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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
港の騎士の秘密
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セレニーのお願い

 武闘大会の事を考えると、ジルムートに麻袋みたいに運ばれた事を気遣ってくれている他の侍女達の微妙な雰囲気さえ、どうでも良くなった。

 セレニー様は、昨日から私の様子がおかしかった事を知っている。だから当然、質問された。

「ローズ、どうかしたの?昨日からおかしいわ」

「ジルムートが武闘大会に出るので、不安なのです」

 嘘じゃない。誤魔化してもセレニー様には見抜かれてしまうから、言えない事を伏せて、本当の気持ちを告げる。

 セレニー様は納得してくれて、優しく励ましてくれた。

「大丈夫よ。明日は賓客が多いし、怪我なんてしないわ。ジルムートは強いのでしょう?」

「十年以上……誰も戦っている姿を見ていないそうです。私も詳しい事は分からないのです。私の前で鍛錬している姿を見せませんし」

 毎朝、風呂に入ってから朝食だったのは、早朝に館の地下の部屋で鍛錬していたからだと、今日初めて知った。城に行く道すがら聞いた話だ。

 クザートが同居していた頃は、一緒に毎日そうやって鍛錬していたと言う。手の内を知り尽くした相手と戦うのは大変なのだと言っていた。よく分からないがそうなのだろう。

「まぁ!そうだったのね。それは心配ね」

 セレニー様が口に手を当てて驚いている。

 本当に心配なのは、クザートも強くて、二人共普通の騎士では無いと言う点なのだがそれは言えない。

 武闘大会を見た年に、余りに殺伐とした雰囲気に驚いて、クルルス様に色々聞いたとだけ言っていた。そのときクルルス様がポートの騎士団について詳しく話をしたと言うから、リヴァイアサンの騎士については聞いているとは思う。……多分。よく分からないから私から言う事は出来ない。

 実は、明日の武闘大会へは、最初セレニー様も出席する予定だったけれど、お腹が目立ってくるにつれて周囲の男性達も配慮した方がいいと思い始めたらしく、セレニー様は出席しない事になった。妊娠中の王妃が見るものでは無いと言う話になった様だ。

 本当に良かったと思う。そんな訳で、私もセレニー様の側に居るから武闘大会の会場に行かない事になったのだが、今朝城に来ると状況は一変していた。

 私はシュルツ様達パルネアの使節団の世話をする事になっていて、ディア様が上層でセレニー様のお世話に付く事になっていたのだ。

 使節団が滞在する最後の日なのでパルネア生まれである私に対する配慮として、この配置になったと説明されたけれど、多分昨晩の話し合いの後、ジルムートが手配したのだ。

 ディア様に力を振うクザートを見せない様に遠ざける為の配置なのだと思うのだが、何故それを館でも出仕の途中でも言わないだろうか。あの人は。

 多分、勝手に決めた事で怒るとか、嫌だと言われたくないとか、そんな理由だ。変な所で気が小さいから困る。こういう事は、前もって言っておいてもらわない方が困るのに。

「取り乱して申し訳ありません」

 私が謝ると、セレニー様はにっこりと笑った。

「良かった。ローズもちゃんとジルムートに恋をしているのね」

 恋!

