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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
好きはとっても難しい
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研究者、アリ・マハドル

アリ・マハドル……王立研究所の研究員。ジルムート他、若いリヴァイアサンの騎士達の教師だった事から、アリ先生と呼ばれている。

 俺の力が安定した事を報告していない事を忘れていたら、クザートの力が不安定になって漏れているかも知れないと言う話を聞く事になった。

 一日がかりになると覚悟して、休暇を取って研究所に相談に行くと、予想通り長々と話をさせられた挙句、クザート本人が来ないとダメだと言う事になった。

 実は俺がここに来たのは、去年ローズとの結婚を報告に来て以来だったのだ。色々聞かれる事は分かっていた。

「ジルムートの能力が安定したのは、嫁のお陰だろうな。良い事だ。クザートは本人に事情を聴かないと分からない。出来ればクザートには娘とその母親も連れて来いと伝えてくれ」

「……娘のモイナは分かりますが、何故ディアまで連れて来るのですか?」

 アリ・マハドルは、俺がずっと勉強を教わっていた研究者だ。当然専門分野はリヴァイアサンの騎士で、俺が医者以外で唯一先生と呼んでいる人だ。

 俺達バウティ家の兄弟にとっては父親代わりだった人でもある。近し過ぎて遠慮が無いから苦手な人だ。

「お前が女で安定したのだから、クザートの不安定の原因も女に決まっているじゃないか。どうなっているのか、詳しく話を聞きたい」

「そうかも知れませんが、先生が介入して問題が更に悪化するのは困ります。特にディアは俺達と違って女でパルネア人です。明け透けな質問はしないでやって下さい」

 白髪混じりの黒髪で、鷲鼻に引っかかった下がり気味の眼鏡を押し上げながら、アリ先生は俺の方を見た。

「時にジルムート、お前、嫁とやる事はやっているのか?」

 俺は思わず先生を睨んだ。言った途端にこれだから困るのだ。

 黙っていると、アリ先生がため息を吐いた。この人は、俺が男として女に反応しない事を知っている唯一の人だ。

「もう結婚して一年にもなるのに、何もしていないのか……」

 誘導尋問だ。これに応じたら絶対に色々聞き出される。俺が黙秘を貫くと、アリ先生は笑った。

「まぁいい。出来た嫁みたいだから、大事にしろ」

「言われなくても、しています」

 そう言うと俺は立ち上がった。これ以上ここに居ると、ロクな事にならない。

「帰るのか?」

「ローズが城で仕事を終える時間なので、迎えに行きます」

「今度来るときは、嫁も連れて来い」

「嫌ですよ」

 きっぱり言って研究室を出ると、扉の向こうから大きな笑い声が聞こえた。

 アリ先生に以前あんな事を言われていたら、研究室が真っ黒に染まっていた筈だが、今日はそうならなかった。先生はそれを確かめただけの様だ。……本当に食えない人だ。

 先生の質問は、はっきり言えば俺の中でも悩みの種だ。

 俺は、ローズになら反応する。

 言葉にするのも憚られる事を平気で考える様になって以来、それはちゃんと自覚している。しかし、いざ本人を前にすると反応するよりも先に鼻血が出る。

 現実と言うのは、感触や体温、匂いがあって、俺には刺激が強過ぎるのだ。

 それに、子供を持つ事に対する恐怖みたいな物が心の中にある。モイナやカルロス様を見てから、その気持ちはより強くなった気がする。ローズも子供も大事にしなくてはならないからこそ、怖くなった。

 俺が可愛がれない子供をローズに育てさせる事は絶対に出来ない。前世で父親に捨てられた記憶を持つ女だ。そんな目に遭わせる訳にはいかない。生まれた子に、俺のような思いをさせるのも嫌だ。そう思うと、性的な感覚は消え失せてしまう。

 想像もしていなかった望みを抱くようになり、感情が大きく動く様になった。

 ローズと出会う前よりも、仕事でも家でも色々と大変な事が起こっている。悩みも多くなった。それなのに心情の変化の為か、景色は前よりも鮮やかに見えるのだから不思議だ。

 城から出て来て、目を丸くしてこちらを見た後、にっこりと笑ってこちらに近づいて来るローズを見ているだけで、胸が熱くなる。

 潮風に揺れる髪の毛、夕日でオレンジ色に染まった白い肌。景色と共に鮮やかな記憶となって俺の中に残るのは、ローズだけだ。

 出会いは最悪だった。泣かせたし、警戒されて何年も近づけなかった。それが……馬に乗せたら、大人しく俺にもたれて座っているのだ。

 俺が欲しいと思い、ようやく手に入れたもの。手放す気はない。

 腰を抱いて、本当に一番側に居るのが自分なのだと確認できるだけで、嬉しくてたまらない。長い間、知らなかった感情だ。

 俺がこれで安定したなら、クザートの力の漏れを止める事が出来るのはディアだ。薄々分かってはいたが、アリ先生のお墨付きがどうしても欲しかった。

 俺と違い、器用に何でもこなして来たクザートは失敗に敏感だ。家長として俺の顔を立ててくれているが、俺はやっぱり弟で、兄の問題を指摘するのは気が引ける。既に武闘大会でかなり恥をかかせた後だ。更にこんな状況を俺から告げるのは辛い。

