ローズの外出
ジルムートの耳かきをしていて思う。
やはり、城の外に出たい。
動物の死骸だと思うと、どうしても可哀そうな気分がつきまとう。見知らぬ動物だったらまだ良かったのだが、前の世界でカメは飼っていたし、ゾウは動物園で見たからダメなのだ。
もっと大人の記憶だったら割り切れたのだろうけれど、可愛い!とか凄い!とか思った子供の素直な感情をそのまま思い出すので、罪悪感が拭えないのだ。
しかもジルムートの耳は綺麗過ぎて、私は満足できないのだ。
ジルムートの耳の中は、綺麗さっぱり何も無かったのだ。……次に耳かきを持って来たときは、自分で耳かきし過ぎて炎症を起こし、ほじれないのではなかろうか。
耳かき信奉者が一度は通る道だ。そうして、痛くないテクニックを身に着けるのだ。
それはそれとして、イライラの解消にジルムートの耳はもう使えない。こいつの耳は私を必要としていない。
だからって、誰かを用意しろと言うのもちょっと嫌だ。
成り行き上、こいつは私の太ももに頭を乗せても許しているが、次にやるなら乗せる相手は慎重に選びたい。
腹に顔を摺り寄せてくる様な輩は避けたい。できれば、品の良い女性がいい。……品の良い女性の知り合いなんてジルムートには居ないだろう。多分。
耳垢の発掘でのストレス発散は、諦めた方が良さそうだ。
ジルムートの耳をほぐしつつ、私は考える。
ここは港で、あらゆる品が手に入る。パルネアには無い竹を手に入れる事が出来るかも知れない。
そう考えたら、ジルムートを虐めているよりもうんと前向きだと思えた。
パルネアの図書館の本は、閲覧制限があった。一介の侍女である私が読んでいいと許可された本は、とても少なかったのだ。竹があるかどうかなんて、調べる事は出来なかった。
この国に来てから三か月目にようやく許可を得て入る事の出来た図書館は、閲覧制限は無かったが広すぎる上に、読めない文字の本が混ざっていた。図書の分類がいい加減なのだ。
司書は、高い場所の本が取れない様な老人が一人だけだった。
その為、竹を探すのは想像以上の困難を極めている。
毎晩、図書館へ行く。そして夜半まで文字を追う。酷く目が疲れるけれど、毎晩やっているせいで朝日が黄色く見える。
幸い、夜中にセレニー様に呼び出される事はまずない。……というか、寝室に近づくのも憚られるから出来る事だ。
朝起こす時間もうんと遅くなった。
お幸せなのだと思う反面、思う事がある。これで大丈夫なのか?と。
分かってはいるのだ。
セレニー様は外国人である上に女性なので、今の所、政務に参加できない。クルルス様に政務に参加したいと言う事は言っていない様だ。
ご公務としてクルルス様と晩餐会等に出席はされるが、城の外の公務はまだ無いので昼間は暇だ。
寝坊して起きて体を清め、食事をして、後は読書するか、城の庭を散歩するしかない。
セレニー様はこの暮らしのせいで、一気に堕落してしまった気がする。やる気が無くなったのだ。
クルルス様はセレニー様に、あまり王妃の役目を与えない。そもそも王政を廃止したい方だし、外国育ちのセレニー様に負担を与えない為だと分かってはいるが、それも悪影響を与えている気がする。
でも私は侍女で、王様や王妃様に意見する立場に無い。
何よりもセレニー様が、今の状態に満足されてしまっているのが、私から見れば問題だ。
クルルス様を信じて、お任せしよう。
そう思って、のんびりと奉仕されて暮らす事に慣れてきている。
世間を知らないまま籠の様な城で育った十六歳で、仕方ないと言えば仕方ないのだが……女性の地位向上なんかは、全く考えなくなってしまった。
女が男と同じ様に考えて、意見を交わして生きて行くなんて思考は、根こそぎ無くなってしまった様に見える。
一見上手く行っている様で、後々大きな問題になりそうな予感がしてならない。
アネイラに書く手紙は検閲されているから、こんな話は書けない。城の中では孤立しているから、情報が全く入って来ない。
このまま城に居ては、何も出来ない。
だから、竹探しと情報収集の為に城から出たいのだ。
よだれを垂らしそうな顔をしているジルムートを見て、内心悪態を吐く。
耳かきして欲しいなら、耳垢ちゃんと溜めて来い!
そんな訳で、こいつは用済みだ。
私は思考を次に向けた。もの言いたげなジルムートを部屋に残して廊下に出る。
今すぐにセレニー様に相談しよう。
私が耳かきの材料を探したいと言えば、きっと納得される。後はクルルス様に上手くとりなしてもらって……。
背後から、いきなり腕を掴まれた。
振り向くと、黒い制服が見えた。
「何ですか?不躾に」
廊下は目立つ。この世界であれ、前の世界であれ、いきなり男が女の腕を掴むのは、明らかなマナー違反だ。そして私にそんな非礼を働く者は、顔を見なくても分かる。
私の言葉で意味が分かったのか、ジルムートは慌てて手を離した。
顔を見て呆れた。
……何を言えばいいのか分からないが、とにかく慌てて追いかけて来た。
と言う、顔をしていたのだ。
私は十九歳で、ジルムートは二十五歳だ。腰を抜かす程の怖い雰囲気を出せるのに、今は子供と変らない。何なのよ、こいつ!
耳かきで屈服はさせたが、年上の男性に公の場で、こんな子供じみた態度を取られるのは困るのだ。
「御用は何でしょう」
ジルムートは一瞬考えてから言った。
「俺がクルルス様に言う。その方が話が早い」
「そうですか」
助けてくれる気なら、それは歓迎しよう。
「では、よろしくお願いします」
それから三日後、ジルムートと関わるとロクな事にならない事を思い知る事になった。
「ジルムートとデートに行くお許し、出たわよ!」
セレニー様の声が、絶望的な言葉となって私の脳に突き刺さる。
何故?どうしてこんな事に……。
「そんな事は頼んでおりません。耳かきの材料を探しに行きたいと言っただけです」
セレニー様は私に変化が無い事を確認して、ふくれた。
「なぁんだ。ジルムートの片思いなんだ」
単に耳かきで屈服させているだけだ。何でもかんでも恋にしないで欲しい。
「セレニー様、ご自分が幸せだからと人の関係を邪推してはいけません。これは王妃としての、品性に関わる問題です」
腰に手を当ててそう言うと、セレニー様が不貞腐れた様に言う。
「他の侍女達はこう言う話、凄く喜ぶのに」
「とにかくいけませんよ」
「分かったわ」
不機嫌そうな声で、返事が返って来る。
セレニー様には他の侍女達も歩み寄るのに、私だけ遠巻きにされている。だから、最近セレニー様との距離も遠いのだ。
アネイラが戒めて私が仲裁すると言う役割は無くなって、私は戒める役をやらなくてはならなくなった。
そのせいで、甘やかしてくれる侍女達にセレニー様の心は移ってきている。
『これからの時代は、実力主義よ。身分が無くなっていくの。そうなったら私に何が出来るかしら』
目を輝かせて、そんな事を言っていたセレニー様はもう居ない。
チヤホヤされて大事に甘やかされ、大勢の僕の働きに依存して生きて行く。それが王妃の在り方なのだとすれば、私が煙たがられても仕方ない。
きっと私が町に行くようになれば、その間にも他の侍女達との親睦が深まっていくだろう。そうしたら……。
私は慌てて頭を振って、その考えを追い払った。