クルルスとローズ
寝不足で出仕すると、セレニー様の部屋から出てきたリンザに冷やかされた。
「仲直りして、素敵な夜を過ごされたのですね。そのやつれ方は、既婚ならではですよ」
リンザ、あなたも既婚者ですよ……。全然自覚がないみたいですが。
とは言わない。隣にラシッドが居るから。ここで言い争いになるのは良くない。王妃の部屋の前だ。
「仲直りはしましたよ」
怪物の酷い話を聞いて眠れなくなったのに、ジルムートは幸せそうに寝ていたので、私は動けないまま、浅い眠りの中で怪物の悪夢と戦う事になった。
やつれている理由に関しては、言う気になれない。
「俺も心配していたのですよ」
ラシッドがニヤニヤして言う。嘘つき。面白がっていただけの癖に。
「よくも、私を囮に使ってくれましたね」
ムスルの事では、てっきり囮はルイネス様だと思っていたが……まさか私だったとは。
ジルムートから聞いて、怪物の次にぞっとした事だった。ラシッドが居ない隙に、私が階段から突き落とされたらどうするつもりだったのか。酷い!
「聞きましたか。だって、殺したらダメなのでしょう?」
「ダメです」
リンザが私達のやり取りを見て言う。
「何の事ですか?」
私が言葉に詰まっていると、ラシッドは平然と言った。
「ローズ様はどんな悪人でも法で裁くべきだから、殺したらダメだと言うのだ。面倒くさいだろう?」
リンザが話の意味を理解して、眉間に皺を寄せた。
「あんたの都合で、危ない事にローズ様を巻き込んだのね」
「俺の都合ではない。騎士団の都合だ。ローズ様は序列を持っているから、騎士団の方でもある。危険な事でもやってもらう。同じ騎士として当然だろうが」
ラシッドが私を褒めていたとジルムートは言っていたけれど、この様子だと単なる侍女ではなく、騎士として扱う事にしたらしい。無力な女と見なされなくなった分、扱いが劣悪化した気がする。
「ジルムート様が黙っていないわよ」
「そこは、文句が出ない程度に遊ぶさ」
今……遊ぶって言った?
私が唖然としていると、リンザは怒ったまま、私の手を握った。
「ローズ様、何かあったら私に教えてください。こいつのご飯に毒でも痺れ薬でも盛ってやりますから」
……ポート女性の常とう手段。
顔に引きつった笑みが浮かんだ。
「リンザ、ご飯を抜く方が効果的です。お薬はやめましょう」
ラシッドが、凄い勢いで食いついて来る。
「うわ、ローズ様、何てえげつない手段を授けるのですか!」
リンザはその態度を見て、にやっと笑った。
「確かに毒を買うお金を使うくらいなら、ラシッドの食費を浮かす方が私の為でもありますね。分かりました。ローズ様からご指示があったら、ラシッドの食事を抜く事にします」
「頼りにしていますよ。リンザ」
「え~、本当に勘弁してください」
不服そうなラシッドと気合の入っているリンザと別れて、セレニー様の所に行く。
昨日の今日だが、奥に行く前にちゃんと話を確認しておこうと思ったのだ。
「セレニー様、おはようございます。ローズです」
挨拶をして中に入ると、輝く様な女神様が中層へ行く為の準備をしていた。
……これは、議会の議員もメロメロだな。
カルロス様を産んで、更に女の魅力に磨きがかかり、すっかり大人の女性になったセレニー様。何て綺麗なのだろう。ため息が出そうだ。私の自慢の可愛いお姫様だったのに。
「素敵な髪形です。服と合っていて、とてもお似合いです」
「ありがとう。リンザは髪を結うのが上手なの。パルネアでは考えもしなかった素敵な髪形にしてくれるの」
妹達の髪の毛を結っていると言っていたから、それで色々やっていたのだろう。
リンザと入れ替わりで、侍女のプリシラが装飾品と靴を選んでいるらしい。安心して話に戻る。プリシラは宝石を扱う商人の娘で、センスは侍女で一番だ。
「朝から申し訳ありませんが、確認したい事がありまして……」
不愉快な話をしなければならないのを申し訳無く思いつつ言うと、セレニー様は鏡を見ながら言った。
「カルロスのお見舞いの事ね」
「はい」
「いきなり今日ではお義父様が驚かれるから、あなたが話を伝えて、都合の良い時にジルムートと一緒に連れて行ってくれればいいわ」
セレニー様が、日時を決めるのではないの?
