黒鉄のツヴァイハンター
ローズは、朝食で顔を合わせても、その後城へ出仕する時も、反論は一切しなかった。
俺の話を聞いても、分からない部分は質問するが、反論らしい反論をしなかった。
言葉で俺の力を伝えるのは不可能だが、できうる限り伝えられる事は話した。
クルルス様に、事情を話さなくてはならない俺は、朝の騎士同士の打ち合わせが終わると同時にクルルス様の所へ向かった。
クルルス様は使節団への対応と政務に追われているから、全く時間が無い。今日は特にセレニー様の顔も見られない程の過密な日程が組まれている。
知ってはいるが言うしかない。
話があるから時間が欲しいと言うと、当然の様に嫌な顔をされた。
「また面倒でも起こったのか?騎士団の事なら、もうお前が好きにやっていいぞ」
ヒラヒラと手を振られたが、俺は食い下がる。
「明日の武闘大会の事で、どうしてもお伝えしておかないといけない事があります」
俺の言葉に、クルルス様はため息を吐いてから言った。
「見物人に怪我人が出ないなら、何をやってもいい。俺の名で許可する」
そう言うと同時に紙に何か書き付けて、サインをして俺に渡してくる。
『武闘大会における最高権限を、序列一席であるジルムート・バウティに与える』
国王が直筆で書いた書面にサインまである。これを否定出来る者はこの国に存在しない。
クルルス様は立ち上がった。
「今から会議なのはお前も知っているだろう。イライラすると作り笑いも出来なくなる。これ以上問題を持って来るな。任せたからな」
紙を手にして少し途方に暮れるが仕方ない。明日、起こる事を目の当たりにしたら、何故言わなかったのかと怒るに違いない。しかし、クルルス様は今、俺の話を聞く気が無い。
速足で前を歩くクルルス様に付いて行きながら考える。
話そうとしたのに聞かないクルルス様が悪いのだ。終わった後で何を言われるかは、今は考えない事にした。
会議が終わると、シュルツ様と外交官を交えての国境周辺の警備体制の話し合いになった。本当は聞いておきたい所だが、用事があるのでこの時間は護衛を離れる事にした。
俺はクルルス様の護衛をコピートに任せ、武闘大会の準備を行っている下層へ向かった。
ジャハルが指示を出して、中庭に会場を設営している。
城では、上位二十名の試合しかしない。ただし、序列十四席より下の二十人だ。
現在、序列十四席まではリヴァイアサンの騎士で、そこまでの序列は固定となっている。
ただ騎士として日常的に勤務しているのは、俺を含めて七名だけだ。
ルミカが外交官としてパルネアに居るのは特殊な例で、残りは高齢で引退したが、予備兵役を課せられているので序列を残されているだけだ。年老いても人並み以上の怪力は健在である為、戦争や天災など、予測不能な事態が発生した場合には、招集に応じなくてはならないのだ。
そんな訳で一般の騎士にとって最高の序列は十五席と言う事になる。
十五席はリヴァイアサンの騎士で序列二席にあるクザートと試合を行う権利を得て、最後に試合をする事になっている。それが例年の武闘大会だ。
しかし、今年はそれで終わりにならない。俺が出るからだ。それで何とか騎士団の事は事を収めなくてはならない。
ジャハルに声を掛けると、クルルス様の反応を聞かれた。
それで、クルルス様から全ての権限を委任された事を話して紙を見せると心配そうに言われた。
「好都合ですが、後でクルルス様に叱られますね。大丈夫ですか?」
「多分減俸だろうが、心配するな」
中層の事件の件での減俸と合わせて、ローズよりも稼ぎが減ってしまいそうだ。しかもクルルス様の嫌味付きだろう。その状態が何か月続くのか、考えるのはやめておく。
「武器庫からあれを出しに来たのだが、何処に置けば良い?」
ジャハルは少し黙った後、会場の片隅を指さした。
「本当に使うのですか?別に普通の武器で構わないと思うのですが」
「兄上の銛を折るには、あれを使うのが一番良い。周囲も俺の力を良く知る事が出来る」
