ローズ、ラシッドと戦う
「ディア様!」
私が声をかけると、ディア様は以前と同じ優しくて明るい笑顔を向けてくれる様になった。
「お疲れ様です。ご苦労様でした。カルロス様のご様子はどうでしょう?」
「熱は下がっているから、セレニー様のご様子の方を気にかけて差し上げて。初めてのカルロス様のご病気で、かなり気をもんでいらしたから」
「分かりました」
相変わらず鮮やかな指示だ。素晴らしいです!これで今日の夜勤もばっちりです。
この半年、色々な事があった。ようやく落ち着いた日常を取り戻しつつある。
ディア様とクザートは、ハリードの館で話をしてから十日程して一緒に出仕して来た。
迷惑をかけてしまった事を二人で謝罪した。クルルス様やセレニー様だけでなく、ジルムートや私、城の迷惑をかけたと思う人を片っ端に回って、一緒に謝罪していた。
コピートもジャハルも、序列が下なのにクザートに謝られたものだから、恐縮して縮み上がっていたそうだ。
コピートは、そのまま副官として下層に残り、クザートの仕事を手伝っている。
ミハイルは戸籍が与えられて……それ以上の事はされなかった。
とにかく礼儀はなっていないし、人の話を聞かない。周囲に見せられないのが現状だ。リヴァイアサンの騎士として、今お披露目する訳にはいかない。
そんなミハイルの世話をしているのが、ジャハルだ。
さすがにライナスが面倒を見るのは、大変だと言う事になった様で、クザートが無事に復帰した事もあり、ジャハルがミハイルの護衛になった。
四十代も半ばで、騎士団の序列を維持するのは大変だから、ライナスが騎士団に入団したら、引退してミハイルの専属護衛を引き受けると言っている。クザートは引き留めているが、ジャハルの決意は固い。
ライナスを育て終わったので、楽隠居をしたいと言うがまだ若いと思う。それにミハイルの護衛では楽隠居じゃない。結局、誰もやりたがらない大変な仕事を黙って引き受ける人なのだと思う。本当に良い人だ。
ジャハルは嫌がるミハイルを毎日上手く丸め込んだり焚き付けたりして、アリ先生の所まで送って行っている。
そしてアリ先生は、新しいリヴァイアサンの騎士と言う研究材料をどう仕上げるか、日々考えて楽しく過ごしているらしい。
会えていないから、ジルムートに聞いた話だ。……ジルムートには、アリ先生に会って話を聞いた事がバレた。その後、反省文臭い手紙をアリ先生からもらった。もうしませんと言う文言が、何回も繰り返されていた。
権威ある学者が、侍女によく分からない反省文を提出する原因は一つしか無い。ご迷惑をおかけしました。と言う返事を書いた。
誰かに書かされたらしいその反省文は、捨てる訳にもいかず、そっと机の引き出しの奥にしまった。
ハリードは、オズマの後妻さんと再会した。生きていて無事に保護出来たのだ。今は同じ館で、ミハイルとして三人で暮らしている。
ジルムートは凄く感謝されて、ハリードの人間不信は和らいだそうだ。
ただ、それはジルムートに対してだけで、他のリヴァイアサンの騎士に対しては相変わらずの様だ。
ジルムートは天敵だったのに、すっかり気を許して盟友扱いされているらしい。社会復帰の第一歩だと思うのだが、ジルムートはあまり嬉しそうじゃない。
ここからが大問題だった。後妻さんが見つかったのは何とリンザの家だった。オルレイ家が斡旋業者で、ハリードから生存料を取っていた恐喝業者だったのだ。
ジルムートが事情を淡々と説明するのを横でハラハラして見ていたのだけれど、リンザはケロっとしていた。
「知っています。だから侍女になりたかったのです」
「どういう事だ?」
「私は、何処かの家に借り腹か妾として出されると言われて育ちました。この商売は娘を商品にするのが当たり前なのです」
リンザが熱心に侍女の仕事を覚えていた理由を理解した。他の裕福な家のお嬢さん達に比べて、鬼気迫るものがあったのだが……納得の理由だった。
「これで、妹達も弟達も助かります」
結構兄弟の多いリンザは、侍女の仕事で両親から独立し、弟妹を自分で引き取るつもりだったらしい。
「父は金が絡むと何でもするので、弟達も妹達も、金で親から買うと言う変な話になっていました。だからお給料は殆どむしり取られていました。しかも家に帰ると私も商品ですから、いきなり出荷されるのではないかと、本当に生きた心地がしませんでした」
リンザの事を何も知らなかったのだと改めて思う。あまり人の事に首を突っ込みたくない質なのだが、これは聞いておくべきだったと後悔した。
「これで父が痛い目を見て反省するなら、罪人の娘でも構いません。結婚する気はありませんので。ローズ様の技術を沢山伝授してもらいましたから、何処かの家に雇ってもらって、今後は生きていけるかと思います。バウティ家の紹介状があれば、確実に何処かの家にお仕えできると思うので、それだけお願いできればいいのですが……」