「カルロスは政務が無いから暇なの。できるだけ早く、お義父様に会わせるべきだわ」
赤ちゃんだから政務が無いのは当たり前なのだが、クルルス様ともう一度話し合って、三人で行った方がいいのでは。
「ローズもジルムートも忙しいのに、ごめんなさいね。余計な仕事を増やしてしまって」
「いえ、とんでもないです」
「報告さえしてくれるなら、何度連れて行っても構わないわ」
セレニー様はネックレスをプリシラに着けてもらいながら、しっかりと私を見据えて言った。
「そうして欲しいの」
クルルス様がルイネス様を労わらないなら、私がやると言う強い意志がうかがえる。いつものふんわりした優しさが見当たらない。何て言うか……戦女神が銛を振りかざして立っている感じだ。こんな雰囲気は今までのセレニー様には無かった。一晩でちょっと人が変わったのではないかと思う。
「仰せのままに」
どんな心境の変化があったのか二人きりで詳しく聞きたい所だが、今は時間が無い。セレニー様は会議、私は奥への出仕があるのだ。そのまま部屋を退出して奥へと向かう。
執務室を抜けようとノックして中に入ると、そこにはクルルス様が居た。
「お……おはようございます」
ずっと無人だった執務室。何故今日は居るのか。理由は分かるが、セレニー様の事を考えていて上の空だったので、驚いてしまった。
「おはよう」
クルルス様はそう言うだけで、話を続けない。行っていい訳も無く、黙って待つしかない。
「最近、ジルムートが俺の護衛をしない。何があったのだ」
しばらく黙ってから言ったのがこれだった。凄くもどかしい。
「本人から報告があると思うので、お待ちください。私の方からご報告するのは控えさせていただきます。騎士団の事ですので」
地下の怪物の話は、私からする訳にはいかない。……したくないし。
「そうか」
また沈黙。
クルルス様は、セレニー様とルイネス様の事が聞きたいのに、喉に引っかかったみたいに黙り込んでいる。
ジルムートの妻で、セレニー様の侍女。
信用はされていると思うが……所詮、侍女だ。王様に助言をする立場にはない。
セレニー様の妊娠中は、セレニー様の体調管理優先で必死だったから色々と言ったけれど、今は違う。父親に恰好を付けたい息子の理不尽極まりない我が儘に、嫁が付き合わされている訳だが……何せ息子は王様だ。批判したら私は不敬罪に問われる。捕まったら、怪物の居る地下に行く事になる。絶対に嫌だ。
なんて事をつらつら考えている間もずっとクルルス様は黙っていて、行っていいとも言ってくれない。扉はクルルス様の背後にある。どうしよう。
「父上は……どうなのだ?」
クルルス様は、ようやく絞り出す様に言った。
話してくれた。ほっとして私は返事をした。
「はい。体が動かないだけで、意識はしっかりされています。昔の話をよく聞かせて頂いています」
「俺が前に会った時には、かなり朦朧としていて、話が出来なかったのだが……」
ムスルの事を話すかどうか迷う。
扉の向こう、最初の小部屋にムスルはよく居る。今もこの会話を、扉の向こうで聞かれている可能性がある。
ラシッドがあえて黙っているのは、証拠固めの為だ。ここまで黙っていたのだから、ラシッドの調べが済むまで、ムスルはこのままにした方がいいだろう。
「たまたま、お疲れだったのだと思います」
「そうか……」
クルルス様は少し考えてから言った。
「ローズから見て、父上はどう見える?」
なんて曖昧で難しい質問……。
「そうですね」
言葉を継いで、少し考える。
「気さくな方だと思います。私の様な外国人の女に世話をされても、怒るでもなく気安く許して下さいます」
「父上は庶民の暮らしをしていたから、こうあるべきと言う城のしきたりを知っても、根底に違う常識を持っているからな……」
クルルス様は暗い表情で言った。
「無い物ねだりなのは分かっているのだ。父上やジルに色々聞いているのだろう?ジルは俺を庇っただろうが、ローズから見たら、俺は至らない王だろうな」
完全に負け犬になっている。私はそんな事を思っていない。クルルス様が勝手にそう思っているだけだ。
「クルルス様は、セレニー様と一緒に政治の場で戦う事を決意されました。セレニー様に一緒に戦って欲しいとおっしゃった姿は、私にとって一生忘れられない、立派なお姿でした」
「格好悪い、の間違いではないのか?」
「いいえ。自尊心故に、自分の欠けた部分を認められないと言う事はどんな者にもある事です。そんな気持ちを押し殺し、未来の為になる最善の一手を選んだ姿に、私は心底感服しました」
