ディアとクザートは語る
今から八年前、パルネアとポートによる関税の見直しが始まった。
当時、まだ体調の良かった前国王、ルイネス陛下が主導で、関税の話し合いは行われていた。
当時、ジルムートはクルルス様専属の護衛騎士だった為、ルイネス陛下の護衛は、序列二席であるクザートの役目だった。
調停の途中、ルイネス陛下が体調を崩す事がしばしばあり、ポートの若い侍女や侍従だけでは対応しきれず、困り果てていた所を助けたのが、パルネアから随行していたディア様だった。
ディア様は、そこで護衛隊長だったクザートと懇意になったのだ。
その後、ルイネス陛下の病気は、緩やかに進行する不治の病だと判明し、関税の交渉はほぼ決まりかけていた事もあって、クルルス様へと引き継がれる事になった。
クルルス様がその内容をひっくり返し、鬼の様な関税のつり上げをした事や、急な政治改革に恐れをなした議会の策略により、セレニー様と政略結婚する事になったのは、この後の事だ。
「関税の調印式の日に、ルイネス陛下は体調不良の中、最後の外交に出られた。俺とディアは、あの日会って以来ずっと会っていなかった」
その日が、モイナ発生記念日と言う訳ですか。大事な時に何をしているのよ!
私が憮然としていると、ディア様が言った。
「私がお願いしたの」
ディア様は寂しそうに笑った。
「クザートが誰も好きにならないのは分かっていたわ。……だから最後に思い出が欲しいってお願いしたの。クザートは望みを叶えてくれただけ。だから責めないで」
ディア様……何ていじらしい。そしてクザートは地獄に落ちろ。
いくら迫られても、逃げれば良かったのだ。いつもの逃げ足はどうしたのよ。
「ローズちゃん、顔が怖いよ」
怖くもなるでしょうよ。
クザートを無視して、ふんとそっぽを向く。
「俺はずっと知らなかったんだ。ディアが子供を産んでいた事」
それは、何となく理解している。
距離があるし、お互い違う国の首都に住んでいた訳だから知らなくて当たり前だ。
この世界にはスマホみたいな便利な物は無いし、外国への手紙には検閲が入る事もある。連絡を取るのはとても難しいのだ。
「ルミカが外交官になってあっちに行っただろう?それで分かったんだ」
ジルムートが言う。
「ルミカなら気付くでしょうね」
「それでディアの事情を色々調べてもらって、俺の子だと確信した」
まだ、理解出来ない点が二つある。
まず、ディア様がオーディスと結婚した事、次にモイナの存在が分かってからも、クザートがディア様とモイナを放置した理由だ。
私は最初の一点から疑問をぶつけた。
「どうしてディア様はオーディス様と結婚したのですか?モイナが出来た時点で、クザートに伝えるべきだったのではありませんか?」
「さっきも言ったけれど、クザートは私を好きな訳ではないの。私が一方的に好きになっただけだもの。困らせたくなかったの」
クザートが変な顔をしている。そうじゃないと言いたいのだろう。……放置するから信用されていないのは当たり前だ。
「それにね、オーディスは幼馴染だったから、放って置けなかったの」
「パルネアの侍女は皆知っていますよ。オーディスがディア様を財布みたいに扱っていた事を」
「何だ?その話」
ジルムートが言うので、私は過去の話を教える事にした。
絵を描くだけで後は何もしない放蕩者で、金の管理をしないから、画材の請求書をディア様宛に送り付けてお金を払わせていた事を告げると、ジルムートは呆れた顔をした。
「ディアは、オーディスに秘書として雇われていたのか?」
「いいえ。単なる隣に住んでいただけの幼馴染です。昔からご飯時にだけやって来て、うちでご飯を食べていくので、その感覚だったのだと思います」
「その感覚で、結婚までしてやったのか?」
ジルムートは更に呆れている。
「オーディスは、誰の事も気にしない人で、自分の内面の美を如何に表現するかしか考えていない人でした。何というか……浮世離れしていると言うか。ローズが言う程の悪意も持ち合わせていない人でした」
単なる変人だとディア様は訴える。悪意のない悪意が、一番問題だと私は思うのだが。
「そんな人が、死ぬ間際に私の事を思い出して、悪い事をしたと謝罪に来たのです。私は幼い頃からオーディスを知っていますが、そんな彼は初めて見ました」
死ぬと分かって、初めて周囲に目を向けたと言う事なのだろう。優しいディア様でなければ付き合い切れない人だった様だ。
「オーディスの両親はとっくに亡くなっていて、誰も面倒を見る人が居ませんでした。だから私は彼の謝罪を受け入れて、家族として彼を看取る事にしました」
そう簡単に出来る事では無い。やはりディア様は凄いと思う。
私が感動していると、ジルムートが不愉快そうに言った。
「それは単に、死にかけても誰も面倒を見てくれないから、ディアの所へ縋りに来ただけでは無いのか?」
出た。ポート人特有の世知辛い考え方。
「お腹の子の父親になってやる。絵を全部くれてやる。と言う言葉には、見返りを求める様なものは一切感じられませんでした。オーディスは、私が許せばそれで良かったのだと思います。誰かに誤解されても別に構わない。そういう考え方の人でしたから……安らかに逝けたと思います」
ディア様は聖女だ!清らか過ぎて、眩しさで目が潰れる!
