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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
地下の怪物
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セレニー・ポートの懇願

ルルネ・ハウザー……現在、上層で一番若い侍女。男性騎士に近い高身長と女性らしい体形を兼ね備えている上に派手な顔立ちで、外見だけ見るならローズより年上の妖艶な美女に見える。中身は内向的な上にドジっ子である為、苦労を重ねている。外見による苦労を知っているディアが、親身になって面倒を見ている。

 部屋でぼんやりと今日の事を考える。

 まさか攫われるなんて思っていなかった。

 モイナの誘拐未遂の件で誘拐は怖いと思っていたが、実際に攫われてみれば、想像以上だった。もう二度と御免だ。

 人が死ぬのも……久々に見た。

 私が最初に見たのは、自分が死ぬときだ。

 バイクの運転手は、顔こそフルフェイスのヘルメットで分からなかったけれど、おかしな方向に体が曲がっていた。それが最後の記憶だから、死人と言うとまずそれを考える。

 次に思い出すのは、パルネアの城下町で亡くなってしまう人達だ。

 城下町に来て、宿を取らないで外で凍死する人が居たのだ。

 何も知らなかった頃、アネイラと一緒に寝ている人を起こそうと触れて、その冷たさに二人して悲鳴を上げて逃げた。

 私の父は穀物の研究者をしているが、父の話では、パルネア平原でも土地の肥えている、痩せていると言うのがあるそうで、痩せている場所で暮らす人達は、絶望から凍死する道を選ぶ事があるそうだ。

 穀物の出来に差がある為、どれだけ精魂注いで育てても安価になる。土地の差という問題だから、どれだけ手をかけても殆ど結果は同じになる。自分こそは土地の不利を覆すのだと農業を続けた人程、心を蝕まれる。

 ……肥料はあるが、高級品で痩せた土地全てを潤すのは無理だし、品種改良されて良い出来の品種は、当然肥えた土地でも導入されるから、差は永遠に埋まらない。パルネアの抱える難題だ。

 そう言う人をちらほら見ながら育ったので、死はそんなに遠いものでは無かった。でも、人が目の前で刺されて死ぬのは初めて見た。

 血の匂い。消えていく命。動けないまま、行われた凶行。

 何の権利があって、人の命を奪うのか。

 悲しいばかりでは無い。怒りもある。

 理不尽に命を失う立場は、私自身経験しているからだ。

 怒りのままに言葉を吐いて、ジルムートに言われてしまった。

 私の命は私だけのものでは無いと。

 ジルムートは死んだ後、残される者がどうなるのかを知っている人だ。

 私は、自分の命を有効活用する事だけを考えていた。自分が居なくなった後の事を考えても、私は何も出来ない。そんな事まで考えていたら、頭がおかしくなってしまう。前世で残してきた母のその後を考えないのは、そのせいだ。

 ジルムートは分かっている。それでも考えろと言った。目を背ける事は許さないと言う圧力は、想像以上に強かった。

 その上、避けて来た子供と言う問題にまで言及している。

 私達は複雑すぎる物を抱えて生きて来た。

 子供と言う存在をお互いにどう扱っていいのか分からず、触れ合う事すらしなかった。

 私には前世の記憶がある。ジルムートには親殺しの過去と、歴代でも一、二と言われる強力な異能がある。

 どんな子供が生まれるか分からない。予想もつかない。だから二人して逃げた、と言うのが正解かも知れない。

 しかしその逃げを、ジルムートはもうやめると言ったのだ。

 ジルムートは逃げなくなっていた。その変化は毎日一緒に居て感じていた。異能が漏れなくなった。ずれていた年齢と感情の差が無くなって行く。そうなってしまえば、序列一席にふさわしい人にしか見えない。

 私よりもずっと強くて、辛い事を超えてきた男性だ。敬う気持ちが湧くのは、当然の事だった。

 同時に自己評価が一気に下がった。私は前世の記憶という人に言えない物を抱えたままの外国人侍女だ。それ以上でもそれ以下でもない。

 日本に居た時の様に、夫婦は対等だ。なんて気分で居るのは大変になった。

 夫が国の要職に就いているのに、侍女の仕事しかできない私が対等気分で居るのは、かなり痛いのではないかと自問自答を何度もした。

 気が強いとは思うけれど、心臓に毛が生えている訳では無い。

 だから考えない様にしていたのに、口を利かなかった時期にかなり考える事になった。許せば、そう遠くない内に全てを許す事になるだろうと言う事も分かっていたから、余計に考えた。

