国王の友人として
騎士団に於ける「様」……目上の人の名前に付ける。騎士団では、序列が上か、尊敬に値する目上の騎士に対して付ける。
騎士団に於ける「殿」……同年代か、序列が下だが年上の場合などに名前に付ける。敬称に困ったら付ける為、結構あいまいな使い方をされている。
呼び捨て……年下で序列が下であれば、呼び捨てる。クザートがジルムートを呼び捨てにするのは兄だから構わない。ハリードの全員呼び捨ては特例。
巡回してみたが、やはり怪物には遭遇しなかった。
暗闇を明かり無しで移動できる怪物。目では無く、何らかの方法で人の存在を感じ取っているのであれば、自分より強い者の前には現れない事になる。
ラシッドの言い分では無いが、餌でおびき寄せる事を考えて、一瞬嫌な気分になった。
餌……。
人間は論外だ。だとすると肉の塊とかか?生きていないと反応しないかも知れない。……豚でも一頭買って来て繋いでおけばいいのか?
豚は最終手段だ。とにかく目撃情報が無いか、若い自由騎士からの出身者に聞き込みをする事にした。
怪物を見なかったかと言う話を切り出す訳にはいかないから、見習いの待遇改善の為、意見を聞くと言う方向で当時の事を聞く事にした。
バロルが聞き込みをした後なので、殆ど収穫は無いかも知れないが、もう出来る事が無いのだ。
バロルは顔が広く、後輩達の方が序列は上なのに、結構慕われている事が分かった。
同じ漁村出身だと言う十代の騎士、アド・ガーラントと、ヴァン・エッジバーグは、バロルを見て気さくに俺にも応じてくれた。
「俺達は漁村出身で、体を鍛えるのはもっぱら外だったのです。地下での訓練は、暗い上に閉塞感があって、最初は慣れませんでした」
アドがそう言うと、ヴァンが頷いた。
やはりローズの言う通り、屋外へ訓練を移動させた方がいいのかも知れない。
拷問人形は、伝統的に拷問の方法も訓練内容に含まれていた事から、開けた場所で訓練をしなかった。時間や天候に左右されない事もあり、城の地下が訓練場所になったのは自然な流れだったのだが、それは普通に暮らす者にとっては抵抗のある事だった様だ。
「それと、これは希望になるのですが、文字の読み書きを教えて欲しいのです」
アドの言葉に俺は驚く。
「養学所で読み書きを習っていないのか?」
「習っていますが、専門的な単語が分からないのです。俺達は序列で上に行っても、賓客の居る中層の礼儀が分かりません。参考になる本を読んでも、知らない単語が多くて困っているのです」
序列が低くても、議員の推薦のある騎士が中層に上がって来る背景には、それもあったらしい。
「バロル様が色々と教えてくれるお陰で、俺達は上を目指す希望を捨てずに居られますが、腕に自信のあった先輩達の何人かは、騎士を辞めて稼ぎの良い家の護衛になってしまっています」
ずっと黙っていたヴァンが低い声で言った。
「俺達は城の騎士に憧れてここまで来ました。地方の貧しい出身でも、城で上に行けると言う実績を残したいのです」
クルルス様の言う騎士の養成学校と言うのは、確かに必要らしい。
「参考になった。二人共ありがとう。何とか出来る様に善処する」
二人は顔を見合わせて笑うと、礼をして去って行った。
「バロル、お前は役人になる勉強をどうやってしたのだ」
「エルムスの町には、王立研究所を引退した研究者が一人、暮らしていました。その方が僕に礼儀や勉強を教えてくれたのです。ハザク様と言います」
研究者で城の礼儀作法について細かく教えられる人など、俺は一人しか知らない。
ハザク・ポート。
王族から王立研究所の学者になった人だ。俺がルイネス様に助けられて上層勤務になった頃、一度声をかけられた事がある。
ルイネス様の腹違いの兄に当たる方だ。産まれた時から足が悪いと言う理由で、王族に籍はあったが、王位継承権を与えられなかった。
杖を支えに歩いている為、ポート城の階段の上り下りが困難だったのだ。
王は、頻繁に中層に行かなくてはならない。当時、他に何人も王子が居たので、クルルス様の祖父に当たる国王陛下は、ハザク様を王位継承者から外したのだ。
ハザク様は、王立研究所の側の館に住んでいて、城には滅多に来なかった。俺が会ったのも、王立研究所だった。
「ハザク様と言うのは、六十代くらいの男性で、杖を付いて歩く方か?」
「そうです!ジルムート様もご存知なのですね。僕は心から尊敬しています」
この様子だと、王族だとは知らない様だ。
「お元気なのか?」
「はい。今も度々手紙を頂いています。レイニスが脱走する筈がないから、希望を捨てずに調べろと何年も励ましてくれていました。騎士にも礼儀が必要だと言って、レイニスにも礼儀作法を教えてくれていたので」
