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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
好きはとっても難しい
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ディア・マーニーは信じない

カルロス・ポート……ポート国王クルルスの第一子。

ディア・マーニー……王妃セレニー付きの侍女としてパルネアから呼ばれた、ローズの先輩侍女。クザートと六年前に恋愛関係になり、一人で娘を産んで育てていた。

 カルロス・ポート。

 クルルス様とセレニー様の間に生まれたのは、元気な男の子だった。

 安産で、あっと言う間に産まれた。その時は皆で大喜びした。息子の誕生に本気で感動し、クルルス様が部屋で泣いていたのは、俺しか知らない。

 問題はその後だった。

 そんなに大きな赤ん坊では無かったのだが、セレニー様の乳だけで、急激に巨大化した。

 セレニー様は、産後太りと言うのを気にして体形を元に戻そうと考えていたみたいだが、不要な心配だった。カルロス様に乳を与えているだけで、セレニー様は細くなっていく。

 乳は十分に出ているそうだが、カルロス様は飲みつくして泣きわめく。

 泣いているカルロス様をあやすのは、主にディアとローズの仕事だ。

 まだ首がグラグラしている状態の赤ん坊なので、首を支えて抱いてやらなくてはならない。これが女には案外重たいらしい。

 普段重たい物を持たない若い侍女達は、すぐに腕が震えて来る為、結局ディアかローズの所に落ち着く。

 何故なのか分からないが、カルロス様は立って抱っこされている事を好む。抱っこしている者が座っていると泣き止まない為、立っていないといけないのだ。

 ディアはモイナを育てた経験から赤ん坊の世話に慣れているし、ローズもすぐに抱き慣れた。それで結局、二人が立って抱いている。

 ポート城の上層の侍女は、主に商人や役人、議員の娘で、教養はあるが重たい物を持つ様な機会が全くないのだ。

「ローズは平気なのか?」

 カルロス様を平然と抱っこしているローズに聞くと、にっこりと笑われた。

「これでもパルネアに居る頃は、騎士様方の鎖帷子の洗濯なんて事も経験していますから、力はあります」

 パルネアの侍女の下積みは、想像以上に過酷な様だ。

 鎖帷子の洗濯は、男でも嫌がる重労働だと聞いている。

 何せ水で洗えない。錆びるからだ。汚れを落とすには砂と一緒に盥に入れて、木の棒でかき混ぜると聞いた事がある。

「パルネアの騎士は自分の鎖帷子を女に洗わせるのか?」

「年に二回、城に仕える者が総出で行うのです。終わると特別なお菓子がもらえるので、それを楽しみにやっていました」

「菓子程度でやるには大変過ぎると思うのだが」

「騎士様方と使用人が一致団結してやる年間行事みたいなものです。結束力が高まる上に、一人一人の負担が減るので、誰かが凄く大変な思いをして、鎖帷子の洗濯を嫌いにならずに済むのです」

「なるほど」

「それでも翌日は二の腕が痛くなるし、爪が割れる事もあって好きにはなれませんでしたね。他の者達も同じなので共感できるし、笑い話に出来るのですが」

 ポートではそんな事はしない。出来ない。

 鎖帷子みたいな重たい物を着ないからだ。泳いで出航した船を追いかけて船をよじ登る事もあるのだから、基本ポート騎士の防具は革だ。それでも海で泳ぐには邪魔になるのだ。

 溺れて暴れる貴人にしがみ付かれれば、服で泳ぐ事すら危険になる。

 ローズもそれを知っているから、単に話しているだけだろう。

「特別な菓子とは、どんな物だ?」

「蜂蜜だけで出来た飴です。美味しいですよ」

「何だと!」

 甘い物の好きな俺にとっては、羨まし過ぎる菓子だ。

 蜂蜜は、ポートでは高額商品で、菓子にも殆ど利用されない。病気で弱った者の滋養強壮の薬として流通している。

 養蜂の盛んなパルネアでは、蜂蜜がポートよりも手に入りやすいらしい。

 欲のないパルネア人は、ポートの商人に売れば薬として凄い金額になるのに、自分達の為に菓子に加工して食べてしまうらしい。

 だからパルネア産の蜂蜜は、あまりポートに入って来ないのだろうか。

「残念ですが、蜂蜜の流通はこれからも増えないですよ。パルネアの養蜂家は、ポート人と直接取引してはいけないって国が定めていますから」

「……丸め込まれて、安値で買い叩かれた事が過去にあるのか?」

「国が法律で定める程度には。自分の国の物を他国の商人が安値で買い占めて行くとなれば、何とかするのが国のお役人や議員達の役目です」

 パルネアは優しい国民性の国だが、賢く勤勉な者が多い。ポートと武力による衝突をしない代わりに、機転を利かせてポートと渡り合う。

 クルルス様の吊り上げた関税も、結局戻されてしまっている。

 セレニー様とクルルス様の政略結婚が無くても、きっと関税は戻されていた。何となくそう思う。パルネアは、気付けば上手く対処して切り抜けている。そう言う国なのだ。

 シュルツ殿下は押しが弱く、影の薄い皇太子なのだが……あれは演技で、交渉を円滑に進める為にわざとやっているのだと思い始めている。

 ルミカがシュルツ殿下の為に、パルネアで工作員の様な事をしていると分かったからだ。

 ただの気の弱い皇太子の為にルミカは動いたりしない。兄である俺やクザート、国王であるクルルス様でも手に余る事をやるルミカ。そんな弟を、シュルツ殿下は上手く使いこなしているのだ。

