ローズ、戦女神を祓う
王妃の部屋で待って居ると、セレニー様が機嫌良さそうに戻って来た。ジルムートの申告もあって、セレニー様はクルルス様の謝罪を受け入れた様子だった。
ジルムートには言わなかったが、そんなに簡単に終わったのか、不安だったのだ。
凄く腹を立てて、それを無かった事にすると言うのは大変な事なのだ。
確かに、王族しか持っていないアメジストの装飾品、それも実母の形見を差し出したクルルス様からすれば、それ以上の謝罪の品は無かっただろう。他から見てもそうだ。
しかし、セレニー様が殆ど怒らない方だと言うのが引っかかる。
不完全燃焼の怒りをこれからも抱え続けるのではないかと心配になったのだ。
「人払いをお願いしてもいいですか?」
私の言葉に、セレニー様はにっこりと笑って頷いてくれた。
私達二人だけになると、セレニー様は途端に不機嫌な顔になった。やっぱり、機嫌は直っていない。
「私が引き下がらなくてはならない方法をクルルス様は取ったのよ」
セレニー様は不愉快そうに言った。
「お義母様の形見で、王族だけの装飾品を差し出して謝罪されたのだもの。……受け入れるしか無いでしょ?」
「そうですね」
「分かっているの。もう怒ってはいけない、許さなければいけないと」
「クルルス様は欲しい言葉をくださらなかったのですね?」
私の言葉に、セレニー様は安堵したように頷いた。
「誰も、分かってくれないと思っていたわ」
「セレニー様があれ程感情を乱されるのは、パルネアでも見た事がありませんので。……私で良ければお聞きします。今日はその為にここに居ます」
「ローズ!やはりあなたは私の侍女だわ」
涙目になってセレニー様は心境を語り始めた。
「政略結婚の事で、クルルス様が納得していないと言ったから、気分が真っ暗になったのは事実よ。でも、それだけでは無かったの」
何があったのか。ジルムートは何も言っていなかったが。
「私に政務の手伝いをさせているのを、惨めだとおっしゃったの」
「え?」
「クルルス様も惨めかも知れないけれど、私も惨めになってしまったわ」
セレニー様に何て暴言を。ジルムートもクルルス様も気付けよ!二人共完全にその部分を無視している様だ。
それでは、政略結婚の部分だけ謝っても足りない。
「クルルス様と別の時間に独自の人脈を作り、カルロスの為に何とか力になりたいと思って頑張り始めたのだけれど、クルルス様を見返したいとか、許せないと言う気持ちが消えないから、嫌な気分がつきまとっているの」
それで、空いている時間を議員達との交流に充てていたのか。というか……。
私のお姫様が、悪意に染められている。何て事をしてくれるのだ!
内心、頬に手を当てて悲鳴をあげそうな気分だった。セレニー様が、無自覚に復讐をしようとしていた事が判明した。
軽い日本風の言い回しなら「ざまぁ見ろ」の下準備をしている状態だ。セレニー様の生い立ちや性格からして、そんな気持ちになったのは初めてで無自覚だが、間違いない。
パルネアでの勉強の日々、国王陛下やシュルツ殿下、話を聞いてくれる議員への根回し、長年かけたそれらを、全て無かった事にしてまで嫁いだ先で、最愛の夫を支えて子まで産んだと言うのに、投げ込まれた爆弾は、セレニー様の許容量を超えてしまったのだ。
戦女神の様になっていた理由は、その部分にあったのだ。クルルス様の謝罪は受け入れられていない。
「カルロスの母親としても、こんな気持ちはいらないのに、忘れようとしているのに……クルルス様を見ると思い出してしまうの」
愛情が強かった分、憎しみも強くなってしまっているのだ。セレニー様はそれと戦っているが、消化するのは大変だろう。でも、セレニー様は王妃だ。憎しみに染まって政治をすれば……大変な事になる。
怒っていて良いとは言えなかった。
「ジルムートからクルルス様に心境をお伝えしてもよろしいですか?」
「だめよ」
想像以上に冷たい口調で、セレニー様は言った。
「クルルス様は、私の事など何も分かっていない。見た目が好みで、議員受けがいいから連れて歩いていただけの妻なの」
「そんな筈はありません。得難い女性だと、私にはおっしゃっていました」
