ジルムートの後悔
ファルク・バウティ……ジルムート、クザート、ルミカの父親。元序列二席。故人。ジルムートと髪の色は違うが、よく似た容姿をしていた。
俺は怪物の件があって以来、過去を何度も振り返る様になった。ローズと居ない一人の時間は長く、そう言った事を振り返る時間は山ほどあった。
怪物の事と共に思い出すのは、それより前、まだ父であるファルク・バウティが生きていた頃の事だ。
父上は俺に甘かった。しかし聞いている限りでは、俺が産まれるまで、クザートに対しても同じような対応をしていたらしい。
今思えば、父上はオズマに対抗できる子供が欲しかったのだ。クザートの異能は、オズマの力を越えていたから、当然跡継ぎにするつもりだったのだろう。
そんな所へ俺が産まれてしまった。全てはそこに起因する。
「俺と兄上の年齢差は四年ある。アイリス母さんとカリン母さんは何年も放置されていたらしい。……アイリス母さんは、許せなかったと言っていた」
「そもそも、何故一夫一妻では無かったのですか?」
「法律の制定前に、既に三人と婚約していたそうだ。当時、婚約破棄は男が一方的にするものだった。家の恥だから、どの家も破棄しないで欲しいと頼んだと聞いている。父上は結局三人共、妻にした」
法律の制定により、婚約破棄された娘の行き場がなくなっていた。序列二席の後ろ盾も当てにしていたから、どの家も譲らなかったのだ。
「政治が代わり、世の中が変わっても、館の中まで変わるものでは無いから、母さん達は昔ながらの一夫多妻で、父上の寵愛を競っていた。リエンヌ母さんがクザートを産んだ後、妻に無関心になった父上に、アイリス母さんは、薬入りの酒を飲ませたそうだ」
三年以上、一緒の床に入らない夫。アイリス母さんは思い詰めていたのだ。
「結果、俺が産まれた。ポートの女の常とう手段だ。食い物や飲物に薬を混ぜる。俺もやられた。知っているだろう?」
ローズは、母さんが薬を盛った事自体が信じられない様子だ。
「アイリス母さんは知らなかったのだ。リヴァイアサンの騎士の異能について。リエンヌ母さんも、俺が産まれるまで知らなかったそうだ。兄上を普通の子供だと思っていたのだ」
「その……お義父さんは、ずっと黙っていたのですか?」
「異能の大きさを比較して、劣る息子は殺される運命にあるとは言えなかったのだろう。兄上一人なら跡継ぎは兄上だから、何も言う必要が無いと父上は考えていたのだろうが……俺が兄上より強い力を持って生まれてしまったから、黙っている訳にいかなくなったのだ」
母さん達は、リヴァイアサンの騎士の在り方を知って、恐怖した。
「母さん達には、俺達の異能の差が分からない。しかし父上は明らかに俺を跡継ぎに定め、今まで可愛がっていた兄上をぞんざいに扱う様になったそうだ」
「それは……リエンヌさんもクザートも、辛かったでしょうね」
「辛いどころでは無い。兄上は、俺が産まれたから殺される事になったのだ。アイリス母さんは、自分の浅慮を恥じた」
その事もあって、館は異様な空気だったと聞いている。二人の母親は父上に近づかない。遠巻きに見ているだけになった。
「カリン母さんだけが、何も知らずに父上に近づくようになった。そして、ルミカを身籠った。父上はカリン母さんが身籠った事を打ち明けると、リヴァイアサンの騎士の事を教えたそうだ」
残酷な仕打ちだ。子を授かったのに、カリン母さんは天国から地獄に突き落とされる事になった。
「カリン母さんはルミカが腹に居る間、恐慌状態だったそうだ。見るに見かねて、リエンヌ母さんとアイリス母さんは、カリン母さんの世話をした。そして三人で子供を一緒に育てる事にしたそうだ」
館の空気はそれで落ち着きを取り戻し、それまでと一転して明るくなった。母さん達が明るいから、使用人達の気持ちも穏やかになったのだろう。父上は知らなかったそうだが、そんな空気は感じていた筈だ。
ローズは黙って俺を見ている。
「皮肉なものだな。俺が物心ついたときには、母さん達は仲が良かった。父上が城に行っている時間、俺達は兄弟三人で一緒に遊んで過ごしていた。母さん達は仲良く話をして笑いながら見守ってくれている。兄上は賢く聡明で、弟は生意気で可愛い。父上の鍛錬はとても厳しかったが、俺はそんな日常がずっと続くと思っていた」
幼くて、分からなかったのだ。
「兄上の成人が近づくにつれて、父上の鍛錬が厳しくなった。ルミカは怪我だらけで、肺病にかかった兄上は死にかけた」
