ジルムートの心配
ローズを城の外へ出す事について相談すると、クルルス様は渋い表情になった。
「元々、ローズは結婚しない限り城から出さないと言う決まりがある。しかもセレニーの側から今、ローズを離すのは得策ではないのだ。城の者達がセレニーを抱き込みにかかっている」
「クルルス様が、ちゃんとセレニー様にお話しすれば済むかと」
「俺の為に綺麗になろうとしてくれている妻に、それをやめろと言うのか?」
クルルス様が強く出られない部分で、抱き込みに来たのか……。
「ローズは、見た目こそおっとりしているが、考えのしっかりした侍女だ。今の所、あれしかセレニーを諫められる者が居ない」
確かに……俺に対して一歩も退かない女なんて見た事無い。耳かきへの情熱以外の部分は、冷静過ぎるくらいだ。
「そうは言いますが、セレニー様はローズの主です。ローズでは限界があります」
暗に、王であり夫であるクルルス様が何とかしないといけないと言うと、クルルス様が言った。
「惚れているし、可愛いと思うからこそ言えない事もあるのだ」
最初はクルルス様の為に良い妃が来たと思ったが、今はただの政略結婚だったら良かったのに、と思ってしまう。
俺の望んだ良い妃とは王制廃止に同意して、クルルス様と一緒に戦い、支えてくれる女だ。
セレニー様は若い。九つも年下では、クルルス様が自然と頼られる側になってしまう。
今の状態に、クルルス様はセレニー様への愛情だけで縛られている。周囲は子供が生れるまで続けば、勝ち逃げ出来ると思っている。
俺としては、寝所を別にしろと言いたいが、きっと拒否される。だから黙っているしかない。
「ジル、好きな子と結婚したのに、仕事のせいでうまく行かないなんて事になったら、どうする?」
くだけた言葉遣いで、クルルス様が俺に聞いて来る。政務とは違う、友達としての質問だ。ここには、俺とクルルス様しか居ない。
「相手に我慢してもらいます」
「今から無職になるんだけど、協力してくれないかって、お前言える?」
「言えません」
「だろう?だから、俺は凄く困ってるんだ」
「だったら、続ければいいんです。仕事」
いっそ、ダメな王が生まれるまで存続させて、民衆に討たれて滅びればいいのだ。
「お前、何か怒ってる?」
「いえ」
あんなに王制廃止にこだわり、俺の人としての権利まで守ってくれた人が、女一人で考えにぶれが生じている。それが情けないだけだ。
俺が俯いていると、クルルス様は言った。
「お前も俺の気持ちが分かる様に、ローズとデートして来い」
思わず顔を上げる。クルルス様は悪戯っ子みたいな顔をしている。
「お前ら、仲いいじゃないか」
違う。どっちかと言えば、嫌われている。俺が一方的にあの神業の虜になっているだけだ。
一緒に外出すると言うだけで、ローズの顔が忌々し気に歪むのを想像してしまう。
「お待ちください。ローズには別の騎士を付けます。クルルス様を、お一人にする訳にはまいりません」
「俺には、ルミカを貸せ」
ルミカ・バウティ。二歳下の、俺の弟だ。
「ルミカをローズの護衛に付けてはどうでしょう?」
「本気で言ってるのか?」
じとっと、クルルス様が俺を見る。
「俺が何も知らないと思っているのか?お前に薬を盛った女が何人か居る事も、その後どうなったかも知っている」
俺は殺してはいけないと言ったが、何もしてはいけないと言わなかった。
そのせいで、ルミカがやらかしたのだ。
俺はそれもダメだと言ったが、言ったときには、全員、国外へ嫁に行くと言う形で売られた後だった。……行った先で、嫁として扱われているかは分からない。
「結婚して子供が欲しいみたいだから、その先を紹介してあげただけです」
ルミカは、しれっとそう言った。頭はいいが、使い方を完全に間違えている。
母親が違うにも関わらず、慕ってくれるのは嬉しい。でも、俺には想像も出来ない方法を考えるので、怖いのだ。
「弟をお許しください」
「許すも、許さないも……ルミカの書類は完璧だ。娘の親の許可まで取っているから、犯罪には出来ない。そもそも素直に俺に言って、公に裁いておけばここまで酷い事にはならなかったのに」
それはそれで、微妙だと思う。
諦めて別の縁組を探そうにも、公に罰せられていては相手など望めなくなる。だから逃がしたのに。
「兄上、情けは必要ありません。これは立派な暗殺未遂です」
