地下の怪物
「え~、何でそんな面白そうな事に俺を混ぜてくれないのですか?」
上層へバロルを連れて行き、俺は事の次第をラシッドに伝えて上層の指揮を暫く任せる事にした。本当は嫌なのだが仕方ない。
「俺が地下には居ると何度も言っているのに、お前も信じなかっただろうが!」
「だって普通なら頭おかしくなる様な状態だった訳だし、隊長の頭がおかしくなっていたと思っても仕方ないでしょう?」
一度地下に降りると一週間は外に出られなかった。普通は狂うと考えられる環境に二年も居た為、当時の俺の話をクザートやルミカですら、ちゃんと聞いてくれなかった。……辛いから聞きたくないのもあるだろうが。
バロルがきょとんとしている。詳しく説明する気はないから放置する。
「とにかく、暫く上層はお前に任せる」
「つまらないです。そんなの誰でも出来るでしょう?」
「出来ないからお前に頼んでいる。いいからやれ!報告は毎日受けるから、おかしな事はするなよ」
「武闘大会の時も仲間外れで、凄く面白く無かったのですが」
ラシッドは中層の警備をしていて、その間に全部が終わっていたので、物凄く不満そうにしていたのを思い出す。
「日頃の行いが悪いからだ。上層で大人しく仕事をしていろ」
「え~」
俺はバロルと共に上層を後にして、下層へと移動した。
「あの、地下に居ると言うのは……」
「まずはお前を連れて調査すると言う話を兄上に通さなくてはならない。兄上に話をするから、その時に聞いていれば分かる」
バロルは下層の騎士だ。下層の騎士の指揮権はクザートにあるから、話をしなくてはならないのだ。
下層の執務室では、コピートが書類の山に埋もれ、クザートがそれを見守っていた。仕事を覚えさせているのだろう。昼寝をしない様に見張られているらしい。
「ジル、どうしたのだ?……その者は?」
「バロル・ロンテッドと言う騎士です。実はこの者を俺の補佐に暫く借りたいのですが」
俺は今までの経緯を説明して、バロルの資料を見せた。俺が子供の頃地下で見た怪物が、未だに地下に居る筈だと説明した。
説明が進むにつれて、バロルの顔色が悪くなっていく。幼馴染の失踪が、とんでもない方向へ転がっている訳だから当たり前だ。
「……ハリードの隙を突いて、これだけの人数を殺し続けるのは人間では無理です」
クザートは渋い顔になった。
「それが本当だとして、どうするつもりだ?」
「今度こそ、狩ります」
クザートは、俺が地下に行く事に長年難色を示していた。俺の表情が出なくなった因縁の場所に、立ち入らせたくなかったのだ。俺に表情が戻り、力が漏れなくなった事は理解しているので、もう地下に入るなとは言わない筈だ。
クザートは物事に対する対応が、前に比べてかなり柔軟になった。心配し過ぎて、大事な者を全てから遠ざける様な態度は取らなくなった。ポーリアの治安も少し肩の力を抜いて対応している。コピートに仕事をやらせて見守るなんて余裕は、以前無かった。……ディアとモイナのお陰だ。
「まだ信じられないが、本当なら俺も手伝う。コピートもな」
「俺もですか?」
「「当たり前だ!」」
コピートの疑問に、俺とクザートは同時に応じた。
「お前がバロルの訴えを門前払いにしたのは、かなり許せないのだが」
俺はそう言うと、コピートの頭に拳を落とした。
「いて!」
「兄上に絞られて反省しろ!」
俺は顔色の悪いバロルと二人で、下層の執務室を出た。
「事情は理解出来たか?」
バロルはかすれた声で返事をした。
「怪物が地下に居て、騎士見習いを襲っていると言う事だと判断しました」
「その通りだ。すぐに信じろとは言わない。俺も周囲に言っていたが、信じてもらえなかった事だから」
「はい……」
怪物が城の地下に居る。そんな事、普通なら信じない。何年もこの謎を追っているバロルだから、話をしてもいいと思っただけだ。
「とにかくハリードの所へ行く」
俺に訴えて来た時の勢いは無くなって、すっかり落ち込んでいるバロルを連れて、俺は地下に降りた。
