今日もローズは夜勤です
ラシッドは暫く考えてから言った。
「殺しさえしなければいいのですよね?」
えげつない方法を考え出して、私やジルムートを困らせたいのだろう。……こうなったら受けて立つしかない。
偽装は死んだ後でするものだろうから、その技を封じさせてもらう事にした。全部を止められないにしても、何もしないよりはマシな筈だ。
「それでいいです。壊すのは一瞬の行為です。戻ってこないから、絶対にやったらいけません。……とにかく、リンザを大事にし続ける事です。その覚悟がないなら、リンザとの結婚は私が許しません」
「ふぅん……。そうまで言われると、どうしても結婚したくなりますね。いいでしょう。俺はその条件に乗ります」
食いついた!自分で仕掛けておきながら、内心はビクビクだ。人の人生を左右する様な事、本当ならしたくない。リンザの居ない所でこんな話をするなんて、そもそもおかしいのだ。
「リンザが断って来たらナシですからね!」
リンザ、断って!お願い。なんて思いつつ、私から上層に侍女として残る方法として、ラシッドが提案している方法をリンザに伝えた。
「もう、お城には来られないと思っていました。夢みたいです」
やっぱり好条件だと受け止めた。悪夢にならない様に現実を知らせねばならない。
「リンザ、ラシッド様は人を好きになった事がありません。あなたの事も好きな訳ではないのです」
「では、何故助けてくれるのですか?」
「助けるのではありません。暇つぶしの相手としてあなたを見つけただけです。……お嫁さんが居ないと、親と別居出来ないと言うのが一番に理由だそうです」
そこで、リンザが納得しない限り、夫婦関係は結婚後もキレイサッパリである事も告げる。
「あまりにもあなたの気持ちを考えなさすぎる提案ですし、無理に受ける必要はありません。お城程は出せませんが、うちで雇うので無理はしないでください。……とにかくラシッド様は普通ではありません。それを念頭に入れて、考えてみてください」
私がそう言って答えを保留しようとしたら、リンザは言った。
「私が子供を産む事に納得しない限り、私は今のままお城に出仕できると言う事ですよね?しかも、好きな人が出来たら、別人にして送り出してくれると」
「そうです」
「します!ラシッド様と結婚します」
「そんなにすぐ決めて大丈夫ですか?」
「私、弟達がちゃんと一人前になるまで働くつもりだったので、結婚は考えていませんでした。書類上の結婚をするだけで、お城のお給料が今まで通りにもらえるなら、それが一番です」
多分、そんな単純にはいかないだろう。相手はあのラシッドだ。女性の気持ちが理解できないのに、口説くと言う暇つぶしをする気満々だ。
「もしお城が嫌になったら、いつでも私を頼って下さい。いいですね?」
リンザは元気よく返事をしたが、本当にこれで良かったのか、未だに分からない。
そして半年が経った今……。
リンザが凄い勢いで走っている。上層の廊下を侍女が走るとかあってはならない事だけれど、私は黙認している。
「お疲れ様です!ローズ様、ディア様、お先に失礼します」
一気に中層への階段を駆け下りていく。
私はそれをディア様と見送る。
「……何度見ても、凄いわね」
ディア様の呟きに、私は苦笑する。
その後を、のんびりとした足取りでラシッドがやってくる。
「うちのお姫様は帰りましたか?」
知っている癖にわざと聞くな!
