ディアとクザートの選択
城からオルレイ家に馬で移動している途中、母さん達のサロンの前を通る事になり、ディアが出て来る所を見てしまった。
思わず渋い顔になってしまう。このタイミングで会うとは。
何故会ったのか、何となく分かる。ディアは、午後の休憩時間に合わせてクザートを訪ねる事にしたのだ。城で仕事をしているから、何時なら会えるか考える時に、どうしても休憩時間を念頭に置くのだろう。クザートは家に居るのに、律儀な事だと思う。
「ディア殿ですね。城に出仕もしないで、何処に行くのでしょう」
並走しているラシッドがわざとらしく言うので思わず睨む。知っている癖に!
兄上……。
「気になるなら、尾行でもしますか?」
「しない」
「いいじゃないですか。見守るくらい」
「見守ろうが何をしようが、兄上の所だ」
「クザート様が騎士を廃業したら、ディア殿は綺麗に消して差し上げますよ」
「それこそ、兄上が死ぬからやめてくれ」
「序列二席を騎士廃業にさせるなど、生きている価値が無いです」
「お前は、何でもリヴァイアサンの騎士基準で物を考えるな」
「え~」
「え~、じゃない。一人の女を好きになるとか経験無いだろう」
「ないですね。別に好きじゃなくても子供は出来ますから。何で好きになるのですか?」
頭痛がする。リンザは絶対に守らねば。
「それでどうしますか?今なら、クザート様の館に先回りも出来ますが」
結局それか!
悪魔の様な笑顔で聞かれて、俺は抗えずに言った。
「行く。付いて来い」
オルレイ家の方が先だと言う業務的判断は無理だった。クザートが心配過ぎるからだ。しかも、ラシッド一人でオルレイ家に行かせたら、どうなるか分からない。だから連れて行くしかない。
馬車に比べて馬は早い。しかも細い道も通れるから、先回りは容易だった。
俺はクザートの館に先回りすると、顔見知りの使用人にすぐ中に入れてもらった。
「うわ。凄い量が漏れていますね。体の方は大丈夫なのですか」
ラシッドが、顔をしかめて周囲を見回す。……普段はあまり見分けられないが、こういう顔もするのか。それだけ、ここの空気が酷いと言う事だな。
「俺もそれを心配している。でも、会ってくれないから分からないのだ」
小声で話して、俺はクザートの寝室の隣の部屋に入った。
これだけの力が漏れている中での気配断ちは無意味に感じるが、一応気配は断っておく。
すぐにディアが来たのが分かって、俺達は視線だけで合図をして、聞き耳を立てた。
扉を叩く音の後で、ディアの声がした。
「クザート、私よ。ディア」
クザートは返事をしない。再度ディアが言った。
「入れて。大事な話があるの」
やがて動く気配があって、扉が開いた。
「クザート!何でそんなに痩せてしまったの?」
「入れよ」
完全に噛み合っていない会話に、思わず渋い気分になる。
「何でこんな部屋に居られるの?換気をするわ」
「いいから、話」
ディアは無視して窓を開けた様だ。窓の開く音がした。
「ダメじゃない。騎士は体が資本でしょう?空気が凄く悪いわ」
力が漏れているから、それもあると思う。ディアはかなりプレッシャーに強いらしい。この圧力を空気が悪いの一言で一蹴した。城で王族に仕えるだけある。
「いいんだ。俺は本当なら肺をやっているから、騎士になれなかったのだ」
「昔の話でしょう?治っているのにそんな事を言わないで!」
ディアは知らないだろうが、クザートの言っている事は本当だ。肺病を患っていた者は騎士になれない。その経歴だけで騎士団に入団は出来なくなる。
呼吸器が弱いと言うのは、海に入る事もあるポート騎士では致命的な惨事になる事もあるからだ。リヴァイアサンの騎士の異能があるから、クザートは騎士になれた。特例なのだ。
気にしている素振りは無かったが、今言うのだから、クザートは気にしていたのかも知れない。
「それで、俺に話って何?」
ディアが沈黙する。優しい女だから、思っていたより元気の無いクザートに、厳しい事を言えなくなったのだろう。
「私、あなたとの関係をはっきりさせようと思って……話をしに来たの」
「俺の事が嫌いなのは知っている」
ディアが少し黙ってから、言った。
「そうね。あなたの考え方は好きになれない」
クザートが精神的に殺される!俺は思わず拳を握りしめた。
「私に手を出しておきながら、あっと言う間に居なくなって何年も音信不通。それなのに、子供と一緒に会いに来たら結婚したいだなんて、都合良過ぎるのよ」
ディアの口調は刺々しい。それだけ腹を立てているのだ。
「でもね、こんなに怒っているのに、あなたの見た目は大好きなままなの」
……見た目?