 ルミカもシュルツ殿下の為に働くのが楽しいのか、はっきりとは言わないが、パルネアに永住する可能性を匂わせている。アネイラと言うローズの友人目当てでもあるが、それだけならポートに連れ帰る筈だ。

 パルネアは、優しいだけの農耕民の治める国では無い。

 ローズに会って以来、認識を何度も改めて来たが、今回は本気でそう思った。……多分、ローズだけでなく、セレニー様を始め、多くのパルネア人が俺を救ってくれたからだ。

 武闘大会でローズが出て来た後、まるで場を盛り上げる様にパルネアの使節団は拍手や喝さいを送り、あの場の空気を変えてくれた。

 あの援護が無ければ、俺のやり過ぎの責任は、クザートを爆弾魔にしても収まらなかった。本当に助かったのだ。

 カルロス様が、パルネア人とポート人の良い部分を併せ持っているなら、それが一番いいと思う。

 モイナと同じく、俺達程肌の色が浅黒くないが、パルネア人程白くも無いカルロス様は、ローズの腕の中で寝ている。

 目の色は完全にセレニー様と同じ緑色だ。髪の毛はくすんだ金色だ。クルルス様もそうだったらしい。将来は白っぽい金髪になるとか。

 顔立ちは……俺にはどちら似とも言えない。

 ローズもディアも、セレニー様に似ていると言っていたが、こんな小さな顔では分からない。

「可愛いと思いますか?」

 ローズに聞かれて、少しだけ戸惑う。

 セレニー様とクルルス様が二人で庭園を散歩していて、コピートが護衛をしているので、俺はローズと立ち話をしている訳だが、抱いている赤ん坊を見ても、守らねばならない弱い存在だとは思うが、可愛いとは思えない。

「守ろうとは思う」

 俺がそう答えると、ローズはじっと俺を見てから言った。

「じゃあ、カルロス様が一人前になるまで、しっかりとお守りして下さいね。モイナですら、六年であの大きさです。先は長いですよ」

 モイナは誕生日を先日迎えて六歳になった。確かにまだ一人で生きて行けるとはとても思えない。目の前には、まだ生まれて数か月のカルロス様。

「俺は十歳で出仕したが、その位育てば……」

「ポートの成人は十五歳ですよね」

 言葉を遮ってローズの低い声が返って来た。俺と一緒にするなと言う事らしい。

「そもそも十五歳のクルルス様は、一人で大丈夫そうでしたか?」

 ……全然ダメだった。二十歳を過ぎても、酷かった気がする。

 金髪巨乳に入れあげて娼館に通うし、勝手に城から居なくなるし、博打に負けて揉めた挙句、海賊に殺されかけた事もある。

 酷い過去の記憶の数々を思い出して、一気に暗い気分になった。

 力なく首を横に振ると、ローズは言った。

「セレニー様のお子様ではありますが、半分はクルルス様のお子様です。しかも男の子です。クルルス様に似ていたら、あなたの力が必要になります。お願いしますよ」

「自分で動かないのに?」

「ずっと赤ちゃんのままではありません。歩くし喋るようになります」

 ……そうか。成長するのか。当たり前の事なのに、目の前のカルロス様が歩くとか喋るとか、想像できない。

「ローズは詳しいのだな」

「詳しくはありません。モイナが産まれた頃から暫くですが、お世話をお手伝いしていました。久々に会って、あまりに違うので驚いたと言うだけの話です」

 納得していると、ディアが速足でこちらにやって来た。

 走ってはいけないので、焦っていても速足で移動するのが侍女の基本だ。

「ローズ!助けて」

「どうしたのですか?」

「クザートに食事に誘われてしまったの」

 俺みたいな美意識の無い者から見ても、整った顔立ちの女だと思う。困惑した顔すら上品で清楚だ。俺と同じ歳とは思えない。

 一児の母で、それもクザートの子を産んでいるので無ければ、ポート人からの求婚や縁談が山ほど来ていただろう。この容姿に惑わされたと知られたら最後、クザートにとんでもない目に遭わされる為、騎士達は遠巻きに見ているだけだ。

 ポート人の男と言うのは、どうも独占欲が強く、女を囲い込む傾向があるらしい。だから女が外で働けないのだ。

 母さん達が今、耳かきサロンを開いて、既婚の女達が安心して出かけて話の出来る場所を提供している事で、そう言う不満は多く出てきていると言う。

 女性だけのサロンで、バウティ家の大奥様の店と言う触れ込みがある為、夫達が快く送り出してくれる数少ない店なのだとか。庶民の女達は普通に外出して暮らしているのだが、金持ちになればなる程、外に出られない。金で女を囲い込んでしまうのだ。