なんて思いながら横を見ると、ジルムートが渋い表情になっていた。……こんな人、ポートには居ないからやり辛いのだろう。
「そこまで理解しているのに、恋愛感情は無いと言うのか?」
ディア様は、もちろん、と言った。
「情みたいな物は確かにありました。でも隣に住んでいたと言うだけでかなり迷惑な人でしたから、そんな気持ちは湧きませんでした」
かなり迷惑の一言で全部片づける辺り、器が違い過ぎる。
こんな人だから何年もクザートに放置されても、モイナの良い母親になれたのだ。
これ程美人で出来た人に好かれているのに、クザートは何が気に食わなかったのか。
「オーディスと結婚した事情は分かった。それで、兄上……」
クザートがジルムートの方を向いた。
「ディアの境遇を知りながら放って置いた理由が、俺には分かりかねます。ルミカが外交官としてパルネアに行って何年も経ちます。何故ですか?」
クザートは、暫く口をつぐんでから言った。
「女の子だったからだ」
全員の視線がクザートに集中した。
「ジルは忘れているかも知れないが、リヴァイアサンの騎士に娘は殆ど生まれない」
ジルムートは少し考えてから思い至ったのか、苦々しい表情で言った。
「そうでしたね。……なるほど」
「リヴァイアサンの騎士とは何なの?」
ディア様の問いに、クザートが自分の事を何も語っていない事が察せられた。
クザートはジルムートを見てから、私とディア様を見て、リヴァイアサンの騎士についての話を始めた。
「ポーリアの港には、怪物の死体が沈んでいると言われている。名をリヴァイアサンと言う。太古の昔、始祖三十家と呼ばれる、ポート海洋民族の戦士達が討伐したとされている。討伐に加わった戦士の家系にはリヴァイアサンの力が宿り、代々怪力で溺れない子供が生まれる様になった」
クザートは一旦言葉を切って、ディア様を見た。
「リヴァイアサンを討伐したかどうかは定かではないが、古い騎士家系に、怪力で泳ぎが得意な者が産まれるのは事実だ」
ディア様が驚いて目を丸くしている。
「三十家あった最古の家系も、今は十家に減ってしまった。この家系をリヴァイアサンの騎士と呼ぶ。バウティ家はリヴァイアサンの騎士の家系だ」
ジルムートに詳しく聞けなかったので、私もじっと聞く事に徹する。
「力が強くて、泳ぐのが上手というだけなのでしょ?」
ディア様が聞くと、クザートは困った様に言った。
「俺達は海戦が起こった際に、ポート湾の中なら息継ぎ無しで一気に軍船に近づき、素手で軍船の船底をたたき割り沈める事が出来る。これを単に力が強いとか、泳ぎが巧いと言うかどうか……という話だな」
私はポートの軍船しか見た事が無い。木製の帆船ではあるけれど、人が殴って壊れる様には見えなかった。
ジルムートが言いたがらなかった理由がようやく分かった。……黒いのにも慣れてしまった今では、そうなんだと受け入れられるから怖い。
ディア様は、もちろんそんな展開を想像していなかったから、信じられないと言う顔でクザートを見ている。
「俺がディアを受け入れなかったのはこの血のせいだ。言わないまま、モイナを産ませてしまった事を申し訳なく思っている」
クザートが俯くと、ディア様は言った。
「モイナにはそんな力ありません。普通の子供です」
「それはパルネアでの話だ」
クザートは暗い表情で言った。
「リヴァイアサンの騎士は、リヴァイアサンの遺体の側でしか力を発揮できないと言われている。事実、ポートの国境を越えて遠くポート湾から離れてしまえば力を失う。ポートを守る事にしか利用できない力なのだ」
つまり、モイナはポートに来てしまったから、怪力になると言う事の様だ。
「さっきも言ったが、リヴァイアサンの騎士には女の子供が殆ど生まれない。百年に一度、産まれるかどうかと言う希少な存在だ」
そう言えば、バウティ家も女の子が居ない。
「リヴァイサンの騎士の娘は、騎士家による奪い合いの対象になる。娘の産む子は必ずリヴァイアサンの騎士だからだ」
ディア様も私も、話の中身が浸透して来て愕然とする。
ポートにおいて、序列上位は怪力であるリヴァイアサンの騎士が独占しているのだろう。その中に入ろうと思ったら、リヴァイアサンの騎士になるしかない。
ファナを殴った騎士の言葉を思い出す。
『俺だってリヴァイアサンの騎士だったら、こんな事はしていない!』