「私、どんな殿方にもときめかなくて、それどころか声を聞くのも嫌だと思う殿方が圧倒的に多かったの。私の見た目のせいで、勝手な振る舞いをしてくる殿方が多かったからね」
綺麗な侍女を見れば、手を出してやろうと考える者は少なくなかっただろう。しかも庶民の出だと聞いている。大変だった筈だ。
「ローズのお母様であるアリア様が気にかけて下さって、私を国王陛下付きの侍女に抜擢して下さったから、危ない目に遭う事も無くなったの。凄く毎日が楽しかったわ。陛下の侍女で居られるなら、他には何もいらなかった。オーディスの画材の請求書なんて、どうでも良かったくらい」
国王陛下付きの侍女に手を出せば、首が飛ぶ。それでディアは保護されていたのか。結果、クザートにも出会う事になった訳だが。
「恋をするなんて思っていなかった。……でも、あなたを見た瞬間に、この人しか居ないって思ってしまったの」
クザートは、見た目は優男だ。ルミカ程では無いが、騎士らしくない優しい顔立ちと雰囲気が、女にとても好まれる。……本当は家を粉砕するし、罪人を拷問するのも平気な筋金入りの武官なのだが、それを感じさせない。
「馬鹿でしょ?見た目だけで私を判断してくる人が大嫌いなのに、私自身があなたを見た目だけで好きになってしまったのよ」
クザートは何も言わない。言えないのだろう。
「あの時の私は本当に何もわかっていなくて、あなたしか居ないって思い込んで……自分の全てを賭けてしまったの」
「ディア、ごめん」
クザートの弱々しい謝罪の後に、ディアの声が聞こえた。
「私こそごめんなさい。私も身勝手だったのだから同じよ。よく知りもしない異国の女に、全てを投げ出して迫られたら怖いわよね。そんな事も分からなかったの」
「君は悪くない。俺は君をその気にさせる様な事を言った。ただ俺を見て欲しくて、振り向かせたかったんだ。それ以外、何も考えていなかった」
「あなたの口説き文句が特別だった訳じゃないわ。私、殿方に褒められるのは慣れているから、そう簡単に動かないの」
凄く綺麗な容姿なだけに、説得力がある。
「結局、自分の見た目に寄って来る人が嫌いなのに、自分の見た目さえあれば、相手を思い通りに出来ると思い込んでいた傲慢な女が大失敗しましたって話なのよ。終わった事なの」
「終わった事にしないでくれ。俺は、君が好きなんだ」
「私も好きよ。あなたの見た目にしか相変わらずときめかないもの。多分、あなた以外を好きになる事は無いわ」
「だったらどうして?」
「私達、お互いに凄く我が儘なのよ。相手が自分の思い通りにならないのが許せない。そう言う関係じゃ上手く行かないわ」
「そうは言うが……俺は、君がいいんだ」
ディアのため息が聞こえた。
「ローズはね、男性に懸想させる隙すら与えない子だったの。男性に好かれそうだと感じるだけで逃げ出すから、誰も求婚に至らなかった。パルネア城で薔薇の称号を持っている侍女としては、異例中の異例だったわ。……氷の赤薔薇なんて言われていたのよ」
いきなりローズの話になって、ドキっとする。
「そんな子が結婚したと言うから、相手がどんな男性なのか凄く興味があったの。……相手はあなたの弟だと聞いたから余計にね」
ローズは自分から恋愛を避けて逃げ回っていたのに、無自覚だった様だ。モテないのではなく、モテない様にしていたのだ。
「ショックだった。ジルムート様は見た目は凄く厳ついのに、びっくりする程ローズにだけ甘いのよ。何故あの子がそんな幸せな結婚をしているのか、全然分からなかった」
