騎士の兄弟は戦う
グルニア帝国……パルネア王国とジュマ山脈を挟んで存在する軍事国。長年、大陸統一を目指して二国に侵略を続けていた歴史があり、パルネア、ポート共に国交を断絶している。
ロヴィス……海の向こうにある最大の大陸に存在する大国。ポーリアと並び称される港町アンクを持ち、文化の中心として栄える反面、内陸部での領土争いに頭を悩ませている。
例年の武闘大会は、いつも騎士団だけによる認定試合だから、観客は殆どが騎士で、国王と騎士団が許可した者だけが見学する事になっている。
他国からの見学者が居る中で、リヴァイアサンの騎士の能力を見せる事は、過去幾度かあったと聞くが、大抵はポートが侵略の危機に晒されている時だったとされている。今回の様な事例は無い。
ちなみに侵略国とはパルネアではない。グルニア帝国だ。
パルネア側のジュマ山脈を越えられないグルニア帝国が、陸伝いに軍船を率いてポートに攻めてくるのだ。
グルニア帝国はこの大陸の半分を占めているが、国土の割に荒れ地が多く貧しい為、肥沃なパルネアと流通の拠点として栄えているポートを欲しているのだ。
話し合いをして国交を正常化すれば、パルネアの穀物をポート経由で輸入する事も出来るのに、グルニア帝国はポートとパルネアを属国と見なす姿勢を崩さない為、国交を断絶している。
ここ数年、天候が悪化して飢饉になっていると聞くが、同じ大陸でありながら、情報はあまり入って来ない。
そんなグルニア帝国を抑える為、数百年前まで、あえてグルニアの使者をポートへ呼び、定期的に武闘大会を見せていた時代があったのだとか。
一方、ポート側にある海を隔てた大陸はかなり距離がある。現在最も速い船でも一か月程かかる距離だ。
その大陸には、ポーリアと並び称される港町アンクを所有するロヴィスと呼ばれる世界最大の国家がある。
大陸そのものの大きさが、パルネア、ポート、グルニアの三国のあるこの大陸のほぼ三倍の大きさがあって、内陸では小競り合いが続いている。
ジャハルは、この小競り合いを糧に長年傭兵をやっていたと聞いた。
ロヴィスは大国なだけあり、軍の規模も桁違いに大きいそうだ。しかし、軍部は国境の小競り合いを傭兵任せにして、国内の治安維持しかしていないと言う。
ジャハルの話では、自国の軍人を国境の小競り合いで死なせない為に、ロヴィスは軍事費で国境付近の砦に外国人で構成された傭兵を雇うのだそうだ。それだけ豊かな国なのだとジャハルは当たり前の様に言っていたが、何だか釈然としない気分になった。
とにかく問題は国境の小競り合いを傭兵任せにしている事では無い。豊かである為、芸術や文化の中心として栄えていると言う点だ。
オーディスの絵画盗難の主犯はこのロヴィスの貴族なのだ。
小国であるポートが、大国であるロヴィスの身分の高い者を犯罪者として摘発する事は不可能だ。
既に持ち去られた絵に関しては諦めなくてはならないだろう。しかし、今後同じ事をされる訳にはいかない。ポートの港経由で、安易に物を盗み出せると考えられては困るのだ。
その事に関しては、クルルス様だけでなく温厚なシュルツ殿下もかなり腹を立てている様子だった。
そこでシュルツ殿下を招く『ついで』にロヴィスの大使館員だけでなく、わざわざ本国から武官の中でもかなり位の高い者を数人、招く事になった。
ルミカの調べによって、オーディスの絵を持ち去ったのがロヴィスでも名の通った有力貴族である事が分かっている。
かなりの大物である為、クルルス様は証拠を直接渡す為にロヴィスの軍部へ密かに連絡を入れたのだ。
ロヴィスは王族が居ない代わりに、元老院と呼ばれる世襲制の貴族だけで構成された議会が政治を主導している。
どれだけ有能な役人も軍人も、元老院の決定には逆らえない。しかし、現在の元老院の構成貴族はあまり有能ではない為、国民は強い不満を抱いている。
国民の不満を抑える為、役人や軍部は無能な貴族を失脚させたいと考えている。今回、オーディスの絵を盗んだ貴族はその筆頭とも言える存在であるらしい。
そんな訳で、ロヴィスからの客も、パルネア使節団と共に俺達の試合の様子を見ている。現在は序列上位の精鋭兵の試合が行われている。ちなみにリヴァイアサンの騎士では無い。
