前国王ルイネス・ポート
オズマ・カイマン……ジルムートの前に、騎士団の序列一席だった騎士。辛辣な態度と強い異能を振りかざし、バウティ家の兄弟だけでなく、大勢の恨みを買っていた。故人。
今日はルイネス様の右耳を攻略している。想像以上に固まって栓の様になった耳垢は、オリーブオイルでふやかして取る事にした。
耳かきの出来る環境を整えるのに、かなり時間がかかってしまった。寝た切りの男性のお世話が初めてだったと言うのも理由の一つだ。
疲れやすいので、様子をみながらまずは清潔な環境を整えていたのだ。
ようやく耳かきが出来る様になった。左耳は手前の分がボロっと取れたのだが、まだ奥にある。
それはまたオイルでふやかして、右耳に移る事にした。今は耳垢の様子を見つつ攻略中だ。脆い部分でボロっといってくれれば少しは減るのだが……。
ルイネス様はだいぶ顔色が良くなって、私に過去の事を話してくれる様になった。ルイネス様は、とても話上手だ。
船大工を十七歳までしていて、突然城から迎えが来た事で、人生が変わったそうだ。
「一夫多妻なんて、ロクなものじゃない。俺は自分が王の子供だなんて知らなかった」
「何故、お城から迎えが来たのですか?」
「俺の腹違いと言う王子が五人居たのだが、全員亡くなった。俺が十五歳の頃に、質の悪い流感が上層で流行ったそうだ。王妃達や従僕も大勢死んだと聞いている」
流感と言うのは、インフルエンザの事だ。
小学生時代に感染を経験している私は、確かに死ぬかもと思う。ここには専用の薬など無いから、治すなら自然治癒。体力勝負になる。
「俺のお袋は城で侍女をしていた。中層に勤めている議員を婿に取ろうと爺さんが勤めに出して……王のお手付きだ。お袋は口を割らずに死んだから、俺も爺さんも知らなかった」
城で跡継ぎが居なくなって、探し出されてしまったらしい。ルイネス様は紫の瞳では無いけれど、クルルス様のお爺様である前々国王に似ているそうだ。
「王が居ないと国が無くなると言われて仕方なく王になったが、オズマが船大工と俺を馬鹿にして虐げるから、かなり不愉快だったな」
オズマ・カイマンは、誰に語られても酷い人でしかない。良い話を全く聞かない。
「あの……オズマ様はルイネス様が城に来た頃から序列一席だったのですか?」
「そうだ。あいつの悪評は知っている様だな。ジルムートの妻なら知っていて当然か」
ルイネス様は遠い目をして窓の外を見た。
「オズマは、何でも自分が一番だと主張しないと気が済まない。しかも相手を貶めて思い知らせようとする」
「それは……嫌われるだけなのではありませんか?」
「男と言うのは、多かれ少なかれ闘争心と言うのがある。絶対に負けたくないと言う気持ちだ。オズマの場合、変な拗らせ方をしていたのだ。困った奴だった」
周囲は全部競争相手で、叩き落さなければならないと考えていたと言う事だろうか。凄く息苦しい考え方だ。考えたくない。
「とにかく、アイツが滅茶苦茶だったお陰で、他の騎士や議会と俺が、まとまっていたのは事実だ」
一つの敵相手に、結束が高まると言うのはよくある事だ。
「俺の爺さんも大きな造船所を持っていたから、議会の商人達とは懇意になっていた。それで協力を頼んで、改革と言うのを色々とやった訳だ。俺は馬鹿だから、王立研究所の研究員達の話を参考にしつつと言う所だな」
それが今のポートへと続く事になる。アリ先生だけでなく多くの研究者の話を聞いて、改革を進めていたのだろう。
ルイネス様は船大工だったと自分を卑下するが、王の素質のあった人なのだと思う。
人の意見を尊重し、惹きつけると言う意味では、申し訳ないがクルルス様よりも上手だ。
「オズマもそうだったが、リヴァイアサンの騎士は何処か歪な感じに俺には見えた。異能と言う重圧だけでなく国にも縛られ、人として死んでいる様な者ばかりだった。しかし怪力の異能があるから、どうしようも無いと思っていた時に、クザートとルミカが俺の所まで来たのだ」
アリ先生に聞いた。クザートとルミカの決死の城への潜入が、うまく行って今に至っている。
「クザートは几帳面な性格でな、バウティ家にあった城の見取り図から俺の寝所に当たりを付け、万一の保険に弟を連れて来た。ルミカは未成年だから、許されるだろうと計算していたみたいだ。……死なせるのは惜しい知恵者だと思ったよ」
さすがクザートだ。まだ十六歳だった上に肺病で死にかけていたと聞いているが、そんな状態でよくやったものだ。
「しかもルミカは、自分の見た目が愛らしい事を承知の上で、『兄上を助けてください。俺の命ならあげます』なんて言うのだ。……演技で、クザートに触ったら殺してやるくらいのつもりで居たのは、丸わかりだった」
確かルミカは十歳か。当時から過激な性格は変わっていないらしい。
