ハザク・ポートの罪
王立研究所は、三階建ての大きな建物が五棟集まってできている。
それとは別に、研究所の図書館があり、これも巨大だ。
五つの棟が、図書館を囲む様に建造されていて、互いをつなぐ渡り廊下も、高い壁と一体になり石で作られている為、図書館がある事すら外からは見えない。図書館を賊から守り、潮風による書物の劣化を防ぐ為だそうだ。
見た目から、王立研究所である事を知らず、監獄だと勘違いしている外国人もいるとか。
俺達は、まずアリ先生の居る棟の入り口へ向かう。窓口として話をするなら、アリ先生が手っ取り早いからだ。
ジャハルの背中に張り付いたミハイルを、バロルが手を貸して降ろしてやる。ミハイルはほっとした様子だった。ジャハルは入棟許可証を持っていて、ミハイルの分も提示して手続きを済ませる。
俺とバロルの場合、騎士の制服によって立ち入りが許可される。
城に居る序列五百席までは、右肩に銀糸で騎士服に刺繍が施されている。海の白波をモチーフにした刺繍だ。あると言うだけで、あらゆる場所に出入りが可能になる。
この制服を序列落ちで城に返すのは恥とされていて、その際に騎士を辞めてしまう者も居ると聞いた。昨日までの聞き込みで、知らない事を色々知って、改めるべき場所が多い事が分かった。
ジャハル達が行くのはアリ先生の所だ。だから、ジャハルとミハイルの後に続いて、俺とバロルも中に入る。護衛の騎士が敬礼して見送る中、奥へと進む。
「足を止めると置いて行くぞ」
珍しそうにきょろきょろしているバロルに苦笑しつつ、俺達はアリ先生の講義を受けていた懐かしい部屋へと向かった。俺も通っていたのだ。ここに。
「あ!ジル叔父様だ。おはようございます!」
中に入るとモイナが居て、嬉しそうに駆け寄って来た。
「おはよう。元気か?」
「はい!」
「ちゃんと勉強はしているか?」
急に元気がなくなる。
「どうした?」
「書き取りが、上手く出来なくて……」
文字の練習中だったらしい。
「焦らず丁寧にやる事だ。俺も下手だったが、練習したら書ける様になった」
「本当ですか?」
「本当だ」
俺がそう言うと、にっこり笑って、アリ先生の助手の方を向いた。
「ジルムート様のおっしゃる通りです。さあ、練習をしましょう」
「はぁ~い」
モイナは元居た机に戻り、大人しく書き取りを始めた。それから、はっとした様子で、俺を見た。
「お昼ご飯は一緒に食べられますか?」
「済まない。今日は急ぎの仕事で来ているから、いつ昼に出来るか分からないのだ」
「残念です」
モイナは、がっかりしながら書き取りに戻った。可哀そうだが仕方ない。
そこへ、アリ先生がやって来た。
「ジルムート!何でここに居るのだ」
先生が、ぎょっとして俺を見ている。
「取り急ぎ、頼みたい事がありまして」
俺が真面目に言うと、アリ先生は異常事態を感じ取った様で、黙ってうなずいた。
助手とジャハルに、ミハイルとモイナの事を任せて、アリ先生は俺とバロルを自分の研究室に招き入れた。
座ると、アリ先生は言った。
「ラシッドから話の来ていた禁書の件か?」
「それもあるのですが、魔法に詳しい研究者を紹介して欲しいのです」
「今、丁度こちらに来てもらえるように招いている。禁書について、あちらからも話したい事があると手紙が来て、招く事にしたのだ」
「そうですか」
「魔法の研究は危険なのだ。今、研究者はここには居ない」
「何故ですか?」
「魔法は失われた技術だ。突き詰めて研究して居れば、実証しようとする者が現れる。もし再現出来てしまえば扱いに困る上に、グルニアと戦争になりかねない」
もう遅い。先生の危惧を通り越した現実について、俺は説明する事にした。
「ポーリアにグルニア人が潜り込んでいます。魔法絡みで」
アリ先生は頭を振ってため息を吐いた。
「恐れていた事が起こった。実は今からここに来る魔法学の専門研究者は、魔法燃料の代用品で魔法を発動させた事がある」
代用品を使ったと言う事は……。
「何が代用品になるのかは知っています。それは本当ですか?」
アリ先生は渋い顔で頷いた。
俺はムスル・ハンと言う王族に仕える従僕の事を話し、その家に出入りしていたグルニア人の軍人を、ラシッドが捕まえた事、その軍人がポート人が魔法燃料になるかどうか調べていた事を話した。