「ローズからの助言で一度、ジルムートからの助言で二度、私に謝罪されたけれど、あの方が自分で気づいて私に謝罪してくれていない。人に言われて謝罪するなんて、自分で何も考えていないもの。そんな謝罪はいらないわ」
怒りの戦女神。私の可愛いお姫様が、夫への怒りで大変な事になっている。それだけ大人になったと言えるが、こんな感情は、ポートの女神には不要だ。
そして私はその王妃に仕える侍女だ。こんな時に宥める役目も担って、ここに付いて来た。
王族の日常は、不自由な環境の上に成り立っている。悪い感情を募らせると、素敵なお城で暮らす自分が、城に閉じ込められた自分になってしまう。そうさせてはならないのだ。
私は侍女として、全力で主の黒い感情をそぎ落とさなくてはならない。……どこまで出来るか分からないが、やるしかない。一歩間違えば私まで信用を失うが、他に出来る者が居ないのだ。
セレニー様を傷つける事も、嫌われる様な事もしたくない。でも言わなくてはならない。
侍女の態度で私は言った。
「クルルス様は生まれながらの王です。人へ謝罪する必要など無い方です。それをまず分かって下さい」
「ローズ……」
共感しない私に、セレニー様は不満そうだ。
「次に、ポートの男性は野蛮人です。神経を逆なでするような事を平気で女性に言うし、します。私も傷つきました。ディア様も傷つきました。そしてセレニー様も傷ついています。そう言わざるを得ません」
セレニー様が目を丸くしている。
「不敬を承知で言います。クルルス様は、野蛮人の頂点に立つ王です。そんな方に甘い期待を抱いてはいけません」
「甘い期待なの?」
否定をしないで話を続ける。
「自分の事を分かって欲しい。それは誰でも思う事です。望んで良いと思います。でも悲しい事に、どんなに望んでも、自分の事をどの様に相手が理解しているのかは、分かりません。それこそ永遠に」
私が見て感じているジルムートと、ジルムート自身が感じている自分自身には差がある。私の事もそうだろう。どんなに言葉を尽くして一緒に居ても、一致する事は無い。相手を想う事は出来るが、察するのは限界がある。自分の願い通りにはならない。
クルルス様は、そもそも相手に対して配慮する様な環境で育っていない。察するのが凄く下手だと言うべきだ。そんな相手に、怒りの原因を探って自ら謝罪しろと言うのは、かなり無理がある。しかも、繊細さに欠けている。政務に気を取られ、同じ事を繰り返す可能性はかなり高い。
セレニー様は、反省した筈のクルルス様が、同じ様な暴言を繰り返す事に気付いて更に絶望する事になるだろう。これからもクルルス様と人生を共にするなら、その都度憎しみを募らせていたら、夫婦仲は悪化の一途をたどる。
こういう人なのだと、許して受け入れる準備をしてもらわなくてはならない。
「私も、クルルス様の事を分かっていないと言う事かしら?」
察しの良いセレニー様は、私の言い分に衝撃を受けて少し青ざめている。
「好きな相手に、自分の事を何でも分かって欲しくなるのは女の性です。言わなくても分かってくれる人は、実は女性の理想です。そういう小説を侍女仲間から借りて読みました」
「そんな人……いないわ」
「そうですね。物語だから受け入れられるだけで、本当に居たらきっと気持ち悪いと思います」
教えてもいないのに好みぴったりの贈り物。自分の性格を詳しく把握していて言い当てて気遣う。危機になると、颯爽と現れて助けてくれる。無条件で自分の事が大好き。嫉妬はするけど、大抵の事は許してくれる。
物語だと思うと、確かにときめくのだ。ドキドキする。しかし読み終わって冷静に考えると、そんな超能力者、実際に一緒に居ても落ち着かないと思うのだ。隠し事も出来ないと言うのは、前世持ちの私からすれば、あり得ない事だったのだ。
「気持ち悪いのに理想だなんて、おかしいわ」
「女の気持ちと言うのは、矛盾しているのです」
言わなければ分からない事は多くて、言ってしまうと相手が失望する事も多い。だから生きているのは大変なのだ。誰だって。
「クルルス様は、セレニー様が生まれ持った能力で政務をしていると思われています」