 そして、おかしな強迫観念を持つようになった。

 何でも同じ様に出来なくてはならない。というものだった。……出来る訳がないのに。

 そして私を庇った人の死に直面して、最大限に出来る事がセレニー様を守る事だと言う考えに囚われてしまった。

 確かにパルネアでも有事の際にはセレニー様を守る様に教育されていたが、あえて言う事では無かったと冷静になった今は思う。

 きっと攫われた衝撃もあって、どうかしていた。もう城にジルムートが居るのだから、私にもセレニー様にも害は及ばない。だから黙って守られていれば良かったのに。

 ……酷く傷ついた顔を見て、我に返った。

 後は言われる事を聞くしかなかった。反論を許す雰囲気は微塵も無かった。

 ぽすっと横に倒れた。

 お仕着せが皺になるが、もうどうでもいい気がした。

 ジルムートの事と刺された人の事を交互に考えて、酷く頭が疲れている。それなのに、感覚が冴えて休む事が出来ない。外は真っ暗だが、明かりを付ける気にもならない。

 コンコンとノックの音がした。

 ……ジルムートが来るには早すぎる気がする。誰だろう。大丈夫だと思うけれど、返事をするのも開けるのもちょっと怖い。

 そう思いながら恐る恐る扉を開けると、いきなり誰かが飛び込んで来て私に抱き着いた。

「わ」

 キラキラでいい匂いのするその人は、泣きながら言った。

「無事でよかった!」

 侍女の仮眠部屋は、王族の住む場所の側だが王族が来る事はまず無い。

「セレニー様……」

「恐ろしい目に遭ったのに一人で居たの?私の部屋にいらっしゃい。お腹は空いている?」

 甲斐甲斐しいセレニー様に、私は困りながら言った。

「でも、ジルムートにここで待って居る様にと……」

「ダメよ」

 有無を言わせない言葉と同時に、手を握られる。

「恐ろしい目に遭った妻に、暗くなっても一人で居ろだなんて!ジルムートの命令でも、それは私が許しません」

「あ、いえ、その……」

「安全な場所に預けて当然でしょう?私は王妃よ。私の側程、安全な場所は無い筈よ。序列一席なのに、何故それが分からないのかしら」

 言えない。まさかセレニー様の盾になって死ぬとか言ったせいで、怒られたなんて。

「とにかくいらっしゃい。ルルネ、明かりをお願いね」

 背後にはルルネが居て、静かに頷く。

 ルルネは女性にしては長身で、日本で言う所のモデル体型だ。しかも顔も凄く綺麗だ。

 派手な見た目だと言うのに、実は内向的だ。ドジっ子で恥ずかしがり屋だから、あまり話さない。でもとても優しく、聞き上手である為、上層では若い事もあり可愛がられている。まだ十七歳なのだ。

 見た目で誤解される為か、かなり傷ついている子なので、ディア様が時間をかけて面倒を見ると言って、今力を入れて教育をしている。優しい子だからだろう。カルロス様がとても懐いているのだ。夜勤を頼む事も多い。今日も夜勤なのだろう。

 セレニー様とルルネを見たら、妙にほっとしてしまった。

 セレニー様に手を引かれ、部屋に行くとディア様が駆け寄ってきた。

「ローズ!」

 ディア様にも抱きしめられてしまった。

「ああ、良かった」

 ディア様の暖かさに、気が緩む。

「ご心配を……おかけ……しました」

「泣いていいのよ」

 十分にジルムートに縋って泣いたのに、また涙が出てしまった。

 ディア様に縋りつく。

「ローズったら、ディアだと泣くのね」

 セレニー様の不服そうな、それでいて安堵した様な声がする。

「ローズからすれば主の前で泣く事すら、あり得ない事です。そんな風に言ってあげないで下さいな」

 そんな対話を恥ずかしく思いながらも、涙が止まらない。

「ジルムート様と一緒に居たかったのでしょうが、無理だものね。私もクザートに事情を聞きたくて下層に行ったのだけれど、会議中だから会えないと部下の人に言われてしまったわ」