「そうか。そこまで大事になっているのか。王族が関わっている事もあって、事をうやむやにせねばならなかったが、気にはしていたのだ」
「まさか、ハザク様ですか?」
「左様」
アリ先生の言葉に、バロルが目を丸くしている。
「ハザク様は人を実際に使って魔法を発動させたと証言した。証拠は出て来なかったが、嘘を吐く方では無いから、我々は事実だと判断した。とは言え、ハザク様は王位継承権を持たなくても王族だ。裁く事が難しかった。結局証拠も無いので、不問となった。ハザク様自身が、罪の意識から研究を捨ててしまう事になり、魔法の研究者は途絶えた」
「ハザク様が、人を燃料にしたのですか?」
温厚そうな方だった。俺は信じられないのだが、アリ先生は頷いた。
「昔は血気盛んな方だったのだ。足が悪くなければ、王位を継ぐ事も可能な方だったから、何らかの方法で、王族として貢献なさりたかったのだ」
外が慌ただしい。バロルも気配に気づいて扉の方を見た。
「到着されたみたいです」
俺の言葉で、アリ先生は頷いた。
「後は自分で聞くといい」
「はい」
俺は頷いて、扉から入って来る人物を待った。
やがてノックと共に、助手に支えられてハザク様が部屋に入って来た。……ハザク様は俺が会った頃より、うんと老けていた。しかしルイネス様に似た面影があり、やはり王族の方なのだと思った。
「お待ちしておりました」
アリ先生は席を立って出迎える。俺とバロルも立ち上がり、ハザク様を出迎える。
ハザク様はすぐにバロルに気付いて、声を上げた。
「バロルではないか!」
「ハザク様、ご無沙汰しております」
バロルは固い表情で、そう言って頭を下げる。
ハザク様は、俺を見て誰か分からない様子だったので、挨拶してから自己紹介をした。
「騎士団序列一席のジルムート・バウティです。以前、こちらでお会いした事があるのですが、二十年近く前になりますので、覚えておられないかも知れません」
ハザク様は驚いていたが、納得した様子で俺を見た。
「ジルムート殿か。立派になった。あの頃は、私よりも背が低かったのに」
俺は十二歳だった。三十過ぎのおっさんになって現れたら、当然分からないだろう。
「お座りください」
ハザク様は足が悪いから長く立たせておく訳にはいかない。バロルが手を貸すと申し出て、ハザク様を座らせた。
助手が茶を淹れている間に、アリ先生に説明をしていなかったバロルの事についての説明をする。エルムスの町でのハザク様の暮らしぶりなど、他愛ない話が続く。
やがて助手が出て行って暫くしてから、俺は本題を切り出す事にした。
「実は魔法の事で、助言をお願いしたいのです」
「禁書の事では無いのか?」
「禁書の事も含めて、全てです」
俺の言葉と表情に、ハザク様は暫く沈黙してから言った。
「過去の話をしよう。……私の罪の話でもある」
そう言って、ハザク様は話を始めた。
今から四十年前。ハザク様は大きな野望を持っていた。魔法技術の復活だ。
それを交渉材料にグルニア帝国と和平条約を結べれば、王族として国王よりも実績を残せると思っていたのだ。
皇太子で兄でもあるアクバル様は、見目麗しい王子で、瞳も王族特有の紫色だった。生まれながらに足の悪いハザク様を醜いと馬鹿にしていた。だからハザク様は見返したかったのだ。
当時、人身売買が盛んに行われていたポーリアで、ハザク様は偶然一人のグルニア人を買う事になった。金髪に金色の目の美しい女だったと言う。
オリガと名乗った女は、魔法について殆ど知らなかった。しかも貧しい家から売られた経緯があり、選民思想を持っていなかった為、ハザク様に献身的に仕えた。
「単にグルニア人だから魔法の事を聞こうと思って買ったのだが、何も知らなかった。綺麗な小鳥の様な女だった。……愛していた」
グルニア人とポートの王族が結婚など不可能だ。だからハザク様はオリガを使用人として側に置きながら妻として愛し、より一層魔法の研究に打ち込んだ。魔法を平和的に利用し、妻の祖国と友好関係を築きたいと思ったのだ。
その結果、皮肉にも魔法燃料の代用品は人間であると言う事実に辿り着いてしまった。ハザク様は、迷った末に、その事実を隠す事にした。
