コピートからの相談
コピート・モルグ……序列七席、リヴィアサンの騎士。上層でジルムートの副官をしている。
ラシッド・グリニス……序列五席、リヴィアサンの騎士。中層で副官をしている。
コピートから、話があるからと呼び出された。
丁度ジルムートがクルルス様と視察に出ていて居ない時だったから、ジルムートに聞かれたくない話なのだろうと何となく思った。
コピートはファナとの婚約期間が終わり、結婚したばかりだ。その話だと思われているのだろう。周囲の騎士達は気にした様子もなく、私が庭の端でコピートと話しているのを見ても、一礼して立ち去っていくだけだ。
「ハリード様の事はご存知ですか?」
コピートに丁寧に話されるのは変な気分だが、相談役なので仕方ない。
「はい。クザートの代役で下層の指揮を執られている方ですよね?」
少し前にジルムートが言っていた。リヴァイアサンの騎士だと。それを言うと、コピートは渋い顔になって砕けた口調になった。
「やっぱり、全然話して無い」
呟きの意味が分からず首を傾げると、コピートは前の口調に戻って言った。
「隊長は、ハリード様の事をちゃんとローズ様に話していない」
様は、一応付けるのね。などと思いつつ、応じる。
「どういう事ですか?」
そして聞いた話は、かなり酷いものだった。
「ハリード様は極度の対人恐怖症で、下層の指揮を執るなど無理なのだ」
「それでは、下層はどうなっているのですか?」
「ジャハル殿が仕切っているが、何故クザート様が城に出てこないのか理由を知らない役人や議員が探りを入れ始めている。騎士団の騎士が皆で誤魔化しているが、長く続くと誤魔化しきれない」
力の制御が不安定になって、家で謹慎しているとは、事情を知らない人には言えない。
「それは、リヴァイアサンの騎士の力の秘密を探っていると言う事ですか?」
「そうなりかねない。隊長が隠した武器庫の真相に辿り着けば、当然そうなる」
「クルルス様が放っておかないでしょう」
「だから、武器庫を破壊した事に責任を感じて体調を崩したとクルルス様から発表されたけれど……信じていない者が居るのだ」
国際的な犯罪者を相手に、一歩も引かずに最前線で指揮を十年以上執っている事実を知っている者であれば、確かに武器庫を破壊した程度でクザートが寝込むなんて思わないだろう。
「厄介な事に、探っている者が主に中層の議員達なのだ。ルミカ様をパルネアから戻らない様に細工したり、騎士達の権限に何かと口を出したりしていた奴らだ」
「そう言う人達なら、そろそろ処罰されるのではありませんか?」
パルネアの使節団が来ていた時、侍女であったファナに対する騎士の障害事件が起こり、議員の後押しで入った騎士は一掃された。同時に、推した議員の経歴も洗い直される事になった。権力に執着してそういう方法を取る者は、叩けば簡単に埃が出るのだとか。
「だから焦っているのだ。騎士団の序列上位者の秘密を握れば、取引の材料に出来ると思っている」
「それは、かえって危ないのではありませんか?」
ジルムートにしろ、クザートにしろ、そんな者と取引はしない。具体的にどう対処するのかは分からないが、それだけは分かる。
そう考えていると、思ってもいない名前が出てきた。
「ラシッド様が本気で動いたら終わりだ」
「ラシッド様ですか?」
「あの人は短気なのだ。合法的に処罰する前に……」
そこで私の顔色が一気に悪くなったのに気付いたのか、コピートは慌てて口を閉じた。
ジルムートも言っていた。短気だから隊長には向かないと。そう言う事かと思うと、あの笑顔が怖くなった。
少し考えてからコピートは言った。
「とにかく俺達は騎士であって、処刑人では無い」
ポート人にしては頑張って言葉を選んだと思うが、やっぱりポートは野蛮人の国だと思う。
つまり、このままハリードと言う騎士が下層の指揮を執らず、クザートが出仕出来ない時期が長くなると、ラシッドが処刑人になると言う事らしい。
「あの、それをどうしてジルに話せないのですか?」
あえて私に話すのには理由がある筈だ。すると、コピートは歯切れの悪い返事をした。
「ハリード様は……その、隊長と仲が悪いのだ。隊長が関わると、ハリード様も出仕して来なくなる」
「仲が悪い?」
私の反応を見て、コピートは頭をガシガシとかいた。
「俺からしていい話じゃないんだ。……隊長は本当に何も言っていないのだな。それでよく一緒に居られる」
