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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
港の騎士の秘密
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ジルムートの春

 使節団が帰った後、ディアは、モイナと共に俺達の館では無く、別の場所に住む事になった。

 場所は、母さん達の耳かきサロンだ。

 モイナが昼間寂しい思いをしない様にと、ローズが提案して、ディアも母さん達も受け入れた格好だ。

 クザートは何か言おうとしていたが、ローズが何やら耳打ちした事で押し黙った。

 母さん達は、モイナを見て狂喜した。特にリエンヌ母さんは泣き出す程だった。

 実の孫なのだから当たり前かも知れない。

「お婆ちゃんが三人なの?」

 モイナの不思議そうな問いに、カリン母さんが笑顔で応じる。

「そうよ。私の事はカリンちゃんって呼んでね」

 お婆ちゃんと呼ばれたくないのだろう。それにしても、それはどうかと思う。

「私はアイリスちゃんよ。よろしくね」

 いつも通りの平坦な表情と物言いで、アイリス母さんがそう告げる。

「リエンヌちゃんよ。仲良くしてね」

 涙を拭きながらリエンヌ母さんが続ける。

 無理があるって!

 突っ込みたいとは思ったが、口に出した途端恐ろしい事が起こりそうな予感がしたので、黙っておく事にした。

 ディアは、ここでポートの騎士家系の事や日常知識を母さん達から学び、モイナを預けて城に出仕する日々を過ごす事になる。

 ディアも母さん達の人柄が分かるのか、安心した様子だった。

 ポートでの暮らしに慣れるまでは、これが一番いいのだと、ローズは少し寂しそうに言って笑った。自分ではポートの事を十分に教えてあげられません。なんて言う。

 あの女の姦しい集団の中に混ざりたいのだろうな。……そう思うと少し可哀そうな気もしたが、俺は一人で館に帰る気など無い。今はそんな余裕は無いのだ。

 そんな訳で、二人を母さん達に預けた後、クザートと別れてローズと共に館に戻る。

「兄上に何を言ったのだ?」

 耳打ちして、一瞬で黙ったクザート。あの後、一言も話をしなかった。

 実は、モイナはお婆ちゃんの家に住むと言われているが、クザートが父親だとはまだ知らない。

 五歳と言うのは、あまり人間関係を理解出来ない様で、お婆ちゃんの家と言うだけで納得している様子だった。

 何故、クザートが父親だと言えていないのか。

 ローズが止めたのだ。ディアも同じ意見だったらしい。二人の反対の意思は固く、クザートは黙るしか無かった。

 そのせいで、クザートは相変わらず「クザ」と呼ばれ、騎士のおじさん扱いを受けている。

「次は無いから慎重になって下さい。と、伝えました」

 次は無い。

 つまり、ディアとモイナと一緒に暮らしたいなら、何も考えずにそれを提案してはいけないと言う事らしい。

 とは言うが、何故いけないのか、俺にはピンと来ない。

 それで聞くと、ローズは分かっていないなぁと言う顔をした。

「六年です。モイナをお腹に宿し、幼馴染と結婚して看取り、父無し子を育てたディア様の歳月の重さを考えてください。辛く無かったと思いますか?」

「それは……辛いだろうな」

「ちゃんと理解して反省した上で、ディア様の気持ちを繋ぎ止めなくては、クザートは幻滅されてしまいます。同じ館に住んだ所で、家族扱いされないでしょうね」

 それは厳しい……。同じ館に居ながら、家族と思われないで暮らす。正に地獄だ。

「すぐに解決できる事ではありません。……でも、これからはずっとポートで共に居る時間があります。だから、クザートは時間をかけて、もう一度ディア様を口説き落とさなければなりません」

「口説き落とすも何も……ディアは兄上の事が好きなのだろう?」

「ディア様は一方的な自分だけの気持ちだと思っています。信用していませんよ。クザートの気持ちなんて」

 前に話を聞いた時の事を思い出す。確かにそんな事を言っていた。

「クザートはディア様に対して何の努力もしていません。それなのに、モイナの父親だから夫婦になりたいなんて言ったら、子供の為に責任を取って結婚するとディア様が考えるのは当然です」