バロルは暗い顔になった。
「死んだ事が分かったとだけ、お伝えしました」
「そうか……辛かったな」
騎士団の機密情報なので、怪物の事は教えられない。
「いえ、レイニスが何故襲われたのか知りたいので、もう落ち込んだりしません」
「何故襲うのかが謎だな。一体、何を見て人を襲っているのか、全く分からない」
「弱い者を襲うのであれば、僕は真っ先にやられていたと思います。しかし僕は無事です。だから弱者を襲っているのではなく、別の基準があるのでは無いかと思うのです」
「別の基準?」
「何なのかは分かりません。ただそう思わなくては納得行かないのです。レイニスは見習い時代でもそんなに弱く無かったので」
「他の行方不明者達も、弱かった訳では無い様だしな」
聞く限り強さも体格もバラバラで、性格にも一貫性が無かった。法則性が全くない。
城での聞き込みに限界が来てポーリアの自治部隊の方へ行く事になった。
クルルス様に城を留守にする事と報告を兼ねて会いに行く事にした。クルルス様は明らかに落ち込んでいた。
執務室で座り、難しい顔で書類を眺めていた。特に急ぎの用事では無い様だ。
ここ数年、空いた時間はセレニー様と過ごしていたのに、そうしていない。
「クルルス様、ご報告があるのですが」
「あ?ジルか……」
書類を眺めているフリで、全く身が入って居ないのは明らかだった。俺の入室のノックも、適当に応じたらしい。
俺は怪物の事を話して、ポーリアへ行くので暫く城を留守にする事を話した。
「行くな」
クルルス様はそう言うが、手掛かりが無いと、俺は生きた豚を引いて城に入らねばならなくなる。
「そうは言いますが、今回の騒ぎを大事にしない為には俺が行かねばなりません」
「ラシッドにやらせろ。代わりにお前は上層から動くな」
「ラシッドには別件で頼んでいる事があります。ですので無理です」
ムスル・ハンを野放しにしたら、ローズが危険に晒される。
「他に手の空いている者は……そのバロルと言う騎士一人でやらせてはどうだ?」
やって出来ない事は無いだろう。しかし序列が低いから、話を通すのに時間がかかる。上層でじっとしているなど無理だ。
「王城の地下に怪物が居るのは確かです。城の治安の為にも一刻も早く何とかしたいのですが」
俺が反論すると、クルルス様が観念した様に言った。
「カルロスを、父上の所にお前には連れて行ってもらわねばならない。だから城を留守にしてはならない」
「まだセレニー様に謝っていないのですか?」
「謝った。謝ったが……一緒に見舞いに行く予定が立たない」
セレニー様が何か悟ってしまった気がするとローズが言っていたが、もしかしてこれか?
「許してもらえなかったのですか?」
「いや、そうでは無い。許してくれたのだが、どうも避けられている」
それは口では許しても、気持ちの上では許していないのではなかろうか。
今まで殆ど招待を受けなかった中層の議員の集まりに参加していると言うのだ。
「自分でも茶会を開いて、幾人かの議員を招待している」
つまりクルルス様と居る筈だった時間を政務の為にまわして、二人で何かする時間を無くしてしまったらしい。
しかも、予想外の話を聞く事になった。
「セレニーが、カルロスを中層に連れて行く様になった。今から慣れておくべきだと」
クルルス様は頭を抱えて続けた。
「俺の様に議会と反目しない為に、交流は必要だと言われてしまった」
交流も何も言葉も通じない赤ん坊だ。政務の話の場に赤ん坊を置いたら、議員達は困るだろう。
「僭越ながら……真面目な話をしている時にカルロス様が居ては、気が散るのではありませんか?」
「だから議会の時では無く、茶会や交流会の最初に連れて行くのだ。議員達にカルロスを紹介し、少しだけ話をして退出させている。本題の邪魔は一切させていない。雰囲気が和む上に、王子の成長を直に見られるとあって、概ね好意的に受け入れられている」
セレニー様は、クルルス様の不得意分野にいきなり手を入れて来た様だ。カルロス様を人に慣らし、議員達にも慣らしているのだ。
周到な根回し。そして、クルルス様を完全に避けて自分の意思を通す、恐るべき策だ。
「それで一緒に居られる時間が無いから、見舞いに行けないのだ」
「夜はどうなさっているのですか?」
さすがに夜は避けられない筈だ。カルロス様は夜、夜勤の侍女が面倒を見ているから、もうセレニー様が添い寝をする必要はない。
「ベッドの端で、俺に背を向けて寝ている」
