下層の執務室
俺達は仕事が終わるとすぐに下層へ向かった。ローズは体力の限界だから館に帰ろうと思ったが、ローズはそれを拒否した。
「私とあなただけではクザートを説き伏せる事は出来ません。協力者が必要です。とにかく早く手を打たないと、クザートに先を越されてしまいます」
そう言ってローズが行くと言い出したのは、下層の執務室だった。
目的の人物は、ナジームでは無い。クザートの副官を務めている、ジャハル・ゴードンだ。
まだ執務中で残っていたナジームとジャハルは、席を立って俺達を出迎えた。そして、俺の背後から部屋に入って来たローズを見て、怪訝そうな顔になる。
当たり前だ。下層の騎士隊長の執務室に、王妃付きの侍女が来るなど、まずあり得ないからだ。
「こんばんは、ナジーム様。ジャハル様にはお初にお目にかかります。王妃付きの侍女をしております、ローズ・バウティと申します」
「ご丁寧に、どうも……」
ジャハルは引きつっている。
「それで、何か御用でも?」
「……大事なお話があります。是非相談に乗って下さい」
ジャハルが、ため息交じりに言った。
「クザート隊長の隠し子の話ですか?」
俺もローズも驚いてジャハルを見る。
「中層の騎士が、隊長の護衛している子供の様子をお針子から聞き出したそうです。隊長に似ていると言う事は、既に下層にも広まっています」
ジャハルが真面目な顔になって言った。
「馬鹿な噂話だと思っていたのですが、ジルムート様とローズ殿が来ていると言う事は、本当みたいですね」
「クザート様に子供?えぇ?」
物凄く普通に驚いているナジームは放置して、話を続ける事にした。
既に序列を持つ騎士にとって、リヴァイアサンの騎士の話は当たり前の話だが、娘が生まれないと言う話は知らない者も居る。
そこから話を洗いざらい始めると、ジャハルは全てを聞き終えて、ため息を吐いた。
「クザート隊長の気持ちも、分からなくはないですが……その方法は、俺も反対です」
ジャハルは窓の外を見て言った。
「親が生きているのに突き放したら、捨てられたと考えるのが普通でしょう。六歳にもならない子に、そんな複雑な事情、理解しろと言うのも無茶な話です」
ローズはほっとした様子で言った。
「クザートの副官を十年務めているあなたなら、モイナがクザートと共にポートで暮らす事に協力してくれると思って、お願いに来たのです」
ジャハルはやる気に満ちた表情で言った。
「俺の息子は来年から仕官します。無事に育ったのはクザート隊長が俺を拾ってくれたお陰です。いくらでも手は貸しますよ。……それで、どうするつもりですか?」
「それが、策が無くて困っているのです」
ローズが続ける。
「モイナを上層へクルルス様のお子様の乳兄弟として出仕させる事を考えたのですが、ジルムートは反対だと言うのです」
ジャハルが苦笑した。
「それは、獣の前に肉をぶら下げるのと同じです」
「どういう意味ですか?」
ジャハルはちらりと俺を見た。話していいかと言う意味だと察知して、俺は頷いた。
「上層の隊長の前で失礼しますが、城の上へ行く程、力に飢えている騎士が多い。しかも自分なら力の制御を教える事も可能だと思っています」
俺は自分の部下を貶せないから、ローズに上手く説明出来なかった。それをジャハルが淡々と説明する。
「上層の騎士は実力も王族への忠誠心も人一倍高い。精鋭に相応しいと思います。……しかし、誰にでも魔が差すって事はある。自制心を試す様な事は、やらない方がいいでしょう」
「そうなのですか?」
ローズは納得行かないと言う様に答える。
ジャハルの様な考え方を出来る騎士は少ない。力を求める意思が、騎士を強くするのだから当たり前だ。
「中層の騎士程度までは、どうにでも出来ます。問題は、序列を維持できる強い拷問人形の家系の騎士達です」
「私には、上層の騎士がそんな行為に走る方達には見えないのですが」
ローズの疑問に、ジャハルが答えた。
「時期が悪いのですよ。……拷問人形でありながらリヴァイアサンの騎士では無いと言う事は、始祖が犯罪者であり、犬として調教されたと言う事を意味します。……自由意志で騎士に仕官した者達の中には、それをわざと口にする者が居て、拷問人形でも古くて強い家系の者達程、苛立っているのです」
「ジルの事を酷く言う人達ですか?」
「そうです。本当の所は、リヴァイアサンの騎士の力がどれ程なのか知らない様な奴らで、千年以上前の先祖が罪人だと上層の精鋭騎士達をこき下ろす、身の程知らず共です」
ジャハルは不快そうに続けた。
「そう言う奴らは、毎年武闘大会で序列を落として居なくなるので放置しています。ただ今年はジルムート様の結婚とセレニー様の妊娠が重なって、例年より調子に乗って噂をする者が多いのです」
セレニー様の妊娠は分かるが、俺達の結婚まで祭扱いとは……。通りで、変な噂が多い訳だ。
「では、拷問人形の家系がモイナに手出しできない様にすれば、モイナの安全は確保できると言う事だな」
俺の言葉に、ジャハルが頷く。
