リヴァイアサンの騎士と研究所
モイナ・バウティ……クザートとディアの娘。クザートを実父だとわかっていない。祖母であるクザートの母親達が経営する耳かきサロンで預かっている。
ジャハル・ゴードン……城の下層で、クザートの副官を務める壮年の騎士。元傭兵。
ライナス・ゴードン……クザートの副官を務める、ジャハルの養子。来年から騎士団に入団予定。
何故か、私とジルムートまで耳かきサロンに招待され、皆で食事をする事になった。
クザートは微妙な表情をしているが、ディア様の中に深い闇があるのを知ってしまった以上、クザートと二人きりにするのも危険な気になってしまったから、今はこれでいいと思う事にした。
モイナは大勢で食べる賑やかな食事が嬉しいらしく、良い笑顔だ。
子供らしく、同じ年代の子と外で遊べるようにしてあげたいのだが、リヴァイアサンの騎士の怪力問題がある為、力を制御出来て、この事を公言しない年齢になるまでは、お友達は無理だと言う事になった。
とは言え、家に毎日閉じ込められて暮らしていては可哀そうだと言うディア様の言い分を聞いて、クザートが考えたのが護衛付きで町を散策できる様にする事だった。
護衛をしているのは、来年から騎士団への入団の決まっている、ジャハル・ゴードンの息子であるライナス・ゴードンだ。
ライナスは、ポート人特有の浅黒い肌の十六歳の男の子だ。モイナと同じく肌の色が幾分白いので、ポート人以外の血が入っているのが分かる。
ポート人の成人は十五歳だが、ロヴィスから入国した頃、この大陸の言葉が全く話せなかった事から、成人が二年遅れる事になり、十七歳で独り立ちする。
父親と同じく、ロヴィス語を読み書きできる上に流暢に話せる為、実は外交関係者からのお誘いもあったのだとか。しかし父親と同じ騎士になりたいと言って、騎士団に入団する事になった。
序列は無いから、最初はポーリアの治安部隊への配属として出仕する事になるそうだが、剣技はかなりのもので、再来年には城の下層へ入れる程度の序列を得られる見込みらしい。
性格は、とても穏やかで優しい子だ。とにかく良く出来た男の子で、モイナの護衛にはうってつけだ。
そんな子なので、モイナはすぐに懐いて、暇を見つけてはサロンから飛び出してジャハルの家へと飛び込んで行く。……ジャハルは、お母さん達の耳かきサロンの斜め前の館に住んでいる。
たまたま空いていた古い館に、わざわざ息子共々、移り住んでくれたのだ。
全て、外国育ちの自分を拾って長く副官にしてくれているクザートへの感謝の気持ちからだと言うから、本当に良い人だと思う。
ライナスを好き放題に引っ張り出して、ポーリアの街を散策しているモイナは元気そうだ。
ライナスはポーリアの街を熟知しているから、治安の良い場所にしか行かせないし、ポーリアの治安部隊の騎士達がモイナの顔を全員知っていて、見かけたら気を配っている。危ない目に遭う訳がないのだ。
そんな状況なので、モイナはライナスと共に何処かに行っていたと言う話をよくするとディア様に聞いている。
元々、外国の窃盗団に狙われていたから、パルネアでもあまり自由に外には出られなかった子だ。だから、出歩ける事自体が嬉しいらしい。
ディア様は、町で他の子と学校に通わせてやれないかも知れないと言う悩みを抱えていたそうで、それがポートに来る決心をした要因の一つだったと聞いている。
「ポートでは、子供はどうやって勉強するのですか?」
話題が切れた時に私がそう聞くと、クザートが答えた。
「庶民の場合、無料で読み書きや計算を教える養学所と言う場所が各地にあるが、あくまでも自由意志だ。仕事をするのに必要で通う大人も居るし、勉強をしたいと望む子供も居る」
年齢制限の無い学校がポートにはあるらしい。初めて知った。
そこから、クザートがちらりとジルムートを見て話の続きを促す。どうやらジルムートが説明すべきだと思った様だ。
「バウティ家の子供の場合、養学所に通う事は出来ない」
ジルムートが口を開いた。
「騎士の家だからですか?」
「そうでは無い。普通は家庭教師を雇うのだが……モイナは、王立研究所の研究員に勉学をさせられる事になっている」
おかしな言葉に、ディア様もジルムートの方を向いた。
「発端は俺なのだ」