俺がそう言うと、ジャハルは複雑な表情で言った。
「力を示すのは必要ですが、やり過ぎなのではありませんか?」
俺を心配してくれているのが分かるので、素直に応じる。
「モイナを欲する者達の気持ちを徹底的に折っておかないと、兄上が安心しないからな」
ポートの騎士で城に勤めている者達は、他国でもエストックと呼ばれ、広く出回っている片手剣を帯刀している。
しかし武闘大会になると剣を使う者は少ない。ジャハルの様な元傭兵や剣術を習得して入団した騎士で無い限りは、多くが銛を使う。
海戦において投擲も出来る大きさの銛は、他国のジャベリンと呼ばれる小ぶりな槍に似ている為、他国では槍とされている。
分類などどうでもいい。俺達にとっては銛だ。ポートの騎士は、銛をむき出しにして城で持ち歩けないから、剣を鞘に収めて下げているだけなのだ。
剣術は一応使えるが、いざとなれば体術の方が遥かに得意なので抜く事はまずない。拷問人形は相手を屈服させるのに体術を使用する為、銛と同じくらい体術を得意としているのだ。
俺達の使う銛は小ぶりである為、剣と打ち合っても隙が小さい上に両手でも片手でも扱える。しかも先端に枝分かれした小さなひっかけが付いているので、敵の武器や防具を奪う事が可能だ。……隙さえあれば、喉を掻き切る事も出来る。
護衛が持つには相応しくない殺傷に特化した武器だが、拷問人形の家系を始めポート人が最も得意とする武器で、その歴史は長い。
別にリヴァイアサンの騎士としての力など使わなくても、クザートは高い技術を持っている。喉を狙う正確な動きは、クザートの真骨頂とも言える。殺したい相手を即死させるなど、簡単な事なのだ。
ローズは怪我をするなと言った。クザートにも怪我をさせるなと言った。
クザートは手練れだ。うっかり刃にかすって怪我でもしたら、俺の望みが叶わない。だから、同じ銛では戦わない。他国の賓客に見せる為にも、剣を振れとクルルス様にも言われているし。
俺は中庭を通り抜けて、武器庫に向かう。
他の騎士達が俺を見て道を開ける。目指すは武器庫の最奥だ。
俺が定期的に手入れはしているから埃は被っていないが、これを武器だと思っていない者も多いと聞く。何故なら、普通なら動かす事も振う事も不可能だからだ。
黒鉄のツヴァイハンター。
ツヴァイハンターは大剣だ。何処の国でも、式典で衛兵が持って立つだけの見掛け重視の武器だ。刀身が長すぎる為、装備出来ない上に重量も半端なく重い。
特にこの黒鉄で出来たツヴァイハンターの重さは城の柱と変わらない。リヴァイアサンの騎士でも、今の世代で扱える者は俺だけだ。
十数代前のリヴァイアサンの騎士が作らせたものだそうで、誰も扱う事が出来ず城に寄贈された。
剣の形をしているが刀身は分厚く、斬撃武器とは言えない。ほぼ鈍器だ。
このツヴァイハンターは、腐食を防止する特殊金属と鉄を混合する事で偶然に出来た黒い鉄、黒鉄で出来た数少ない武器の一つだ。だから、何百年と錆びないままだ。
特殊金属が手に入り辛い事もあって、黒鉄の武器は少ない。
溶かして別の武器を複数作る事も何度か検討されたが、代々の武器鍛冶達は溶かしてしまうと脆くなり、同じ物にはならないと再加工を拒んだ。
だからこれは武器庫に置物の様に置かれていて、今俺の武器になっている。
十歳で俺はこれを持ち上げた。それにより俺の序列は一席と決定し、騎士としての人生が始まった。
片手で柄を掴んで持ち上げると、背後で見ていた騎士達が一斉に息を呑むのが分かった。持ち上がるとも思っていなかったのだろう。
片手に持って歩き出すと、顔色を変えた騎士達が固まった様に動かず俺を凝視している。足の上に落ちれば、足の甲が砕ける程の重量、小柄な男の身長と変らない長さの刀身。
万一の事があってはならないので、取り扱いには十分に注意するつもりだ。
武器庫を出て武闘大会の会場へ戻ってくると、ジャハルが驚いて俺を見ていた。