ラシッドが俺の方をじっと見ている。恥ずかしいので目を逸らす。
「凄く羨ましかった。ずるいって思った。あなたに妹として信頼されているのも許せなかった。でも、あの子はそれだけの時間をここで積み上げたと言う事が、ようやく分かったの」
「あれは時間をかけ過ぎだ。あまりにもじれったいから、俺がローズちゃんに色々教えて焚き付けたら、あっと言う間に結婚した」
一人目の犯人を見つけた。やはりクザートか。兄上、ありがとう!そして許さん。
「あなたがそんな風に手を貸したいと思うまで、ローズは一緒に居たと言う事よ」
「……そうかも知れないな」
「だから結婚を抜きにして、友達から始めたいの」
「いきなり友達にまで戻ってしまうのか?」
「戻るも何も……子供は居るけれど、私達、好きって気持ちだけで、恋人でもなかったじゃない」
クザートが沈黙する。本当にそうだったのだ。次に何時会えるか分からない中では、先の事など考えられない。そんな状態で生まれた関係だから、関係に名前を付けられない。
そんな過去を引きずっていると、上手く行かないのかも知れない。俺はそんな経験が無いから、その気持ちを知る事は出来ないが、少なくともディアはそう思っている。
「仲良くしたいと思うわ。モイナにもあなたが父親だって言いたい。いきなり恋人や夫婦になって同じ事を繰り返したら、今度はモイナも傷つくわ。だから友達。お互いを知る努力から始めましょう」
「まだ、俺の事を知りたいと思ってくれるのか?」
「そうね。でもあまりにも痩せて見た目まで好みじゃなくなったら、どうしようかしら」
クザートは、閉じこもってロクに食事をしていなかったみたいだから、酷い状態なのだろう。
「消化のいいものを用意するわ。ちゃんと食べて。……あなたが元気になったら、一緒に出仕するわ。情けないけれど、私も長く出仕しないでお城に迷惑をかけてしまったの。一緒に迷惑をかけた人達に謝りましょう。これは必要なけじめよ」
暫くの沈黙の後、クザートの笑う声がした。
「君は凄いな。……失望して友達からも外されては困る。元に戻る様にするから、まずは友達でいて欲しい。君の事を教えてくれ。俺も聞いて欲しい事がある」
「いいわ」
圧力の様なクザートの力の漏れは気づけば止まっていた。
ディアが部屋を出て行き、使用人がバタバタし始めたので、俺達はそれに紛れて館を後にした。
人を好きになるのは一瞬でも可能だ。ただ、それを続けられるかは、その後の二人次第なのだ。ディアもクザートもそれに気づいて、続ける為に必要な事から始めようとしている。一緒に居る事に前向きなのだと言うのが分かって安心した。
俺は馬に乗ると大きく息を吐いた。
「女ってあんなにはっきり話をするものですか?」
ラシッドが、並んで馬を進めながら言う。
「話すぞ。言っておくが、パルネア人の侍女はかなり教養がある上に、生活面の事は、何でもやる」
「便利ですね」
「違う!夫がしっかりしていないと、捨てられるくらいの女だって事だ。あっちも給料をもらっているから、金銭面で夫に頼らなくても生きていける。ポート人の女とは常識が違う」
「そうですか」
「リンザはやめておけ。ローズがしっかりと仕込んでいる侍女だから、似た様な感じだ。実家を無くして、子供を産ませたら安心だなんて考えない事だ」
これでリンザは守れるだろうか。
しかし暫く考えてから、ラシッドはにんまりと笑って言った。
「それも、退屈しなさそうですね」
一つ問題が片付いて、また一つ問題が。俺はがっくりと項垂れた。