「バウティ家の兄弟は意図せず威圧的な父親を排除した事で、母親を守り、家族で支え合う意味を理解していた。俺も父親の居ない環境で育ったから良く分かるんだ。……俺はその張本人であるジルムートを、何としてもクルルスの側に置きたいと思ったのだ」
クルルス様の為。ルイネス様には、クザートの嘆願とか異能者の掌握とか、そう言うものよりも強い動機があった様だ。
「ジルムートは自分や兄弟がどうすれば助かるか考えて、道を切り開いた。それは褒められた方法じゃないかも知れないが、オズマを凌ぐ序列一席には、絶対に必要なものだと俺は直感した」
「ジルムートはあまり騎士に向いている性格では無いと思います」
ルイネス様は言った。
「闘争心と言う意味では、ジルムートはむき出しにする方では無いな。殺しも他の騎士みたいに平気でやるタイプじゃない。……ただ強者に逆らい弱者を守る心の強さだけは、誰よりも強い」
言われて気付く。確かにそうかも知れない。
「強い者に逆らうのは恐ろしい。弱い者は守るよりも放置した方が楽だ。今ある流れに逆らうのは辛いから、皆が歪みを無視して同じ方を向く。しかし権力の中枢に居る者が、その様な考え方では国は変わらない。それどころか衰退して腐って行く。とは言え、ジルムートもクルルスも権力の中心に居なくてはいけない。俺の代だけではどうにもならなかったからな。支え合える仲間として、ジルムートにはクルルスの側に居て欲しかったのだ」
何ていい話だ!ルイネス陛下万歳!
心の中でそんな事を思っていると、ルイネス様はぼそっと言った。
「でも、失敗だったな……」
「え?」
「ジルムートも馬鹿では無いのだから、ちょっとは言い返せばいいのに、クルルスの言いなりの上に愚痴聞き。……あいつが甘やかすから、クルルスは議会で議員達と対立して孤立した。俺が積み上げた議員達との信頼関係をゼロにしやがった」
ジルムートが居るから、クルルス様は議員達にも強気で横柄だったのだろう。一方のジルムートは、騎士の政治不介入を理由に、クルルス様の行動を止める事も無く黙って見ていたのだ。
「昔の王族なら、あれで上手く行ったのだろうが……王政廃止を進めるには、ちょっとダメな奴に育ってしまった。俺の読み違いだ」
自分の息子に対する評価が辛い。
「ここだと外の情報が何も入って来なくなって、今どうなっているのかさっぱりだが……ローズとラシッドの顔を見たら、ポートは大丈夫だと安心した」
クルルス様はセレニー様と結婚する前から、ルイネス様と仲違いをしていたと聞いている。
その後、クルルス様は仲直りしていないのだろうか?だとしたら、あり得ない事態だ。
そう言えば、カルロス様とルイネス様は一度も会っていない。セレニー様も奥に入った事が無い。戴冠式で挨拶はしている。それ以降、私が知る限り接する機会なんて無かった。
クルルス様、酷いです!
ルイネス様が生きている間に仲直りしたいとか、孫と嫁をちゃんと紹介したいとか、無いのですか?……私は侍女だから情報を勝手に流せない。しかし黙っている事が正しいとはどうしても思えない。
その日はルイネス様が疲れた様子だったので、何も言わなかった。
夜、自分の部屋でずっと考えていた。クルルス様は逃げている気がする。仲直りからも、ルイネス様が死んでしまう現実からも。ルイネス様の事を考えると、このまま黙っているのは辛い。
ジルムートはここ最近、とても難しい顔をしている。近寄りがたい雰囲気があるし、城へ来ると上層へ上がらないで下層の何処かに行ってしまう。だから上層の詰所に行ってもラシッドしか居ないのだ。
分かっているのにうっかり詰所の中に入ってしまい、ラシッドに見つかってしまった。
「ローズ様」
背後から声がして飛び上がりそうになって振り向く。
「驚かせないで下さい」
「詰所に用事があって入ってきたのはあなたの方でしょう?俺はここが仕事場です」
ラシッドは後から入って来たので、詰所の入り口を塞いでいる。動かない。
退けと言うのは簡単だが、退かない可能性が大きい。私は諦めて疑問を解消する方を選んだ。
「ラシッド様は……その、ルイネス様が何も知らない事を、ご存知ですか?」
「知っています。引退した王族が、権力から解放されて、平穏に過ごす為のしきたりです」
それでは、私からは何も言えない。そう思っているとラシッドは言った。
「言いたい事は言えばいいと思いますが。ローズ様はパルネア人ですし、うっかり口を滑らせてもジルムート様が守ってくれます」
軽い。そんなあっさりと。私が目を丸くしていると、ラシッドは続けた。
「喋っちゃダメなら、ローズ様を奥に行かせたりしないでしょう。あなたは情に脆いから、すぐに首を突っ込むのはクルルス様も知っていると思います。ばらしてくれるのを、期待してるんじゃないですか?」
何気に酷い。私に対してもクルルス様に対しても。
「ところで、隊長とまだ喧嘩しているのですか?」
「あなたには関係ありません!」
痛い所を突かれて、声が大きくなってしまった。
