら、一緒に出掛けてよ。ジルがセンスの無い侍女を妻にしたと思われない様に、精一杯盛ったんだから」

 盛装とは、よく言ったものだ。

 ジルムートは何か言おうとして、ため息を吐いた。

「食事程度の事だから、ここまで凄いと思っていなかった」

「凄い?」

「物凄く」

 褒められたみたいなので、気を取り直してそのまま出かける事にした。

 ランバートの館は、私があまり行かない区画にあり、いきなり馬車を降ろされたら迷子になりそうな場所にあった。

 白い……。

 ポートの石造りの家々は、皆、日本のごくありふれた石と同じ色をしている。騎士の館もそうだ。

 それなのに、ランバートの館は石造りなのに白かった。石に詳しくないから、どんな石で作られているのか知らないが、白い。

 お掃除が大変そうだと思いつつ、館の使用人に案内されて、盛って来て良かったと心底思う。

 想像通り、城並の高級家具の置かれた大きな食堂に通された。

 嫌味な感じではなく、本当に高級な物を厳選して置いている。

 特にタペストリーとカーペットの柄は凄く手が込んでいるのに、それを感じさせないさりげなさが恐ろしかった。明らかに年代ものだ。

 うっかり飲み物をこぼしたら……世界遺産級の敷物が失われてしまうかも知れない。何故こんないい物を食堂に敷くのよ!

 思わずカーペットに見入ってしまう。

「どうした?」

「あ、いえ、敷物があまりに見事なので、見ていました」

 こういう場所だとやはり敬語に戻ってしまう。そこは許して欲しい。

「奥様はお目が高い。我が家自慢のカーペットです。気付いて下さってとても嬉しい」

 声のした方を見ると、別の扉から男性が入って来る所だった。

 侍女モードで頭を下げそうになって、辛うじてそれを止める。

 今私はジルムートの妻としてここに来ている。頭を下げたら、ジルムートも先に頭を下げる事になる。

「素晴らしいです。あのタペストリーも素敵です」

「あなたはセレニー様にふさわしい侍女の様だ。その服も今年うちが流行らせるつもりの最新の色だ。とてもお似合いですよ」

 ビルドは分かっていてこれを作ってくれたのだ。何て素晴らしい人なのだろう。凄く助かった。

「お褒めに預かり光栄です」

 まだ頭を下げてはだめ。自己紹介も済んでいないのに、ペコペコしてはいけないのだ。こっちは嫌々来たのだから、感謝してはいけないのだ。……これはポートの流儀だ。

「奥様にはお初にお目にかかります。私はランバート・ザイルと申します。商人ではありますが、中層の議会に所属しております。本日はお越しいただき本当に感謝しております」

 ランバートがあっさりと頭を先に下げたので、私は驚いた。侍女である私に先に頭を下げるなんて。……この人は本当に私に助けて欲しかった様だ。

「ジルムート・バウティの妻のローズ・バウティと申します。本日はお招きいただきまして、ありがとうございます」

 ここでようやく頭を下げる。

 ジルムートは何も言わない。凄く機嫌が悪い。……挨拶くらいしなさいよ。

 間が持たないので、慌てて言う。

「主人はご存知ですよね?」

「勿論です。さあ、席にどうぞ。我が家の味をご堪能下さい」

 こんな風だから、大事な話が出来なかったのだろう。とりあえず、大人しく言われたままに席に座った。

 ジルムートは決して礼儀知らずではない。国王に仕えているのだから当然だ。ただ、護衛と言うのは殆ど話をしない。見守る仕事だ。だから噛み合わない。

 食事は順番に出されると思っていたら、皆並べられて、使用人が出て行ってしまった。

 ……給仕は私がするの?

 一瞬そう思って戸惑ったものの、この格好では無理だ。

「ローズ殿、マナー違反だがお許しください。欲しい物は旦那様に取ってもらってください」

 予想外のバイキング方式に驚いていると、ランバートは言った。

「ジルムート殿、お怒りなのは分かるが話を聞いて欲しい」

 ジルムートは返事をしない。

「ゆっくり食事を堪能できる時期ではないのは重々承知だ。だからこうした食事にしている。人払いも出来ている。これで譲歩してくれないか?」

 私がこっそり足を踏むと、ジルムートは渋々と言う様に返事をした。

「用件は何ですか?」

 一応、年長者には敬語を使う様だ。

「グルニア人と魔法の事だ」

 ランバートは続けた。

「まずグルニア人の事なのだが……うまくこちら側に付けられないだろうか」

「取引を持ち掛けていますが、ミラ皇女が頑固に抵抗しているので、難航しています」

「問題は、やはりミラ皇女か……」

 人を刺したお姫様か。

 そう思うと食事の手が止まりそうになった。しかし、様子がおかしくなったらジルムートが出て行くとか言いそうなので、無理矢理食べる事にした。

「いっそクルルス様の愛人として囲ってしまってはどうだろうか」

 ジルムートがぎょっとする。私も飲み込みかけていたものが詰まりそうになった。

「一夫多妻は廃止されましたが」

 低い声で言うジルムートに、ランバートは慌てて言った。

「そう言う事を言い出す者が出てきていると言う話だ。勿論、私ではないよ」

「クルルス様がセレニー様の嫌がる事をする訳がないでしょう。ミラ皇女も気位だけは高いので、受け入れられずに自害しかねないです」

「そうだよね。皇女殿下だもんね。愛人なんて無理に決まっているのに、議会で結構凄い勢いの話になっているんだよ」

「セレニー様の目の前でそんな話をするのですか?」

 ジルムートが驚いたように聞く。

「勿論、議題には上げないよ。そんな事でポートの女神から笑顔を奪うなんて、私が耐えられないからね」

 ランバートの言葉にとりあえずほっとする。私は再び二人の話を聞く体制に入った。

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