リヴァイアサンの騎士であれば、何でも好きに出来るとでも思っている様子だった。
違う。怪力だからこそ、人一倍自制心が必要なのだ。勘違いも甚だしい。
もしそんな怪力で女性を殴っていたらどうなっていた事か。だからコピートは怒ったのだ。
それも分からない様な騎士が、怪力を持ったら大変な事になる。
「相手は騎士だ。窃盗団よりも質が悪い。ポートから離れて暮らしさえすれば、問題は起こらない。だから、パルネアへ帰したいのだ」
パルネアにモイナを帰そうとする理由は、娘に平穏な人生を送らせたいと言う、クザートなりの親心だったのだ。
「本当はディアと結婚し、俺と血の繋がらない養女としてモイナを迎え入れようと考えていたが……甘かったよ」
二人は似ている。皆が気付くのは時間の問題だ。
「ルミカからの手紙でモイナの容姿の事は分かっていたのに、判断を誤った。馬鹿だと思うかも知れないが、ただ会いたかったんだ。君とモイナに」
ディア様は首を左右に振った。
「ルミカ様が忠告してくれたの。ポートにモイナを連れて行けば、クザートの子だと分かるからきっと問題が起こると。でも私、どうしてもあなたに会いたくて。モイナをあなたに会わせたくて……」
「会えて嬉しかった。例え君の夫だと、モイナの父親だと言えなくても、側に居たいと心底思う。……しかし、だからこそポートの事情に巻き込みたくないんだ」
「あなただけでも騎士を辞めて、モイナと一緒にパルネアへ行く事は出来ないの?」
ディア様はポートにおけるクザートの立場を理解していない。だから言える言葉だ。
ポーリアの守護神は、私情で国を捨てたりしない。普段はおどけているけれど、そんな事の出来る性格ではないから。
「許してくれ。それは出来ない」
やっぱり。
それにしても、思っていたのと違う。これじゃあ、けしかける予定だったジルムートを引っ込めるしか無いじゃない。
クザートが悪人じゃなくてほっとしたけど、何だか切なくて胸がキリキリする。
「兄上、実子と認めては如何ですか?」
「……武闘大会がある」
武闘大会と何の関係が?
「確かにバウティ家の強いリヴァイアサンの騎士の血を欲しがる者が増えるでしょう。今年は俺も出ますし。しかし、威嚇にはなります」
「威嚇では足りない。守り切れない」
武闘大会は騎士が競い合い、その強さを誇示する場所だった事を思い出す。
そんな場所で力を示した後で、圧倒的な強さを持つクザートの娘が居るとなれば、目の色を変える者が出てもおかしくない。
しかし……。
「まだ五歳ですよ。まさか騎士が子供を攫ったりするのですか?」
私が疑問を口にすると、兄弟は揃って即答した。
「「する」」
やっぱりポートは、社会的に問題があると思う。
「攫って館に監禁するくらいの事はするな。そうなれば、モイナは一生その騎士の館の中で過ごす事になる」
ジルムートが恐ろしい事を言うので、ディア様の顔が真っ白になっている。
「モイナの子が産まれて騎士になれば、序列上位だから誰も文句が言えなくなると考えるだろうな」
母親の前で、幼い娘の人生最悪のシナリオを語るな!
ジルムートの止めの一撃で、ディア様がふっと気を失った。
それをクザートが慌てて抱きとめる。
「ジル、言い過ぎです」
「すまない」
私は慣れた。多分。だから気絶は最近していない。
ポート人のえげつなさは、パルネア人には未知のものだ。そこまでの事を想定して生きて来ていないから、頭が付いてこない。
気を取り直して私は言った。
「もしそうだとすれば、モイナを絶対に一人にはできません。どうしましょう」
ジルムートは視線を落として黙り込み、クザートはディア様を支えながら沈黙している。
騎士としての仕事がある。ずっとモイナを守り続けるのは、さすがにこの二人でも無理だ。
モイナは子供だ。仕事をしている訳ではないから、城に上げる事が出来ない。だから私が養女としてバウティ家に入った時の様に、仕事をしている日中は安全だと言う保証が無い。
クルルス様はバウティ家の館に居れば安全だと考えているからこそ、うちに置くように言ったが、ジルムートの居ない間に攫われたら……。
きっと想像を絶するえげつない方法を使ってモイナの消息は消され、二度と出てこないのだろう。
モイナをパルネアに帰すと言うクザートの話が、妙に説得力を持って迫って来る。
しかし親子が離れ離れになるなんて……。
部屋の空気はすっかり重くなってしまった。