リンザはいつかに備えてずっと頑張っていたのだ。このまま城を辞めさせてしまうのは余りにも惜しい。というか、そんな事はしたくない。
ジルムートにそう言うと、凄く渋い顔で考え込んでいた。
「オルレイ家の人間のままで、上層に勤めさせる訳にはいかない」
「私の時みたいに、義理の妹として、バウティ家に入れる事は出来ませんか?」
「お前は罪人と関係があった訳じゃないからなぁ」
ジルムートは言い辛そうに説明してくれた。
「騎士の家が養子にもらうとすると、一人ですら罪人を騎士団が庇っていると言う話にされかねない」
ジルムートは苦悶の表情で暫く黙り込んだ後、凄く無念そうに言った。
「一つだけ方法がある」
そして、ラシッドと対面する事になった。
「改めて自己紹介させていただきます。上層で副官になりました、序列五席のラシッド・グリニスです。ローズ様とはあまり面識が無かったのですが、これからは同じ上層勤務となりますので、よろしくお願いします」
偽装術……偽装術の人が上層に居るよ!カルロス様やセレニー様の居る上層なのに、何でこんな怖い人が居るの?オロオロしてジルムートを見ると、凄く疲れた顔で言った。
「クルルス様の命令だ。中層に置いておけなくなった」
「酷いですよ。追い出されたみたいじゃないですか。昇進ですよ。昇進。俺はコピートよりも仕事が出来ます。仕事は俺に任せてもらえれば、何でもしますよ」
「上層の仕事だけでいい!」
「え~」
「え~、じゃない!」
上層の仕事以外、何をするつもりだったのか、それは考えない事にした。
「それで、わざわざローズ様まで連れて来て、人払いして話すとなれば、取引のお話ですかね」
取引?
その後、笑顔の人でなしの口から出た数々の暴言は、思い出したくないので封印する。
気付けばジルムートに抱っこされて、足をバタバタさせながら、ラシッドを指さして怒鳴っていた。取り押さえられたらしい。
「何でこの人に、リンザをあげなくちゃならないのですか!」
この男と元々婚約をしていると言う事にしておけば、リンザは上層に残れる。婚約期間は伸ばしても半年が限界で、その間に入籍してリンザ・グリニスにしてしまえば、子供が出来るまでは上層に勤務出来ると言うのだ。罪人関係者の改名は数年の間、出来ない事になっている。そこで弟妹はオルレイの姓のままになるが、養育費はラシッドが保証すると言うのだ。
良い話に聞こえるが、ラシッドはリンザを人とも思っていない物言いをしたのだ。それは酷い言い方だった。
「上層にリンザを残すなら、それくらいしか方法が無い。ある程度の家格が無いと、上層で侍女は出来ないのだ。他にアテが無い」
ジルムートの声に、私は反論した。
「だからってこの人の家に行くなら、リンザは借り腹になるのと変わらないじゃありませんか!」
「ちゃんと妻にしますよ」
「書類の上で妻と言うだけで、借り腹と同じでしょうが!」
平然と笑ったみたいな顔をしているラシッドに心底腹が立って、私は言った。
「分かりました。上層にリンザを勤務させるのは諦めます。うちでリンザを雇いましょう」
ラシッドの顔が、初めて笑顔じゃない顔に見えた。それは凄く驚いている顔だった。
「ジルのお給料はいりませんよ。私のお給料で雇います。最初に前払いで家も借りられるくらいのお金を渡します。それで弟や妹さん達と暮らせばいいのです」
私が言い切った後、ラシッドは暫くぽかんとしていたけれど、やがて声を出して笑い出した。
ラシッドが、くの字になって腹を抱えて笑って居るので、私はようやく落ち着いた。
やがて、目じりに浮かんだ涙を拭って、ラシッドは言った。
「面白い。ローズ様、面白い。他所の顔も知らない子供まで面倒見るとか、どれだけお人好しなんだよ」
「失礼にも程があります。ジル、一発殴ってくれませんか?」
「隊長に殴られたら死ぬので、勘弁して下さい」
ラシッドは、凄く悪そうな顔をして言った。今笑った顔をみたせいで、笑顔みたいな顔だけれど、そうじゃないと分かる様になった。
「ローズ様、ではリンザ殿に自分から俺の子を産みたいと言わせれば、納得されますか?」
「脅したらダメです」
「勿論です」
怪しい。信用出来ない。
「リンザ殿が良いと言うまで、結婚しても決して手を出さないと約束しましょう」
「……嘘っぽいです」
「やった事はありませんが、口説き落とせばいいって事ですよね?」
「やった事が無いのに、自信満々ですね」
「隊長だってやった事が無いのに、あなたと結婚しています」
「何で言い切るのだ。お前には恋愛感情そのものが無いだろうが、一緒にするな」
ジルムートの突っ込みを無視して、ラシッドは続けた。
「俺はコピートみたいに運が良いだけの結婚よりも、面白いって思っています。だから約束はちゃんと守りますよ」
コピートとファナの出会いを、運が良いだけと言い切った。心底恋愛に興味がないのだ。絶対に、女に優しい言葉を吐けないタイプなのに、何でそんな事をするの?