すると背格好はハリードなのに、頭部が明らかにおかしな奴が見習い騎士の訓練の場に立っている。兜を被っているのだ。
「誰だ?」
「ジルムート」
くぐもった声で軽く手を上げる兜頭。聞き覚えがある。やはりハリードだ。
「ジルムート様だって!」
「俺、始めて見た」
「ハリード様より小さいぞ」
「馬鹿、ハリード様がでかすぎるんだよ!」
「クザート様と似てないな」
俺が来た事で見習い騎士達が騒ぎ出して訓練どころではなくなり、今日の訓練は終了する事にした。ハリードには聞かなければならない事が山程ある。
奥の部屋へ行くと、ハリードは頭に被っていた兜を外した。
「何故……そんな物を被っているのだ」
「顔を見られるのが嫌なのだ」
館にあった甲冑の頭部だけを外して被っているそうだ。ポートで甲冑は無意味だから、本当に飾ってあっただけの甲冑の兜だろう。……体は騎士服だから、凄くおかしい。
「髭を生やせば気持ちが落ち着くかもしれないと、アンナが言うから試したが……これが一番いい」
アンナと言うのは、ミハイルの母親だ。
北部の集落から連れ去られて来た女だ。借金のカタにされたのではなく、十六歳で誘拐されてポーリアに来た挙句、そのまま借り腹として売り払われたそうだ。
十七歳でミハイルを産んでいるから、今二十八歳だ。素朴な女で、ハリードはとても大事にしている。金持ちの女と違って威張った所が無いし、大人しいからだろう。
オルレイ家の当主は金の亡者で、リンザの言う通りだった。金が絡むと殺し以外は何でもやる男で、リンザの父親とは言え罰しない訳にはいかなかった。
リンザの父親は今、デルグ監獄と言う石切り場に送り込まれて、石切りの強制労働をさせられている。終身刑だ。クルルス様に二人目のお子様でも産まれれば、恩赦で刑期が変わるかも知れないが、それでも十年は出て来られない。
地下牢に入れたらミハイルに殺されるかも知れないので、すぐに処罰を決めて移送した。
ミハイルは勝手に城に忍び込めるし地下にも詳しい。ハリードはアンナが生きていたから我慢しろと言ったらしいが、ミハイルは全く我慢する気が無かったそうだ。
確かにクズの様な男ではあったが、リンザの父親だし、ミハイルにあの年齢で人殺しはさせたくない。
ハリードは武芸の達人でありながら、人殺しとは縁が無い。……人が怖いので、触るのすら嫌なのだ。触れられるのはミハイルくらいだ。それで、好いていてもアンナに触れられないと聞いている。
そんな事を思い出していると、バロルの声がした。
「僕、初めてハリード様の顔を見ました」
バロルが騎士見習いをしている頃から兜を被っていたらしい。
ハリードがバロルの方を一瞬見て、だから嫌だったのだと言わんばかりの顔をしたので、バロルに慌てて言った。
「ハリードは見られるのに慣れていない。あまり見ないでくれ」
「え?わ、分かりました」
これでいいか?と視線をハリードに向ければ、既に兜を被っていた。
「……取ればいいだろうに」
「落ち着くからこれでいい」
兜はここに置きっぱなしにしてあるそうで、城への出入りには使っていないと言う。もう、放置する事にした。
「それで、用件は?」
ハリードの言葉で、俺は用件を切り出した。
「怪物を見た事は、あるか?」
ハリードは暫く黙ってから、俺を指さした。兜を被っているから顔は見えないが、多分冗談では無い。……失礼にも程がある。とは言え、こいつは責めると会話にならなくなるので我慢する。
「地下にずっと住んでいる怪物の事だ」
食いしばった歯の間からそう言えば、黙って頷く。
「ガリガリで、逃げ足の速い奴か?」
「多分、それだ」
「威嚇して追い払っているが、たまに見習いが襲われている」
バロルがビクっとした。
「まだ、居るのか?」
「居る。俺が出仕した時からずっと居る。牢の罪人を掃除する為に城が飼っているのかと思っていたが、違うのか?」
そんな掃除は断じて認めない!