私はムッとして思わず言い返した。
「誰しも全てを知っている訳じゃありません。それでも信頼して一緒に生きていく事は可能です。あなたはファナの全てを知っていて、自分の全てを教えているのですか?」
コピートは言葉に詰まった。
「上層の騎士達でさえ、武器庫を吹っ飛ばすまでジルの力をただの怪力だと思っていたのですよ?私もこの目で見るまで、よく分かっていませんでした」
「俺には、あそこまでの能力は無い」
「それでも、色々出来ますよね?」
私の言葉に、コピートはビクっと肩を震わせる。中層の事件の事だ。石を割れなくても、人の骨を砕くくらいの事は出来ると言う事だ。
「あの能力を、ファナの前で披露できますか?」
あの時ファナはショック状態で、コピートの力の事は全く分かっていない様子だった。私も後でジルムートに聞かなければ、具体的な事は何も分からなかった。何となく嫌な感じがして止めただけだ。
コピートは、慌てた様子で言った。
「ファナは、俺が騎士の制服を着ているだけでも近づいて来ないのだぞ?逃げられてしまう」
「分かったら、ジルが私に話さない理由も察して然るべきです」
私がそう言うと、コピートは暫く黙ってから言った。
「……さすが、隊長の嫁だな。可愛くない。あんたみたいな気の強い女、俺は御免だ」
こっちも御免だ。
「ところで、コピート様は騎士を辞めたかったのではないのですか?」
コピートは、少し照れた様子で言った。
「今も辞めたいよ。俺一人ならどうにでもなるけど……よ、嫁を俺の勝手に巻き込む訳にもいかないからさ、続ける事にした」
結局、ファナの為に頑張る事にしたらしい。
嫁と言う部分に妙な照れを感じるが、凄く嬉しそうだ。
この様子なら、ファナはきっと立ち直れる。婚約中に会ったのだが、騎士が怖いから一緒に居られるか不安だとファナは言っていた。
コピートの事は好きだと言っていた。颯爽と現れて暴漢を撃退した上に、お姫様抱っこで医者の所まで運んでくれた訳だから好きにならない方がおかしい。
とりあえず、デレているコピートを無視して私は話を元に戻した。
「ハリード様の事は、クザートに確認してみます」
コピートが即反論して来た。
「クザート様の力が安定していないのに、そんな話をするのか?」
言われてみればそうだ。
「それでしたら、誰に話を聞けばいいのでしょう?コピート様からは聞けないのですよね?」
コピートは、少し考えてから言った。
「王立研究所のアリ先生かなぁ」
バウティ家の三兄弟だけでなく、今の世代のリヴァイアサンの騎士は、アリ・マハドルと言う研究者に勉強を教わったのだそうだ。
リヴァイアサンの騎士の研究者の筆頭で、今も能力の管理をしている人だそうだ。
「私、理由も無く研究所に入れますか?」
研究所に行くと言って休暇を取ったら、ジルムートに話をしなくてはならなくなる。多分、付いて来る。
そう告げるとコピートは言った。
「アリ先生の家に行くのはどうだろう。俺が隊長にバレない様な日時をアリ先生と決める。その日は俺が送って行くよ」
上層の副官だからジルムートの勤務時間は把握している。アリ先生とやらにも連絡はすぐ出来るみたいだし、私が城に居なくても大丈夫な隙を作って送迎してくれるみたいだ。
それはいいのだが、そこまでジルムートに隠し通さなくてはならない程のこじれた関係である事の方が怖い。ハリードと言う人は、何をしたのだろうか。
「知っても、お役に立てないかも知れません」
「いや、あんたは凄い女だから大丈夫。きっと何とかしてくれると思う」
「はぁ。そうですか」
適当で過大な期待はいらないです。
なんて言ったら、更に可愛気のない女扱いされそうなのでそれは口に出さなかった。
そんな訳で、私はジルムートにちょっとした秘密を持つ事になる。侍女で前世持ちと言うのは、秘密だらけだから、夫にも平気で隠し事が出来てしまう。
素直じゃないのは分かっている。こういう所が可愛くないのだろう。
コピートに面と向かって可愛くないと言われたのが案外堪えている。別にコピートに可愛く思われたい訳じゃないが、直接的な批判の言葉は誰だって心に残るものだ。……最近疲れが溜まっているのも、暗い考えの原因だ。
コピートに話をされた日、あの日がディア様を見た最後だった。翌日以来、ディア様も出仕していない。
クザートと研究所に行ったのだが、それきり出仕が途絶えた。どうやらクルルス様も了承してのお休みの様だが、それで私の勤務時間が一気に伸びてしまった。