婚約した途端、人でなしの本性を露わにしたラシッドに対して、名前を呼ぶなとリンザが怒鳴ってから、ラシッドは好んでこの呼び方をする。パルネアの恋愛関連の本を参考にしたと言う。
ディア様が『古典的ね』なんて言うので、昔からある言い回しの様だ。
ジルムートはこれを聞いて、凄く渋い顔をしていた。自分もそんな風に言わないといけないのかと真剣に悩んでいたみたいなので、鳥肌が立つからやめて欲しいと言ったら、ほっとしていた。
「今、凄い勢いで帰って行きましたよ」
ラシッドに送られるのが嫌なのだ。
「明日から妻なのですが、お姫様は変ですかね」
「いいんじゃないですか……何でも。嫌われてるのは同じでしょう」
半眼で呟く。お姫様だろうが奥さんだろうが、リンザが心底嫌そうな顔をするのは同じだ。
リンザは家を買った。弟妹と共に、そこで今暮らしている。
明日からグリニス家の嫁になる訳だが、リンザは間違いなくラシッドの居る新居には帰らない。
家を買うのに借金をしているリンザは、高給である城での仕事を続けたいそうで、ラシッドとは別れないと言い張るが、ラシッドの事は毛嫌いしている。……本当に酷い事になっている。
ラシッドはリンザの買った家を小屋呼ばわりして、借金の肩代わりを申し出た。当然リンザは怒って申し出を断った。……ラシッドは、わざとリンザを焚きつけたのだ。借金をしている限り、リンザは絶対に城の侍女を辞めないからだ。私やジルムートを頼って欲しいと言ったのだが、それもラシッドは『バウティ家にたかるハエだな』とか言ったそうで、もう手の施しようがない。
「物凄く意識しているから嫌いなのでしょう?もう俺は、好かれている様にしか思えません」
ラシッドは上機嫌に言った。そこまで女に毛嫌いされる事すら、面白いらしい。
こいつの感覚は真っ当じゃない。
ラシッドはリンザの家に後から行って上がり込み、弟妹達と一緒にご飯を食べて行くのだそうだ。
食べる量が凄いそうで、家計を圧迫しているとか。しかし、ラシッドからその分の金をもらうのも嫌で、リンザは苦悶していた。弟妹の養育費も受け取っていないので、かなり苦しいのだ。
それを思い出していると、ラシッドが言った。
「明日からは夫ですから、堂々と生活費を渡せます」
「受け取らないと思いますよ」
「嫌でも受け取らせますよ。はした金ですしね」
騎士のお給料がいいのは認める。でも、はした金とか言うな。
「これで、堂々と毎日上がり込んで飯が食えます。うちの使用人は飯がうまくないので、この際、全部リンザに作ってもらおうかと思っています。安くてうまいと言うのはいい事です」
今までも、堂々と上がり込んでご飯を食べていた癖によく言う……。
リンザはあんなに嫌っているのに、見事ラシッドの胃袋を掴んでしまった様だ。
「では、最後のただ飯を食いに行きますので、失礼します」
ラシッドが階段を下りて行き、私はがっくりと項垂れた。
ラシッドは、安くておいしいご飯が毎日食べられる程度にしか思っていないのだろう。でもあれは無自覚だが、完全にリンザに懐いている。
この世界の男性と言うのは、おいしいご飯があると言うだけで、あっと言う間に釣れてしまう。本能に直接訴えるものだから、抗えない様だ。特に武官に効果的で、騎士はそれにばっちり当てはまっている。
パルネアに居た頃、何人ものメイドや侍女が、そうやって意中の男性を落とすのを見ていたから知っている。
コンビニもないし、食べ物の殆どが保存できない。こんな世界だから、旬の素材を腐らない内においしく調理すると言う技術は、生活に直結している。
ポートの中でもポーリアは、港町で香辛料や調味料が比較的安価に手に入るので、繊細で様々な味付けの料理を作る事が出来る。
リンザは弟妹の為に腕を磨いたので、安価でおいしい料理やお菓子のレシピを一杯知っている。それで知らない内に、毛嫌いしている相手を餌付けしている状態なのだが……今更止めても遅いだろう。明日から夫婦だし。
ディア様が笑う。
「この国には、パルネアとは全然違う人ばかりいるのね。ローズは一人で大変だったわね」
「慣れたつもりだったのですが、まだまだだって、最近思います」
「でも、パルネアに戻れないもの。ここで頑張るしかないわ」
「はい」
階段をクザートが上ってくるのが見えた。こうやって私もお迎えに来てもらっていたが、今日クザートが迎えに来たのは、ディア様だ。
「ローズちゃん、夜勤か?」
「はい。クザートはディア様のお迎えですか?」
「そう。うちで一緒にご飯を食べるんだ。モイナも一緒にね」
クザートは嬉しそうにそう言う。
「私も食べたいです」
ディア様の料理は凄くおいしい。
「また今度ね」
「じゃあ行こうか。ローズちゃん、またね」
二人は、並んで階段を下りていく。
リンザとラシッドを見た後だからだろうか、二人には穏やかな関係を感じてほっとする。