銛による激しい攻防に、ロヴィス、パルネアの両国共に言葉を失っている。
実際に刃の付いた銛を使っている上に、銛が掠って流血しながらの試合が怖いのだと、以前ローズに指摘された。……ポートの武闘大会は千五百年以上ずっとこうだから、急には変えられない。
実際に襲って来る敵の事を考えれば、真剣勝負の経験は必要だと思うのだが、これを言うと更に恐れられそうなので黙っている。
今日の試合も、ローズは何処かで見ているのだろう。それは頭の隅に追いやる。これから自分がやるべき事に集中する為だ。
目の前で試合は終了し、序列十五席と十六席が決定した。
今年の十五席は、カイト・マウンセルだ。
十六席のアルス・バートン共々、上層勤務の精鋭だ。
「カイトもアルスも良い試合だった。見事だ」
クルルス様が立ち上がり、跪く二人の労をねぎらう。
本来、ここで十五席はクザートに挑む権利を行使するか否かの選択権を与えられるのだが、今年に限ってそれは無い。
既に通達済みだから、カイトも黙っている。
「今年は海の向こうと隣国から、我が国の騎士団を見に来られている方々が居る。そこで、序列一席であるジルムートの剣技を披露しようと思う」
俺は軽く頭を下げるとクルルス様の側を離れて、武闘大会の会場の真ん中へと歩む。
試合をしていた二人が立ち上がり、俺に道を開けて脇へと退いて行く。一瞬カイトと視線が合って、その表情に侮蔑が宿っているのを見た。
ただの馬鹿力だと思っているのだとは……前々から思っていたが、ここまで不躾な視線を感じたのは初めてだ。会場の端に置かれたツヴァイハンターを振った程度で、この認識は変わるまい。
俺は会場の真ん中で歩みを止めて、クルルス様の方を振り向いた。
「陛下、この場を借りてお願いがございます。どうかお聞き届けください」
打ち合わせに無い内容である為、クルルス様の眉がピクっと跳ね上がる。
「申してみよ」
「現在、パルネア使節団と共にポートにやって来ている、オーディス・マーニーの絵の所有権を持つモイナ・マーニーの事なのですが、オーディスの実子ではありません」
会場がざわつく。クルルス様の表情が驚愕に変化する。
一旦言葉を切り、会場のざわつきが収まってから俺は声を張り上げた。
「モイナは我が兄、序列二席であるクザート・バウティの実の娘です」
試合の審判をしていたクザートが唖然として俺を見ているが、無視する。
「証明する方法は?」
クルルス様の言葉に、俺は即答した。
「母親であるディア・マーニーの証言は取れています。それにモイナの容姿を見れば、十分にご理解いただけます」
「俺の子では無い!」
クザートの怒声が響く。
「隠しても分かる事です!」
俺も声を張り上げる。クザートの方はあえて見ない。
クルルス様は、俺とクザートが怒鳴り合う所など見た事が無いから、当然驚いている。
当惑しているクルルス様へ、俺は続けた。
「モイナは、オーディスから善意で譲り受けた絵画の盗難に巻き込まれた挙句、幾度も誘拐されかけています。私の姪である以上、この様な危険な状況から即刻解放したいのです」
「どうするつもりだ」
「モイナの絵画の権利は即刻放棄します」
「しかしモイナの所有物だ。勝手な事は出来ない。第一、放棄した絵はどうなる?」
「そこは、パルネアとポートで話し合って決めてください。盗難が不安であれば、ポート騎士団は全力で絵を守ります。……子供が誘拐の危機に晒され続けて来た事をお考え下さい。俺にとってはそちらの方が重要です」
一瞬、カイトの方を向いて睨んでやった。
肩が震えるのを辛うじて止めて見せたのは偉いと思うが、俺には動揺が手に取るように分かった。
「モイナは、モイナ・バウティとして、バウティ家の家長である私が後見人として保護します。権限の放棄については、私が全て責任を負います」
「ジルムート!」
クザートの声に、俺は初めてクザートの方を向いた。
「兄上、あなたの娘では無いのでしょう?だったら俺が面倒を見ます。……ディアの面倒も一緒にうちで見ます」
何か言おうとしているクザートから視線を外し、再びクルルス様に告げる。
「オーディスの絵画盗難に関与した外国人の一味がポートの騎士に対して、モイナの出自を調べて取引を持ち掛けた形跡があります」