「隊長に会いたかったのでしょう?」
睨み付けると、ラシッドは意地の悪い顔をした。
「侍女が人の秘密を勝手に話すのってタブーだから言えないと思うのでしょうが……我慢している内にルイネス様が崩御したら、侍女ではないローズ様自身が罪悪感で潰れますよ。そうなったら、ジルムート様も共倒れになります。クルルス様もセレニー様も支えを失います。誰も得をしないので、言って楽になるのをお勧めします。あなたは普通の侍女ではありませんから、侍女の一般常識は捨てていいと思いますが」
「あなたの思惑通りには動きません!」
怒鳴って詰所を後にしたものの、ルイネス様のお世話をして居る間、人でなしの言い放った言葉が頭の中で繰り返された。リンザの時もそうだったが、人の情が分からないのではない。理解しているのだ。ただ、その情を持つ人間の中にラシッド自身が含まれていない。だから利用するだけの人でなしに成り果てている。
分かっているのに、私は人でなしの言葉に屈服する事になった。
「クルルス様にお子様が産まれたのはご存知ですか?」
言ってしまった。ドキドキしながら様子を見ていると、ルイネス様は目を見開いてから、不機嫌そうに言った。
「知らん」
「王子様です。私ずっとお世話をしていたのですよ」
カルロス様の容姿やお世話の話をした。
孫の存在も知らず、ここに体が動かないままでいたルイネス様に、少しでも慰めになる様に必死だった。
「あのジルムートが子守りをしたのか?赤ん坊の世話など、あいつが出来るのか?」
「はい。案外向いているかも知れません」
ルイネス様は、如何にも愉快と言う様に笑った。
「クルルスは、自分の子守りを息子に取られたか。いい気味だ」
笑うと言うのは案外疲れる様で呼吸が乱れたので、耳かきを終わり、ベッドにルイネス様を寝かしつけ、水差しで水を飲ませた。お腹に力を入れて笑えないので、呼吸が苦しくなる様だ。
「少し、お休みください」
「そうさせてもらう。いい話を聞いた」
「まだお聞かせしたい話があります。だから、お元気になられてください」
「元気にはなれないだろうが、もう少し生きていたくなった」
ルイネス様はそう言って目を閉じた。……言って良かったのだと、救われた気分になった。
帰り。
私はクルルス様の執務室を通る。やっぱりクルルス様は居ない。絶対に逃げている。どうしたものかと思案に暮れる。とりあえずセレニー様に報告しようと思い、王妃の部屋に行く。
「ローズ!」
セレニー様が、笑顔で私を迎えてくれた。
「ご無沙汰しております」
ディア様が、笑顔でカルロス様を抱っこしていた。
「カルロス様~。お元気ですか?会いたかったです」
侍女としてあるまじき語尾の伸びだが、カルロス様は特別だから仕方ない。
お喋りはまだ先の様だが、つかまり立ちでピコピコしているのが凄く可愛い。最近、支え無しに歩いたとセレニー様が嬉しそうに言う。見逃してしまった!残念過ぎる。
ディア様とセレニー様、そしてルルネしか居ない。だから、セレニー様はすぐに話を振って来た。
「それで、お義父様の具合は如何かしら?」
「はい、お体は動かないのですが、意識もしっかりなさっていて、お話も出来ます」
「もうダメだとクルルス様はおっしゃっていたのだけれど、持ち直していらっしゃるのね」
クルルス様は、ムスルの悪事を知らないからそう思ったのか。とにかく今は言うべき事ではないので、後回しにする。
「耳かきをしている時に、色々とお話をされますよ」
「素敵!」
セレニー様は凄く嬉しそうだ。ディア様もルルネも心底良かったと喜んでくれる。
この和やかな空気!心が洗われる。ルイネス様はここで静養すべきだ。とりあえず、この勢いに乗じて言う事にした。
「それで……差し出がましいのですが、カルロス様と一緒に奥へおいでになりませんか?カルロス様に一度もお会いになっていらっしゃらないと、今日お聞きしました」
「やっぱり、あなたは私の侍女だわ!」
セレニー様が立ちあがって私に抱き着いた。
「セレニー様?」
「私、戴冠式でご挨拶したきり会わせて頂いていないし、お義父様とカルロスをどうしても会わせたくて、クルルス様にローズの耳かきの事を話して奥へ行かせる事を勧めたの。……あなたなら、きっと私の願いを叶えてくれると信じていたわ」
一介の侍女に、セレニー様も何て重たい希望を託すのだ。私がルイネス様と意思疎通できなかったら終わりだったのだと思うと、ヒヤリとする。
「クルルス様に早速相談して、お見舞いの日を決めるわ」
「お願いします」
何とかして!とか言われたら、重圧を感じるのは目に見えている。だからセレニー様が何も言わなかったのは分かる。問題はクルルス様の方だ。何を考えているのかさっぱり分からない。
全然分からないが、奥は何かがおかしい。相談するなら、ジルムートが一番いいのは分かっているけれど……。そこで思考がぴたりと止まってしまった。




