友達の定義
アルス・バートン……序列十五席。二十九歳。ポートで、リヴァイアサンの騎士を除けば最高序列の騎士。上層勤務。今年度の武闘大会では十六席だったが、十五席のカイト・マウンセルがモイナ誘拐未遂事件に関与していた事から、繰り上がりで十五席になった。拷問人形。
拷問人形……ポート王国で、罪人を騎士にする為に、拷問を施して絶対服従させる技術を持つ騎士家系を指して言う隠語。十八年前ジルムートが未成年でありながら、罪人に拷問を施していた事が発覚して以来、拷問による罪人の騎士への取り込みは禁止された。拷問以外にも高い戦闘技術を受け継いでいる為、ポート騎士団の主戦力となっている。
私は二人を怒りに任せてお仕置きをした後、大きくため息を吐いてから告げた。
「もうダメです。ジルに報告します」
限界だ。隠すのは無理。
「……終わりだ」
死刑宣告を受けたようにコピートは言った。
とにかく、侍女と副官では手に負えない事態に発展した。騎士団の最高権力者であるジルムートに黙っているのはもう無理だ。
リヴァイアサンの騎士が、城の地下から出てきた。そんなの、侍女の仕事の範疇を超えている。
私の言葉を受けて、暫く考えていたコピートは、ハリードがミハイルを連れて城から逃げてしまう前に何とかしなくてはいけないと言い出し、上層へすぐ戻ろうと立ち上がった。
「いきなり、どうしたのですか?」
私の腕を引っ張って、速足で地下を進むコピートに問う。
「気が変わった。あんたから話してくれないと、俺は色々と黙っていた事を咎められる。頼む。上手く話をして俺を助けてくれ!」
何て変わり身の早い。確かに自分が可愛いと言うのは誰にでもある心理だ。とは言え……プライド無い。簡単に縋って来たよ。というか、完全に盾扱いだ。
少し腹が立つものの、コピートまで城から居なくなっては困るのも事実で、庇ってやるしかない。
「これは貸しです。今度私が困ったときに返してもらいますからね」
「分かったよ。いくらでも返すって」
言質は取ったのでそれで良しとした。そのまま下層に昇って来るとすぐに腕を離されたので、速足で二人して上層へと昇る。
丁度セレニー様が中層から戻って来た所だったので、カルロス様を他の侍女達とセレニー様に預ける事にして、ジルムートを部屋から連れ出した。
「ローズ、いいのか?セレニー様は、お疲れのご様子だったが」
ジルムートの言葉に、私は真剣な表情で告げた。
「緊急事態です」
私がセレニー様を放置してまで話をしようとしていると分かり、ジルムートはピクリと片眉を上げた。
「分かった」
とにかく、コピートを守り抜く事で、私がアリ先生から色々聞いている事も知られなくて済む事になる。
私は頭をフル回転させて、都合の悪い事を誤魔化して事情を説明した。
ジルムートに嘘を吐くのは嫌だけれど、これは彼自身を守る為の嘘でもある。嫌な過去をわざわざ思い出して欲しいとは思わない。
「つまりコピートが、地下に居るハリードの弟の事を相談して来たと言う事か?」
「そうです。実はハリード様のお屋敷には、ディア様が通っているそうです。黙っている様にとの指示がクルルス様からあったので、セレニー様にもあなたにも、言う事ができませんでした」
この際だから、クルルス様に全部被ってもらう事にした。
ジルムートにクルルス様が、あえて教えなかった事は昨晩聞いた。私だけでは誤魔化しきれないから、仕方ない。王様お願いします。と頭の中で頼み込む。
「それで、見に行って来ました」
ジルムートがぎょっとしている。
「地下に行ったのか?」
「勝手にすいません」
良い思い出の無い場所に、私が足を踏み入れた事が気に食わないのだろう。私をじっと見ていたが、物凄い形相でコピートを睨み付けた。
「地下は女の行く場所ではない!」
「すいません!」
コピートが弾かれたように謝る。
「私が頼んだ事です」
慌てて告げる。コピートがこのままだと危険だと本能が警告してきたからだ。前みたいに、黒いのが目に見えなくなった分、不穏な空気が生存の危機を教えて来る様になった。黒いのが見えていた頃よりも、遥かに怖い。以前よりも表情が豊かになって、嬉しい事を素直に表現できるのだから、怒りも表現できるのは当たり前の事だ。