同じ時期、アクバル様がオリガの存在を知る事になった。オリガは美しい女だったので、アクバル様は自分もグルニア人の女が欲しいと言い出した。そしてグルニア人と接触し……麻薬の常習者になった。
「皇太子であるアクバルがグルニア人を探していると言う話になれば、グルニア人で侵略を目論む者達の目に留まる。たまたま私がオリガを見つけた時とは訳が違う」
麻薬を勧めた売人によってアクバル様に紹介されたのが、ポーシャと言う名前のグルニア人だった。
ポーシャは麻薬漬けにしたアクバル様を唆し、禁書を盗み出した。それが失われた禁書だ。ポーシャは禁書を盗み出し、グルニアに持ち帰る為に送り込まれていたのだ。
「ポーシャが禁書を奪って逃げた後、アクバルはポーシャが逃げたので、代わりにオリガを召し上げると言って私から取り上げた」
皇太子の命令では、同じ王族でも逆らえない。ハザクの下女などいらないと言っていた気位も失い、オリガを奪ったと言う。
その後、流感が上層を襲い、アクバル様だけでなくオリガも命を落とす事になった。
「私が悲嘆に暮れていると、来訪者があった。……ムスルと名乗った」
名前が出て、思わず顔が強張る。
「ムスルは、私を城の地下でも奥へと連れて行った」
騎士の詰所も、ムスルは金を握らせてあっさり通ったそうだ。杖が無いと歩けないハザク様は、騎士によって地下の奥まで運ばれたとまで言った。……当時の騎士団には、規律など無かったらしい。
そしてハザク様はその先で、死体となったアクバル様と、震えて座り込む女を見る事になった。禁書と共に消えたポーシャだ。
「ムスルは、逃げ出したポーシャを出国前に捕らえていたのだ。ムスルは言った。この禁書の通りに魔法を使って、アクバル様を生き返らせて欲しいと」
ハザク様は、膝に乗せていた布の包みを机の上で開いた。中から、重厚な装丁の本が出て来た。
「この本はグールの書と言う。死人を魔法の力で動く兵器、グールに変える魔法技術を記している。失われた禁書だ。……私がずっと持っていた」
「生き返る訳では無いのですね?」
「左様。ムスルは従僕だ。禁書の内容を読み間違えて、勘違いしていた。再び起き上がって動くのだから、アクバルが生き返ると思い込んでいたのだ。ポーシャも魔法燃料として連れて来たのでは無く、生き返ったアクバルに断罪させる為に連れて来ていただけだった。私は研究者で魔法など使えないと、拒否するだけで良かった。しかし……それは無理だった」
愛する者を奪われたハザク様は、普通の状態では無かったのだ。
怒りと悲しみに任せて、ムスルに言われるまま、ポーシャを魔法燃料にしてアクバル様の遺体に魔法をかけ、グールにしてしまったのだ。
「その後、だんだん恐ろしくなって、私は事実を王立研究所に報告した。しかしポーシャの遺体は片付けられていて、魔法を使った痕跡は全て消されていた。アクバルは既に死の海に沈んでいるとされ、私の証言は通らず、罪は不問とされた」
ハザク様は俺の方を見た。
「ジルムート殿に一度声をかけた事があっただろう?私は聞きたかったのだ。アクバルが居なかったか」
『紫色の目の人を、地下で見なかったか?』
思い出した。ハザク様はそう言ったのだ。
俺は、見ていないと答えた。暗がりだし、伸び切った前髪が邪魔で目など見えなかった。
怪物は……アクバル・ポートだったのだ。
他の国であれば墓を確認する事が出来るが、ポートではそれが出来ない。死んで葬られたら終わりだ。別人がアクバル様として葬られていても分からない。海の底だから。
俺はハザク様に、一連の事件について説明をした。
ハザク様は、自分の使った魔法がまだ続いている事に恐れおののき、顔を覆った。
「何という事だ。……レイニスはアクバルに食われたと言うのか」
バロルは泣きそうな顔でハザク様を見ている。責める事も慰める事も出来ないのだ。
嘆いているハザク様の気持ちは分かるが、俺は声をかけた。
「どうすればいいのか、知恵をお貸しください」
ムスルの行動の理屈も怪物の正体も分かった。ようやく見えなかったものが見える様になった。勝負すら出来なかった怪物にようやく手が届いたのだ。逃がしはしない。
「必ず終わらせます」
ハザク様は顔を上げると、祈る様に俺に頭を下げた。