「クルルス様が今、そちらに行っているわ」

 セレニー様は寝ているカルロス様を抱き上げて言った。

 ルルネがお茶を淹れてくれて、厨房で用意してもらったと言うパンとスープを持ってきてくれた。

「パンにクルミが入っています。元気が出ます」

 小さな声でそう言って、ルルネはセレニー様の後ろに立つ。

「泣くのって案外体力を使うのよ。食べた方がいいわ」

 ディア様にも促され、大人しく口に運ぶ。

 何?この状況。私だけが食事をして周囲に見守られているとか……。

 恥ずかしいのを誤魔化しつつ聞く。

「モイナは、大丈夫ですか?」

 ディア様は今日、夜勤じゃない筈だ。というか……セレニー様の前でプライベートな話題を振ってるし、もう頭が上手く働かない。

「ライナスが泊まり込みに行ってくれるそうなの。だからきっと今頃大喜びよ」

 モイナの初恋はルミカだったそうだが、今の恋の相手はライナスなのだとか。

 それなのにライナスが騎士団入りした事で会う頻度が減ってしまったのだそうだ。ルミカ程ではないが、異国風の顔立ちは確かに恰好良い。

「あの子、いい男ばかり見ているから、きっと結婚する時に困ると思うわ」

 ディア様は苦笑する。

 ディア様はとても心配性だ。まだモイナは七歳なのに。クザートもこういう所がある。感覚が似ている気がする。

 そんな事を考えていると、セレニー様が言った。

「ルルネ、カルロスをお願いね」

 セレニー様は寝ているカルロス様を、ルルネに渡して部屋から出した。……パルネア人だけの部屋だ。

「ローズ、今回人質にされた件に関しては議会で筋を通しておいたから、ジルムートの事は心配しないでね」

「セレニー様?」

「ジルムートが城の地下に居て、怪物に遭遇していたと言う話はクルルス様から聞いているわ」

 ディア様は既に知っている。だからここに居るのか。

「そうでしたか」

「実は、その事を結構多くの人が知っていたの。特に年配の議員ね」

「もしかして……怪物を放置した事でジルムートが責められたのですか?」

「そう言う流れに持って行こうとした議員達を、逆に失脚させて来たわ」

「え?」

「クルルス様が当然怒ったのよ。それを眺めていて、議員達の様子がおかしいのに気づいたの。それで怪物は何時から居たのかしらって言ったら、皆顔色を変えたのよ。そこからは……あっと言う間だったわ。地下の怪物はポートの王族だそうよ」

「王族ですか……」

「アクバル様と言うの。三十八年前に、禁書で動く死体にされてしまったそうなの。お義父様の前に皇太子だった方よ」

 ジルムートが産まれる前だ。そんな前の事までジルムートのせいにされては堪らない。

「きっとこれからポートは大変な騒ぎになるわ。怪物の件が片付いても、グルニア人の事があるから。それも分からず、騎士団の要であるジルムートを失脚させようなどと考える議員は、削がなくてはポートが危うくなる」

 為政者の顔。この前とは違う戦女神の顔だ。

「とにかく怪物の事は騎士団に全て任せて、解決の一報を待ちましょう。ジルムートとクザートがきっと何とかしてくれるわ」

「「はい」」

 私とディア様が一緒に返事をすると、改めてセレニー様は私の方を向いた。

「ローズ、ジルムートが迎えに来たら、暫く出仕を休んで養生しなさい」

「しかし……ルイネス様が心配です」

「こちらで部屋を用意する予定なの。お世話もこちらでやる予定よ」

 あんな事があったのだから、奥を閉めるのは当然かもしれない。もう決まったのか。さすがセレニー様だ。

「それなら、余計に人手が不足するのでは……」

「それで、リンザの妹であるウィニアを上層の侍女にしようと思うの」

 リンザの妹。確かウィニアと言うのは一番上の妹で十六歳だった筈だ。侍女になれる年齢ではあるが、オルレイの姓が問題だ。

「議会のランバートが、養女にすると申し出ているわ」

 もしそれが議長のランバート・ザイルだとすれば、凄い大物だ。

「ランバートの名前があれば、誰も批判は出来ないでしょう?騎士団でまた婚約とか養女と言う話になると、少し問題があるから助かったわ。リンザは了承しているし、ウィニアは侍女になりたいそうだから、多分このまま話が進むと思うわ」

「そうですか」

 ちょっといらない子になった気分を味わっていると、セレニー様は笑った。

「ローズ、今回は予行練習よ」

「予行練習……ですか?」

「あなたもいつか子供を産むでしょう。そのときあなたの居ない城で、私がちゃんと王妃をする為の予行練習」

 何てタイミングの良い話題。とりあえず苦笑して言った。

「セレニー様はお強くなられました。ディア様も居ますから私の不在など大した事ありませんよ」

 セレニー様は首を左右に振った。

「あなたは、私が十三の時から仕えてくれている特別よ。子供を産んだとしても、出仕を続けてもらわなくては困るわ。だから子供を産んでもずっと仕えてね。ディアと同じ様に、出来るわよね」

「はい」

 子供そのものの計画が……さっき決まったばかりだがそう答える。

 セレニー様は、ほっと息を吐いてから言った。

「ローズが突然居なくなるかも知れないと知って、心が壊れるかと思った。ディアが居てくれなかったら、泣き叫んでいたかも知れない。私……凄く頑張ったのよ。だから」

 泣き止んでいた目に、再び涙が浮かぶ。

「何処にも行かないで」

『セレニー様の目の前でお前が命を落とせば、セレニー様がどんな気持ちになると思う?』

 ジルムートに言われた言葉が、突き刺さる気がした。

「ご心配をおかけしました」

 ただただ謝る。私には、それしか出来なかった。

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