「できれば、手を出したら後が無いと言う位の強い危機感を持ってもらう方がいいでしょう。威嚇程度では、後々問題が起こりかねません」
問題……。俺は思ったままを口にする。
「兄上はモイナが居なくなったら、見つかるまで騎士の館を片っ端に破壊して回るだろうな」
一見温厚そうに見えるクザートだが、犯罪だと認定したら容赦しない。その姿は守護神ではなく、破壊神そのものだ。
見つけた根城は、二度と使えない様に破壊する。見せしめの為だ。ポートの石造の建物が天災に遭ったかの如く、ぽつんと一軒だけ破壊される。
明け方にポーリアで地鳴りがしたら、まずクザートの仕業だ。犯罪者に家を貸した者を震えあがらせるには十分な仕打ちだ。
捕まえた犯罪者を、優しく笑いながら拷問して壊していく姿に関しては……ディアやローズには絶対に見せられない。
クザートが本気になれば、凄まじい被害が出るのは目に見えている。
唯一止められるのは俺だが、姪をかどわかした奴を庇うつもりは無い。ローズに怖い姿を晒す訳にはいかないから、手伝いこそしないが黙認はする。
ジャハルもそれが分かっているのか、渋い表情で眉間に皺を寄せた。
「実際に起こってからでは、犯人が恐ろしくてモイナ嬢を帰す事が出来なくなります。それでは犠牲者も多くなり、騎士団だけでなく、クルルス様の政策にも大きな影響が出るでしょう」
ローズが顔を引きつらせている。しかしジャハルの指摘は正しい。
そこへ、ナジームが心配そうに付け加えた。
「クザート様がそこまでしても、モイナ嬢が出てこなかったときが一番心配です……」
それは俺も心配している事だ。
拷問人形は港の警備にも詳しい。商家と結託してモイナを船で国外へ出してしまった場合、追いかけて取り返す事は非常に困難だ。
クザートはこれを一番恐れている。だから内陸のパルネアへモイナを行かせたいのだ。
「リヴァイアサンの騎士の途絶えた家系の殆どが、力を制御できない事による自滅だ。……そんな事は騎士なら知っているだろうに、何故自分だけは大丈夫だと思うのだろうな」
俺がそう言ってため息を吐く。
次の瞬間、ローズ以外が一斉に窓の方を向いた。きょとんとしているローズの肩を抱き、俺が目配せすると、ナジームが窓に近づいて開けた。
その途端、木から窓目指して飛び込んできた者が居た。殺気が無いから、ナジームは思い切り蹴りを食らって倒れる。
ローズがビクっとして俺に抱き付く。
ナジームの脇に着地した人物は、灰色の外套を着ていて、フードを目深に被っているので顔が見えない。
ジャハルが腰の剣に手をかけるのを、俺が手で制す。
「ルミカ……お前、何故ポートに居る」
目深にフードを被っていた人物は、ナジームに手を貸して立ち上がらせると、フードを脱いだ。
「クザート兄上の危機ですよ。俺が居なくてどうするのですか」
綺麗な顔で満面の笑みを浮かべる。
もう四年程会っていないが、容姿に変化はない。こいつはカリン母さんに似て老けない様だ。
ローズが驚き過ぎて、口をぱくぱくさせている。
「城門から来ない所を見ると、勝手に来たな」
ルミカは窓を閉めながら応じる。
「ええ。帰国理由をでっち上げられなかったので」
「でっち上げるって……」
「俺が戻ってくると困る奴らが居るのです。そいつらが、俺の入国審査をやたら厳しくしているので、帰れなかったのですよ。このままだと、任期まで延ばされそうです」
「お前は騎士団の序列三席だろうに、俺に無断で何故そんな事になっているのだ」
「役人の言い分では、外交官はいつでも外国に居る自国民の窓口として機能しないといけないので、正当な理由無しに担当国を離れる事は許されないのだそうです」
「パルネアの大使館に駐在している他の奴らも同じなのか?」
俺の言葉に、ルミカはいつもの皮肉な笑顔で言った。
「そんな訳ないでしょう。あいつらは交代で帰って来ていますよ。大使館の職員を俺の側に付けるのに何年かかったと思うのですか。お陰で今回は来られた訳ですが……ちょっと遅れました」
ルミカはすたすたと歩いて来ると、俺を挟んでローズの隣に座った。
「ローズ、久しぶり。パルネアは良い所だね。俺、前よりもローズの事が好きになったよ」
「残念ですが、人妻です」
ローズが半眼でそう言うと、ルミカが楽しそうに笑った。
「ローズが変わっていなくて安心したよ。兄上、結婚おめでとうございます」
ローズと視線を一瞬合わせてから言う。
「ああ……」
「何ですか?その微妙な反応は」
「いや、お前があまりにも普通で驚いているだけだ」
ローズがこくこくと頷きながら、少し警戒して俺の方に体を寄せているのが分かる。
「俺は外交官ですから。厳しいだけじゃやれませんよ。当たり前じゃないですか」
実の弟ではあるが、胡散臭い。俺もローズもこの笑顔には騙されない。
ルミカは胡散臭い笑顔をすぐに引っ込めた。
「それでさっきの話ですが、ジャハルもナジームも、こっちに来て」
二人は素直に反対側のソファーに座る。
すると、ルミカが話し始めた。