「本当に小さい子で、十一歳だと聞きましたが、そんな年齢には見えませんでした」
何か言いかけて、ジルムートは口をつぐんだ。
複雑な表情で黙って俯く姿に、胸が痛くなる。
多分、俺には関係ない。とか、放って置けとか、そんな意味合いの事を言いそうになって我慢したのだ。
ジルムート本人にとってはそうでも、ポート騎士団序列一席としてはそれを言えない。
どんな目に遭っていたのか、当時の事を実際に見た訳では無いけれど……本当に苦しんだのだ。それだけは分かる。優しいジルムートが、人を救う事を躊躇している。オズマはそれ程に酷い人だったのだ。
自分は酷い事をしている。
その事実に心が悲鳴を上げているが、それでも知らないフリをして言わなくてはならない。
私が事情を知っていて心を痛めているなんて知ったら……それこそジルムートは傷ついてしまう。
「助けてあげてください」
私が、本当に助けたいのはあなたです。それなのに、こんな事を頼んでごめんなさい。
言えない気持ちを胸に秘めて、それだけを告げる。私は酷い女だ。世間一般の常識を優先させて、唯一無二の相手と決めた人の気持ちを痛めつけている。……侍女モードのスイッチは上手く入らなかった。
ジルムートは私をじっと見つめてから大きく息を吐いて、眉を下げた。
「そんな顔をするな」
それを言うなら、ジルムートの方だ。
「子供を見捨てる訳にはいかない。それもリヴァイアサンの騎士となると、俺が実際に会わねばなるまい」
ぽんと軽く私の肩をたたきながら、横をすり抜けてジルムートはコピートに声をかける。
「コピート、行くぞ」
「私は……」
「二度と地下には行くな!」
全部を言う前に、強い口調でジルムートは言い切った。私もコピートもビクっとする。その後、私の方を少しだけ振り向いた顔は、いつも通りだった。
「ローズからクルルス様に事情を説明してくれ。その上で、俺とお前とコピートが上層を早退すると言う事も伝えろ。ハリードの館へ行く」
「俺?痛っ!」
コピートの驚いた声と同時に、ゴチンと言う音がして、コピートは頭に拳を食らっていた。
「俺が一人で会いにったら、ハリードがどうなると思っている。ハリードが逃げそうになったら、何があっても止めろ」
「そんなの無理ですよ!」
頭をさすりながら、涙目で悲鳴を上げているコピートを無視して、ジルムートはまた私の方を振り向いて言った。
「上層の詰所で、アルスに今日はいつもの行程で代行を務めろと伝えろ」
「事情についての説明はどうしましょうか?」
「後日伝えると言っておけ。クルルス様にだけ事情は伝えろ」
「分かりました」
「セレニー様に対する対応はお前に任せる」
勿論、政務に出始めたばかりの王妃には伝えない。
「承りました」
夫では無く、騎士の指示を受けた侍女として頭を下げる。
事は動いた。とにかく動揺している場合ではないから、自分を叱咤して侍女としての役割を果たす事にした。
大急ぎで、セレニー様と食事をしていたクルルス様を呼び出し、別室で手短に事情を説明する。
「は?地下にリヴァイアサンの騎士?オズマ・カイマンの子供?」
素っ頓狂な声で叫んだクルルス様は、私を呆れたように見ている。
「何年も前から、ハリード様が連れまわしている弟君だそうです。コピート様が見つけました」
クルルス様は、眉間に皺を寄せて言った。
「ジルは……地下に行ったのか?」
「はい、先ほど。それで私とコピート様と共に、今日のお城でのお勤めを切り上げさせていただく様にお願いしろ。との指示です。ハリード様の館に行くからだそうです」
「ハリードか……。あまり関わらせたくないが、仕方あるまい。分かった早退は許可する」
クルルス様は少し考えてから言った。
「俺の方で、今日中に戸籍を調べてどうするか考えて置く。ジルに会っている暇はないかも知れないから、会えなかったらそう伝えてくれ」
「わかりました。……ところで、何故戸籍なのですか?」
「俺の認識では、未成年のリヴァイアサンの騎士はモイナだけだ」
リヴァイアサンの騎士は、全員確認されていて当然なのだ。異能者なのだから。
もしかして、ミハイルには戸籍が無いの?