何が起こっているのか分からない。セレニー様もクルルス様に教えてもらっていない。耳かきサロンを訪ねてみれば、お母さん達は出仕していると思っている有様。ジルムートも分からないと言う。本当に知らないらしい。
そんな中、カルロス様に異変が起こった。首がしっかりして、突然寝返りをする様になったのだ。赤ん坊の成長の過程なのだが、私にとっては異変だった。
問題は、うつ伏せでそのまま戻れない事だ。ふかふかのベッドで息が出来なくなって危ないと言う話になり、必ず誰かが抱っこしているか見守る事になったのだ。前から見守っていたのだが、緊張感が違う。
若い侍女達は、うつ伏せになったカルロス様をひっくり返す事は出来るが、長時間抱っこする事が出来ない。それで私が抱っこする。
男性を、赤ちゃんと寛いでいる部屋に長時間入れるのを嫌がるセレニー様の為、私達侍女にはかなりの負担がかかっている。ディア様が抜けた穴は大きい。
ジルムートとも、ロクに話が出来ていない。会っても疲れて眠い。話すどころでは無いのだ。安心して眠れるのがジルムートと館に居る時だけだからだろう。
ジルムートもそれが分かっているのか、私から話をしない限り、黙って眠らせてくれる。その為、着替えて来いと言われ、一緒に寝るのが当たり前になっている事に突っ込む余裕すら無い。
王族だから、窒息しない様な薄いシーツの上に寝かせる様な事は出来ないし、日本で見た様な抱っこ紐も、この世界には無い。あっても王族に対して侍女が使う訳にはいかないし、セレニー様やクルルス様が抱っこ紐でカルロス様を抱っこする姿は、ちょっと想像できないのだが……。
セレニー様はカルロス様の授乳で、出産以来ずっと寝不足だ。元々お姫様で体力が無いから、延々と見守るのは難しい。
カルロス様は二時間くらいの間隔で、お乳を飲んでいる。生まれた直後よりも間隔は長くなったが、それ以上長くならない。昼だろうが夜だろうが関係無い。
その為、セレニー様は産後太りどころか、胸だけ大きくなって、他の部分は以前よりも痩せてきている。
クルルス様は、セレニー様が辛そうな上に、いい雰囲気になるとカルロス様の邪魔が入る為、複雑な顔をする様になった。息子は可愛いのだが、妻が心配だし、自分はイチャイチャしたいしで、かなり複雑な心境の様だ。
セレニー様は私だけに負担をかけさせたくないと頑張ってくれているが、無理をさせる訳にはいかない。休んでもらわないとダメなのだ。
とにかく、お乳がカルロス様の生命線だ。セレニー様が体調を崩してお乳が出なくなったら、もっと大変な事になる。
ディア様……何処に行ってしまわれたのですか?カルロス様が動きます。助けてください。
心の中でそんな事を何度も思う様になった頃、私は勤務時間が終わると、コピートに連れられて城を出る事になった。
こんなにヘトヘトになっているのに、騎士団の問題にも首を突っ込まなければならないらしい。でもジルムートの事だから、気にならないと目を背ける事も出来ない。
ジルムートは今日夜勤で、私は城の部屋で寝ている事になっている。侍女部屋に見に来る事はまず無いが、居ないとなったら大変な事になるのは間違いない。
馬車の荷台に座って、御者台で馬を操るコピートに声をかける。
「ジルにバレたら大変な事になりますから、注意して下さいね」
「分かっている。その時は洗いざらい話すと言う事でクルルス様に許しをもらっている」
「クルルス様は、事情を知っているのですか?」
「当たり前だ。今あんたが居なくなったら、セレニー様もカルロス様も大変な事になるからな。そうなったら王族の危機だ。許可も取らずに連れ出したりしない」
騎士をやる気が無いと言うが、機転はそれなりに働くのがコピートと言う男の様だ。確かに鍛えて何とかしたいと思うジルムートの見立ては間違いでは無さそうだ。
「コピート様が、下層で隊長をすればいいのですよ」
私の言葉に、コピートは即答した。
「嫌だよ。副官でも面倒なのに。俺の趣味は昼寝!」
趣味……。
そう言えば、最近はジルムートに耳かきをされて寝る事も出来ず、ただ抱き着いて意識を失い、気付くと起きる時間だ。自分でも耳かきをしていない。何時からだっけ?
「耳かき」
「何か言ったか?」
「何でもありません」
思わず出た呟きを慌てて打ち消して、私はため息を吐いた。