「確かに、そうだな」

 そんな訳無いのだ。ポートの娼館の女は、絶対に妊娠しない。そういう薬を処方されているからだ。だから、クザートは娼館の女しか相手にして来なかった。

 そんなクザートが子供の可能性も考えずに手を出した女はディアただ一人だ。面倒な状況に陥っても、逃げ出さずに一緒に居るのもディアだけだ。

 しかもモイナを溺愛している。ただただ、嬉しくて可愛いとしか思っていない。

 リヴァイアサンの騎士の力の制御は、女の子であるモイナにも必須なので、クザートが定期的に母さん達の所に通ってモイナの指導をする事になった。

 何処に住むか決まらない間も、城で手ほどきの最初の部分は始めている。怪力の使用は命にも係わるので、俺も指導を手伝う事になっている。

 やはりモイナはクザートの子だ。俺の力の大きさを、普段から見抜いて恐れていたのだ。

 まだ俺の事が少し怖い様だが、菓子の趣味が合う事から打ち解けつつある。

 小さな子供と菓子を一緒に食べ、他愛無い話をするだけで優しい気持ちになれるのは、不思議な感覚だ。クザートが娘を可愛いと思う気持ちは何となく分かる。

 だからクザートを一日でも早くモイナと暮らせる様にしてやりたいのだが……。

「良い事を教えましょう。クザートを弁護する様な事をジルが言ってはいけませんから」

 ローズは皮肉な笑みを浮かべつつ、恐ろしい事実を告げた。

「ディア様とあなたは、生年月日が全く同じです」

「えっ……」

「クザートとは、同じ黒髪で生年月日が全く同じ弟が居ると言う話から懇意になったそうですよ。丁度、あなたのお誕生日の時期に出会ったそうで」

 兄上……俺をダシにしてディアを口説いたのか。最悪だ。それでは俺は手助け出来ない。

「もうお分かりでしょう?あなたが介入すれば、ディア様の気持ちがこじれるだけです。だから口出ししないで見守ってあげて下さい」

「分かった……」

 子供まで居るのに、気持ちが完全にすれ違っている。それも俺のせいで。

 クザートは最愛の女と娘を目の前にしながら結婚する事も出来ず、相手の気持ちが解れるまで自力で何とかするしかないと言う状態に陥っている。

 可哀そうだが、子供の出来る様な事までしておきながら、後の事を約束しないでディアを手放したクザートが悪いのだと、ローズは言う。

 正論なので、俺はクザートを擁護出来ない。

 押し黙った俺の隣に座っているローズは、今までと何ら変わりない姿で茶を飲んでいる。

 俺があの武闘大会の日以来、どれだけの事を考えているのか、分かっているのだろうか。

 後でセレニー様からの指示でやったのだと言われ、落胆したものの、指示されただけでローズがあれだけの事をする訳が無いと思い直し、今もそれを考えている。

 あの日のローズを、何度頭の中で再生したか分からない。

 結局、俺の望みに対する答えでは無かったのだが、俺の心の渇いた部分が最も望んだ言葉と行動をくれた。

 人前であんな事をするのは、勇気が必要だっただろう。それでもローズはやった。やってくれたのだ。

 セレニー様の命令が後押しになっていたとは言え、それだけの気持ちを俺に持っていて伝えてくれたのだ。

 それを思うだけで、俺は頭の中が沸騰したみたいになってしまう。だから、上手く言葉にも行動にも出来ていない。

 ルミカが館に滞在していた事もあって、なかなか二人きりになれなかった。ルミカに早くパルネアへ帰れと言わない様にするので精一杯な程、俺は余裕が無かった。

 四年も外交官として国を離れていた弟を、母国から即刻追い出そうとする自分の狭量さに嫌気が差したが、気持ちは変わらなかった。

 ルミカは未だにローズが好きなのだ。それが透けて見えるから嫌だったのだ。

 そんなルミカもようやく居なくなった。

 嬉しい反面、緊張のし過ぎで、今もローズを凝視しているだけになり、ローズに対して言葉が出ない。

 伝えなくてはならないのに。

 俺は冷めた茶を一気に飲み干し、カップを置くとローズの方を見た。

「お茶のおかわりですか?」

 あのとき、鼻血を出さなかったのは騎士の意地だ。本心を言えば、出血多量で倒れても構わなかった。

 ただ、抱き上げているローズを血で汚す訳にはいかないし、クルルス様の前に騎士の序列一席として立っていると言う気持ちだけで何とか持ち堪えた。

 あの時に比べたら、二人だけで居るのに、俺が何も出来ないなんて……。

 思わず、茶を注ごうとしているローズの手首を握ってしまう。

 これ嫌いだったな……。

 ローズを伺うと、そんなに嫌そうな顔をしていない。ただ、黙って空いている方の手で茶器を置いて俺の方を見る。

 手首を掴んでいるのは何だか嫌だったので、手を握る様に手首から手の甲へと手をすべらせて、ぎゅっとその手を握る。

 クルルス様にも厳しく命令されているのだ。

 ローズを労り、大事にしろと。ローズが居なかったら、今頃ポートは恐ろしい騎士の住む王国として、他国に危険視されていた可能性もあったのだと。

 それをローズがセレニー様の指示で救ってくれた訳だから、国王であるクルルス様は完全にセレニー様とローズに頭が上がらなくなってしまった。

『お前のやり過ぎのせいで、セレニーとローズに一生かかっても返せない程の借りを作ってしまったではないか!セレニーへの借りは俺が返す。だからローズへの借りは、お前が返せ。いいな!』

