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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
地下の怪物
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クルルス・ポートの葛藤

ナジーム・ランドル……序列四席で、中層の隊長を務めている。凶悪な見た目に反して、花を愛する平和主義者。バウティ家の三兄弟に次ぐ異能の持ち主で、警備計画の立案では右に出る者の居ない専門家。バウティ家の兄弟が、序列を傘に面倒な警備計画を度々押し付けてきた過去がある。

 俺は、ハリードと共に遺体発見場所や怪物を目撃した場所を見て回っていた。騎士見習い達の演習中は気が抜けないので、地下にクザートを連れて来た。

 強い人間が側に居ないと危険なのだ。コピートでは騎士見習いが襲われる事も考えられるので、クザートに頼んだ。

 クザートは下層の騎士達にとても人気がある。騎士見習い達も、優しそうに見えるから喜んで受け入れた。……多分、鬼の様な特訓を受けていると思う。見た目に騙されてはいけない。

 ハリードがクザートを見て逃げ出そうとするので、クザートは演習場所から絶対に動かないと言い聞かせ、地下を歩き回っている。

 バロルには十七年分の行方知れずになっている見習いの名簿を作らせている。全員、騎士として殉職したと言う扱いにして名誉を回復する予定でいる。その程度で家族が慰められるとは思えないが、脱走騎士のままにしておく訳にはいかない。とにかく、そうしようと決めた。

 何年も放置したと言う罪悪感は大きい。まだ怪物は居る。俺としては早く決着を付けたいが、地下は広過ぎる。構造も複雑だ。結局、こうして見て回る事から始めなくてはならなかった。

 ハリードに案内されて、遭遇場所を地図で位置確認しながら、ペンで印を付けて行く。曖昧な記憶だとハリードは不安そうにしていたが、全く無いよりはマシだ。

 かがり火は、下層の騎士が当番で火を灯しているが、犯罪者の見回りも兼ねているので、犯罪者が収容されている付近までしか灯されない。階段から離れれば離れただけ暗闇になる。それで、ハリードがランタンを持っている。

 俺は、腰に下げたインク瓶、両手に羽ペンと地図と言う状態で、狭い通路を歩き回る。万一怪物に出会っても、俺とハリードが二人で居るのに襲い掛かって来るとは思えない。だから出来る事だ。

「リヴァイアサンの騎士の気を感じている訳では無いのだな。ミハイルを襲おうとしたと言う事は」

 俺の疑問に、ハリードが頷く。

「何を感知して弱いと判断しているのか、俺には分からない」

「見習いを襲っても、騒がれずに食ってしまっているから、自分より弱い者を選んでいるのは確かだな」

 すると、ハリードがぴたりと足を止めた。

「どうした?」

 するとハリードがランタンを床に置き、兜を突然脱いだ。

 青い目が、少し潤んで俺を見ている。

「お前は、アンナを探してくれた。ミハイルにも良くしてくれた。俺も処罰しなかった」

「事情があった事は聞いたからな」

「俺は、人に感謝した事が無い。何を言ってもやっても、責められるだけだと思って全て諦めていた」

 ハリードは、俯いた。

「父上のせいで酷い目に遭ったのは、俺だけじゃなかった」

 ハリードは心の病気だと、アリ先生は言っていた。オズマに潰されてしまった心を戻す方法は分からないから、死ぬまでそのままでも許しれやれと言われていた。

 俺は本当にそうするつもりだった。

「感謝する。ジルムート・バウティ」

 人の事など、気にする奴では無かった筈だ。何があったのだろう。

「ミハイルが教育を受けて、様子が変わって来たのだ。……落ち着いて来たと言うか、我が儘を言わなくなった。俺もアンナも手を焼く有様だっただけに、本当に助かったのだ」

 思ったよりも順調そうだ。アリ先生は教育の専門家でもある。モイナと一緒に居る事の影響も大きいだろう。

「ジャハル・ゴードンも良い騎士だった。ミハイルの為に良くしてくれる。怖くて嫌な人間ばかりではないのだと……最近思えるようになってきたのだ」

「ジャハルは信用していい。下層の副官だった人だ。給料は弾んでやってくれ」

 ハリードは素直に頷く。

 気持ちに余裕が無いと、人に感謝など出来ない。ミハイルが手を離れ、館ではアンナが待って居る。オズマの幻影から逃げ惑う様に生きていたハリードは、ようやく自分の居場所を手に入れたのかも知れない。

「俺はまだ人が怖い。それでも、お前の為に出来る事はやるつもりだ」

「今もやってくれているではないか」

 その途端、ハリードの目から涙が溢れ出た。

「泣くな」

 慌ててポケットからハンカチを出して差し出す。

「お前はいつも綺麗なハンカチを持っているのだな」

「これは妻が……」

 結婚してからだ。出仕する前、ローズがいつも渡してくれる。仲違いしている今も、それはやってくれている。今ローズの事を考えると、仕事に集中できない。頭を軽く振ってハリードの方を向く。