「どういう事だ?」
俺は他国の者にも分かる様に説明をした。
「我が国特有のリヴァイアサンの騎士の家系には、怪力で泳力の高い能力者が生まれます。しかし女児が殆ど生まれません。モイナはリヴァイアサンの騎士の家系に産まれたとても珍しい女児です。将来産む子は、私や兄上と同じく、怪力で泳力の高い能力者になります。故にポート騎士団の騎士に狙われました。それ故、絵画の密輸を見逃す見返りとして、誘拐は行われていたと考えられます」
クルルス様が、目を見開いて怒鳴った。
「オーディスの絵画は、騎士団の内通者を通じて海外に持ち出されたと言うのか!」
「そうです。ポート騎士団の恥であり、我が姪をかどわかそうとした者を、私は許しません。国内に潜伏している外国人の窃盗団共々、捕らえる手配を今現在している最中です。間もなく報告が入るかと思います」
場内がざわつき、カイトの顔色がみるみる悪くなっていく。
「お前の言い分は分かった。それで何故わざわざ武闘大会の会場でその様な事を言い出した」
昨日、事前に話そうとしたのに聞かなかったクルルス様が悪い。そんな事を考えながら、俺は理由を口にした。
「何故私が序列一席なのか、明確にする為です。私がここ十数年、人前で実力を示さなかった事が、今回の事件の要因でもあると考えています。……リヴァイアサンの騎士の力は、人の身には大きな負担です。それを理解しない者が得れば、自滅しか待たない破滅の力です。人前で振う事は現在も不本意です」
「ジルムート……」
「私の相手を出来る者などおりませんので、今まで試合を辞退して来ましたが、このままでは私の実力が疑われたままになります。モイナの後見人として、モイナを誘拐すると言う事は誰を敵に回すのか、知らしめたいのです。その為、序列二席である兄上と試合をしたいと思います。陛下、どうかその許可を下さい」
クルルス様は俺を暫く黙って見据えた後、ため息を吐いて言った。
「許可する」
わっと、場が盛り上がる。
俺はクザートの方を向いた。
ざわつく周囲には聞こえない声で俺は言った。
「ディアもローズも泣きました。このままではモイナも泣くでしょう。兄上の方法では、大切な者達を幸せには出来ません。だから俺は、あなたのやり方を認めない」
俺はアルスに歩み寄り、銛をその手からひったくると、クザートに放り投げた。
とっさに受け取ったクザートに、俺は声を張り上げた。
「陛下の許可は下りました。兄上、お相手願います」
俺は速足で会場の端へ行き、昨日出した黒鉄のツヴァイハンターを片手で持ち上げ振り向いた。
途端、周囲の空気が一変する。
「全員、観客席まで離れろ!早く!」
ジャハルの逼迫した声が響き、会場の内側に立っていた騎士達が、一斉に場内から観客席まで退いた。
会場内部には、俺とクザートだけが残された。
石柱と変らない重さの大剣を持って歩いているだけで顔色を変えている者も居る中、俺はクザートの立っている真ん中まで戻った。
ここまで来たら、もう言葉は不要だ。
突然会場で全て暴露した時点で、クザートの怒りと失望は、未だかつてない程になっている。
クザートの意図を知った上で相談もしないで、いきなり反対したのだから当たり前だ。話せば分かり合えると互いに信じていたクザートの信頼を裏切ったのだ。
俺が構えると、クザートは殺気も顕わに銛を構えた。
審判も居ない。開始の合図も無い。誰もそんな事が出来ると思っていないから、ただ黙って見守っている。
クザートは俺とずっと鍛錬を共にしてきた。
同じ銛では互いに数手先まで手の内を読んでしまう為、試合が長期化する。だからこのツヴァイハンターを使うのだ。これの方が長い。しかも銛で壊す事も出来ない。破壊しようとすれば、銛の方が折れる。俺はこれの長さを利用し、間合いを詰められない様にしつつ銛を折り、降参させる。
それだけでいい。恐れられるのは、俺だけでいいのだ。
クザート目がけて剣を振り下ろす。クザートが飛退き、重たい地響きと音と共にツヴァイハンターが地面にめり込み、土を跳ね飛ばす。間髪入れずに持ち上げて、更に剣を振る。
クザートはそれを避けながら、俺の動きを凝視している。
俺の振う剣の風圧は、鈍い音と共に離れた観客にまで届き、その髪を揺らしている。