 周囲の侍女達が、キャっとか言っている。

「セレニー様……」

 恥ずかしくて顔が赤くなっている自覚はある。

「だってローズったらいつも冷静だから、ジルムートに押し切られただけなのだと思っていたのよ。下着もそうなのだと思っていたの」

 押し切られる。それは確かにあるけれど、それだけで結婚する程のお人好しでも無い。

「全然、結婚前と変らないのだもの」

「私もジルムートも城に仕事を持つ者です。仕事中に私情を持ち込む様な真似はしません」

「それでも新婚ですとか、相手が大好きです!みたいなオーラがあってもいいんじゃないかと思っていたの」

「何年も同じ館で暮らしておりますので」

 何とか侍女モードで応じると、セレニー様は苦笑してから周囲を見回して言った。

「ローズと二人で話したい事があるの。ちょっと皆下がってもらってもいいかしら?」

 恋バナに興味津々の若い侍女達は、不服そうにしながらも王妃の命令に従って部屋を出て行く。

 私だけを残して人払いするのはよくある事ではあるけれど、何だか今日は嫌な予感がする。……長年、セレニー様と居るから働く勘だ。

 私がぽつんと立っている前で、ゆったりと座ったセレニー様は言った。

「明日の武闘大会では、妻としてジルムートを労ってあげるべきだと思うの」

 労う。ご苦労様でした。大変でしたね。とか?……言えるような和やかな雰囲気で終わる気がしない。

「騎士にとって武闘大会は年に一度の重大な序列決定の場なのだから、序列一席を守れたら、キスの一つでもしてあげなさい。きっとジルムート、喜ぶわよ」

 一瞬、眩暈を覚える。

 そんな事を出来ないし、実行した所でジルムートは鼻血を出して逃げ出すだろう。

「あの……」

 何を言っていいのか分からないが、出来ないと言おうとしたら、セレニー様は笑った。

「たまにはパルネア流もいいのではなくて?ポートの武闘大会は怖いのよ。変えた方がいいわ」

 パルネア騎士の武術大会では、騎士が指名した女性から優勝のご褒美に、頬にキスを貰う風習があった。

 完全にお祭りだった。木刀で殴り合うだけの日本で言う所の剣道の試合みたいなものだったから、皆楽しみにしていた。誰が優勝しても関係無くて、その時期は露店が沢山立っているので、アネイラと見て回っていたのを思い出す。

 ディア様が優勝者に指名されて、頬にキスをする役目を何年もしていた。一生顔を洗わない!なんて言う騎士も居て、笑い話になっていた。すっかり忘れていた事だ。……ポートではあり得ない。絶対にダメな気がする。

「ローズはジルムートの妻なのだから、別にいいと思うの」

 セレニー様、詳しい事は言えないのですが、そんな雰囲気は皆無です!

 私の内心の焦りを完全に無視して、セレニー様は言った。

「海外の方達やパルネアから来た使節の皆を怖がらせない配慮として、是非ともやって欲しいの。あなたにしか頼めない」

 セレニー様は真剣に言った。これは……人の恋愛を面白がっている顔では無い。

「クルルス様はポートの騎士の強さを見せつけて、騎士団を抑止力として使うおつもりなの。でも、それだけではいけないと私は思っているの」

 セレニー様はお腹を撫でながら言った。

「この子が大きくなった時、騎士団が弱体化していたらポートはどうなると思う?」

 騎士は世襲制から自由意志による募集制度へ移行している最中だ。

 古い家系の騎士だけではなく、強くなりたいと願う多くの若い世代が騎士になろうとしている。

 上手く移行できなかったら、世界でも屈指の強さを誇ると言われているポート騎士団は弱体化する。

 現に中層の騎士の事件を思い返せば、その兆候はあるのかも知れない。

 一旦恐れさせておきながら、見掛け倒しと言う事になったら……反動は大きいだろう。何が起こるにせよ、あまり良い事では無い気がする。

「武力だけを前面に押し出してはいけないわ。……けれど私は今、クルルス様を説得する事が出来ない。お腹の子の為に必要な事だと信じてらっしゃるから、何も聞き入れて下さらないの」

 お腹の子の安全の為に、ジルムートに武闘大会への出場を命じたのであれば、身重であるセレニー様が何を言ってもクルルス様が聞き入れるとは思えない。

「殿方が武力に頼って全てを解決しようとするなら、女である私達がそれを抑えなくてはならない。私の夫もあなたの夫も、愛情深い人達なのだから誤解を与えてはいけない」

「セレニー様……」

「騎士は人殺しをする獣や道具ではなくて、血の通った同じ人。どんなに強くても、話し合う事の出来る相手なのだと、他国の人に分かってもらう必要があるのよ」

 セレニー様はにっこりと笑った。

「だから、あなたは武闘大会でジルムートに対して皆の前で愛情を示すの。ジルムートはローズの事を死ぬ程好きだから、拒んだりしない。その姿を見せるだけでポートの印象は大きく変わる。強くて恐ろしいだけの国だと思わせてはいけないわ」

 だから人前でキスしろって言ったのか!

 話が繋がって来ると、とんでもなく恥ずかしい上に外交上重大な任務を任されている事を理解する。

「私には荷が重いです」

「そんな事を言わないで。あなたしか居ない」

 美しいディア様と愛らしいモイナが、二席であるクザートに抱き着いてキスする方が、素晴らしい展開になると思うのですが!