「そんな訳ないじゃない」
「言わなければ分かりません。セレニー様にはセレニー様の努力があって、クルルス様にはクルルス様の苦労があります。……お互いを思いやれなくなったら、そこが夫婦の終わりです」
セレニー様の望む形では無かったが、クルルス様は考えうる最大の謝罪をして、セレニー様に敬意を払った。だったら受け入れて何が許せないのかを、冷静に伝えるしかない。これ以上をクルルス様に求めても、セレニー様の望むものは得られない。
セレニー様は、暫く黙っていた後、悲しそうに言った。
「クルルス様も人ですものね。……私、一緒に王政を廃止して市井で暮らすと言いながら、クルルス様に万能を求めていたのかも知れない」
「好きな男性を過大評価するのは当然です」
好きな人と言うのは、実際よりも格好良く見えるものだ。そして女性にそう思われて喜ばない男性は居ない。
「ローズでもあるの?」
最初が最低評価だったから、特に何も期待していなかったジルムートだが、好きになると格好良く見えるし、期待する事もあるから不思議だ。
「勿論です」
もっと、ありがとうって言葉が欲しい。好きだともって言ってくれたらいいのに。とか思う。十分優しい人で甘えているのに、それを忘れてしまうのだ。
「でもずっと一緒に居て、気詰まりもせず安心できる男は他に居ません。私にとってそれが何よりも大事なのです」
一緒に耳かきが出来て安眠できるなんて、ジルムートだけだ。私にとってはそこが一番大事なのだ。この前の冷戦状態の時に身に染みた。感謝や愛情を頻繁に伝えられるよりも、そっちを失いたくない。
理想の旦那様になって欲しいのではない。ジルムートと言う優しい人が好きで、一緒に居たいのだ。ジルムートにも幸せになって欲しい。今までが報われなかった事を知っているから、強くそう思う。
「仕事が忙しいと、話もしないで眠ってしまう事があります。そんな時、ただ一緒に居てくれる事がとても大事なのです」
疲れて寂しい時に、一人で丸くなって眠るのが辛くなってしまったのだから仕方ない。でも、誰でもいい訳じゃない。ジルムートでなくてはいけないのだ。
私は、セレニー様を見据えた。
「セレニー様は、どうされたいですか?」
「私は……」
セレニー様は考えている。賢い方だから、きっと自分が幸せになる願いに辿り着ける。
「カルロスの未来を、クルルス様と二人で守りたいの」
戦女神状態が解除されたので、嬉しくて笑顔になった。
「皆が協力します。きっとできます」
「そうね。その方がずっと気分がいいわ」
セレニー様は明るい表情の後、少しだけ冷たい表情で言った。
「でも、納得できない事に関しては、クルルス様と話し合う必要があるわね」
一度戦女神を憑依させてしまうと、簡単に出し入れ出来る様になるみたいだ。
「そうですね。セレニー様なら、クルルス様にご理解いただける様にお話できるかと思います」
セレニー様は腹を立てたまま、感情で物を言う様な質では無い。素晴らしい美徳だ。
「それにしても、ローズでものろけるのね」
セレニー様に言われて、目を見開く。何処でのろけただろうか?
「ジルムートと一緒に居るのは、そんなに居心地がいいの?」
ちょっと恥ずかしかったが、私は誤魔化さない事にした。
「そうですね。セレニー様にお仕えして居れば、それだけでいいと思っていたのですが……こんな風に誰かが必要になる日が来るなんて、パルネアでは夢にも思っていませんでした」
「不思議ね。私もそうなの。クルルス様が居ないと本当は寂しい」
セレニー様と私は、お互いを見て笑った。
「あなたが一緒に来てくれて、本当に良かったわ。選べなかったのは私やクルルス様だけじゃない。ローズもそうだったのよね」
「人が何でも自由に選べるなんて、なかなかある事ではありません。私は後悔していません。だからセレニー様も後悔なさらない様にして下さい」
「そうね。幸せに生きなくては勿体ないわね」
「はい。私も微力ながらお手伝いさせて頂きます」
怪物とか魔法とか、おかしな話が色々出て来て不安だが、忘れてセレニー様と話す時間が持てた事で、気持ちが一気に楽になった。