ジルムートは渋い表情になった。
「俺が十歳で騎士に出仕した際、無学な事を理由に王族との接触を断たれていたと言う経緯がある。母さん達が家庭教師を雇い入れようとしたのだが、誰も引き受けてくれなかった」
お母さん達が少し暗い表情になった。
男社会のポートでは、女性の地位が低い。騎士である夫の庇護を失い、家長となった幼い息子の為に教師を付けるのは不可能だったのだ。
それを理解した上で、意地悪な大人の騎士が、ジルムートを虐めていたと言う事も良く分かる。酷い話だ。
「クルルス様がそれを知って俺に会いに来たのが十二歳の頃だ。そこから、護衛をしながらクルルス様と同じ様に教育を受ける事になった訳だが……その際にリヴァイアサンの騎士の家系の者は、王立研究所の研究員に教育を受ける事を義務付けると言う勅令が、ルイネス陛下から出された。クルルス様はそれを取り消していない。モイナもリヴァイアサアンの騎士扱いになると、先日クルルス様から話があった」
「では、序列上位の方々は、王立研究所の研究員の講義を受けたと言う事ですか?」
私が驚いて聞き返すと、ジルムートとクザートが一緒に頷いた。
「そうだ。知識水準で言えば、馬鹿では無いな。……馬鹿な事もするが」
ジルムートが苦笑する。
思い返せば、いきなり入れ替わっても下層の激務をナジームはこなしていたし、ルミカも外交官としてパルネアでちゃんと仕事をしている。
ジルムートの書く字が凄く綺麗な事は知っていたけれど、まさか本物の学者に教わっていたとは。
「俺達の本分は騎士だと言うのに、やたらと勉強をさせられた。……王命だから仕方ないが、苦行だった」
ジルムートはそう言いながら遠い目をしている。勉強が嫌いだったのだろう。だから、させられると言う言い方をしたのだ。
クザートが笑いながらディア様に言った。
「モイナも俺達同様、王立研究所へ通う事になる。あちらは勉強を教えるのと同時に、俺達の能力を計測して記録を取ったりしている。学費はいらない」
「モイナは、その……大丈夫でしょうか?」
怪しい実験の被検体にされるのでは無いかと心配したのか、ディア様が聞くと、クザートは更に笑顔で続けた。
「大丈夫。どちらかと言えば、行くべき場所だよ」
行くべき?疑問に思って続きを聞く。
「リヴァイアサンの騎士の力は無理をすると命に係わる異能だ。能力が大きいから体を壊してしまう。それで多くの家系が断絶した訳だが、今は制御の為の知識や目安を研究者が教えてくれる。だから研究所で能力を計測してもらうのは大事な事だよ」
クザートの言葉に、ディア様はほっとした様子だった。
「ただ……単純に女の子はとても珍しいから早くから記録を取りたいって言われている部分もある。俺の方から、まだポートに慣れていないから研究所へ連れて来いと言う催促は断っている」
催促が来ていたのか。
「研究所、行きたい」
モイナがそう言って、大人達が注目した。
「俺やジルよりもうんと年上のおじさんに、色々な事を聞かれるぞ?」
クザートが言うと、モイナは少し考えてから言った。
「お話するだけでしょ?だったらいいよ。ライナスと一緒に行く」
「ライナスは入れないんだ」
「何で?」
「ライナスは、まだ騎士じゃないからね」
国の研究所だから、一般庶民は立ち入り禁止の様だ。
「ふぅん」
分かったのか、分かっていないのか、モイナはつまらなさそうに返事をしてから言った。
「クザは?」
「俺は入れるよ。一緒に行くか?」
「うん!」
クザートの顔が、凄く嬉しそうになっている。……娘とお出かけがそんなに嬉しいのか。そして奥様(未定)はその様子を嬉しそうな、それでいてちょっと影のある笑顔で見ている。
ディア様は娘が大事にされているのが嬉しい反面、色々思う所があるのだろう。翳りの無い清らかな笑顔しか見た事が無かったのだが……数年で色々変わってしまった様だ。
「ディアも一緒に行かないか?」
クザートがそう言うので、ディア様は一瞬目を丸くしてから、くすっと笑った。
「ええ、モイナの事なら任せて」
クザートは何か言いかけて、口を閉ざしてから言った。
「済まないが頼む。俺も力が不安定で、相談をしに行かなくてはならないのだ」
力が不安定。何故そうなったのかは知らないが、経緯は知っている。
