命の価値
フィル・ウッド……最年少の上層騎士で、二十歳。拷問人形で序列二十五席。母親が姉妹と言う関係から、ナジームの従弟に当たる。若年でナジームの顔を恐れない事から、あらゆる場所に使いに出される。上層のパシリ騎士と呼ばれている。ナジームの顔に耐性がある以外は普通の騎士なだけに、本人は少し不本意。
どうして、城でローズがグルニア人の人質にならねばならないのか。俺は伝令の話を聞いて、訳が分からなかった。
「俺も詳しい事は分かりません。ラシッド様が対応されています。城へお戻りください」
伝令の序列二十五席であるフィル・ウッドは、胸倉を掴まれてつま先立ちで焦ってそう言った。上層で働く部下だ。
「ジルムート、行け。ハザク様のお話はバロルと私で聞いておく、必要な事は後で城に行って話す」
アリ先生の言葉に俺は頷いた。
「お願いします」
すぐにフィルと共に馬に乗って城へ戻って地下に行くと、ローズは既に救出された後だった。
クザートが駆け寄ってくる。
「ジル、ローズちゃんは無事だ。ラシッドが助けた。上層の詰所に居る」
それを聞いて、すぐさま俺は上層へと急いだ。
一気に上層に駆け上って詰所に飛び込むと、ボロボロに泣いているローズが、俺を見るなり飛びついてきた。
何処も怪我が無いのを確認して、俺はラシッドに指示を出すとそのままローズを抱き上げて、上層にあるローズの部屋に連れて行った。
ローズは、言葉も出ない様子でしゃくりあげて泣いている。ベッドに座らせて背を撫でる。
ふと、お仕着せのスカートの裾やエプロンの端々に、血の跡が点々と付いているのに気づく。ただ誘拐されただけではない。ここまでの状態になるだけの事があったのだ。
ローズの血ではないと分かっているのに、胃の辺りが重苦しくなった。
「怪我はないのだな?」
分かっているのに聞いてしまう。ローズは頷く。
「怖かったな」
またローズは頷いて、泣き始めた。
ムスル・ハンだ。間違いない。……会った事は無いが、八つ裂きにしなくては気が済まない。馬鹿な癖に権力欲だけ強い従僕など、この世に居ても益は無い。俺がどうこうした所で、誰も文句は言うまい。
グルニア人も同罪だ。城に入り込んだ挙句、魔法を使うなど、言語道断だ。丁度、話を聞いていた所だ。
ハザク様が言うには、人間が燃料になると言う事は、自分の命も燃料に出来ると言う事だ。
魔法の使える人間は自分の命を燃料に、魔法を使う事が可能なのだ。……禁書にある様な大魔法となると命を失う事になるが、小さな魔法であれば何度も使えると言う。グルニア人はそれを知っていて使ったと言う事だ。
「もっと早く、ムスルの事を何とかするべきだった」
いつも俺は気づくのが遅い。
ローズは首を小さく左右に振っているが、しゃくりあげていて声が出ない。
何があったのか聞けるように落ち着くまで、俺はずっとローズの背中をさすった。
できればもう休ませたい。しかし今回の事件について、一部始終を知っているのはローズだけだ。酷だが、話を聞かなくてはならない。
ローズもそれは分かっているのだろう。落ち着いて来ると、ぽつぽつと話し始めた。
酷い話だった。
全てを聞いて、俺の知らない情報が多く入ってきた。ローズは必死に機転を利かせて、俺達の情報を漏らさず、あちらの情報だけを持ち帰っていた。
「よく頑張ったな。本当に無事で良かった」
血の付いたお仕着せのままにしたくないので、着替えさせる事にした。
部屋の外で待っていたが、着替えが終わったと言うので部屋に入ると、ローズはまたお仕着せだった。
「城で待っています」
ローズは俺の手を取ると、両手で包んで頬に当てた。
「もう、会えないかと思いました」
胸が凄く痛い。
「守ると約束したのに、怖い目に遭わせてしまった。母さん達の所へ行くか?」
「あなたの妻です。セレニー様の侍女です。二人共逃げないのに私だけ逃げるなんて……出来ません」
ローズは静かに言った。
「私はいざという時には、セレニー様を守らねばなりません。その為に一緒に来ました。だから今、城を離れる訳にはいかないのです」