 俺はそこから始める事にした。

「ポートを、俺達を救ってくれてありがとう」

 素直な感謝。これは口に出来る。国を含め、本当に救われた訳だから、感謝してもしきれない。

 頬を染めて、首をゆるゆると左右に振るローズは、とても恥かしそうにしている。

 あの時の事を思い出しているのだろう。恥じらう姿はとても愛らしい。それだけの仕草で、頭がおかしくなりそうだった。

 だから言葉が出て来なくなる。この気持ちを伝えるのにふさわしい言葉が浮かんでこないのだ。

 妻なのだ。俺だけのものなのだ。でも、伝わり切らない気持ちが確かにあって……。

 もどかしさに、思わず握った手を引いて胸の中に抱き込んでしまった。

「ジル?」

 戸惑う声が、くぐもって腕の中から聞こえる。

 抱き込んだローズは熱い。しかも心拍が高い。ローズは薄い布の私服を着ていて、俺も騎士服では無く、薄いシャツ一枚だから良く分かる。俺までつられて熱くなり、心拍が上がってしまった。

 離れがたい熱と心地良さに陶酔するばかりで、気の利いた言葉が浮かばない。

 ただ黙ってじっとしている訳にもいかないと思い、俺は正直に白状した。

「好き過ぎて、どうしたらいいのか分からない」

 そんな言葉しか出て来ない自分に失望していると、ローズがクスクスと腕の中で笑った。

「ローズ?」

 ローズは、迷いのない仕草で俺の背中に腕を回した。

「ジルが始めて好きって言ってくれました。嬉しい……凄く、嬉しいです」

 罪の意識に苛まれ、そんな事すら伝えていなかった事に今更気付く。

 ありったけの想いを込めて俺は言った。

「好きだ。ローズが好きだ。ずっと好きだ」

「はい。私も好きです」

 ……怖い程に幸せで、胸が押しつぶされそうだ。

「落ち着くまで、もう少し、このままで居たいのだが……いいだろうか?」

 とにかく離れたくなくて、それを口にする。

「私も、このままで居たいです」

 鼻血を出したら終わってしまう!俺は必死に、鼻血を意思の力で止める。

「スリスリしてもいいですか?」

 スリスリ?

 分からないが頷くと、ローズは俺の胸に顔を押し付けて頬ずりを始めた。

 こ、これは……俺もしたい!

 そう思った途端、限界を突破した。

「済まない。鼻血が……」

 物足りない顔をしているローズを置いて、俺は部屋から逃げ出した。

 その後、デコチューと言う額にキスをすると言う技術も伝授され、スリスリとデコチューは必須だと言うローズにより、鼻血が出なくなるまで訓練される事になった。

 天国に居ながら、地獄の様な苦しみを味わう訓練を繰り返し、俺のスリスリは実現していないものの(鼻血でローズの服を何枚もダメにした)、鼻血を出さないでローズとくっついて居られる時間は飛躍的に伸びた。

 耳かきだけでなく、あの手この手を駆使して、膝で眠ってしまったローズを自分のベッドに連れて行って抱き込んで寝る様になった頃、クルルス様とセレニー様のお子様が誕生した。

 ポート国中が浮かれて、お祭り状態になった。

「ポートはこの世の春ですね」

 お子様誕生を祝して、ポーリアでも城でも、様々な式典や祭りがある。

 護衛の仕事だけをしている訳にもいかず、俺はクザートの手も借りて、色々と警備計画を立てている最中だ。

 その為、俺は凄く忙しいのだが、ローズも同じ様に忙しくてクタクタだ。そのせいで、帰宅してから俺の膝で眠ってしまう機会が増えた。どさくさに紛れて一緒に眠れる日が続いているせいか、俺は激務なのに凄く毎日が楽しい。

 ディアに結婚の承諾をしてもらえていないクザートは、不機嫌そうに俺を見てから足を蹴って来たが、俺は気にしなかった。

「家に帰って、癒しの存在が居ると言うのは本当に幸せですね。兄上」

「今の俺にそれを言うか……」

 空気が重く張り詰めたので、ジャハルとコピートがビクっとして計画書から顔を上げた。

「そ、そう言えば隊長は最近、力が漏れないですね。弱くなったとかじゃなくて、安定していると言うか……」

 コピートが話を変えようとしたのか慌てて言う。

 ローズの言う所の『黒いの』が最近出ない。それはクルルス様にも言われた。詳しい事は王立研究所の研究員に調べてもらわないと分からないが、今は忙しいから行っている暇がない。また今度行こうと思う。

「多分ローズのお陰だ。妻はいいな。一日の疲れが吹き飛ぶ。ファナとの結婚も近いし、お前もそうなんじゃないか?」

「あ……その……はい」

 若者らしく赤くなってコピートが応じる。

 それを見て、クザートが眉を吊り上げた。

「やっぱり刺す!ジャハル、銛だ」

「やめてください。執務室が壊れますから!」

 ポートは今日も平和だ。

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