ジルムートはよく黒い空気を出していたが、広範囲に漏れる事は無かった。しかし、クザートの能力は、最近になっていきなり漏れる様になり、かなり広範囲に漏れ出しているらしい。
問題は、クザートは空気を黒くしない事だ。見えないから、よく分からないのだ。
ジルムートの黒い雰囲気が恐怖の塊なら、クザートのアレは、緊張感の塊みたいな感じだ。
身動きしたら、張り詰めた糸が切れると言うか、頭の上に岩がぶら下がっていて落ちて来そうと言うか。圧迫感が半端ないのだ。
それで先日、ジャハルが私の所に相談に来た。下層の執務室からそんな空気が漏れて来るものだから、同じ下層にある役所の役人が数人、体調不良になっているらしい。
原因の分からない役人達は、流行り病だと言い出したそうだ。しかしジャハルの調べによれば、同じ者が繰り返し体調不良になっているそうで、病気では無さそうなのだ。
「俺の見立てが間違いでは無ければ、隊長の力が漏れているせいだと思うのです。敏感な人だけが影響を受けているみたいで……ローズ様からジルムート様に伝えて頂けませんか?」
クザートの気配がおかしい事は分かっていたが、そこまで影響が出ているとは、最初ジャハルも分からなかったらしい。十年以上一緒に居て初めての事だとか。
確証の無い忠告を、上官であるクザートに直接する訳にもいかないと思ったそうで、私が夜勤の時にわざわざ調べた調査の結果を持ってやって来たのだ。
「ジルムート様にこれを渡して下さい」
ジャハルは気安くそう言っているが、わざわざ資料まで揃えて夜中に来たのだから、かなり深刻な状況だと思われた。
「分かりました。ジルムートにはできるだけ早く伝えます」
そんな経緯もあって、夜勤明けにジャハルの調べた書類を届けると、ジルムートは中を一読して、ジャハルの指摘は当たっているだろうと言った。
「一緒に住んでいる頃に、そんなものを感じた事はありませんでしたが」
「兄上は力の制御が最初から出来るから、漏れた事など無い。しかしこれは怪しい。俺の力の様に色が無いから範囲が分からないし、さて……」
「どうするおつもりですか?」
「相談出来る場所があるから、そちらにまず当たってみる」
首をかしげていると、にっと笑われ、
「分かったら説明する。だから少し待て。ジャハルにもそう伝えてくれ」
なんて言われた。
不確かな事や不都合だと思う事を、絶対に口にしたがらないジルムートの性格は熟知しているので、教えてくれるまで待つ事にした。
その後ジルムートは多忙な中、わざわざ休暇を申し出て、一人で何処かに出かけた。ほんの数日前の事だ。
私はその日、日勤でお城に居た訳だが、帰りにジルムートが迎えに来てくれていた。私服で城を出た所に立っているジルムートを見て驚いた。
「今日は何をしていたのですか?」
「色々と。……こんなナリだから城には入れない。だからここで待っていた。帰ろう」
手を差し出されたので、応じて手を繋いだ。
「出先の帰りで遅くなったから馬しかない。悪いが一緒に乗ってくれ」
「え?……はい」
そんな訳で、城外に繋いであった馬に乗せられた。
実は馬に一緒に乗るのは初めてだった。
想像以上に背の高い馬の上に簡単に引っ張り上げられ、ジルムートの腕の間に座ると、すぐに馬が歩き始めた。
最初は高いし揺れるし、物凄く緊張していたのだが、やがて街中に出ると、気恥ずかしさの方が大きくなった。
ジルムートに密着して移動している。しかも周囲に丸見えだと言う事に気付いたのだ。
私が恥ずかしくて顔を伏せていると、頭の上から見当違いな声が降って来た。
「眠いなら寝ていいぞ。落とさないから」
なんて言いながら、片手を手綱から離して、私の腰をぎゅっと抱き寄せた。もっと恥ずかしくなったのは言うまでも無い。
……こんな記憶はどうでもいいのだ。
とにかく、わざわざ休みを取ってまでジルムートが出向いていたのが王立研究所で、クザートの能力が不安定になっている事の相談に行っていたのは確かだ。
何故クザートがディア様まで誘って王立研究所に行くのかはわからないが、わざわざこの忙しいときに言い出したのだから、単なるモイナの世話係では無さそうだ。
そこはよく分からないが、今は黙っているしかない。
二人きりよりマシなお出かけの口実が出来て良かった。……そう思う事にした。