 でも言うなら、俺しか居ないのだ。

 翌日、俺は下層の執務室でジャハルに扉の前で人払いを兼ねた見張りを頼んで、クザートに事実を告げる事にした。

 家で話そうと思っていたが、アリ先生の指示でそうしなくてはならなくなってしまった。

 俺ならクザートの力を感じ取って、どの程度漏れているのかも知る事が出来る。だから調べて来いと言われてしまったのだ。

 確かに、役所のある区画まで力が漏れているのだとしたら確認しなくてはならないから、俺は先生の命令を受け入れるしか無かった。

「改まってどうした?」

 クザートは自分の力が漏れている自覚は無さそうだ。しかし俺にはわかる。微量だが今も漏れている。

 大変な事になった……。俺はそう思いながら重い口を開いた。

「兄上、落ち着いて聞いて下さい」

「何だ?」

「力が漏れています」

「誰の?」

 俺は黙ってクザートを見た。

「……え?」

 クザートが状況をじわじわと理解して動揺すると同時に、圧力みたいなものが一気に周囲にばらまかれた。力が一気に漏れ出したのだ。

 人の力が漏れているのを抑え込む術は俺も知らないから、どの程度拡がっているのか感じ取る事に集中する。クザートは、慌てて抑え込もうとしているが……出来ていない。確かに役所のある区画まで力は及んでいる。

 クザートの力は重い力だから、高く昇らずに床を這う様に広範囲に拡がっている。気配に敏感な者なら、確かに体調を崩す事も考えられる。

「ジル、どうやっていつも抑えているんだ!」

 俺は力の制御が下手で、抑え込む練習をずっとしていた。一緒に暮らしていたからクザートはそれを見ていた。自然に制御出来ていたクザートに教えられるものじゃないのも分かっている筈だ。

 混乱しているクザートに俺は続けた。

「この件でアリ先生に相談をしました。一度、研究所に来る様にとの事です」

 クザートの顔が絶望的な表情になった。

「まさか……俺に言う前にアリ先生の所に行ったのか?」

 クザートは固まった様に動かなくなった後、大きく息を吐いてから暗い表情で言った。

「そうか。そうだよな。言い辛いよな」

「すいません……」

「いいんだ。それよりも俺は騎士休業だな」

 やはり、そうなるか。

「この状態で城に勤務は無理だ」

 確かにそうだが、下層の指揮を執る者が居なくなってしまう。

「アリ先生は、ディアとモイナが関係しているから、一緒に連れて来てくれと言っていました。早く行って下さい。何とかしましょう」

「そうか。……まさかディアと初めてポートで出掛ける先が、研究所になるとはな」

「兄上」

「俺の代役は、暫くハリードに任そう」

 忘れていたかった名前を出されて、俺は眉間に皺を寄せた。

「あいつに隊長は務まりません。だったらラシッドかナジームにしましょう」

 クザートは首を左右に振った。

「俺が復帰出来なかった場合、ハリードは何処かで副官か隊長を務めなくてはならない。実務経験は必要だ」

「いきなり過ぎるでしょう!」

「いきなりで無いとやらないだろうが!」

「いきなりでもやりませんよ!」

 ハリード・カイマン。俺の二つ年上で、序列六席のリヴァイサンの騎士。

 対人恐怖症の騎士で、特に年長者と居ると力が安定しない。それで地下に籠って、騎士見習いや若い騎士の指導をしている万年教官だ。

 俺が十歳で序列一席になったのがハリードにとっての悲劇の始まりだ。ハリードの父親は、俺と張り合える騎士に育てようと、ハリードを厳しく訓練し始めた。

 リヴァイアサンの騎士の力が無くても、銛も体術も剣技も超一流の腕前になったのだが、いざ序列を決めてみると、序列はクザートよりも下だった。

 その後、年下であるルミカやナジーム、ラシッドにも抜かれる事になり、毎日の様に父親に罵倒され続ける事になった。

 それは父親が亡くなるまで続き、結果ハリードは対人恐怖症になってしまったのだ。

 元凶である俺は、何年も姿を見ていない。俺が近づくと気配だけで察知して居なくなってしまうのだ。

 クザートも気にかけているのだが、俺の兄である事、そもそも力が上であった事で父親に罵倒され始めた原因なので、当然逃げ回る。

 ルミカ、ラシッド、ナジームも、避けられている。後から入団して序列が上になった事で更に罵倒される原因になった騎士だからだ。

 年下であり、序列も下であるコピートとは口を利く。だから伝言係はいつもコピートだ。

「年下で弱い者としか口を利かないなんて、そんなのただの我が儘です。俺が根性叩き直してやります」

 ルミカはパルネアに行く前、そう言ってハリードを強制的に職務に引きずり出そうとしては、逃げられていた。自分が抜ける穴をハリードに埋めさせたかったのだろう。しかし見事に失敗した。