当たれば即死の一撃だが、クザートが避ける事を想定して剣を振る。普通の片手剣の如く振う姿を、見せなくてはならないのだ。
視界の端に、上層の部下達の姿が一瞬だが目に入る。俺は目も悪くないから、表情は一瞬でもちゃんと分かる。アルスを始め、上層の精鋭達は顔色を失って俺を見ている。カイトに至っては、会場の椅子に座り込んでいるのが見えた。
俺が観客席を見た一瞬を見抜く様に、空気が重たく張り詰めた。
クザートが力を使う。
リヴァイアサンの騎士の能力である怪力は本気で使う際に独特の空気を放つ。知識の無い一般の者でも分かる程に空気を変えてしまう。
使用者によって違うがクザートの場合、空気の密度が濃くなり、重くなる様な感覚がある。
ツヴァイハンターを破壊出来るか試そうとしている。……クザートにはそれしか勝機が無いからだ。
岩をも砕く一撃だ。俺はその一撃に備える。
少し距離を取った場所から、呼気を合わせてヒュッと音を立ててクザートが一気に銛を突き出す。銛自体は、俺に届いていないが、破壊力を帯びた衝撃波が俺に向かって飛んで来ている。
避けるのは簡単だが、避ければ衝撃波が背後の観客席と城の壁に届く。そうなれば人も城も只では済まない。
左手をツヴァイハンターの刃の平らな部分に添えて、衝撃を受け止める姿勢を取る。ルミカは、俺なら出来ると言った。出来るには出来るが……簡単な事では無いのだ。
「うっ」
ミシっと骨のきしむ嫌な音がした。歯を噛み締めると、思わず声が漏れた。
限りなく重たい一撃に、踏ん張った足がズルズルと背後にさがって行く。
ツヴァイハンターは壊れなくても、俺の方が壊れそうだ。怪我をする訳にはいかない。ローズとの約束があるから。
防御姿勢の俺の隙を突く様に更に衝撃波が繰り出される。クザートは素早い。だから、連続で力を振う事が出来るのだ。
土埃をあげて襲って来るそれに防戦を強いられ、俺はじりじりと下がって行く。
俺達の力は体に強い負担となる。力に体が耐えられないのだ。衝撃波をこれだけ連続で使えば、体が悲鳴を上げている筈だと言うのに、クザートの動きは止まらない。それだけ、頭に血が昇っていると言う事なのだろう。
ルミカ……お前の読みは正しいが、当たり過ぎだ。このままでは兄上が死ぬ。
俺は意を決し、正面のクザートを見据えて呼気を合わせる。
クザートの動きが止まり、大きく退く。
その瞬間、辺り一面、日が陰った様になる。一瞬会場がざわつく。
周りが視認できなくなる訳では無い。ただ空気が黒く染まる。普段から持て余し、漏れ出る俺の力の具現化した状態だ。
俺はクザートの様に力を連続で使う事が出来ない。力が大き過ぎる上に制御が下手なのだ。何度も使えば、その大きさに体が耐えきれず死ぬ。
それは過去の文献から知っているし、ポートの研究者からもそう忠告されている。
多くの消えて行ったリヴァイアサンの騎士の家系の騎士達は、何らかの理由で自分の力を限界まで駆使した事で命を失った。だから使えば自滅しか待たない力。持たないに越した事の無い力なのだ。
ローズが待っている。俺は死ぬ訳にはいかない。クザートが近づいて来ないから、銛を折る事は出来ない。だったら一度でいい。力を上手く使ってクザートの戦意を喪失させなくては。クザートも、死なせる訳にはいかないのだ。
クザートの背後は武器庫で、幸い観客は居ない。意識を集中させれば、武器庫の中やその向こうの人の気配まで手に取るように分かる。……よし。誰も居ない。
ツヴァイハンターを両手で構え、呼気を吐き出すのと同時に一気に振り下ろす。
地面が一直線に割れて、武器庫目指して進んでいく。次の瞬間、轟音と共に武器庫が一気に砕けて吹っ飛び、更に先へと地割れが進んで止まった。
土煙がもうもうと上がり、その中で衝撃波に巻き込まれて体勢を崩し、膝立ちになったクザートを見つけると、一気に駆け寄って銛をツヴァイハンターで弾き飛ばした。
さっきの連撃でクザートは動けない。力が入らないのだ。
キンッ
高い音がしてクザートの手を離れた銛が宙を舞い、離れた地面にカランと落ちた。
肩で息をしながら俺達は互いを見た。
「俺の……負けだ」
暫くして、クザートが膝立ちのままそう呟いた。
俺達の試合はこうして終わったのだった。