 ……なんて言えない。絶対に言えない。

 変な汗が出て来る。

「ね?お願い」

 昔から、私はセレニー様のこの『お願い』を断われた事が殆ど無い。

 侍女の誇りもあるが、セレニー様の願いは単なる我が儘では無いのだ。いつも王族としての自覚を忘れない方で、自分で出来ないから私を頼る事ばかりなのだ。

 今回もそうだ。全てはポートの為であり、ジルムートやクルルス様の為でもあるのだ。

 ジルムートの為。

 ジルムートが周囲から恐れられて生きて行くのは私も嫌だ。もし、それを少しでも緩和出来るのだとしたら……どんなに恥ずかしくてもやる価値がある。

 しかし本当にそんな事で何とかなるのだろうか?そこが一番疑問だ。

「セレニー様、それでポートが恐れられなくなるのですか?」

「信じて。愛情と言うのは何にも勝る大事な感情なの。でもなかなか見えない。だからこそ、しっかりと見える様にした時の効果は大きいのよ」

 愛情の視覚化。セレニー様はそれに強くこだわっている。それは分かった。

「言葉が通じない海外の人にも、あなたがジルムートの頬でもいいからキスをして、ジルムートが笑顔で受け入れれば理解出来る筈よ。強くて恐ろしいだけの騎士では無いのだと」

 確かに万国共通の方法だ。しかしセレニー様は大事な事を忘れている。

「私は見栄えが良い訳ではありません。ジルムートも無骨です。美男美女のロマンスの様には受け入れられないと思うのですが」

 すると、セレニー様はニコニコして言った。

「ローズは自分が思っているよりも、うんと可愛い美人よ。ディアが綺麗過ぎる上にアネイラが可愛過ぎるから、そんな風に思ってしまったのは分かるけれど、もっと自信を持って」

 ディア様は、黒薔薇の君なんてあだ名を持つ程の美しい方だ。

 ちなみにアネイラは黙って居れば本当に可愛いのだ。態度はツンツンだが。黄薔薇の君と言うあだ名は、何を隠そうアネイラのあだ名だ。

 〇薔薇の君と言うあだ名持ちの侍女は、結婚相手を選び放題で、名家に嫁げるとされている。

 一応私もあだ名はあった。赤薔薇の君だ。しかし二人のせいで、そのあだ名は酷く霞んでいたし、求婚相手が現れるのはディア様とアネイラばかりだったから、私のあだ名は本当にあるだけだった。

 原因は分かっている。見た目が二人に比べて地味な上に貧乳のせいだ。どれだけ頑張っても育たなかった。わざわざ特殊な牛の牛乳を、高い値段で取り寄せて飲んでいた。胸が大きくなると言われたからだ。騙されて何年も飲んでいた。なんて過去を思い出していると、セレニー様は続けた。

「それにね、無骨で笑わないあのジルムートが優しく笑うのは、あなたに対してだけなの。あの顔を、厳しい試合の後で周囲に見せるからこそ、大きな効果が得られると私は考えているの」

 私は知っているが、皆は見慣れていないと言うジルムートの笑顔。見せる方法は他にもある。

「じゃあ、ご褒美は耳かきでもいいですか?」

「ダメ」

 即答だった。

「武闘大会の会場の真ん中で、耳かきをする気なのかしら?」

 想像するだけで間抜けな光景だ。

「だらしなく緩み切った顔を見せるのではなくて、愛する者に向ける笑顔を見せろと私は言っているの」

 ……ですよね。

「これは、今後のポートの為に必要な事なの」

「はい……」

 セレニー様がふざけて言っている訳では無い以上、断る事は出来ない。配置換えになった話を聞いた時から、セレニー様はずっと考えていたのだ。逆らえるような雰囲気は微塵も無い。

「ただあなたは自分の気持ちのままに、ジルムートをねぎらってあげて。それだけでいいの。ただ、ジルムートの事だけを想って、気持ちを行動に移すだけでいいの」

 それが一番難しいのだ。しかし、断る事は出来ない。

「はい……努力してみます」

 とんでもない物を背負い込んでしまった。

 私はしょんぼりと項垂れて、他の侍女達にセレニー様を任せて部屋を出た。

 少し時間をもらったので自分の部屋に戻ってベッドに座った。暫く茫然とした後、大きく息を吐いて頭を抱えた。

 キス?した事ないですよ!デコチューすら想像の中だけです。

 なんて事は言えなかった。

 ジルムートは笑うどころか、鼻血を出して逃げ出しますよ!

 なんて事も言えなかった。

 そもそも、試合前にこの事をジルムートに伝えるべきかどうか……。

 言ってしまった事が原因で、クザートに負けてしまったら大変な事になる。言えない。

 とにかく、明日の武闘大会は見届けるだけで済まなくなってしまった。……終わった後からが、私の正念場になる。どうしたらいいのか分からないまま、時間は虚しく過ぎて行った。

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