ポート側からパルネアへ一人しか侍女を付けてはいけないと言ったのだから、全てをローズが背負って来ているのは当然だ。グルニア人が城に居る。万一セレニー様を襲うような事になったら、ローズはそれに立ち向かう気なのだ。
改めて衝撃を受ける。そして、一気に頭に血が上る。
「死ぬような目に遭ったのに、お前はまだそんな事を言うのか!」
怒鳴ってもローズは怯まなかった。俺をまっすぐに見据えて言う。
「死ぬのは怖くないわ。私は一度死んでいるから。私は、本当なら無かった筈の人生をもらったの。……だから大事にしたいけれど、何もしないのは嫌なの」
敬語が無い……。本心だ。
俺はローズの肩に手を置いて揺さぶる。
「お前の言う何かに、俺と共に生きる事は入っていないのか?」
「入っているわ。でもあなたと出会う前から決まっている事だもの。あなたがクルルス様を主として、有事の際に危険に身を晒すのと同じよ」
「違う!お前は侍女だ。騎士ではない」
「でも、主を守るのは同じでしょう?」
もしこれがパルネアで言う所の一流の侍女の考え方であるなら、俺は到底受け入れられない。
自分の命に頓着しないと言うのが、これ程までに親しい者の心を痛めつけるとは、今まで考えてもいなかった。
「戦えないのに盾になるのは、無謀でしかない」
ローズはまた泣きそうになった。
「では私の為に亡くなったあの人は、無駄な事をしたの?」
絶句する。
「私の命は私のものよ。どう使ってもいいじゃない」
頭の中で、何かが切れるのを感じた。
「お前は、俺の考え方を作り変えたのに責任を取らないつもりか?」
ローズが目を見張る。
「俺はローズと生きていたいだけだ。お前が居ないなら、今の地位もいらない。ポートを守る意味も見いだせない。それなのに置いていくのか?」
「クルルス様は?」
「友であり主だ。命を掛けねばならない時にはそうするだろう。俺が王を守って命を落とす様な相手が敵であれば、ポートは滅びる。俺が死ぬと言うのはそういう事だ。騎士と侍女を一緒にするな」
俺はローズを抱きしめる。
「もう我慢はしない」
ローズが腕の中で身じろぐ。全てを言わなくても、理解しているのだ。
「拒否はなしだ」
「ジル……」
「急な事では無い。お前も分かっている筈だ」
ローズは黙っている。
互いに気持ちはあった。ただ覚悟が足りなかっただけの話だ。俺は、今覚悟が出来た。
「子を作ろう。俺達の子だ」
ローズが体を強張らせる。俺が積極的な事が怖いのだろう。
「成り行きで出来ても構わない程度の気持ちだったが……気が変わった。ローズ、お前が自分の命を軽んじるからだ」
ローズは、自分の産んだ子を置いて死んでも良いなどと考えられる女ではない。俺だけで足りないのであれば子供の力を借りてでも、ローズには自分の命を大事にさせなくてはならない。
「軽んじている訳では……」
何かもごもご言っているローズの顔を上向かせる。
「セレニー様の目の前でお前が命を落とせば、セレニー様がどんな気持ちになると思う?」
俺はローズにキスをする。
「分からないとは言わせない」
ローズは俺の飼い主だ。しかし、もう飼い主として敬ってなどやらない。俺はローズと家族になりたい。置いていけないと思う程の絆が欲しい。
「お前の命はお前だけの物ではない。よく考えろ」
俺はもう一度ローズにキスをして言った。
「俺が戻って来るまで、ここに居ろ」
部屋を出る。とにかくローズの事は、全て片付けてからの話だ。
俺は下層へ行き、グルニア人達が囚われている部屋を聞き、速足で向かう。背後からコピートが走って来た。
「ジルムート様!どちらへ?」
「グルニア人共の尋問だ」
「あの、クザート様が見かけたら呼んでくる様にと」
「後で行く」
俺の言葉にコピートはそれ以上何も言わず、言った。
「この先の左の部屋です」
俺は頷いて、部屋の見張りに手を挙げて中に入る。口にさるぐつわをされた三人のグルニア人は、俺を見てすぐに睨みつけて来た。
見張りは外で待機させ、一緒に来たコピートに命じる。
「女のさるぐつわを外せ」
コピートは、女のさるぐつわを外した。
ドン!