ポートの男性が、妻に頭を下げて仕事を手伝って欲しいと言うのは、凄いと思ったのだ。パルネアの男性でも、矜持が邪魔して簡単に言える事では無い。
カルロス様の重責を減らしたいが故に、クルルス様が考え抜いて出した結論だ。正しい選択だったと思う。息子への愛情が同じ様にある妻を信じた、とても素晴らしい出来事だった。それなのに、政略結婚自体に未だに納得していないなんて言っては台無しだ。
「セレニーは、さぞや怒っているだろうな」
「お優しい方なので、許していただけます」
女神と呼ばれるセレニー様は、寛大なのだ。夫が許しを乞うのに、拒絶するのは考えられない。ただ、元通りの状態になるかはちょっと分からない。今朝の態度は不安だった。
「許してもらうには、父上のところへ一緒に行かねばならない」
まだ嫌なのか。いい加減、観念しろ。
「俺は父上みたいに出来ていない。出来る様になってから、セレニーと会わせたかったのだ」
私は不敬罪覚悟で言った。
「クルルス様にはクルルス様のやり方があると思います」
「俺のやり方?」
「お手本をルイネス様にしていらっしゃるのは分かります。しかし、その通りできないからダメだなんて……そんな事はないと思うのです」
クルルス様は私を見ている。先を促されていると判断したので、言葉を選びつつ続ける。
「ルイネス様は、心を許せる仲間が欲しかったみたいです」
「仲間?」
「はい。だからクルルス様には、ジルムートを仲間にして、支え合いながら、困難な政務に立ち向かって欲しいとお考えだったみたいです。……上手く行かなくて失敗だったとおっしゃっていましたが」
「ジルは友達だが騎士だ。政治の話に意見はさせない」
ここが大きな差だ。騎士に政務の判断をさせないと言う概念がクルルス様を縛っている。アリ先生の教育で身についたものだ。
庶民出で、文官も騎士も偉い人と言う一括りに収まっていて、信用出来るなら、騎士でも政治の話をしてもいいじゃないかと言う、なぁなぁで対処するルイネス様の感覚とは違うのだ。
「私は、お二人には既にそこで感覚に差がある事が分かります。だから同じでなくていいと思うのです」
「俺と父上は……違うと?」
「はい。クルルス様には、クルルス様の王道があると思うのです」
当たり前の事だが忘れがちだ。同じ人間であっても、皆違う。
比べるのは人ではない。大抵は自分が心の中で誰かと比べて、勝手に劣等感を抱いている事の方が多いのだ。戦うべきは自分だ。
「夫婦で仲良く政務に参加する王族なんて、世界でも稀かと思います」
「女に頼って、王が馬鹿に見えるのではないか?」
「そんな見方をする人よりも、夫婦の気持ちが通い合っている事に羨望の目が向く方が多いと思います」
美しくて、賢いセレニー様は、クルルス様を愛しているから協力しているのだ。
「もしクルルス様に何か言って来る者が居るとすれば、それは羨ましいからです。妬みです。お気になさらない方がいいと思います」
「確かに、セレニーは得難い女だ。あれ程、見事な女はそうは居ない」
「勿論です。私が、心底尊敬してお仕えする方ですので」
思わず自慢すると、クルルス様が笑った。
「ジルは友達だから尊敬されなくても構わないが、家臣にはそう言われたいものだ」
クルルス様は立ち上がり、執務室を横切る。
「セレニーに謝って来る。……政務の場でぎくしゃくしたくない」
「王妃の部屋で準備をなさっておいででした」
私がそう言って頭を下げると、軽く手を挙げてクルルス様は去って行った。
これで、私とジルムートでカルロス様をお見舞いに連れて行く話が流れるといいのだが。
ルイネス様の所には是非とも三人で来てもらい、私はお茶を振る舞う侍女に徹し、穏やかな交流を眺めたい。そういうのを凄く期待している。
ただセレニー様がクルルス様を許しても、元の状態にすぐ戻れるのかが分からない。
私はパルネア時代から通して、あれ程怒っているセレニー様を見た事が無い。今朝、気になったのは妙にさっぱりした表情だ。切り替えが早過ぎる。
セレニー様は、悲しんで眠れていないのでは無いかと心配していたのだが、あまりにさっぱりした様子と態度に、かなり不穏なものを感じた。
かつて侍女仲間に聞いたのだ。
「好きな男に冷めるとね、もうコロっと考えが変わるのよ。恋は病だって言うけれど、確かにそう思うわ。今までの私は何だったのかと思うもの」
アネイラと呆れて聞いていたのだが、ふとそれを思い出してしまった。
結婚のきっかけそのものを好きな相手から強く否定されて、セレニー様が初恋から冷めてしまったのだとしたら……ちょっと不味い気がする。嫌な予感は当たらない方がいい。きっと気のせいだ。
私は嫌な考えを捨てて、奥へ行く事にした。