酷い事実を口にしたくなくて思わず口をつぐむと、クルルス様は予想通りの事を言った。
「オズマは強い子供が欲しかったのだ。生まれた子供の能力が高くなかったとなれば、自分の子供とは認めまいよ。……あのゲス野郎」
クルルス様は吐き捨てる様に言った。
それから私の目を見据えて言った。
「ローズ、アリから聞いて知っていると思うが、ジルはオズマ・カイマンに復讐してもいい立場だ。それ程に酷い状況に置かれていた。だから、息子であるハリードやそのミハイルと言う子供に対応が悪くても、責めないでやってくれ」
クルルス様は、過去を思い出すように、遠い目になって続けた。
「今から十八年前か……。俺は父上の命令で、地下に同じ年齢の拷問人形の子供が居るから、友達になって来いと言われた。地下の地図を渡されて、嫌々一人で地下に降りた」
「お一人でですか?」
「そうだ。地下探検は、父上にずっとせがんでいたから嬉しかった。しかし拷問人形は、罪人を拷問して威張り散らしている騎士だと思っていたから、その子供に会うのが目的かと思ったら、かなり萎えた」
やんちゃ過ぎる。しかも、ルイネス陛下が一人息子である王子を罪人の居る地下へ一人で行かせたと言う豪胆さにも驚く。
「騎士の護衛を付けて行けば、オズマに気付かれるから俺一人で行かせた事はだいぶ後で分かったが、もっと詳しく説明しておいてほしかったと今でも思う。……ジルは酷い状態だった」
クルルス様は、視線を下に向ける。酷く辛そうだ。
「俺が会った時のジルは、家に帰してもらえないまま、地下に一週間も閉じ込められて、ずっと囚人の相手をしている所だった。あいつが城から帰れるのは月に数回だったのだ」
「え?」
「最初に感じたのは饐えた臭いだ。囚人もそうだが、ジルも風呂に入っていなかった。食事はしていたみたいだが、服も囚人と間違えそうな程汚れていた」
実際に見た人の話は、アリ先生の話よりも遥かに生々しい。
「俺が声をかけても反応しなかった。怒鳴って振り向かせたら、俺の顔は知っているみたいで、綺麗な騎士の礼を取ったから、これが父上の会えと言った騎士の子供なのだと分かった。罪人も哀れだったが、それ以上に俺と同じ年齢だと言うジルの在り方が信じられなかった。……俺は友達になると一方的に宣言して、上層に逃げる様に戻った。そして、父上にジルの様子を説明して怒った。王なら、何故放っておくのかと」
当然の疑問だ。
「俺は、当時まだリヴァイアサンの騎士について何も知らなかった。その時初めて、圧倒的な力を持つ異能者を、海洋民族だった頃の族長権限で、王族が国に繋ぎ止めている歴史を教えられた。オズマが上層で、でかい顔をしている理由を知ったのだ。状況を変えるには、最も強く、何の教育も受けていないジルムートを、こちら側に引き入れなくてはならない。だから必ず友になれと命じられた」
アリ先生も似た様な話をしていたが、まさかクルルス様本人にも最初からそんな風に伝わっていたとは。
「クルルス様は……命令だからジルと友達になったのですか?」
「どうだろうな。よく分からない」
クルルス様は、軽く頭を振った。
「俺は一夫一妻になって初めての王族で、兄弟も居なかった。城に子供は居ないから、俺は城を一人で探検していた。じっと本を読んでいるのが好きな質では無かったのでな。乗馬や銛の練習時間はあったが、教えてくれるのが威張り腐ったオズマだったから、大嫌いだったよ」
男社会であるポートには、乳兄弟や乳母の制度が無かったそうだ。母である妃の乳を与えながら、家令命令の元、侍従達が協力して子供を育てるのが習わしになっている。
「最初は、何も言わない無表情なジルをどう扱うか困った。でもあいつは俺が何処へ行っても、必ず見失わずに付いて来た。それは俺の護衛だったからなのだが、俺は嬉しいと思う様になった。……寂しかったのだと思う。だんだん感情を出すようになって人間臭くなってからも、ジルは俺の小言に付き合い、ずっと一緒に居てくれた。不機嫌になると黒いのが出て怖いが、どうにかしてジルを出し抜いて城を出る遊びは、俺の一番の楽しみだった。ジルの行きそうもない場所へ俺が行けばジルもついて来る。だから、色々な場所に行った」
酷い遊びだ。行きそうもない場所と言うのは、多分一生足を踏み入れなくても良さそうな場所だろう。ジルムートの苦労が見える様だ。
「俺の遊び相手をしてくれたのはジルだ。ずっと遊んでくれたのだから、俺は命じられて始まった関係でも友だと思っている。それは……おかしい事なのか?」
何故か泣きそうな気持ちになる。クルルス様は王族だ。気の合う友達を選んで作れる程、同年代の子供と接していなかったのだ。だから分からないのだ。
デリカシーが無い上に、特殊な嗜好持ちだが、それでもいいと今は思う。この人は、異能者で罪人と見紛う汚い子供であったジルムートを、最初から人として扱い、今に至るまで大切に思ってくれている。
最初のきっかけなんてどうでもいいのだ。二人はお互いに救われた。その事実だけで十分だ。
「いいえ、おかしくありません」
私がそう言うと、クルルス様は安心した様子になってから、ぼそっと言った。
「この事はジルに言うなよ」
「心得ました」
私の返事を聞くと、クルルス様は表情を引き締めた。
「話を戻すが……ジルの境遇を思えば、今回の件はクザートに任せたい。だがあいつは今居ない。だからローズ、ジルをしっかりと支えてやってくれ」
「分かりました」
ジルムートには兄弟以外にも、王様で友達と言う強い味方が居る。大変な事がこれから起こっても、きっと乗り越えられる。そう信じなくては。
私はかなり前向きな気持ちになって返事をした。