王族のベッドは広い。……一緒に寝ても距離を置く事が出来るのだ。一緒に寝ない方がマシな気がする。
「それで謝り続けているのだが、もう許したとしか、言ってもらえないのだ」
普段なら頭を悩ませる所だが、俺は今それどころでは無いのだ。
「ローズと打ち合わせて、見舞いの時間を調整します。その時は上層に居る様にします」
即答に、クルルス様は俺を睨んだ。
「自業自得だと思っているのだろうな」
ローズの言っていた、負け犬の理屈と言うのが何となく理解出来る気がする。
ルイネス様に抵抗して失敗したのはこれで二度目だ。一度目の時は、セレニー様との出会いで立ち直ったが、今回はそうはいかない。
俺まで批判したら落ち込むだろう。そう思うと黙っていたいと思ったが、それでは今までと同じだ。……それではいけないのだろう。友だと思うのであれば。
第一、怪物事件と夫婦喧嘩で、夫婦喧嘩を優先されては困る。俺もローズを怒らせて、家の事で落ち込んでいたが、ここまで判断力は落ちていなかった筈だ。
「セレニー様は、クルルス様の為だけに贈られたパルネアの姫です。……同じ王族であるクルルス様が夫として大事にしないのでは、誰を頼りにするのですか」
クルルス様が視線を逸らして俯いた。
「議会の議員をいくら信頼しても、結局は政務の上での共闘を楽にするだけです。本当の意味で、王族の苦悩を知るのはクルルス様だけです」
「だからと言って、俺が不甲斐ない事は変わりない。セレニーの足を引っ張るばかりだ」
「セレニー様がご自分の能力を発揮できているのは、クルルス様あっての事です」
クルルス様は分かっていない。
ローズは言っていた。優れていると評価されずとも、自分が居なければ困る人が大勢居ると自覚出来ないのは問題だと。確かにその通りだ。
「ポートでの王権は縮小しているとは言え、決して小さくはありません。その全てを握っているのはクルルス様です。セレニー様が有能であっても、クルルス様と言う夫の後ろ盾が無くては何も出来ません」
セレニー様がどれだけ優れていようとも、その部分が根幹にある。ここでクルルス様とセレニー様が仲違いすれば、間違いなく議会はセレニー様を敬わなくなる。
「クルルス様は、セレニー様を一人にするつもりですか?」
クルルス様は俯いていたが、やがて顔を上げた。
「ジル、お前は変わったな」
「そのままだと置いて行きますよ。嫁が放って置くとどんどん先に行ってしまうので、俺は立ち止まれません。でも、クルルス様は俺の主です。代わりなど居ない事をお忘れにならないで下さい」
俺がそう言うと、クルルス様は苦笑した。
「そうか……そうだな。俺だけが、ガキのままだったと言う事か。それではいけないな。愛想を尽かされてしまう。ジルにもセレニーにも」
そう言った後、クルルス様は真顔で言った。
「ローズには、どうやって許してもらったのだ?」
「粘り勝ちですね」
ただ、ローズの怒りが収まるのを待って居ただけだ。
お互いに忙しい上に、俺が物を贈るとロクな事にならなかった過去がある。いい加減な物を贈る訳にもいかないし、どう機嫌を取ればいいのか分からなかったのだ。
「俺も何とかしないとな……」
クルルス様は、頭をガシガシとかいてから言った。
「俺は粘るとか耐えられないな。別の方法を考えるか」
苦笑したクルルス様は、迷いを吹っ切った顔をしていた。
その後の行動は早かった。
セレニー様に、アメジスト製のイヤリングとネックレスを贈り、一緒にルイネス様の見舞いに行くように懇願したのだ。
アメジストは、ポート王国では王族の色とされている為、装飾品として身に着けてはいけない事になっている。紫色の瞳の者が、王族にだけ現れるからだ。その為、アメジストは殆ど国内に無い。王族にしか売れないからだ。そんな物、どうやって出して来たのか謎だった。
「母上が嫁いでくる時に父上から贈られた品だ。身に着けて、父上に披露して欲しい。今回の事は全部俺が悪かった。どうか……親子三人で見舞いに行って欲しい」
セレニー様は、それを受け取り、素直に頷いた。俺はそれを見届けて、上層を後にした。
ローズに後で伝えると、ほっとした様子だった。
「仲直りが出来たみたいですね。セレニー様はパルネアの陛下が大好きだったのです。孫であるカルロス様を見せられない事をずっと残念がっておられたので、せめてルイネス様にだけは、会わせたいと思っておられたのでしょう」
セレニー様と直に話をしていないからか、まだ不安そうだが……それもその内解消されるだろう。
クルルス様のこれで終わりと考えて、俺は思考を切り替え、調査に集中する事にした。