「さあ、続きだ」

 ハリードは洗って返すと言ってポケットにハンカチを突っ込むと、兜を被って再び歩き始めた。

 一通り巡った後ハリードと別れ、クザートと共に中層へ上がって来た。ナジームの居る中層の執務室へ行く為だ。扉を叩くと、すぐに応答があったので、扉を開ける。

「温室だな……」

 クザートがぼそっと言う。

 中には、花の咲いた植木鉢が大量に置かれていた。ナジームはその中で執務室の机に座っていた。

「お二人でいらっしゃるとは、どういうご用件ですか?」

 ナジームが思わず警戒している。俺達が出てくると、自分は貧乏くじを引かされる。ナジームはそう思っているのだ。……それだけの事をしてきた自覚はあるから、間違いではない。

「用があるから来たのだ」

「今日は、日がある内に、庭の水やりと間引きをする予定ですので、定時まででお願いします」

「明日の朝にしろ」

 ナジームにそう言うと、猛禽類の様な顔に似合わない表情で肩を落とした。

 庭仕事が、城の仕事を切り上げる理由にならない事くらいは分かっている筈だ。無駄な抵抗だ。とりあえず、地下で見習いが命を落とした事実と経緯を話す。

 ナジームは最初驚いた顔をしていたが、やがて真剣な表情で言った。

「酷い事になりましたね。そう言う話なら、協力は惜しみません」

「そう言ってくれると思っていた」

 俺は、そう言ってハリードと調べた怪物との遭遇場所を記した地下の地図を広げた。

「今の所、公表できる段階では無い。大がかりな捜査は出来ないから、効率よく巡回して遭遇するルートを探している。ナジーム、見立ててくれないか?」

 ナジームには、地図を眺めるだけで最短のルートを探し出すと言う特技がある。すぐに物の形を覚える特殊な才能があるのだ。物の寸法や空間の広さなども、測らなくてもかなり正確に把握できるらしい。

 だから、警備立案が得意で、配置や人数の振り分けが上手い。

 網目の様になっている地下の地図でどこを通れば怪物に遭遇しやすいのか、ナジームに調べてもらう事にしたのだ。

 ナジームは暫く地図を見た後、ルートを羽ペンで引いて行く。

「あくまでも遭遇場所を全部通る最短のルートであって、遭遇できるかどうかは分かりません」

「いや、十分だ」

 俺やクザートでは、こうも容易に見立てる事は出来ない。地下は広い。全てを巡る事は出来ないから、効率よく移動する為のルートは必須だ。

「本当なら、すぐにでも狩りたいのだが騎士達を安易に動員して見つからなかったと言うのでは、話が明るみに出て不安を煽るだけになる。下準備をした上で、確実に仕留めたい」

「地下は広い上に複雑なので、抜け道が多いのは困りますね」

「頭の痛い事だ」

 ナジームが、眉間に皺を寄せて言った。

「それにしても……おかしな話ですね。食事と言うには、間隔が長すぎます」

 その言葉にクザートも応じる。

「年間に見習いが三人から四人。普通の生き物であれば飢えて死ぬ。俺も不思議だったのだ」

「怪物だから、普通の生物の概念は当てはまらないと考えるべきでしょう」

 俺がそう言うと、ナジームが身震いして、クザートが嫌そうに言った。

「……気持ち悪いな。早く狩って終わりにしたいものだ」

 クザートがそう言って立ち上がったので、俺とナジームも立ち上がる。

「何かあったら、声をかけてください」

 入って来た時と違って、ナジームは協力的だ。

「頼りにしている」

 俺達は中層の執務室を後にして、クザートは下層へ戻って行った。

 俺は上層へ戻り、クルルス様に会いに行く事にした。護衛も任せっぱなしで、全然クルルス様にも会えていない。酷い事件だが、そろそろ報告もしなくてはならないだろう。

 執務室に行くがクルルス様は居ない。今は上層に居る筈だから、セレニー様とカルロス様の所に行く事にした。

 扉をノックする前に、ルルネが困った顔で扉を開けた。そして俺を見て目を丸くする。カルロス様を連れて部屋を出ようとしていた様だ。

「どうかしたのか?」

「丁度良かったです。それが……」

 ルルネは言い辛そうに背後をちらりと見る。

 中を覗くと、クルルス様とセレニー様が睨み合いになっていた。……リンザが不安そうに、護衛中のラシッドの隣に控えている。ルルネは、カルロス様を避難させようとしていたらしい。