「それに反発したのであれば、おかしな話ではありません」
「皆、そう思っているが……それだけでは無いのだ」
俺は当時の事をローズにだけは知って置いて欲しいと思い、一度も口にした事のなかった過去を口にした。
「俺は父上に伝えた。兄上もルミカも、このままでは死んでしまうと」
「訴えたのですか?」
「父上は、俺に甘かった。だから言えたのだ」
「何と答えられたのですか?」
「お前以外は、皆死ぬと言われた」
ローズが絶句している。
「どうしてなのか、館に居た俺には分からなかった。母さん達に聞いたら、どういう経緯で俺やルミカが産まれたのか、父上が何と言ったのか教えられる事になった。このままでは俺は本当に一人になってしまう。それが分かった。だったら父上を殺すしかないと考えた。十歳の考える事は浅はかだ。死ぬと言う事が、よく分かっていなかった」
「ジル……」
「殺す気だったから、当然死んだ」
頭を打って血が出たから、とっさの事故死だと皆が勘違いしているが、俺は異能で心臓を狙って蹴った。上手く制御できない力はいつも漏れていたから、俺が力を込めた事など、誰も分からなかったのだろう。
「家長を継いだのは、城に出仕さえすれば、全て上手く行くと思っていたからだ」
そんな訳なかったのだ。俺はオズマに会い、暴言を浴びせられ、気付けば城の地下に居た。
「城の地下で罪人達を痛めつけている時に、父上を殺した事を考えた。オズマに父殺しは大罪だと言われた。正しいと思ってやった事が間違えていた。そしてやり直せないと気付いた」
その現実が、ずっと俺を苛んでいた。
「普通は、子供が幼い内に家督を継ぐ者一人にしてしまうそうだ。手間のかかる鍛錬を施して強くしたりしないと聞いた。父上は、ルミカも兄上も殺さなかった。俺達三人を一緒に鍛錬して鍛えていた。母さん達に俺以外は殺すと言っておきながら、俺達は何年も平穏な暮らしをしていたのだ。……父上は無口で、何を考えているのか分からなかった。鍛錬の時は、辛くて悪魔の様に思える時もあった。だから父上に似ている容姿は、多分これからも好きになれない」
俯いたまま続けた。
「でも……俺が母さん達や兄弟と過ごした環境は、父上も密かに協力して作っていたものだった。気付いたのは、だいぶ後だ」
ローズがふわりと抱きしめてくれて、俺はそれに縋っていた。
「殺すべきでは無かった。生きていれば話も出来ただろう。しかし、父上の言い分は分からないままになってしまった」
俺は少しの間、ローズの胸に顔をうずめて動けなかった。
とっくに気持ちの整理は付いている。でも口にした事は一度も無くて、口にすると想像以上に感情の波は大きかった。やり過ごすのは大変で、すぐに顔を上げる事は出来なかった。
「あなたは悪くありません」
ローズは続けた。
「あなたは優しいから、後で気付いて自分を許せなくなったのかも知れませんが……もう、自分を痛めつけないで下さい」
ゆっくりと顔を上げると、ローズは俺を見て不安そうにしていた。
「何か大変な事が起こって、上層を留守にしているあなたが険しい顔をしているのを見ていました。今の様に、自分が全部悪いと思い込み、抱え込んでいるのではないかと心配していました」
「そんな風に見えていたのか?」
ローズは頷いた。
「後悔する事は、これからもあるでしょう。でも一人で抱え込まないで欲しいのです。どれだけ力になれるかは分かりませんが……私は今のあなたが好きです。過去に関しては、一つ欠けても今のあなたと同じにならなかったと思うから、無かった事にして欲しいとは思いません」
「父上を殺した過去すら、そう思うのか?」
ローズは苦笑した。
「身勝手かも知れませんが、お義父さんが生きていたら、あなたは私と出会っていないと思います。クルルス様とも懇意になっていなかったでしょうし、クザートやルミカと血みどろの兄弟闘争とかになっていたかも知れません」
「それは嫌だな」
考えてもみなかった。
「何よりも、知らない女性と結婚していたかも知れないなんて、絶対に認めません!」
不機嫌そうに言うローズは、少し赤くなっている。ローズは、過去から異能まで、俺の全てを拒絶しない。それどころか俺を好いている。……気持ちが一気に浮上した。
「何だか、凄く救われた気がする」
「一生懸命に話をしたのに、無関係な事でいきなり立ち直った気がするのは気のせいでしょうか」
「気のせいだ。好きだぞ、ローズ。俺の妻はお前だけだ」