 しかも一夫多妻だった頃と違い、一人ぼっちだ。喧嘩も起こらないが、楽しい事も起こらない。まるで牢獄の様だと言う婦人も居るそうだ。

 母さん達はこういう女達のはけ口となっている。母さん達も同じような思いをした。だからローズやディアが侍女として働く事も反対しない。

 クザートは心配性だから、ディアもモイナも館に閉じ込めたいのだろう。しかしそんな事をすれば、あっと言う間に嫌われる事も分かっているから、苦悩しているのだ。

 そんな事をぼんやり考えていたが、ローズの声で我に返った。

「困る事なんて無いですよ。一緒に食事に行けばいいだけです」

「モイナはまだ外で食事なんて無理よ。絶対に粗相をしてお店に迷惑をかけてしまうわ」

 誘ったのはディアだけじゃないのか?

 俺が絶句していると、ローズが口を開いた。

「モイナを連れて来る様に言われたのですか?」

「いいえ。でも私に会いたいなんて口実だもの。モイナともっと一緒に居る時間が欲しいのよ」

「ちょっと待って下さい」

 ローズがカルロス様を抱っこしたまま渋い顔で言う。

「ディア様、それ間違いです。クザートはディア様をデートに誘っています」

「でも、こちらの高貴な身分の人はデートなんてしないのでしょう?」

「そうですけれど……」

「クザートは王様の護衛をしているから立派な騎士だとは思っていたけれど、お家が古いだけじゃなくて、お城の下層の指揮を執る人だったのね。お城に爆薬を置いて管理させてもらえるなんて、余程クルルス様に信用されていないと出来ないわ」

 爆弾魔とまで揶揄されるあの惨状を、そう解釈するのか!

 実際に破壊したのは俺で、それを被っているクザートの事をそう考えてくれるのはありがたい。ありがたいが、何かが違う!

 ディアは、聖女の様ににっこりと笑った。

「だから、デートなんてしないわ。ローズもジルムート様とデートしないで結婚したのでしょう?」

 横に居るローズと互いに視線をちらりと交わし、二人で黙る。

 俺が耳かき工房にローズを連れ出した件に関しては、俺達の間ではデートにカウントしない事になっている。……あれは思い出してはいけない。

「だから、モイナとご飯を食べたいだけだと思うの。クザート一人じゃさすがにモイナとご飯は食べられないじゃない?だから、私を誘っているのよ」

 兄上!ディアは手強いですよ。完全に付き添いのつもりです。

「ディア様、もう少しクザートの気持ちを信じてあげてくれませんか?クザートはディア様の事、大好きですよ」

 ローズが恐る恐るそう言うと、ディアは笑顔で応じた。

「モイナを産んだからでしょ?」

「いえ、そうじゃないと思います」

「でもモイナが居なければ、私達はもう二度と会わない筈だったわ。私はオーディスでは無い誰かと結婚して、パルネアで暮らしていたでしょうし、ポートには来なかったわ」

「……結婚するつもりだったのか?」

 俺が思わず口を挟むと、ディアは頷いた。

「私はパルネアの庶民です。清い体でお嫁に行かねばならない名家の出身者ではありません」

 その後、ディアの本音がぽろりと漏れた。

「それに、体まで捧げたのに約束をくれない殿方を待つ程、私は出来た女ではないので」

 ディアは六年前に最後の機会となる調印式の日、自分の全てを賭けてクザートにありったけの気持ちをぶつけていたのだ。

 ディアから頼んだ事だと言っていた。性格からして、責任を取らせようと思っていた訳では無く、同じ気持ちなら繋がりが続くと信じて、ディアは体を差し出したのだろう。

 この綺麗で有能な女が、そこまでなりふり構わずに気持ちをぶつけたと言うのに、クザートはそれを断ち切ってしまったのだ。

 ディアは失意の中、クザートを思い出にして新たに再出発をしようとしたが、それは叶わなかった。一度の逢瀬で腹に子が出来てしまったからだ。

 これでは思い出に出来ない。誰の子なのか言えない子を腹に宿していては、結婚相手が死にかけの幼馴染になっても仕方ない。

 ディアがクザートを信用しない理由が、今更ながら、頭に染みて来る。

 ふと見ると、ローズが俺を睨んでいた。

 俺からは何も言うなとローズに釘を刺されていたのだった。うっかり俺が口を挟んでしまったせいで、ディアの抱える暗黒面を見る事になってしまった。

 気まずい雰囲気の中、ローズが言った。

「ディア様、だったらサロンにクザートを招いて、一緒に食事をしてはどうでしょう?」

「お母様達も一緒だし、それは楽しそうね」

 両手を叩いて、ディアが嬉しそうに同意する。ここまで問題が根深いと、ローズもいきなり二人きりで出かけるのは無理だと判断したらしい。

 去っていくディアを見ながら、俺達はお互いに複雑な表情でその背を見送った。

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