 目配せして、ルルネを部屋から出してそっと入ると、二人は俺に気付かない程に言い争っていた。

「許可出来ない」

「だから、何故ですか?」

「カルロスは俺が連れて行って会わせると言っているではないか」

「何故、私はお義父様にお会いしてはいけないのですか?」

「とにかく、ダメだ」

「何度も言っているではありませんか!理由をお聞かせください」

 諍いの理由は分かる。

 ルイネス様の所へ見舞いに行く話だ。どうやらローズからルイネス様の様子がセレニー様に伝わった様だ。セレニー様にだけ会わせないと言うのは……クルルス様の意地だ。理屈など無い。

 政略結婚を了承したのはルイネス様だ。クルルス様は当時、酷くルイネス様を恨んでいたのだ。

 今は亡き王妃、クルルス様の母君はルイネス様の幼馴染だった。一旦家格の高い家に養子にしてもらってから結婚したのだ。恋愛結婚だった。

 クルルス様は、普通の庶民感覚で育てられ、仲の良い自分の両親に理想を見ていた。それだけに、自分の結婚相手を選べない事に強く反発した。

 しかし、政略結婚の相手であるセレニー様を好きになってしまった。骨抜きだ。その上、セレニー様は、険悪な関係だった議会との関係改善まで担ってくれる有能ぶり。

 欠けた部分を補う様な伴侶を、ルイネス様に宛がわれた。それを認めたくないのだ。

 ルイネス様は、庶民出の感覚を活かして改革を進めていく傑物だった。一夫一妻だけでなく、騎士団の在り方、議会の考え方まで、様々な部分でポートを大きく変えた。改革を引き継いだクルルス様が、大き過ぎる父親の背中と向き合う事になり、重圧に苦しんでいたのは知っている。自分だけのやり方と言うのに拘り、議会と反目したのも見ていた。

 クルルス様の辛さも分かるし、ルイネス様には恩がある。俺はどっちにも肩入れできなくて、ただ見ている事しか出来ないまま今に至っている。

 止めなくてはクルルス様が、決定的な事を言いそうだ。言えばセレニー様を傷つけるだろう。ラシッドもリンザも口を挟まない。挟むなら俺なのだが……。

「私はお義父様の前に出せない程、恥ずかしいですか?」

「そうじゃない」

 クルルス様は険しい表情でセレニー様を見ながら、とうとう言ってしまった。

「俺は父上の言いなりで結婚するなど、絶対に許せないと思っていた。父上は自分の愛する女を選んだのに、俺からはその権利を取り上げた。だから酷い喧嘩になった。それから、俺は父上と上手く行っていないが、俺は今も間違えていたと思わない。セレニーだって、政略結婚など嫌だっただろう?たまたま俺達の相性が良かったに過ぎない。それなのに、父上に感謝しろと言うのか?結果論じゃないか。俺は嫌だ!」

 セレニー様の顔から、一気に血の気が引いた。

「クルルス様!」

 俺が思わず声をかけると、クルルス様は今気付いたのだろう……俺を見てからセレニー様を見た。カッとなって、何を言ったのか気付いた様だが、もう遅い。

 セレニー様は、泣きそうな顔で言った。

「たまたまでも……いいじゃないですか」

 声が震えている。

「出会わなければ、居ないのと同じです」

 クルルス様が絶句した。

「どんな出会い方をすれば、あなたは満足だったのですか?」

「それは……」

 王族である二人が偶然出会うなど、まずあり得ない。セレニー様は、泣かない様に必死で堪えながら言葉を続けた。

「出会いがそんなに重要なら、何年一緒に居ても歩み寄れないではありませんか」

 クルルス様は頭を激しく振った。

「違う。俺が言いたいのは、父上の判断に感謝するのは嫌だと言う事だけだ」

「……そんなにお義父様に負けたくないのですか?」

 クルルス様は顔を歪めて言った。

「負けっ放しだよ。俺が何を成し得たと言うのだ。お前の力も借りなくては、改革も進められない。惨めだ。こんな状態、父上に知られたくない」

 セレニー様は、暫く目を伏せてから言った。

「では、ローズにカルロスを託しましょう。私は行きません。ローズだけに託すのが私よりの意見になって不公平だと言うなら、ジルムートも一緒に行かせればいいでしょう。あなたもお見舞いに行かなくていいです」

「セレニー?」

「可愛い我が子を、確執のある大人の中に置く訳にはいきません。あの子は誰の影響も受けず、孫としてお義父様と関係を結ぶべきです。あの子とお義父様の権利です」

 セレニー様は、クルルス様を見据えた。

「最初のきっかけがそんなに大事だと言うなら、そうすべきです」

 はっきり言えば、クルルス様のこだわりで我が儘でしかない。

 その意思をあえて尊重してきたセレニー様の言い分に、クルルス様が異議を唱える事は出来なかった。

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