 序列は六席だが、隠密行動に長けているルミカを上回る気配断ちが可能で、人に気付かれずに城に出仕して、いつの間にか帰っている。

 リヴァイアサンの騎士としての力を使わない純粋な戦闘技術では、俺もクザートも勝てないと考えている。若い騎士達を鍛えるのは本当に手慣れているのだ。自由意志で入団した騎士をうまく鍛えてくれている。……お陰で助かっているのだが、それを伝える事もできない。ハリードは、そんな俺の言葉を聞く気が無いからだ。

 クザートは厳しい表情で言った。

「俺だって、あいつが漁師や大工に向いているなら、そっちをやれと言いたいよ。でもあれは騎士しか出来ない」

 俺よりも背が高い。しかも鍛え抜いているから如何にも武官と言う見た目だ。中身も、父親が戦闘技術に特化した教育を施したので他の事は向いていないと思われる。

「ルミカの代わりにパルネアで外交官をさせるのか?外交だぞ?出来ると思うか?」

 外交官の多くは、話術に長けた年上者だ。はっきり言えば、俺も出来る気がしない。ルミカはよくやっていると思う。

「とにかく序列上位者なのに、遊ばせておく訳にはいかない」

 クザートの言い分は分かるが、俺からすれば言った所でやるとは思えない。

「兄上の不調については、俺からクルルス様に伝えます。表向き、隊長の名前はハリードにしておきますが、実務はジャハルに代行させましょう。ハリードには、出来る限りの事だけ頼むと言う事で、コピートに伝言をさせます」

「序列一席はお前だ。お前の判断に俺は従うよ」

 クザートは拗ねた様子でそう言った。

 ハリードに対して、ルミカもクザートも厳しい態度を顕わにする事がある。理由は分かっている。

 オズマ・カイマン……ハリードの父親が、俺を城の地下に二年もの間、無学だと主張して閉じ込めた張本人だからだ。

 俺を父殺しと罵り、息子が俺より劣っているとなったら息子を罵倒した。オズマは本当に酷い男だった。

 俺は逃げる場所の無かったハリードの気持ちが分かるから、責める気になれないのだが……クザートもルミカも、そうは考えない様だ。

「申し訳ないが、俺は帰るよ」

 クザートはそう言って、すぐに城を出た。それからクザートは城に出て来ていない。

 今の所、ジャハルが仕事を回していて、相談しなければならない案件は、クザートの館に行って相談している。ハリードにはコピートから伝言をしたが、予想通り拒否だった。

「クザートの言う通り、隊長はハリードにしておけ。とにかく少しでも慣れろと、本人に伝えろ」

 クルルス様がそう言うので、仕方なく下層の隊長の名前はハリードになった。

 ローズとディアには、下層の隊長の名前が変わっている事は黙っていた。クザートの評価をこれ以上落とす様な事をしたくなかったのだ。

 上層の侍女達は、今カルロス様の世話で忙しいから、下層の話などどうでもいい状態だ。当然耳には入っていない。

 それで、食事を皆でした時も何も言わなかったのだが、さすがにこのままローズに隠し続けるのは良くないと判断して、話をする事にした。

 クザートは今日約束を取り付けていたから、行く前にディアに休職中である事を話す筈だ。

「クザート……お城に来ていなかったのですか?」

 ローズは驚いて目を丸くしている。ハリードに関しては詳しく言わず、地下で騎士達の教官をしているリヴァイアサンの騎士だとだけ伝える。

 ハリードの事を詳しく話せば、俺の過去に触れる。だから言える事が殆ど無い。

「リヴァイアサンの騎士でそんな方が居たのですか。知りませんでした」

 当たり前だ。教えていない。

 そんな俺の思考は当然分からないから、ローズは笑顔で言った。

「代わりの方が居て良かったです。クザートは、ジルの分も武器庫の弁償をしてくれているのですから、ちょっとお休みしてもいいと思います」

「そうだな」

 ローズの解釈は、俺の気持ちを楽にしてくれた。……ハリードの事を除けば。

 ディアがこんな風に言ってくれれば、クザートの不調は一発で直る気がするのだが……現実はそう簡単では無い。

 とにかく良い方向に向かう事を祈るばかりだった。

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