ルミカが凄く怒っていたのを思い出す。蕁麻疹が出ても、熱が出ても、死ぬわけじゃないのに。腹を下すのは辛かったが、あれも死ぬ程では無かった。
「お前が自分の命に無頓着だから、ルミカはどんどん腹黒くなるし、クザートから弟達を何とかしてくれと言う、苦情混じりの報告が来るんだよ」
クルルス様に情報提供していたのは、クザート・バウティ、俺の四歳上の兄だった様だ。
「申し訳ありません」
「バウティ家の重みもあるだろうが、無理はするな。お前は自分の命の重さを理解していない。お前が居なくなったら、俺も困るのだ。十分に注意せよ」
「はい」
「ところでジル、お前本当にルミカをローズの護衛にしてもいいと思ったのか?お前とローズの仲が良いと言う話は、ルミカも知っている筈だ」
まさかルミカがローズを害すと、クルルス様は思っているのだろうか?そんな事は起こらない。
「王妃の侍女です。さすがに海外へ売り飛ばす事は無いです」
そこまで馬鹿な弟では無い。そこは心配していない。
クルルス様は、呆れたように言った。
「俺はジルが嫁を取るなら、ローズがいいと思う。きっと暮らしが楽しくなるぞ」
俺が大事なのは、ローズの神業だ。
ローズ本人に対して、含む所は無い。あちらも同じだ。でも頭に花が咲いているクルルス様には、理解してもらえないだろう。
俺は黙秘を貫いた。
「お前は昔から鈍いからなぁ」
クルルス様は、そう言って苦笑した。
手続きが色々あったので、それを済ませるのに三日かかった。
ローズが城の外へ出るのは、無理だと言う役人や議員達を、最終的にはクルルス様とバウティ家の圧力でねじ伏せる恰好になってしまった。……ローズが結婚しない限り外に出られないと言うのは、セレニー様が来る前から決まっていた事だ。覆すには、そうするしか無かった。
俺から伝えるつもりだったのだが、セレニー様からローズの外出が、俺との『デート』(仲の良い男女が、二人きりで外出する事)として本人に伝わってしまった。
だから、お仕着せじゃない普段着のローズは酷く機嫌が悪い。
城の裏口から出られるように、ルートを確保した上で待ち合わせをした。俺も当然、制服じゃない。町に下りると騎士団の制服は目立つのだ。見回りかと警戒されるのは避けたい。
「ジルムート様も、普通の服をお持ちでしたのね。いつも真っ黒だから、あの服しか持っていないと思っていました」
口調に棘がある。
「ローズも、お仕着せ以外に服を持っているのだな」
ここは服装を褒めるべきだったか。
気付いた時には既に遅く、ローズの顔が更に不機嫌になった。
「どうせ着ていく場所なんてありませんよ。ここではね!」
俺は慌てて謝った。
「す、済まない。……付いて来てくれ、裏口に馬車を付けている」
ローズは、ぶすっと黙って頷いた。
速足で廊下を抜け、裏口の側の地味な馬車にローズを乗せ、俺は御者として馬を操る。
馬車が進み始めてから、俺はローズのさっきの言葉から今の境遇を思い返す。
パルネアからセレニー様と二人きりでこの国にやって来たローズ。王妃として地位を持っているセレニー様と違い、ローズには侍女と言う低い身分しかない。
誰かの監視下に置かない限り、城の外へ出してはいけない。そう、元々決められていた女だ。
取り決めをしている時には、それが無難だと俺も思っていた。特に異議は無かった。元々、王女の世話役として来るのだから、当然だろうと思っていた。王女も公務以外、城を出られない。だから構わないと思っていたのだ。
侍女の事などどうでも良くて、さらっと決まった事だったが、可哀そうだったかも知れないと今思う。
俺は、初対面からして酷い目に遭わせた。
しかも俺の事を何も知らないから『お友達』なんて言ってしまったせいで、ローズには女友達が居ない。これからも出来そうに無い。拷問人形とお友達とか言う女は、この国にはまず居ない。
そんな城に閉じ込められて、セレニー様だけに誠心誠意仕えている。
そのセレニー様に色々吹き込んで、ローズと距離を置くように仕向けている侍女達が居るのは知っている。抱き込みにかかっている王政維持派の議員や商人を親に持つ侍女達だ。
セレニー様はまんまとその策に引っかかっている訳だが、ローズは黙っている。
どう思っているのだろうか……。
ちらりと振り返ると、幌付きの荷台でぼんやりと座っているローズが見えた。目が虚ろだ。
慌てて視線を前に戻した。
あれは、良くない気がする。
とにかく町で買い物でもして、気が晴れる事を祈るしか無かった。