「本当に……武器として使うのですか?」
ようやく口にした言葉に、俺は苦笑する。
「ああ。少し離れてくれ」
俺の言葉で、ジャハルを始め周囲の者達が一斉にその場から離れる。
周囲に人が居ない事を確認して、水平に一振りすると、風圧で砂ぼこりが飛び散り、離れた場所の騎士達が皆一斉に顔を庇った。
「すまない。怪我は無いか?」
顔を庇うのを止めた者達が、唖然として俺を見ている。久々に感じる畏怖の視線。
クザートが俺をこの視線から守りたかったのは分かっているが、もう庇われるのは終わりだ。
「明日は水を撒いておかないとダメだな」
俺がそう言うと、いち早く我に返ったジャハルが応じる。
「そうですね」
クルルス様はこれだけで十分だと考えていて、これしかやらないと思っている。しかし……こんな程度では納得しない者がいる。そいつらを黙らせなくてはならない。
俺はただの馬鹿力では無く、技術もあると見せなくてはならないから、これを使うのだ。
クザートの鋭い銛を破壊し、無傷で降参させる。技術、力共に俺が序列一席である事を本能的に理解させなくてはならない。
恐怖。多分そう呼ばれるものだ。モイナに手を出せば命に関わるのだと理解させるにはそれしかない。
朝見た、ローズの不安そうな顔を一瞬思い出す。
俺はあんな顔をされても、ローズに触れてはいけないとずっと自分を律して来た。ローズ本人が望んでいるのだから、そうすべきだと思っていた。
しかし、そうでは無い。そうでは無かった。
俺に関わったせいで、ローズにはポートに友人と呼べるような親しい者が居ない。
うっかり俺をお友達なんて言ってから、ずっとその部分は改善されていない。
俺にはクザートもルミカも母さん達も居た。リヴァイアサンの騎士達も、年が近い者達は俺を恐れない。友人扱いしてくれるクルルス様に仕えている時間も長い。寂しいなんて思った事は無いのだ。
これから他の騎士達に畏怖の目で見られたとしても、今まで親しくして来た者達は俺を恐れたりはしないから、俺の境遇はローズが思っている程変わらない。
本当に孤独なのはローズの方だ。
ローズは親友も家族も故郷に残し、セレニー様にたった一人で付いて来て以来、自分の置かれている境遇からずっと目を逸らしている。
だから、初めて城下に一緒に下りた時にあんなに泣いたのだ。俺がその現実を直視させてしまったから。
俺はそんなローズを更に孤立させた。義妹にし、その挙句妻にした。バウティ家に、そして俺に完全に繋いでしまったのだ。
セレニー様の妊娠で、誰にも相談できずに痩せてしまうまで思い詰めたのはそのせいだ。相談できる相手が居なくて、思わずディアを呼んでしまう程に苦しかったのだ。
だから自分のせいだとクザートの件であんなに泣いたのだ。純粋にセレニー様の為だけにポートに呼んだのであったなら、あれ程に取り乱しはしなかった筈だ。もっと冷静に今後の話をしていただろう。しかし、そうはならなかった。
我慢できずに抱きしめて初めて分かった。この女は心細いのだと。理屈も何も無かった。ただそう直感した。
恐る恐る俺の背中にまわされた手の力が弱々しい事に気付いて、息を呑んだ。
俺を信頼していると言いながらも遠慮しているのだ。俺を甘やかして優しくするのに、弱い部分を俺に預ける事が出来ない。全て俺が頼りないせいだ。
ローズは強いから大丈夫だと思っていた自分を、心底殴ってやりたい気分になった。
異世界の記憶があろうとも、俺よりも六つも年下の女で、ポートに来るまで優しい環境で生きていた女だ。生涯をもらい受けた以上、もっと大事にしてやらねばならなかったのだ。
俺がローズの孤独を癒せれば、ローズは俺を頼ってくれる。その為なら何だってやる。
ディアを悲しませず、ポートに定住させる事こそが、ローズの心を癒す方法だとしたら、俺はクザートが何を言おうとも、叩き伏せて見せる。
俺は前を向く決意を新たにした。