私の顔を見て疑問が分かったのか、ラシッドは言った。
「俺は退屈なのです。王政も終わりそうだし、グリニス家を存続させるのに積極的にはなれないのです。でも家に帰ると、父上に嫁を取って子を残せと言われる。コピートに結婚で先を越された事まで叱られる。だからうんざりしていたのです。嫁が居れば別居できますから、俺としてはそれで十分なのですよ」
父親の要求にうんざりしているだけで、そもそも女性に興味が無いと言うのは分かった。
もし本当ならリンザは不本意な妊娠は避けられるし、今のお給料も維持できる事になる。しかし重大な問題がある。
「リンザが他の人を好きになるかも知れません。その時、あなたと結婚していたらその人と結婚できません」
「ローズ様、改名制度はご存知ですよね?あれ、穴があるのですよ」
簡単に言えば、改名制度で改名して棄てられている前の名前を探し出し、その名前で戸籍を復活させるのだそうだ。改名した名前が気に入らない場合、元の名前に戻す事が認められている。改名して死んでしまった人の棄て名を知っている場合、その棄て名で別人が戸籍を復活させても分からないのだ。……棄て名の名簿が無いと出来ないそうだが、ラシッドはその棄て名の名簿屋に伝手があるそうだ。
「リンザ殿を別人に仕立て上げるくらいは簡単です。俺は書類上の妻を維持できるならそれでいいです。リンザ殿は、侍女は辞めなくてはならないでしょうし、違う名前になりますが、望むなら新しい人生を差し上げます」
魂の抜けそうな話をされて、私がぐったりしていると、ジルムートが言った。
「それは改名制度を悪用した犯罪だ。そう言う事を軽々しく言うな」
「え~、でも隊長も知っているでしょう?」
「まあな……。お前と話していると、頭痛がする」
「とにかく、どうにでもなるので心配しないで下さいって話ですよ」
ラシッドは、ジルムートに向けて言った。
「リンザ殿が俺に付き合ってくれるなら、退屈しないから他の活動は自粛しますよ」
ジルムートの喉がぐっと音を立てた。
コピート、戻って来て~!
コピートは私を可愛くないと言ったが、私は今、コピートを可愛いと心底思う。
「どうですか?」
ラシッドは、リンザを嫁にもらう為に、私やジルムートに揺さぶりをかけている。
こんな人と一緒になっても、リンザは幸せになれないと分かっているのに、心のどこかで上層に侍女として残って欲しい私と、勝手な粛清活動を止めたいジルムートが居る。その部分に訴えかけてくるのだ。
誰の為なのか、上手く考えられなくなってくる。リンザが自分の意思でこの話を了承しても、多分私もジルムートも、自分の都合を含んでいるから、嫌な気分はいつまでも残るだろう。こんな取引には乗ってはいけない。
「誰も犠牲にしないで、皆が納得する方法と言うのを、俺は見てみたいのですが……ローズ様、隊長、どうするのがいいと思いますか?」
この言葉で、私はこの人の考え方をちょっと垣間見てしまった。
人を殺してはいけない。みんな仲良く幸せに。そう言う方法は偽善なのだと、ラシッドは思っている。
そういう場があったとしても、ラシッドはそれを外から眺めるだけで、中に入った事が無い。だからそんな物は嘘だと思っているのだ。
この人は気まぐれでも、偽善だと思っている場所を見てみたいのだ。何を思ったのか、確認したくなったらしい。その手が汚れていると振りほどいてしまえば、ラシッドはこのままになってしまう。それは……ダメだ。でもリンザは犠牲に出来ない。どうしたらいいの……。
私は、意を決して言った。
「私からリンザに話をします。それで納得してくれたら、あなたとリンザの結婚を整えてもいいです」
「おい、ローズ」
ジルムートが心配そうに呼ぶが、私はジルムートに抱っこされたままの情けない姿を忘れて言っていた。
「ただし、あなたはリンザを妻にしている間、絶対に人を殺めてはいけません。例え別れても、書類上での妻はリンザです。その間はこの約束を守ってもらいます。嫌になってリンザを殺して死別扱いにしても、私とジルには分かります。そのときは……あなたは終わりです」
ラシッドが唖然としている。
「いいですか?とにかくリンザと結婚して夫である間は、絶対に人を殺さない。それが私から出す絶対条件です」
結婚、なめんなよ!暇つぶしに、リンザの一生を巻き込むのは許さない。
私はじっとラシッドを見た。