お友達状態になったと聞かされている。それなのに、モイナにはクザートが父親だと伝えたそうだ。
モイナはあっさりと受け入れて、両親のどちらにも懐いている。……前世から今までの経験で、別れたら恋人も夫婦も終わるものだと思っていたから、二人の関係は不思議だ。
モイナと言う子供がいる事から、夫婦にならない事を疑問視する声も多いけれど、二人が納得して決めた事だから、それが一番なのだと私は思う。
カルロス様のお世話は相変わらず大変だけれど、柔らかい物を食べられる様になり、よく眠る様になったので、セレニー様の負担は一気に減った。
代わりに這って移動する様になり、その早さに手を焼いている。ちょっと目を離すと、全然違う場所に居るのだ。凄く怖い。
ラシッドが仕事の凄く出来る人だと言うのは本当で、ジルムートの負担は大きく減った。笑顔の人でなしに唯一感謝している所だ。お陰でまた家で耳かきが出来る様になった。
カルロス様はここ三日、熱を出していた。セレニー様もクルルス様も凄く心配していたけれど、上層の医者は『赤ん坊によくある病気』と一刀両断した。
そうは言うが、カルロス様は苦しそうで、濡れた布で冷やす程度の事しかできず、皆で心配していた。今日の昼間に熱が下がったのなら本当に良かったと思う。
「セレニー様、ローズです」
私が部屋の中に入ると、セレニー様がカルロス様の寝ているベッド脇に座り、一心にカルロス様を見つめていた。
「お疲れ様です。カルロス様のお加減は如何ですか?」
「熱は下がっているわ。でも、首に何かできていて、痒そうなの」
「お医者様は何と言っていましたか?」
「もう熱は出ないけれど、このできものは治るまで暫くかかると言っていたわ」
「そうですか」
これは、眠れないカルロス様にお付き合いする心づもりで居なくては。
「私にカルロス様の事はお任せ下さい。セレニー様はお休みを。明日の午前中も会議があるので、休まないと皆を心配させてしまいます」
疲れた顔のセレニー様を、中層へ出してはいけない。クルルス様とジルムートにそう言われているので、私はそれを徹底している。
「何かあったら、必ず教えてね」
「勿論です」
後輩の侍女に、セレニー様の為に足湯を用意して、その後でマッサージする様に頼んでおく。セレニー様の足はさっき、ちらりと見えたのだがむくんでいた。ちゃんとむくみを取る必要がある。ドレスで隠れるけれど、足首はちゃんと締まっていて、綺麗な靴が似合う様にしなくてはならない。王妃だから。
上手にマッサージできるか心配だが、慣れてもらう為にも今日の夜勤の相棒であるルルネには頑張ってもらう事にする。ルルネはリンザより年下で、まだまだ失敗の多い侍女だ。
でも、ディア様に言われたのだ。
「出来る様に指導するのも、先輩であるあなたの仕事よ。だから、自分がやった方が楽だと思う仕事も、他に振りなさい。研修が無いから、ここではそうしないと仕事を覚えられないわ」
パルネアで侍女やメイドの教官だった人の言葉は重いので、素直に従う事にした。
激務だから、お金持ちのお嬢さんに色々やらせたら誰も居なくなってしまうと思っていたのだが、案外根性のある子は居るもので、辞めないで今までの人数が残ってくれている。
出来る事が増えるのは自信に繋がる。皆、自分もやれば出来ると言う達成感のある仕事を気に入ってくれていたのだ。嬉しい限りだ。
とは言え、やっぱり心配だ。カルロス様を抱っこして、暫くしたら様子を見に行くつもりでいる。足湯の温度は大丈夫だと思うが、やはり直に王妃の肌に触れてマッサージをするのだから、ルルネも不安だろう。カルロス様も抱っこしていれば泣かないだろうから、ちょっと様子を見守ろうと思う。
カルロス様のベッドの脇に座る。確かに痒そうだ。
「痒いですか。お薬があったら塗りたいですね。ぬりぬりすると、痒くなくなるお薬」
カルロス様も同じ気持ちなのか、悲しそうに私を見た。
私はカルロス様の頭を撫でた。
「でも、そんなお薬はこの世界にはないので、我慢ですよ」
人を見分ける様になったカルロス様は、男性を見ると泣くようになった。これにより、ジルムートは子守りから放免される事になった。
問題は、父親であるクルルス様にまで泣くようになった事だ。
「小さいのに男だな。女がいいとは……」
悔しそうにそう言う言葉は弱々しい。かなりの衝撃だった様だ。一時的なものだそうだが、早く治まって欲しいと思う。
「カルロス様、今晩はお付き合いしますから、安心して下さいね」
私はぐずっているカルロス様を抱っこして、あやしながら言った。
長い夜が始まる。ジルムートも同じ城のどこかで仕事をしている。もめ事や荒事は皆騎士団に相談する。下層や中層で処理できない案件は、上層のジルムートの所に来る。今頃、昼間にたまった案件の処理で忙しくしている筈だ。
私も頑張らなくては。
ふと窓から見た空には、綺麗な月が浮かんでいた。