衝撃で部屋の扉が音を立て、部屋が真っ黒に染まる。床すら分からなくなる様な闇の中で、俺は女を見下ろして言った。
「魔法を使うなら使え。その前に死ぬ」
女は憎々し気に俺を睨みつけた。
「黒髪の騎士……貴様、ジルムート・バウティか!」
「質問をするのは俺の方だ」
俺は女を見下ろして続ける。
「お前達の目的は何だ」
女が黙るので、隣に座っていた男を蹴る。拘束された男は仰向けに倒れた。俺はあばらを踏みつける。ミシミシと音がする。
「何をする!」
「それはこっちのセリフだ」
「貴様がこの能力をロヴィスに見せたりしなければ、我々の同胞は死なずに済んだ!」
「飢饉か」
「そうだ。貴様が全部悪いのだ」
女の態度も考え方も、すこぶる気に食わない。俺は更に男を踏みつける。
「やめろ!」
「天使の国が飢饉になったのは、俺のせいか?蛮族に天候を左右されるのか?」
女が悔しそうに俺を睨む。
「その飢饉、何年続いている?俺の知る限りでは、三年になるが」
「八年だ」
「それだけ支援を続ければ、どの国も愛想を尽かすと言うものだ。俺のせいではない。切る口実が欲しかっただけだ」
女が目を見開く。
「人道的に支援していても、それを貢ぎ物の様に受け取り、上流社会の民が消費する様な国では、誰も支援したくないと言う事だ」
俺の言葉が図星だったのか、女は真っ赤になって視線を逸らした。
俺は更に男を踏みつける。男がさるぐつわのはまった口からくぐもった悲鳴を上げる。あばらが砕けた。この先更に踏めば、心臓にあばらが刺さる事になる。
「言わねば殺す。目的は何だ」
女は俺の方を見て、早口に言った。
「リヴァイアサンの騎士の討伐」
討伐とは大きく出たものだ。
「モイナの誘拐には関与しているのか?」
「知らない。本当だ」
知らないならそれでいい。今度はもう一人の男を蹴り倒し、再び胸を踏む。
「やめろ!やめてくれ」
女が泣き出しそうな顔になる。
「よりにもよって、俺の妻を人質にするなど万死に値する」
女の周囲の闇が深くなる。女が息を詰める。
「死にたくなければ全て吐け!」
俺の怒気に当てられて女が気絶する。従僕を殺したと聞いているが、弱過ぎる。
仕方ないので、あばらを踏み砕いていない方の男のさるぐつわを取る様にコピートに命じる。
「姫だけは殺さないでくれ。この方は、グルニアの皇女なのだ」
「そんな肩書、ポートでは無意味だ」
「民の為に何かできないかとご自分から国を出ただけで、皇帝の命令ではないのだ」
皇女の独断専行であると言う事らしい。この男達は側近か。
「真の目的は皇女の亡命だ」
「人殺しをポートは受け入れない。魔法燃料の事を調べていたのは何故だ?」
「ポートには大魔法がある。禁書を見つけて使えれば、皇女亡命の取引に利用できると思っただけだ」
禁書……。ロクでもない魔法兵器を使う為に、ポート人の命を使う気だったのか。
「ポート人の命は使い捨てか」
俺は、男を睨みつけて続ける。
「何故、そこまでポートとパルネアを嫌うのだ?」
ロヴィスの支援を受けておきながら、パルネアとポートの支援は拒み、あくまでも侵略をしようとする思考の理由が知りたい。三千年の歳月が経過した今、歪にしか思えない。
「我々にとって魔法は特別だ。魔法燃料と大魔法を奪われた過去は、許しがたい現実だ。高位に位置する者程、魔法の力が強い。それ故にその過去は継承され続けている」
高位……つまり、皇帝が最も魔法に長けているが、その権威を示せなくなっていると言う事か。それなのに滅びないのは、自分の命や人の命を糧に魔法を使うからだろう。不毛な行為だ。
この男はそれを理解している。言葉からそれが分かる。ローズの夫として、本当なら感情のままに殺しても良いと思うのだが、そうしてはならないと、騎士の俺が歯止めを掛けて来る。
腹立たしいが俺は異能の闇を仕舞い、男を見下ろす。
「俺達の力には、予備動作が無い。魔法は決して勝てない。出したのは威嚇の為だ」
男は諦めた様に視線を落とす。
「……身元を明らかにして協力するなら、生かしておいてやる」
男は再び顔を上げた。
「魔法の事はこちらでもある程度把握しているが、詳しい者から知識を得たい」
この男は誇り高い。同胞を裏切る、屈辱的な生など欲していないだろう。しかし、皇女の為ならあらゆる条件を呑むと分かった以上、使わない手はない。
「我々がかつて、グルニアの魔法を退けた際にもグルニア人の協力者が居た。お陰で我々は平穏な時代を手に入れた。協力したグルニア人は、我が国でもパルネアでも平穏に暮らしたとされている」
男の目に迷いがある。
「飢えながら俺達を恨み、侵略だけを考えるよりは建設的な意見が出るかも知れない。……その皇女をそんな場所に戻したくないのであれば、考える事だ」
「殺さずに、裏切りを唆すのは何故だ?」
「その皇女が愚かで真っ直ぐだからだ。……腐っているのだろう?お前の国は。だからお前の様な者が付いていながら、国の外へ出した」
男が目を見張る。
「よく考えて答えを出せ。俺は殺すとなれば、躊躇わない」
コピートが俺の方を見ている。
「コピート、こいつらの事情聴取をしろ。魔法は使わせるな。出来るな?」
「はい。しかし……全員生かすのですか?ローズ様を攫った者達なのに」
コピートもローズの件で怒りを感じているらしい。
「このまま殺せば、皇女殺しとしてグルニアに付け入る理由を与える事になる。皇女はこの有様だ。他の者達も皇女のお守りだ。誰か一人殺しても、恨みしか吐かないだろう。それでは意味が無い。殺すときはまとめてあの世行きだ」
「いいご身分で、一旦命拾いと言う事ですか?」
「そう言う事だ。その身分をちゃんと改めておけ。事情聴取が終わるまで、そこの男は医者に診せるな」
「はい」
俺はグルニア人達の部屋を後にした。