いきなり明るくなった俺をローズは呆れて見ていたが、真面目な顔になった。
「では、何があったのか話して下さい。ずっと元気が無かったので気になっていました」
ローズは、ここ最近目を逸らしていた。しかし視線が合わないだけで、ちゃんと俺を見ていたのだ。怪物に悩まされ、過去を振り返る事で俺はかなり参っていたらしい。
「本当に、聞くのか?」
城の地下に人食いの怪物が居る。……そんな事を話すのは気が進まない。色々な事に巻き込んでしまおうと思っていたが、これはローズ向きの案件では無い。できれば知らせたくない。
「あなたが堪えているのですから、相当酷い話である事は覚悟しています。でも、ここなら気絶しても大丈夫です。城ではありませんから」
ローズは続けた。
「何も分からずに居ると、ジルが離れて行ってしまいそうで怖いのです」
「かなり恐ろしい話になるぞ。俺でも辛かったのだが、本当に大丈夫か?」
「耐え切れなければ気絶してしまうので、遠慮しないで話してください」
「しかし……」
「お願いです」
結局、ローズの懇願に勝てず、洗いざらい話す事になった。
ローズは例によって魂が抜けそうな顔になっていた。俺も滅入る話だったから、よく気絶しないで聞き終えたと、内心感心した。
「俺が放置したから、犠牲者が大勢出てしまった。遺留品を家族に返してやる事も出来ない。それで気分が塞いでいた。何とか始末せねばならないが、すぐに片づけられない事も辛い」
ローズに話す事で、俺はかなりすっきりした。
「地上に出てこないのですよね?」
「そうだな。ずっと地下に居るな」
「下層には、見習いの方達よりもうんと弱い役人の方が大勢居ます。狙わないのは、明るいのが嫌いだからではないですか?」
ローズが耳かき文明で聞いた吸血鬼と言う怪物の伝承について話をした。人の血を吸うが、太陽の光を浴びると灰になるそうだ。
「明るいのが嫌いか……。確かに一理あるな」
扉が開けられないと言うハリードの証言と共に、記憶に留める。
「見習いの方達の訓練場所を、屋外にすればいいのではありませんか?」
「敷地はあるのだが、教官であるハリードが多分無理だろう」
薄暗い地下ですら、兜で顔を隠している。屋外訓練となれば、ハリードの方が灰になりそうだ。
「見習いの命を優先するなら、ハリードがどうなろうとローズの意見に従うのが正しいのは分かっている。しかし、それは後だ。……怪物退治をしないで、見習いを避難させたとあっては、騎士団は怪物から逃げた事になる。内からも外からも批判が出る。治安維持の為にも、怪物は必ず仕留めなくてはならないし、騎士団の弱い部分は周囲に見せてはならない」
「強いのがお仕事と言うのも、大変なのですね」
「本当にそう思う。それなのに今回の場合、俺の力を地下で使えば城が崩れてしまう」
実質、俺は異能を頼りに出来ない。拷問人形の騎士として、武芸だけを頼りに怪物を追い回さねばならない。それなのに、一番武芸の出来る騎士は怪物に触りたくないと言う。どうすればいいのか。
「捕まえて体術に持ち込めば、怪力も使えるから仕留められそうだが。……この件が発覚して以来、俺は怪物が居ると言う証拠を積み上げているだけで、その姿を一回も見ていない。それも、もどかしいのだ」
「ジルは一人ではありません。他の騎士様達も協力してくれているのですから、きっと何とかなる筈です」
「信じて頑張らなくてはな。このまま放置しても、誰かが犠牲になるだけだ。必ず何とかする」
ローズは緊張した面持ちで言った。
「ところで……今日からは一緒に寝てくれるのですよね?」
ローズが俺の手をぎゅっと握ってくる。怪物が怖いのだ。
可哀そうなのに、可愛いと言う感情を初めて経験した。もう二度と出さないと言ったが、鼻血が出そうだ。俺は笑って言った。
「大丈夫だ。地上に出て来ないのだから、来る訳なかろう。安心しろ」
「ポート城にお勤めした時には既に居て、ずっと上層に来なかったのですから分かっているのです。分かっているのですが……今は離れないで下さいね」
なんて言いながら、べったりとくっついて離れないローズを抱きしめて、他の事も話した。抱き合っているのは、話をする体勢じゃないとか言っていたのは誰だったのやら。と、内心少し意地悪な事も考えたが勿論言わなかった。
俺は久々にローズと一緒にぐっすり眠った。
翌朝、先に寝るなんて酷いとローズに責められたが、俺は心身ともに完全に復活していた。