オズマの思考を引き継いでいる部分があるから、ハリードは無自覚に酷い時がある。……俺はこいつと話す時、いつも我慢している気がする。
とにかく伝えておく必要がある。
「違う。あの怪物の事は、多分俺とお前くらいしか知らない」
俺の言葉にハリードは暫く沈黙した後、凄く慌て始めた。
「結構食われたが、どうなっているのだ」
「食われたって、どういう事ですか?」
バロルが茫然として聞き返す。ハリードが答えないので、俺が渋々答える事になった。
「地下の怪物は……人を食うのだ」
俺は何度も自分が矯正中の弱った罪人を横取りされた経験がある。拷問の際に、脱臼させたり骨折させたり、動けない様にしている為、襲いやすいのだ。
追跡した先で見た物に関しては……誰にも言った事が無い。
「お前も……見たのか?」
ハリードは黙って頷く。
「遺留品は、回収して少し先の倉庫に保存してある。誰か取りに来るかも知れないと思っていたのだが、誰も来なかった」
「ところで、よく触れたな」
ミハイル以外の人間には触れないと言っていたのに、よく遺留品に触れたものだ。
「死体は何も考えない。何も言わない」
確かにハリードに対して、何も思う事も言う事も無いだろうが……俺の記憶にある限り、遺体は酷い状態の様な気がする。それは平気だったのか?
「その倉庫、見てもいいか?このバロルと言う騎士は、幼馴染が騎士見習いのときに行方不明になっているのだ」
「俺が出仕してから見つけた限りは、そこに入れてある」
倉庫を開けると、想像を絶する光景が拡がっていた。騎士服が小山になっていたのだ。酷い匂いもするし、ネズミや虫も居る。地下は湿度がある。血を吸った騎士服をそのまま放置すればこうなってしまう。
想像以上に犠牲者が多い上に、遺留品の保管状態は最悪だった。これでは誰の物か判別は難しい。十七年分の遺留品。嫌な予感はしていたが想像を遥かに超えていた。
「バロル、レイニスの形見は諦めてくれ」
顔面蒼白で、バロルは倉庫と言われた部屋の中を見ている。
「……残念だが、これは燃やさねばならない」
異臭を放つ布の山。それだけの数が犠牲になっていると言う事だ。その事実が俺自身にも衝撃を与えている。バロルは我慢できずに、木桶に駆け寄って吐き始めた。
目の前のハリードは兜を被っているので表情が分からないが、戸惑っている様だ。動きがオドオドしている。
「俺は、間違っていたのか?」
「いや、時間が経ち過ぎているだけだ」
あれはダメだ。俺でも触りたくない。地上に出して燃やす役目も、押し付け合いになる事だろう。とりあえず遺留品を集めて倉庫に入れて置くを繰り返す内に、歳月が経過してこんな事になったのだ。
ハリードだけを責める訳にはいかない。ここまでの殺人を放置した責任は俺にもある。こんなに犠牲者が出ているなんて、思っていなかった。
「それで、最後に見たのは何時だ?」
「昨日」
……最近過ぎて、絶句する。
「先月やられて一人居なくなった。遺留品を探しに行って、遭ってしまった」
「襲われたか?」
「あっちが逃げた。いつもそうだ」
俺の時と同じだ。子供だと言うのに俺を襲ってきた事が無い。獲物である罪人を守る時に戦った事がある程度だ。
「他に知っている事はないか?」
「扉が開けられない」
「……本当か?」
「鉄格子にしろ木製の扉にしろ、扉と言う扉は、鍵が無くても開けられない」
「何故、知っているのだ?」
「ミハイルを守っている時に気付いた」
重要な情報なので、黙って続きを促す。
「鉄格子のある牢に入れておくと入って来ない。木の扉のある部屋でも入って来ない。鍵をかけなかったが入って来なかった。少しでも開くと入って来る」
小さなミハイルをしつこく狙ってきたそうで、ミハイルが勝手に扉を開ける上に、鍵をかけると泣き喚くので、苦心して弟を閉じ込めながら学習したそうだ。
「リヴァイアサンの騎士を化け物だと言う奴もいるが、化け物と言うならアレの事だ」
「倒せそうか?」
兜頭は左右に首を振った。
「お前も知っての通り、ここの通路は銛一本分だ。大部屋で無い限り、銛を振う空間が無い。追いすがって捕まえるなら体術になるが、アレには弱い者を狙う明確な意思も殺意もある。気持ち悪いから触りたくない」
死体よりも、思考があると言う事の方が気持ち悪い様だ。
「後、ジルムートはここで異能を無暗に使わないほうがいい」
ハリードの思わぬ言葉に俺は首を傾げる。
「ここの壁や天井が崩れると、城の底が抜ける」
言われてみれば、ここは城の地下だ。衝撃波で壁を壊せば何が起こるか分からない。
「……確かにそうだな」
異能の力に頼れない中、迷路の様な地下に潜伏している怪物を始末しなくてはならないらしい。
対策を考えなくては。長年放置した俺にも責任はある。これ以上犠牲者を出してはいけない。俺は黙って布の山を見据えた。